母は子どもにとって知恵の鏡であるように ・・・ しつけの鏡です。
その母がいるから 子どもは悪いことができないのです。
仏教では 「母は能正なり」といっています。
「能正」とは 「よく正す」ということです。
正すのが 母です。
「正す」とは 「一に止(とどま)る」ことです。
「一」とは 「道」のことです。
つまり 母は
人間社会の道理にかなう子どもに育つよう
・・・ わが子を「正す」人なのです。
その根底には「人間平等」という深い哲学があることを
・・・ 忘れないで下さい。
子どもは どの子も「しつけ」によってどうにでもなるのだ
という母の確信があればこそ
・・・ 自然な感化にも張りあいが出てくるし
母がそうした目で自分たちを見守ってくれると思うから
・・・ 子どもも母に順応してゆくのです。
* 2010.11 東ブータンで
その母がいるから 子どもは悪いことができないのです。
仏教では 「母は能正なり」といっています。
「能正」とは 「よく正す」ということです。
正すのが 母です。
「正す」とは 「一に止(とどま)る」ことです。
「一」とは 「道」のことです。
つまり 母は
人間社会の道理にかなう子どもに育つよう
・・・ わが子を「正す」人なのです。
その根底には「人間平等」という深い哲学があることを
・・・ 忘れないで下さい。
子どもは どの子も「しつけ」によってどうにでもなるのだ
という母の確信があればこそ
・・・ 自然な感化にも張りあいが出てくるし
母がそうした目で自分たちを見守ってくれると思うから
・・・ 子どもも母に順応してゆくのです。
* 2010.11 東ブータンで