気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

母 ・・・249. : しつける ・・・ 母はしつけの鏡

2011-01-19 12:00:42 | Weblog
母は子どもにとって知恵の鏡であるように ・・・ しつけの鏡です。

その母がいるから 子どもは悪いことができないのです。



仏教では 「母は能正なり」といっています。

「能正」とは 「よく正す」ということです。

正すのが 母です。

「正す」とは 「一に止(とどま)る」ことです。

「一」とは 「道」のことです。


つまり 母は

  人間社会の道理にかなう子どもに育つよう

  ・・・ わが子を「正す」人なのです。


その根底には「人間平等」という深い哲学があることを

  ・・・ 忘れないで下さい。



子どもは どの子も「しつけ」によってどうにでもなるのだ

  という母の確信があればこそ

  ・・・ 自然な感化にも張りあいが出てくるし

母がそうした目で自分たちを見守ってくれると思うから

  ・・・ 子どもも母に順応してゆくのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・248. : しつける ・・・ 母が見本 

2011-01-19 10:30:54 | Weblog
法然上人は 信仰の生活に入る手引きをたずねられたとき

  たった一言「よろず くせごとなり」と答えたといいます。

くせをつけるしつけがなくては やる気も起こらないと教えたのです。



「貧乏ゆすり」をする。 「また!」と叱る。

「机に腰かける」 「また!」と注意する。

  ・・・ こうしてくせを直し くせをつける。


部屋に入ったら帽子をとる。

靴をぬいだら直す。

スリッパを脱いだときは向きをかえる。

  ・・・ 母の「不断」の注意で くせはついていきます。


生まれ育つ肉体にしつけでみがきをかけ つやをだし

  ・・・ 人々に喜ばれる人間に育てる。


やさしい母心そのものが ・・・ 「しつけ」の見本です。



母がしていること 母が自分でできること

  それが子どもへの見せしめとなり しつけとなる。

母がガサツでは ・・・ いい子は育たない。

母が背のびし 見栄をはっていては やはり薫陶はできません。


自然に在るがままの自分から

  ・・・ 子どもに学びとって貰うのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・247. : しつける ・・・ 読み・書きのくせ 

2011-01-19 09:00:30 | Weblog
ある母は 平気で本を破って物をのせたり くるんだりしていました。


子どもは 「書物」というものを少しも大事にしなくなりました。

書物を踏み台代わりにしたり

  尻に敷くことが平気になってしまったのです。



読書を軽んじる人は 文字を大切にしないし 思想を軽視する。

テレビばかりみている子が読書が嫌い

  まともな文章が書けないのとおなじです。



書物というものには ・・・

現在の自分の体験とはまったく異質の世界を

  のぞかせてくれる力がある。

想像力を豊かにし その人の世界までも変えてしまう。

考える力を身につけてくれる。

固定した狭い考えから 人間を開放してくれる。


読書は 人間にとって

  ・・・ 孤独な しかも大切な精神の個室です。



その書物を

備品か道具のようにしか扱わない子どもには

  物を深く考える力も 物事を多角的によみとる力も育ちません。

母が文字や書籍を大切にしない態度 しつけのなさが

  そうした子どもをつくってゆく。


思慮深さ 逞しい想像力 論理的な頭脳 鋭い分析力

  他人の心を読む心理能力 そうした人間の才覚や知恵は

  ・・・ 「読書と思索」だけが与えてくれるものです。


この「読み・考える」くせは 母の育児態度(しつけ)のあらわれる。

・・・ 母自身の在り方のよって決定されるのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・246. : しつける ・・・ しつけの根本  

2011-01-19 06:00:13 | Weblog
よく「私の祖父は武士の出身でね」とか

  「代々××藩の家老をしてた」とか

  「死んだ祖父さんは豪農で 母は名門の生まれで」と

  ・・・ 自慢する人がいる。


しかし

その人自身の行為や言動がきたならしく

思いやりのないものだったら

  ・・・ 出生も 毛並みも 一文の価値はありません。



彼の母が 門閥や血統ににとりつかれて

「差別」の教育をしたために ・・・

かえって その人は「しつけ」の悪い人間になってしまった

  ・・・ という場合が多いのです。


「生まれに非ず 行為に由(よ)るべし」

  ・・・ この考えは しつけの根本です。



だからこそ

母は 言葉づかい 手くせ 足くせ 尻ぐせなどの行為を正しくしつけ

それを 子どもの個性にまでのばしてゆかなくてはならないのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・245. : しつける ・・・ 他人を大事にする 

2011-01-19 05:09:02 | Weblog
言説(おこない) : 言動 ・・・ これをつくるのがしつけです。


そのしつけの底には

「光焔(ほのお)は平等なり」という人間観がどっしりと

  おさまっていなくてはならないし ・・・

その平等観があるからこそ

  母も 子どもの未来の行為(おこない)ために

  ・・・ 「しつけ」にはげむのです。



「この子は しつけをしてもダメだ」

  という考え方をもつ母は 平等観を見失っているのです。


人間は平等だという思想(かんがえ)がなければ

  他人を大切にする気持は起こりません。

差別感をもつ人は 他人を虫けらのように扱います。

「しつけ」の土台となる平等観は ・・・

「しつけ」によって子どもに

  「人間は平等なのだよ」と教える尊い教育にも通じているのです。



「他人を大事にする」という「しつけ」は そのために必要です。


人さまに迷惑をかけるな という薫陶は

  ・・・ 他人を傷つけない平等観を植えつけるために大切です。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・244. : しつける ・・・ 言説(おこない)

2011-01-19 05:08:02 | Weblog
人間の生まれながらの美醜はどうなのか。

釈尊は教えます。


「 髪に非ず 肩に非ず 腹に非ず 背に非ず 臀に非ず 胸に非ず

  陰部(しも)に非ず 会合(あいおう)に非ず 手に非ず

  足に非ず 指に非ず また爪に非ず 脛に非ず 股に非ず

  色に非ず または音声に非ず
 
  他の生類(しょうるい)にある如き特色は

    決して人々のなかに於いてあることなし。

  人の中に於いては

    自身の中にこの差別相存在せず。

  ただ人中に約束せる言説にて差別を説く 」



・・・ じつに鋭い教えです。


釈尊は

どんな人間だって

いったい身体のどこに「特別の相(すがた)」があるのだ

  ・・・ どこ調べたって 「別相」はないじゃないか。


昆虫や生物にはいろんな特徴があるが 人間にはそれがない。

差別するよりどころは何もないのだ。


あるとすれば ・・・

  その人間の「中」にある。

  行為にある。

  言動にあるのだ。

出生・母胎・職業・身分 そんなものは人間のねうちに関係ない。



人間は平等であり 差別はその人の言説(おこない)にある。


・・・ 釈尊は明快に きびしく教えています。




* 2010.11  東ブータンで




  

母 ・・・243. : しつける ・・・ 人間のねうち 

2011-01-19 05:07:03 | Weblog
釈尊の生まれた当時

人々はその生まれによって ・・・ 親・身分・血筋など ・・・

  差別される風習が強かった。

釈尊は そうした階級差別に抵抗して仏教を説かれた人です。



釈尊はいいます ・・・


「 人間のねうちは その生まれによるものではない。

  当人の行為によるのだ。

  人間も生まれにかかわりなく燃え育つ。

  人間の評価は その人間の行動によるのだ 」




* 2010.11  東ブータンで