気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

母 ・・・318. : 求心力 ・・・ 共苦  

2011-01-30 13:00:26 | Weblog
夫婦である以上 同歓共苦 ・・・ であって欲しい。

二人は 運命共同体なのだ ・・・ と信じて頂きたい。



子どもも ・・・ 同様です。


どんな非行な子になろうとも ・・・

母は 自分ひとり逃げかくれたり 身をひこうとせずにいて欲しい。

世間や友人 先輩 親類が見放したときでも

  妻や母は自分だけを防ぎ守ろうせずに

  ・・・ 夫や子どもをかばってもらいたい。



父や子どもを捨てて 実家や蒸発先のアパートに住んだところで

  ・・・ 安らぎがわいてくるものではありません。

  ・・・ むしろ苦しむだけでしょう。


共苦の心で 夫や子どもとともに苦難の刑をうける

  ・・・ のが 母ではないでしょうか。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・317. : 求心力 ・・・ 離婚相談   

2011-01-30 11:00:23 | Weblog
健康の相談に応じる仕事と講演依頼などに応じてるせいか
少しは人間の機微に通じているだろうと
  ・・・ 離婚の相談を受けることもある。


そのなかに夫が事業に失敗したり
会社でしくじって失業したりして
  将来見込みがないので離婚したい といってくる母親がいる。

きまって 親戚兄姉が離婚に賛成してくれているし
働く口もみつかりそうだから 主人を納得させて下さいという。

私には どうして夫が苦しんでいるときに離婚しようとするのか
その利己心が分からない。

確かに家庭生活の平和を乱して
  妻子を悲しませることはいけないことです。
しかし よほど勝手な男でない限り
  その種の失敗には善意や誤ちがつきものです。
もっと暮らしを楽にしてやろう
  経済的に豊かにしようとする父親の勇み足が
  ・・・ 思わぬ摩擦や事故をまねくことがよくある。


「 そのご主人の気持はわかりますか 」 というと

  分かるけれども 借金と貧しさに耐えられないという。

「 しばらく待ったらどうです。ご主人も苦しんでいるのだし

   こうなった原因には奥さん自身の不注意もある。

  それに 子どもの幸せを考えたら別れるべきではない。

  父と母の不幸を子に背負わせる権利はないのです。

  それは親の利己心であるし ・・・

  夫を捨てるのは あなたが自分をかばおうとするからです 」


  ・・・ 私は強くいいます。

                  (母 ・・・318.へつづく)





* 2010.11  東ブータンで




  

母 ・・・316. : 耳を傾ける ・・・ 居る ・ 待つ ・ 聞く 

2011-01-30 09:00:33 | Weblog
たがいに理解を強制しあわない流露の会話をつづけてきた母と子は

  断絶を味わう度合いが少ないものです。



母心は

 「理解とは 理解されざることを理解することだ」(亀井勝一郎)

  という広い抱擁力を備えて

  ・・・ 子どもとの二十数年を歩みつづけてゆくものなのです。


父と子の悲劇は

  「理解とは理解することだ」という狭い硬直した心が招くのです。



ひとくちに 子の話を聞いてやるといいますが

  ・・・ これは大変なことです。


忍耐が必要です。

カーッとなる根気のないお母さんにはつらい仕事です。



いかし

子どもの話をじいっと聞く習慣が

  やがて若い母の精神的未熟さやひよわさを消し去り

  ・・・ 成熟した弾力的な母心をはぐくんでゆくのです。


育児ノイローゼに陥る母には

  この母心の成熟への努力が欠けているのです。



「居る」 「待つ」 「聞く」 ・・・ これが母心の第一です。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・315. : 耳を傾ける ・・・ 母と子のコミュニケーション

2011-01-30 06:00:43 | Weblog
子どもが成長したとたんに母をうとんじ

  何も話しかけてくれないと嘆く女性がいます。


子どもの幼少時に そのお母さんは

  「聴聞(きいてくれる)の人」だったでしょうか。

教育ママ風に子どものおしゃべりを拒否し

  批評を加えてきたのではないでしょうか。



成人近くになると 子供と母との間には

  ほとんど通じあうものがなくなってしまうのがつねです。


しかし

子供の生きている世界が分からなくても

あるいは

お互いに理解しあうことが難しくなっても

  ・・・ 母心を会話のうちにまさぐる子の心は永遠です。


それさえ残っていれば

・・・ 母と子のコミュニケーションは途絶えません。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・314. : 耳を傾ける ・・・ 人生の糧 

2011-01-30 05:00:16 | Weblog
「安居」している母の懐に飛び込んでくる子どもとの会話は

母のやさしいまとめと判断によって

  ・・・ その子の長い人生の糧ともなるのです。


どのように労働に疲れていようとも

  それは母のたゆとう心のあらわれとして

  ・・・ 努め 励まなくてはならない母心の一つなのです。


子どもの話に間違いがあったら

ゆるやかに 落着いて聞いてやりながら

  母らしい優美さで教え導いてやればよいのです。


それができなかったら

慈愛の情をたたえて 子ども言葉に聞き入ってやる。

  ・・・ それが母心です。



百科辞典をもち出したり

子どもの話の腰を折って 「ちがいます!」 と冷評したりする母は

  子どもの心の渇き知らない

  ・・・ むごいお母さん といえるでしょうね。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・313. : 耳を傾ける ・・・ 耳をふさぐ母  

2011-01-30 04:11:16 | Weblog
子どもの心は 母とのふれあいに生きがいを味わってこそのびていく。

母心は 子の心の成長の鍵です。


もし 子どもの話に耳をふさぐような母親があったら

どんなに知識や学歴が高くても

  その母は 子の知恵をのばしてやる女性とはいえないでしょう。



ものを聞いてくれない母

いおうとすると つめたい批評をしたり

  むげにさえぎったりする母がいたら

  ・・・ それは 「母心」を欠いているのです。


子どもは母から
  つめたい理屈や批判的な裁きを求めているのではありません。


母が子どものおしゃべりを拒み 冷酷な批判を下せば

  ・・・ 子どもは母を憎みます。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・312. : 耳を傾ける ・・・ 母が家にいてくれてこそ 

2011-01-30 04:10:12 | Weblog
なぜ 先生に叱られたのか

クラスのなかで自分が憎まれるのはどうしてか

女の子に親切にすることが なぜ大切なのか

  そうした学校の体験。


どうしてパパの帰りが遅いのか

父の労働とはどんなものか

テレビ・ドラマと現実の家庭生活はなぜちがうのか

  そういったバラバラの体験や疑問が

母との対話(かりに一方交通であっても)を通じて身につき

  躯(からだ)と心のなかに溶けこんでゆくのです。



ですから
 
子どもが発見した新事実を

  投げかける母という的(まと)がいなかったら ・・・

子どもはむなしい空砲を放つか 逞しい想像力や知的好奇心や

・・・ 小さな胸のなかで澱(よど)ませてしまう以外ありません。


これは 子どもにとって悲しい不しあせなことです。

彼らは 心のなかに澱んだしこりをかかえたまま

  精神的に退廃化してゆかざるをえません。


母が家にいてくれてこそ ・・・ その不幸からまぬがれるのです。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・311. : 耳を傾ける ・・・ 知恵の反射鏡 

2011-01-30 04:09:36 | Weblog
人間の知識というものは ただ学校で勉強したり

  本を読んで覚えたりすることで実るものではありません。

学んだこと 習ったこと 聞いたり見たりしたいろいろのことが

  母に伝え 聞いてもらうことで ・・・ 知恵となってくる。


雑然と投げ込まれた知識や無秩序に並んでいる経験や知識の断片が

  母に語りかけることで

  ・・・ 知恵と結びついたほんとうの知識となってゆくのです。



母は 子どもの「知恵の反射鏡のようなものだ」

  ・・・ と昔の人はいっています。

母と語りあううちに自分を整え 経験した意味を悟っていくのです。





* 2010.11  東ブータンで