気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

母 ・・・305. : 黙って叱る ・・・ ヒステリックな母 

2011-01-27 15:00:04 | Weblog
饒舌で わめきたてる母親もいます。

キンキン声をはりあげて ヒステリックに叫ぶ母もいる。

自分の苛立ちと怒りを自制できないお母さんもいます。


そうした母は

  どんなとき 子どもが母の心にうたれるのか

  ・・・ 分かっていないのです。



母は 自分の感情を満足させるよりも

  子どもの心にうえつける教育を第一とする人であるべきです。


心理学者の宮城音弥氏は

「 ヒステリックに行動する女性は 母性が十分に発達していない 」

  ・・・ とのべています。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・304. : 黙って叱る ・・・ 沈黙の涙 

2011-01-27 11:00:11 | Weblog
母とて人間です。

激情に駆られ

  わが子を殺してやりたいくらいの憎しみを抱くこともあるでしょう。


しかし

母は 子どもに激情をふりむけたあとの恐さをよく知っている。

陰鬱な激情の発作が過ぎ去れば

  あとで襲ってくるものは ・・・ 暗い無残な思いだけです。


父の激怒のあとの爽快さは 母には残りません。

性根のやさしい母には

  沈鬱な自己呵責の苦しみだけが 澱(よど)み残ってゆくのです。


子どもは 母の怒りに対し

唇を噛みしめ 侮辱をふくんだ眼で見返してくるにちがいありません。


事実 子どもの母への憎悪は

  たいてい この激情の発作によって起こっています。

子どもを殺してしまうのも この激情です。


激情は ときに慟哭(どうこく)となって表現されます。

大声をあげて泣く母です。

こうした場合 子どもは困惑と蔑(さげす)みをいだきます。



母はつらいけれども

激情をおさえ 辛抱強く内心の怒りの焔(ほのお)を静め

心の奥に冷たい風をふきつけて ・・・ 耐えねばならないのです。


そこに 沈黙の涙が吹き出てくるのです。


子どもは それに負かされてしまうのです。





* 2010.11  東ブータンで






母 ・・・303. : 黙って叱る ・・・ 沈黙の力を知る人 

2011-01-27 09:00:06 | Weblog
母に黙って叱られると

  もう金輪際腕白すまい という沈んだ反省的な気持になる。


人間は 涙に負ける。 弱さに負ける。

いったい母をこんなにもつらい想いをさせて

  それでいいのだろうか と痛々しい気持になってくるのです。



母は 叱りもしない。 声もはげまさない。 沈黙と涙。

そこには 父以上の力がある。

  ・・・ 弱さゆえの力 とでもいうのでしょうか。



私の友人たちには
 
  こうした母の思い出をもった人が少なからずいます。

なかには その話になると涙ぐむ五十代 六十代の大人もいます。



では どうして沈黙の涙に 子どもは挫(くじ)けるのでしょうか。


母の心の痛みが 刺すようにわが手に伝わってくるからです。

母の苦悩に耐えられないからです。

子供のほうが 母の身になって同情してしまうからです。


母心の光が 鋭く子どもの胸に差しこんでくるのでしょう。

どんな抵抗も 反抗も くじいてしまう母心が

  ・・・ 子どもの魂をうずかせてくるからです。



母は 本能的に沈黙の力を知る人です。


饒舌の空しさと

  こわばりをもったとがめたての無意味さを心得た人です。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・302. : 黙って叱る ・・・ 父と母の叱り方 

2011-01-27 06:06:29 | Weblog
母親に叱られたことのない子どもは まずいないでしょう。

子どもには叱られる権利がある とさえいわれるくらいです。


しかし

母親に叱られたという記憶は あまり鮮明に残っていないものです。

毎日くり返し叱言をいわれていたせいか

とりたてて「叱られた」という気分にならなかったのかもしれません。

だが ・・・ 本当はちがいます。



母の叱り方は ・・・ 「黙って叱る」です。

それだから ・・・ 心の傷痕となって残っていないのです。


父親は ・・・ 声を荒げて叱りつけます。

ときには 身をふるわせて激怒します。

怒りによって子どもに悪行への反省を懲(し)るすために

  鞭までもふるいます。


母は ・・・ 決して手をあげたり 殴りつけたり

  大声をあげて叱るようなことはありません。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・301. : 融和性 ・・・ 家庭は最後の砦(トリデ) 

2011-01-27 05:06:04 | Weblog
私たちは なかなか現実的に自由な開放感を味わえない

  ユーウツな毎日をすごしています。

父も 母も 子も ・・・ そうです。


そのつらい、異常な世に ・・・

母は 家庭という解放された魂の場をつくりあげ

  家族の心の拘束を解き放ってやる。

子どもは 母のそうした力から正常な未来を築くものが何か

  分かってゆくのです。



いま 家庭は この異常社会のなかで

  唯一の人間らしさを守る抵抗体の砦(トリデ)です。


そこに母の融けこむ心があれば イライラや不安は消える。

まやかしの個性に苛立つ心も ・・・ 消え去ってゆくのです。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・300. : 融和性 ・・・ 「自分」という枠をはずしたとき 

2011-01-27 05:05:11 | Weblog
人間が外からの拘束(世の中のさまざまなしがらみ)を離れ

  「自分」という枠をはずしたとき

その人は 空気の精か花の精のようになり

地上の一切のもの ・・・
 
生活 金銭 地位など世俗のものや

自分の将来 自分自身の幸せの欲求

生きることの不安や危惧などは消えて

  ・・・ 爽やかな気分になるものです。


広い野原に寝そべって 澄んだ青空をじいっと眺めているとき

  そんな気持になるではありませんか。

自分が陽の光そのものなかに

  吸いこまれてしまったような感懐にとけこむのではのないですか。

  ・・・ 自然と一体化した歓喜の感情です。


そのとき自由感はあふれ

花の香りや蜜蜂を運ぶ風のように軽々と宙に舞う感動のあまり

  ・・・ 息苦しくさえなります。



母は そのように自在に虚空に躍り

父や子の心に融け入り

  雲となり木の間に漏れる陽の光となって

  ・・・ 分け入ってゆく人なのです。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・299. : 融和性 ・・・ 母の融けこむ力 

2011-01-27 05:04:45 | Weblog
情緒障害児とは 相手に融けこみえない子どもです。


子どもがそうなるのは 母に融通の心が欠けているからです。



人間などというものは

  もともと小さな ささやかな物質のかたまりにすぎません。

宇宙全体からみれば 一点のチリのようなものです。

そのなかの「私」など とるにたらぬ芥(アクタ)にすぎません。


しかし

その心を内からみれば 想像をこえた広やかさをもっている。

・・・ 母心とは それなのです。



小さな弱い母が 何故逞しく子に映るか。


それは ・・・ 母心の融けこむ力をみているからです。





* 2010.11  東ブータンで