気の広場

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母 ・・・273. : 荊(いばら)の道 ・・・ 感動

2011-01-22 12:00:32 | Weblog
「女児は誕生後、二、三日か四、五日のうちに乳白色のおりものをみせる。中には経血をみる児もある」


随筆家の岡部伊都子さんのこの一文を目にしたとき

  ・・・ 私は いい知れぬショックをうけました。

厳粛な感動と申してもいいでしょう。



この女性と男性との性のちがいは尊い。


いままで 男たちは この生理のちがいを

  「女の弱さ」「女の業」としてのみしか考えず

それゆえに はずかしめ さげすんできた。

「経血」を不浄なものとして扱い

  ・・・ 性を享楽の対象におとしいれようとしてきました。


その不当な男のエゴイズムに

  女性がいきどおり 男を憎んだのは当然のことです。



そして 男性の女性蔑視が

そうした女体観にたっている限り

  男は 母の尊さを知ることはできない。


幼児を甘えさせる あの母の躰(からだ)のまろやかさ やわらかさ

あるいは かぐわしさ なめらかさは ・・・

生後数日にしてみせるおりものや経血と

  ・・・ 一筋に結びついているものなのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・272. : 父と母 ・・・ 人間としての母  

2011-01-22 10:30:50 | Weblog
父に反省をうながし 女性を大切にし

  母性を保護する社会を必要とするなら

  ・・・ 父に協力を求めるべきだと思います。


協力させる鍵は 母は母らしくあることです。


母らしくという言葉に劣等感をもたないでください。


母らしさとは
 
  男・女という性を超えたもっとおおらかな人間性のことです。

生み育てる豊かさと強さです。

細心 柔和 無私 不休 慈愛といった力をもつ人となることです。



女性が「母」を女という「性」のわくにおしこめるとき

  ・・・ 母心は枯死してしまいます。

母らしくあることは

  その狭い 男の性と並べたてる女の性から抜け出すことです。



このような母になれば 父そのものもつつみこむことができる。


つつむとは

母の働きで父に反省する力をも与えるという

  ・・・ 大きさをいうのです。



父を憎み 競う小さな「母」から

  「人間としての母」へと変わるとき

  ・・・ 父は「母」の声と心にうたれます。


事実 父は自分の妻に そうした「母性」を求めているのです。


子どももそうです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・271. : 父と母 ・・・ 母は母として

2011-01-22 09:00:45 | Weblog
このブログで 私は一貫して ・・・

「母自身」の尊さ 母自らの役割を くりかえし書いてきました。


母は 母として在ることによって

  ・・・ 父を反省させて欲しいからです。


父の真似をし 模倣することで 父に代ろうとしても ・・・

父不在社会の悲劇は

  少しも救われないことがはっきりしているからです。



テレビや雑誌の中で

  父を非難し 男をやっつけ 女の力を誇示する人たち ・・・

もう たくさんですね。


父や男を敵にまわし

劣等感を裏返した言葉でいくら罵っても

女よ外へ出ろ 働けと眉を逆立てても
 
  ・・・ 問題はひとつも解決しません。


父は ますます現在の自分をそのままで

  守り通そうとするだけのことです。


カラにとじこもった父を いくらたたいても

  母に残るものは ・・・ 苛立ちと空しさだけです。


そこに子殺しが起これば

  父は いっせいに母性そのものを糾弾します。




* 2010.11  東ブータンで






母 ・・・270. : 父と母 ・・・ 父のあやまち

2011-01-22 06:30:35 | Weblog
現代の父は かずかずの誤ちを犯してきました。


戦争も 核兵器の競争も

私たちの生活を傷(いた)めつけ 狂わせる文明万能の政治も

  ・・・ 父の犯した罪です。


父は 「公平・平等」の心 自己犠牲心 大きな個性 剛毅さ

   竹を割ったような淡泊さ ・・・

そして 最後まで責任をもつきびしい態度を喪いつつあります。


この父の欠点が 「不在」と「無力化」の原因となっています。




母は その父に反省と自己批判をもとめるべきでしょう。


けれども

母が父に代ろうとすれば 父は反撃に出ます。押しつぶそうとします。


それでは 父の反省の機会は ますます遠のくばかりです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・269. : 父と母 ・・・ 役目 ・ つとめ

2011-01-22 05:00:42 | Weblog
父が不在だ 無力化したといわれて ・・・ 久しい。


たしかに 母は ・・・

家を出て 社会進出をし

物価高と闘い 地方政治を動かす力ともなり

あるいは 困難な受験戦争のも取組んできました。



しかし

不在化し 無力化したといわれる父は

いぜんとして社会の中心部をにぎり 政治と経済を支配しています。


これを母の手に奪おうとするのは無理ですし

  ・・・ また 無意味なことです。


そうした願いをもっている女性や母もいますが

父たちは 内心蔑(さげす)み

  ・・・ 無視しようという傾向を強めています。



私は

母が父に「代ろう」とする心を捨てるべきだ ・・・ と思います。


母には 母なりの役目がある。

父には 父としてのつとめがある。


父が父らしくあるために 母は努力して欲しいが ・・・

父を殺し 父の座を奪おうとする試みは

  父との闘争しかもたらさないでしょう。


それが 母の幸せと女の幸福となるかどうか

  ・・・ いま 改めて考えていただきたいものです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・268. : 無心の喜び ・・・ 一粒の麦

2011-01-22 04:07:03 | Weblog
母は「家族」を結ぶ人です。


性によって夫に結ばれ

慈愛によって子と結び

  たえず自分を自在に働かせて家族に活力を与える

  ・・・ それが母です。



「結ぶ」とは 自分を捨てた「無心」の働きともいえましょう。

生命がけで子を生み 育てる心に通いあうものです。



もちろん「無心」は 結果として自分を大きく生かすことです。


逆に 自分を多勢の人々のなかに生かすことです。


人間の幸せとは

  小さな自分を越えて世の人にのりうつって喜ばれることです。


そうした母なればこそ 子との別れに執着せず

  食われ 屍となって悔いないのです。



「一粒の麦死なずば」という聖書の言葉があります。

母は一粒の麦であり

  ・・・ その無心の態度で世につくす人なのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・267. : 無心の喜び ・・・ 結び

2011-01-22 04:06:17 | Weblog
むかしから 女性の役目として

  「結ぶ」行為が とくにとりあげられています。


これは「生(む)す性(しょう)」をいいあらわしているものです。


男に紐を結んで活力を与える。

妻である自分が結びついていることで夫に勇気をつけるわけです。

ローマでは

  出征兵士の首に妻が布を結んで無事を祈る風習があったそうです。

ネクタイの起源です。


「生(む)す性(しょう)」とは 「何かを生む力」です。


古代人は この「結び」の力に霊力をみていました。


古事記や日本書紀の神話には 「産霊(むすび)」の神が出てくる。

万物の生成をなす霊異の神です。


それが やがて「結び」となり

  人と人とをつなぎあわせる連帯感へと発展します。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・266. : 無心の喜び ・・・ 自然のはからい

2011-01-22 04:05:44 | Weblog
「無心」であれば 世の道理にも社会の変動にも人生にも

  ・・・ 素直に目がひらけてきます。


人間の成長とは ものの「よさ」がみえてくることです。


大切なものは眼(まなこ)です。

素直な心は えりごのみしない心です。

母になり子になったのも 選んだ結果ではありません。

自然のはからいです。


母は その力にふんわりとのる人です。

そこに 自分と他者(子や夫)をのせる大きな力がひそんでいる。


小さな人間のはからいでは どうにもならない因縁と自然の力が

  ・・・ 母を 母たらしめていることに気づく。




* 2010.11  東ブータンで