気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

母 ・・・193. : わけへだてしない ・・・ 母の耳掃除

2011-01-08 10:30:36 | Weblog
子どもは耳掃除が好きだ。


日当たりのよい縁側でごろりと母の膝を枕に

かさこそと耳の内側にふれる柔らかい

  くすぐったい感触を楽しんでいる。

子どもはまったく母を信頼しきって耳を託しています。

母は注意深く 光線を耳の中へみちびき入れ

  細心に ゆるやかにかさかさと木片を耳のかべに当てる。


「まあ こんなにたまちゃって」

ひとりつぶやきながら眼を細め 熱心に耳掻棒を動かしている。

子どもは目を閉じ 母のふっくらとした手に甘えきっている。

二人はそよりと吹く風も気がつかないように

  ひたりきっています。

母は耳掃除を通じてわが子を愛撫しているのでしょう。


子どもは母のなかへすっぽりと融けこんでいます。

母も子も楽しんでいるのです。


「痛い!」 子どもは顔をしかめる。

「ごめんごめん」 母はすまなそうに笑う。

二人は一心同体になって 甘えあっているようです。


この一体感を味あわせてくれるのが ・・・ 母のいつくしみです。


子どもはまた気持よさそうに目をつぶっている。


気持ちよくなるが ・・・ 慈愛です。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・192. : うちをととのえる ・・・ 調和の喜び

2011-01-08 09:00:43 | Weblog
清潔というものは

  人間の情操心がうむバランスの感情なのです。

一方に極端にかたよるものであってはなりません。



散らかし そして 片づける といった

  くり返しのうちに家庭は整えられてゆくのが自然です。



整頓も大事です。

が ・・・ それにあたまをつっこみすぎてはいけない。

  家を整えるということは ・・・ 調和の喜びなのですから。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・191. : うちをととのえる ・・・ 病的状態

2011-01-08 06:10:49 | Weblog
母は 実験的・実際的な知恵と行動で子に教育を植えつける人です。


それが家事そのものにおよび

人がみていてもいなくても努力する高貴な心性とへと発展するのです。



もちろん

「水清ければ魚住まず」というように

あまりにも潔癖であることは やがて

  来客をいやがり

  子どもをしょっちゅう𠮟りつけるようになり

  ・・・ 世の中と家庭を狭くし 重苦しいものにする。


欠点のない人間がつきあいにくいように

塵一つない部屋に通されたのでは

  客人もじき帰りたくなるし

  ・・・ 子どもは おどおどする。


度を超すのは ・・・ よくないことです。



一方で

家事嫌い 掃除嫌いで 環境衛生に無知で清潔感の乏しい母があり

他方に

際限なく家事をひろげて

  整理箱に家族を押しこめてしまう母もある。


合理的家政を求めながら

この二つの型に母が分極化しつつあるのが

  ・・・ 現代の若い母のようです。


いずれも ・・・ 一種の病的な状態です。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・190. : うちをととのえる ・・・ 裏・表のある母

2011-01-08 05:49:15 | Weblog
人間の卑(いや)しさは

  表面的なとりつくろいに熱中する態度から生まれます。

目的のために手段を選ばない鈍重さです。



子どもが

部屋を丸く掃いて フキンと汚れたパンツを一緒に洗って

  平然としている母をみるとき

  ・・・ そこに母の二重人格を発見するでしょう。


どんなに美しいカーテンを使っても

その部屋には母の要領のいい「ごまかし」と

  卑しさげな怠惰(たいだ)さが漂っている。


それでいて

子どもに 裏・表のある人間になるなとしつけているとしたら

  ・・・ その母は 裏・表のある人間といえるでしょうね。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・189. : うちをととのえる ・・・ パンツとフキン(布巾) 

2011-01-08 05:48:24 | Weblog
むかし(いや今も) 「家事は女の不幸だ」と

  家事からの脱出や家事を怠ける

  ・・・ 「ハウ・ツウ」が流行しました。


私も

家事を簡便に能率化して

  主婦が考える時間 もの想うゆとりをもつことには

  ・・・ 大賛成です。


しかし

能率化心がけることと

  家事をサボリ 怠けようとする心理とは

  ・・・ 全く質の異なったものです。


家事を蔑(さげす)み 怠けようとする心は

毎日の母の生活を通じて

  子どもにさまざまな人間教育を与えようとする努力を

  ・・・ 無価値にする心理に通じています。



たとえば

むかし 「部屋は丸く掃(は)け」と

  『家事秘訣集』を書いた犬養智子氏はいいました。


たしかに それでも表面上はきれいな部屋になるでしょう。


では それを子どもがみたらどうなりますか。

子どもが学校で何十人もの級友と掃除するとき

その子がスミズミまで掃除することをやめ

  「ママもそうしている」と主張したら

          ・・・ 結果はどうなるでしょうか。


また 彼女は

  「バンツとフキンはいっしょに洗濯機で洗え」といいました。


そのフキンで食卓をふき 茶碗をふいて客に出したら

  ・・・ 客はどううけとるでしょうか。



便やおりもののついたパンツやパンティと一緒に洗ったフキンでも

  洗剤できれいになっているだろう。


だが しかし

結果のみで人間の清潔感や美感が満足されるというなら

もはや その母には

  美を語る資格もなければ

  子どもに対して 人間のかくされた美徳を説く資格もありません。



* 最近でも ・・・ 元祖犬養女史のごとき女性家事評論家や家事研究家と称する方々が
テレビや雑誌のなかで ・・・ したり顔で家事について語っておられますが ・・・
 まことに笑止 ・・・ というしかありません。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・188. : うちをととのえる ・・・ こんな家庭では?! 

2011-01-08 05:47:35 | Weblog
もし 障子は破れ 庭の草は生え放題 紙屑箱はいっぱい

  玄関には靴が散らかしぱなしという家を訪ねたとき

その家のトイレを借りたり

  夕食のご馳走になったりすることができるでしょうか。


私には 気持悪くてとうていできません。



その家庭は ひとことでいうなら

  無秩序と混乱の家であり バイ菌の巣です。


子どもの訓育はゼロの家庭でしょう。



そうした家庭の母が
 
  世の中に出て何か教えても ・・・ それはウソになる。


わが身と我が家を治められない人間が

  どうして社会を整えることができるでしょうか ・・・ 。




* 2010.11  東ブータンで