気の広場

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母 ・・・222. : えらぶらない ・・・ 非凡(えらぶり)病の母

2011-01-14 12:00:15 | Weblog
非凡は偶像です。

仲間はずれです。



トルストイは

「 生まれてから

  一度も病気にかかったことのない男は友達にしたくない 」

  といっていますが

無病剛健の男

「 われ事において後悔せず 」

  といいきる宮本武蔵のような人間は ・・・ 人に好かれません。


非凡の人には 人の弱さや悲しみ 病人の苦しみなど

  「凡俗」のナヤミが理解できないからです。


兼好法師も

「病なく身つよき人」は友だちにするな と戒めています。



母も同じです。

社会的活動が好きで

子どもの身の回りの世話や育児 家事などの「平凡」な仕事を嫌う

  ・・・ えらぶる母は子どもに好かれない。


非凡(えらぶり)の母ほど

  ・・・ 家族にとって始末の悪いものはありません。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・221. : えらぶらない ・・・ 凡夫凡俗 

2011-01-14 10:00:57 | Weblog
母は 子どもが幾つになっても「平凡」の尊さを教え

  ・・・ 優等生をたしなめる人です。

えらぶる心の虚しさをさとす人です。


そして 多くの人々から学び

背負った子どもからも

  浅瀬を教えられることを喜ぶ人間であってこそ

    偉大な人格者なのだよ

  ・・・ と ねんごろに説き聞かせるのが母です。


もちろん 自分も

  えらぶらず 人と競わず 裁きあわず

  ・・・ 生きようとする人です。



そうした母は

決して子どもを冷たくこばんだり 冷笑したりしませんし

  家族の渇望(ねがい)裏切るようなことはしません。


家庭が暖かくなごやかであって欲しいと願う父や子の

  イメージを崩すようなことは望みません。


あるいは

自己中心にふるまったり

安定した濃い親密感で結ばれている家庭から

  「外」へ脱出して ・・・

父親と同じように

  ・・・ 「社会」の皮(男性化の欲求)をかぶろうとしません。


また

自分の営む平凡な毎日のくり返しを うとんじたり 憎んだり

  そのために外で働く夫や息子を嫉妬し

  ・・・ 劣等感に駆られたりするような気持も起こさない。



「凡夫凡俗」の自分でいることが

情報知識の渦や非情な人間関係にもまれて喘ぐ父や子よりも

  ずっと幸せなのだという自信をしっかりといだいて

  ・・・ 微動だにしないものです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・220. : えらぶらない ・・・ 恵心僧都の母

2011-01-14 09:00:58 | Weblog
恵心僧都(えしんそうず)というお坊さんがいます。

日本の仏教史のうえで大変有名な人です。



この坊さんが都で学問修行して偉くなった。

彼は その出世の喜びを

  いちはやく母に伝えようと使いを出した。


ところが 僧都の母親は

「 少しばかり知識を学んで出世したからといって 何が偉いのか。

  人間はいつも謙虚にへりくだって

    つつましく 自分の出世を誇らないのが偉いのです。

  それすらもわからないのか 」

    ・・・ と使いを追い返したという話しがあります。



* さて この逸話を伏線にして ・・・ 「母 ・・・221」につづきます。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・219. : 大きな個性 ・・・ 利他的な 非利己的な人 

2011-01-14 06:05:02 | Weblog
母が「自分だけ」の欲求を中心にして

  子どもをこばみ 命令し 叫び 叱咤し 要求するとき

・・・ 「拒否された子」は 愛に飢えた子どもになっていくのです。


そして

逆に溺愛し 甘やかすばかりの母は

「母の愛を独占しようとする子。父を憎む子」と

  「泣き虫でエゴイスティックな弱い子」を育てることになる。

母の子への溺愛とは 裏返せば

  母のナルシズム ・・・ 自己愛のあらわれなのです。



いずれにしても

母が「自分ひとり」の利己的な気持で子に接するとき

子どもは不完全な 社会性を欠いた

  ・・・ 人に嫌われる人間へと成長します。



母は 利他的な 非利己的な人でなくてはなりません。

それが母の個性であり 母性愛というものです。


母が「自分ひとり」の人間でないからこそ

子どもに思いやりや細心といった配慮の心がはぐくまれ

  ・・・ 責任・尊敬の心も育つのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・218. : 大きな個性 ・・・ こばむ母  

2011-01-14 05:15:15 | Weblog
「 お母さんがこんなに一生懸命になっているのに!

    どうしてあんたはわからないの! 」

  などという自分の感情の押しつけは

  ・・・ 母心のえらぶ道ではありません。


子どもの苦しみや切なさ 遊びへの誘惑やいらいらを

  自分の悩みとしてうけとめ

  ・・・ 二人三脚になってくれるのが母です。



私も三人の子どもの入試を経験しました。



子どもは 母の吐くたった一言で

  傷ついたり がっくりしたり あるいは奮起したりします。


命令者と服従する者 期待する者とそれに応ずる者

  といった支配 被支配の関係になったとき

  ・・・ 二人はすざましく対立し 抗争しあいます。



母がすっぽりと子の心をつつんで トゲを抜くようにして

  痛みに耐える苦しみに はげましを与えるとき

  ・・・ 子どもは 自発力を発揮する。



「自分だけ」の欲のある母は

  とかく子どもに「拒絶の恐さ」を与えるものです。


「こばむ母」には

  所有欲とか期待感とか それなりの理由もあるでしょう。

しかし

拒否された子の心に もしも欲求不満がのこったとき

結果は 子の「愛情飢餓」という

  ・・・ じつにむずかしい心理問題が起こってきます。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・217. : 大きな個性 ・・・ 無私の自分に生きる 

2011-01-14 05:14:37 | Weblog
むかし 母のつくった弁当を楽しみにしていた時代 ・・・


フタをあける。


卵の黄色とホウレン草の緑が鮮明に光ってみえる。

生唾が出てくる。

そこには母の心がこもっている。

ご飯の上に白ゴマがはらりとかけてある

そういったほんのわずかな心の配り方に

  ・・・ 子どもは喜びをかみしめる

母の手づくり料理にはいつでも

  食べる側の気持ちが汲みとられている。



母が 父や子のなかに融けこんでいるからです。


自分の皿のブリを子どもに回してやっても

  少しも不平がのこらない。

むしろ うれしいと思う。


おいしく食べてくれればよい

それで丈夫な子が育ってくれればいい

  ・・・ その無私の自分に生きている。


そんなとき

父は一番立派な魚を半分 そっと母のほうへずらしてやる。

「夫婦愛の発露だね」 息子はひやかすが 嬉しそうです。



母は

子どもや家族がうまそうに食べているのをみているだけで

  自分のおなかがいっぱいになる

  ・・・ という愛の心をもっているのです。



大きな個性です。


自分ひとりで生きない

  家中に生きている広々とした個性が 母にはあります。


母は たえず家族全体のなかで考え 感じ 生きていてくれる。


家庭人の安心感は

  この母の心があってこそ生まれてくるのでしょうね。



このような大きな広い個性を持つ母は

  自分の期待や欲望を父や子に押しつけない。

自己愛をふりまわして

  家族にトゲトゲしいいやな気分を味わわせることがない。


かりに子どもの進学に気をもんでも どんなに心を砕いていても

その気持ちを露骨にあらわして

  ・・・ 子どもを追いたてるようなことはしません。




* 2010.11  東ブータンで





 

母 ・・・216. : 大きな個性 ・・・ 家人につくす心

2011-01-14 05:13:50 | Weblog
母は自分が食べたくて

自分だけのために料理をつくって食べるということは

  ・・・ どうも不得手らしい。



母は一家のコック長なのだから

いつでも 好きなものをつくり食べられる。

しかし

母はそうした「自分だけ」の満足を求める気持ちがない。

そして

「ああ おいしかった」

  という家族の声に限りなく満たされた思いにかられる。

自分の料理への誇りと自信もあじわう。



主婦が献立を思案している様子は楽しげです。


予算を胸にあれこれと家族を喜ばせてやろうと工夫をこらし

  ・・・ 夢を描いているさまは大変美しい。

家人につくす精神性の美しさが

  ・・・ 甘美さとともに漂っている。


食べさせればよい

  などといった義務感や事務的な気持は少しもみられない。




* 2010.11  東ブータンで