気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

母 ・・・199. : わけへだてしない ・・・ 平等一子の愛 1

2011-01-09 10:30:52 | Weblog
たとえば 子どもが

いっぺんにわっと学校や勤め先から帰ってくると

  ・・・ 次々に母をつかまえてしゃべりはじめます。


そんなとき 母は

どの子にも同じくらいの熱心さと興味をもって

  ・・・ 聞いてくれる。


娘がクラブ活動の話をまくしたてると

  かたわらから息子が読みかけの本の話をする。

「うるさいわね あんたはあと」 娘がさえぎる。

「ぼくのしゃべるチャンスがないじゃないか」

  ・・・ 二人は母をうばいあう。


母は うれしそうです。

「はい はい ふーん ね 順番ね」

  ・・・ 慈愛をもって受けている。




* 2010.11  東ブータンで





「牛のかたわら」 ・・・ ★ ごぼう(牛蒡)の効用

2011-01-09 09:30:27 | Weblog
正月のうんちく★ お正月料理☆ おせち料理 5.たたきごぼう

 ・・・ を書きましたが

ごぼうの「うんちく」をふたたび ・・・ です。



むかし 日本では
 
牛や馬、豚などの肉を食べることを禁じた時代がありました。


その裏には
 
農耕に使役されている牛や馬を食べることへの

  ・・・ 戒めがあったのでしょう(「殺生戒」)。


しかし こうした禁止令はたびたび出されておることから

  ・・・ どれだけ守られていたかは疑問ですね。


牛や馬の肉も
 
  一部の人は味噌鍋にして食べていたようです(「薬食い」)。

猪(いのしし)兎(うさぎ)などは 貴重な「山」のたんぱく源でした。



肉を鍋にして食べるとき欠かせないもの ・・・ それは ごぼうですね。


ごぼうは 食物繊維の量がずば抜けて多いことから
 
  漢方では便秘薬(緩下剤)として使われています。

また おなかに入ったごぼうは

  好気性の細菌を作り それが各種のビタミンを作ります。

さらに 胆汁酸の排泄をよくして コレステロールをコントロールし

  PCBなどの有害金属 発ガン物質まで無害化し 排泄させてしまう

  ・・・ 「毒消し」「毒出し」の働きもある スグレモノです。



近頃では
 
ダイオキシン/活性酸素/遺伝子組み換え食品/BSE/O-157など

  食の安全が問題になっていますが ・・・
 

大昔から 食が安全だったわけではありません。

むしろ 現在のように保存技術がない時代

  食べ物には危機感をもっていたはずです。

そのため 人びとは安全に 栄養を効率的に摂取するために

  さまざまな工夫をしてきました。



ごぼうは「牛蒡」と書きます。

つまり「牛のかたわら」にあるもの。


牛肉(その他の肉も)を食べるときは

ごぼうを摂ることで ・・・
 
  私たちは何百年もの間 肉の害から身を守ってきたのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・198. : わけへだてしない ・・・ 無限・無量の愛 

2011-01-09 09:00:22 | Weblog
不幸な子に母の愛が注がれるからといって

その愛がわけへだてのあるものだと

  ・・・ 早のみこみしてはなりません。


母の愛は

  父の愛のように理知的な性質のものではありませんから

ともすれば 偏愛や差別的愛におちいる危険性を

  もっていることはたしかでしょう。


けれども 母の慈愛の本質は

  父の理性的な無差別の愛とはまたべつの

  ・・・ 無限・無量の愛をもっているものなのです。

けっして限定された

  一定の状態や特定の子どもを愛する

  ・・・ といったケチなものではありません。



父は

「神」とか「国家」とか「他人」を愛するのと同じ気持で

  子どもをわけへだてなく愛そうとします。

そこに 父の愛の「役割」と「秩序」あるのだ

  ・・・ と信じています。


母の愛はもっと自然に

どの子にも融けこみ調和してゆこうとする人間の自然性に

  ・・・ 根ざしています。


母の慈愛が大海のごとく

  不増不滅 ふえもせず へりもせず)

  無量無限 かぎりなくおおく かぎりなくひろい

  である点 ・・・

あるいは 父性愛以上といってもよい ・・・ と思います。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・197. : わけへだてしない ・・・ 教育ママですら

2011-01-09 06:05:10 | Weblog
教育ママがよく非難されます。


たしかに 過剰な期待のおしつけや

母の溺愛や劣等感を裏返したような強要は

  ・・・ まちがっています。


だが その母の願いのうちに

  子の幸せを思うひたむきな愛が働いている

  ・・・ ことも事実でしょう。


たえず子どもの健康を気づかい

不得手な科目を克服させようと努力する母の姿には

  ・・・ 慈愛心がほとばしり出ています。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・196. : わけへだてしない ・・・ ともに苦しむ

2011-01-09 05:26:05 | Weblog
どの母も

  子どもの一番悲しいとき ・・・ 母も悲しんでくれる。


世の中の全ての人が一人残らず自分を見捨ててしまい

嘲(あざけ)り さげすみ 四面楚歌の哀れな身となったときも

母だけは たった一人になっても
 
  そういうときこそ ・・・ その子の味方になってくれるのです。



耳掃除のときの母と子の一体性(いつくしみ)と融和性(じあい)は

  いつまでも いつまでも生きつづけているのです。


父は 子の苦難を試練だと冷たくつきはなすでしょう。

受難 受苦は父の荒魂の誇りです。



しかし

母は 子の労苦を慰め はげまし ・・・ ともに苦しんでくれる。


それこそが ・・・ 母心なのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・195. : わけへだてしない ・・・ 母は心の羅針盤

2011-01-09 05:25:03 | Weblog
子どもにとって父親とは

  必要なときだけ居てほしい人です。

いつでも どこでも居てもらいたい人ではありません。

子は 父と一体になって楽しみたいなどとは思いません。

いるとき 必要に応じ 現われてくれればよいのです。

二人の間に距離があってもいいのです。



母はちがいます。


いつでも居てほしい人です。

どこにでも姿をあらわしてくれる人であってほしい。


それだけに 母のことを忘れがちになる。

平穏な人生行路を走っているときは 母を忘れている。


それでいて

素晴らしい出来事や光景にぶつかると母を思い出したり

こんなところへ母をつれてきてあげたら

  さぞ喜ぶことだろうと ・・・ ふと思い出す。


つらいときもそうです。


母は 喜びにつけ 悲しみにつけ

  子の心に いつでも どこでも

    ・・・ 浮かびあがってくる人です。



父の思い出には ・・・ 苦さがある。

母の思い出には ・・・ 甘美さがある。


母は ・・・ 子の心の羅針盤なのでしょうね。




* 2010.11  東ブータンで




 

母 ・・・194. : わけへだてしない ・・・ 父の耳掃除 

2011-01-09 05:24:18 | Weblog
大人になって多くの人たちが

幼少のころの耳掃除を そこはかとなく快く思い出すのは

そこに 母と融けあった一体感の喜びが

  ・・・ ひそんでいるからでしょうね。



父の膝は堅い。


耳たぶをきつくひっぱられる。

なんとなく落着かない。

早くやめて欲しいといいたくなる。

どうもぎことなく そらそらぞらしい。

とけこみあえないへだたりがある。

耳掃除されている義務感のほうが強くなってくる。



母だと いつまでもやめないで欲しいと思うのに ・・・ 。




* 2010.11  東ブータンで