気の広場

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母 ・・・236. : 動かぬ土台石 ・・・ 母屋(おもや)

2011-01-17 10:30:52 | Weblog
土の臭いのする家 そして母屋 母をとりまく兄妹 ・・・

都会をさすらう若者が求めているものは

  そうした人並みの愛の喜びを享受させてくる

    ・・・ 感傷的な「母心」の居住地なのです。



母は 息子や娘を送り出すが 自分は動かずにいる。

母は よほどのことがない限り 駆け歩かない。

用事で外出していても

  家のことを一刻も忘れることができず急いで帰ってくる。



都会に働きに出た子どもは

その母のいる母屋が故郷にあるのだと思うと

  ・・・ 安心して空しさに耐えられるのです。


母屋というのは母の居る 変らぬ 動かぬ住居のことをいいます。

動かない家と母。

その母が 野に山に 都会の街に

あるいは国の内そとに働いている父や成人した子どもらを

  ・・・ じいっと動かずにいつも同じところで見守っている。

そこに子どもらは母心を感じるのです。



寅さんにとっての母屋は

  柴又の帝釈天の参道にある「草だんご屋」です。

その狭い古びた家があればこそ

  ・・・ 寅さんはフーテンでいられるわけでしょうね。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・235. : 動かぬ土台石 ・・・ 安らぎの「故郷」 

2011-01-17 09:00:59 | Weblog
大都会で生きてゆくことに真剣に立ち向かえばむかうほど

  人間同志の信頼感はうすれ ・・・

ついには

下等な虫けらのように堕ちてゆく以外ない人々にとって

  現実とは黒い堅い岩のようなものです。



自分をもう一度 少年時代に戻して

父と母のいるところで

  ・・・ 人生をやり直してみたい衝動にかられます。


しかし

その故郷の家がなかったとしたら ・・・

疎外感を打ち消すために

  はげしく動きまわり賭けまわっていなくてはならないでしょう。



だが そんなことで心の痛みや苦しさは忘れ去ることはできません。


静止した定住的な安らぎの「故郷」をみつけださなければ

  暗い残酷な都会の重荷を捨てることはできないのです。


それはどこに ・・・ 。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・234. : 動かぬ土台石 ・・・ 故郷喪失者

2011-01-17 06:42:03 | Weblog
これほど物が豊かで文明度の高い暮らしをしているのですから

私たちは

  もっとのびやかで楽しい落着いた毎日を過してもいいはずです。


ところが
 
現実は過疎と過密であり 自然は無残に削りとられ

  風物と人情はうち毀(こわ)されてしまっている。

故郷は ・・・ 荒廃する一方です。


故郷喪失者という言葉があります。

日本人全体がいま

  ・・・ 夢と故郷を喪(うしな)ってしまっているのです。



しかし

寅さんには帰る家があるから幸せだ と浮浪者が叫ぶように

多くの人々は

  疎外された自分をいたわり 慰めてくれる

  ・・・ 「家庭」と「心の故郷」を求めているのでしょう。



大喧嘩して仲直りできるような

  愛情の演技と芝居を楽しむことのできるような世界を

  ・・・ 熱烈に探しだそうとしているのです。


叱咤し 激励されて立上る元気さえも現代人は喪っています。


欲しいのは ・・・

誰にも気がねせずに笑い 怒り 泣き わめくことのできる

  ・・・ ねぐら なのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・233. : 動かぬ土台石 ・・・ フーテンの寅さん

2011-01-17 06:41:00 | Weblog
年始年末を利用して「フーテンの寅さん」のDVDをみました。

いつもながら ・・・ ほのぼのとしたものです。


DVDに添付された資料の中で

監督の山田洋次さんが

  大当たりした秘密について語っています。


「この映画のフアンは地方都市や田舎から大都会に集まった若者たちです。彼らは故郷を離れ、生まれた家を出て息苦しい都会で空しい毎日を送っています。ときどき<こんなつらい思いをしてまでしてなぜ田舎を飛び出してきたのだろうか>と自分が情けなく憎らしく思えるのだが、だからといって田舎へ帰っても誰も慰めてくれる人はいない。そんなふしあわせを胸にだいている若い人たちが、柴又という土くさい、ごちゃごちゃしたところで、肩をよせあって生きている寅の伯父さん一家や隣人たちの温かい人間関係に、なにかほっとした安らぎをおぼえるのでしょう。
 落着いてなごやかに暮らしている人たちには、この映画はぴんとこないと思います。
 寅と伯父たちとの喧嘩のシーンにしても、いまの世の中では、親子兄弟が殴りあう喧嘩ができないから、逆に惹かれるのでしょうね。現代はケンカしたらおしまいです。だが、寅たちはケンカすると、すぐ後悔する。『もう二度と帰ってくるものか』と啖呵をきって出ていった寅も、ふらりと帰ってくる。それが胸をうつのでしょう。
 上野の浮浪者で元インテリだった人から手紙をもらったのですが、それに『また上野松竹で仲間のバタヤンとポン引き連中と深夜興業で寅さんをみた。つくづく思ったのは、寅さんには帰るところがあるから幸せだなあ と言うことです』と書いてあった。帰るところのない日本人。それが多いんじゃないでしょうか。
 もし、映画で寅の帰る家がなく誰も待っていてくれなかったら、みんなみてくれないでしょう。たしかに現実社会をリアリズムで描けば、帰る家のないほうが真実に近い。しかし、現実が苦しくつらいんだから、そのむごさを映画にしても、誰も共感してくれません。本当はつらく、ひどいが、そんなとき、笑い話の一つもしてくれる暖かさこそが、人々の求めているものだと思います」



「フーテンの寅さん」の映画がもてはやされていた

  また いまもなお根強いフアンが多いのは ・・・

日本人の空しさと淋しさ 現実社会のむごたらしさのなかで

  求めたひとにぎりの暖かさにある ・・・ というわけです。




* 2010.11  東ブータンで