気の広場

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母 ・・・293. : 融和性 ・・・ ストレス社会に適応? 

2011-01-25 12:00:38 | Weblog
「抵抗体」になるということは ・・・

現代日本の異常性に

  「適応」する人間になるということでも

  「逃避」することでもありません。



「適応」を求めれば ・・・

図々しく ふてぶてしく

  異常そのものを「正常」とする狂気がなくてはなりません。


汚染された空気をいくら吸っても病気にならず

害食を摂っても弱まらない奇怪な肉体をつくりあげ

騒音 スピード 過密に馴れっこになる神経をそだて

人を傷つけ

重症になったら巷にほうり出されるような政治や経済にも

  ニンマリと笑って手をふれる 強靭で非人間的素質を築きあげ

受験期の子どもを殴りつけ おどかし 脅迫するくらいの

  鉄石心をもたなくては ・・・ 「適応」は無理でしょうね。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・292. : 融和性 ・・・ 抵抗体になる 

2011-01-25 10:00:19 | Weblog
いま一挙に現代社会の異常性やストレスを解消することは不可能です。



育児ノイローゼにしても

  その原因は核家族化と過剰情報にあるといわれていますが

現実にお母さんたちは

  育児情報や親子三人の少数家族の生活から逃げ出すことは

  ・・・ むずかしいことです。


受験制度や過密な社会での

  エリート競争の激化は簡単には改革できないのが現状です。



それなら どうしたらよいのでしょうか。


母自身 父親自らが

  ストレス社会にたいして「抵抗体」になるほかありません。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・291. : 融和性 ・・・ ストレス社会

2011-01-25 09:00:23 | Weblog
事実 母親の子ども殺しや育児ノイローゼ

家出や母乳の出ない母の激増(70%の母親は乳が出ないということです)

不妊症の母の増加(ホルモン失調による無排卵)と同じように

  ・・・ 父親にも障害が出ています。


たとえば

ノイローゼによる生殖能力の喪失者(インポテンツ)

精子免疫という子どもをつくれない男性の発生

ギャンブル神経症やアル中患者の増加など ・・・

ストレス社会は
 
  ・・・ 父も 母も 子も 異常な症状に落ち込ませています。



母のみをさして ・・・ 病因を責めたてることはできません。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・290. : 融和性 ・・・ 情緒障害児

2011-01-25 06:00:59 | Weblog
最近の報告によると いま情緒障害児は決して少なくないそうです。


そのほとんどは神経症患者で ・・・

乳児の場合だと わざとそそうするとか

小・中学生に自閉症や登校拒否 あるいは 子どもが幼い子を殺す

  といった異常状態をひき起こしています。


その原因の大部分は母親に求められる とも報告ではふれています。

つまり 母自身の情緒障害が 子どもにも影響しているというのです。



もちろん いちがいにそのような断定を下すことは

  ・・・ 性急(せっかち)すぎると思います。


今日の社会全体が狂いはじめ ストレス病にかかっているからこそ

母や子のように生理的 神経的に弱い人たちが

  まっさきに傷をうけねばならないのでしょう。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・289. : 梅雨(つゆ)のように ・・・ コトバは 精神の脈拍

2011-01-25 05:02:03 | Weblog
ていねいな言葉

品性を失わない言葉

人生の体験からにじむ言葉

  ・・・ をくり返しいい聞かせることが 子の心の奥に届くのです。



口先だけのコトバは避けねばなりません。


思いやりと愛のこもらないアドバイスは

  子どもに苛立ちを与えるにすぎない

           ・・・ ことを忘れないように。



コトバは ・・・ 「精神の脈拍(みゃくはく)」 です。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・288. : 梅雨(つゆ)のように ・・・ オロカな母 

2011-01-25 05:01:01 | Weblog
母は くり返しのコトバを弄(もてあそ)んではいけません。


よく幼児に

「 いい子ね あらそっちへゆかないのよぉ

  ジャブジャブするからまってねぇ 」

  ・・・ などと うたうようにしゃべりつづけている母や

ガミガミ口ぎたなく罵りの言葉を「くり返している」母がいる。


そうした母は

「くり返し」が大切な訓育であり

  人間教育であることにきづいていない ・・・ オロカな母です。


母は コトバを大切にし

  「必要性」によって 子にくり返す人でなくてはなりません。


ベタベタとした子どもへの饒舌な注意

キンキンとしたヒステリックな心なき言葉の乱発は

  ・・・ 知恵のない さもしい母のすることです。





* 2010.11  東ブータンで







母 ・・・287. : 梅雨(つゆ)のように ・・・ 息の長い母 

2011-01-25 05:00:02 | Weblog
母は 何ごとにつけ熱中し 逆上することがない。

淡白です。

逆上し 執着する人を醜く浅ましいとさえ感じる。


子ども成績が落ちたからといって わめきたてるのは

  ・・・ 母のホンネではありません。


少しずつ注意し ともに息長く考えあい 自分も反省しつつ

  子どもを その母心に引き入れる教育をねらうのが 母です。



子どもの気性を知る母は

原則論や「こう在るべし」という理屈で 子どもをさとさず

  ・・・ わが子の性格や悩みのなかへわけ入って叱ってやる。



息の短い母は 子どもの表面的な型やコトバにとらわれます。

「約束したじゃないの!」と叱る母は

  ・・・ 梅雨の母心を忘れてしまっているのです。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・286. : 梅雨(つゆ)のように ・・・ 染みとおる 

2011-01-24 09:00:23 | Weblog
たしかに父の叱り方は「夕立」のように雷鳴をおびて落ちるが

母は 梅雨のように

  じくじくと奥深く水分がしみこんでゆく叱り方をします。



夕立は一度に多量の雨を降らすが 晴れればすぐ乾いてしまう。

地中へしみこんではゆきません。

強く はげしいが浅い。


梅雨の雨は少しずつ ねちねちと降りつづきながら

  ・・・ 大地へしみ入ってゆく。

弱々しい雨だが 深い。

ゆるやかだが 長い。

植物や野菜類は ・・・ この梅雨の恩恵によって育ちます。



人間も同じです。


母の急がず 休まずくり返す「しつけ」の努力 反省の糧によって

  ・・・ 子どもはすくすくと育つのです。


父親の夕立の怒りだけでは 子は育たない。

お先走りしない 目先の変わりない母の怒り方があって

はじめて子どもの胸の奥深く

  ・・・ 人間らしさが染み通ってゆくのです。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・285. : 梅雨(つゆ)のように ・・・ 叱り方 

2011-01-24 06:37:27 | Weblog
父と母の息の長さのちがいは

  子どもの叱り方みていてもよくわかります。


父のしかり方は 激怒と懲悪です。

短く 激しく 息が短い。


母の場合は 入梅どきの雨のように

  じとじと しとしととふりつづきます。

大きな声も出さず 同じ文句をくり返し

  いきり立たず 長い時間をかけて叱る。

一度にガーッと叱らず こんこんとやさしく 強く

  子の心の波動を読みながら ・・・ 説諭する。


ある人は母の叱り方は 印刷の輪転機のようだといいます。

友松先生は「つゆのようなもの」と評しています。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・284. : 梅雨(つゆ)のように ・・・ 母心に学ぶ

2011-01-24 05:46:02 | Weblog
母には 天性の力がそなわっています。



雑草のような強さといい

母なる大地 母なるボルガという言葉といい

  ・・・ 母の自然な息の長さをいいあらわしたものでしょう。


アメリカ大統領だったウィルソン」は

「大統領とは

  運動選手の体力と母の忍耐力がなければつとまらない」

  ・・・ といっています。



母が 家事をくり返し 子どもへの注意をくり返して倦きないのは

  その力が父のように人工的なものではないからです。


ラッセル卿がいうように

戦争や迫害が倦怠からの逃避だというなら

  それは父の性質を意味しているといってよいでしょうね。


平和がつづくと戦争し 戦争に倦きると平和を求める。

その人間の愚行は

  父親(権力)に倦怠に耐える力が欠けていた証拠です。



今日の父心の復活とは

  倦怠に耐える能力を父自身が培(つちか)うことです。

それは ・・・ 母心に学ぶことです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・283. : 梅雨(つゆ)のように ・・・ くり返し

2011-01-24 05:45:02 | Weblog
飽きないということはどういうことなのでしょうか。


いつも新鮮味に富んでいることでしょう。

あるいは 新味を発見する心があるともいえましょう。


もし 母親の「くり返し」が流れ作業の労働と同じものだったら

  飽きてくるし 逃避したくなる。

新鮮味も失われてくる。 いやになってくる。


それこそ

喧嘩の変わりに器をぶちこわしたり 夫にふっかけたり

  パーッと外へとび出して 二、三日外泊したくなる。


子どもを虐(いじ)め 迫害し

  飼犬を蹴とばしたい衝動にかられる。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・282. : 梅雨(つゆ)のように ・・・ 倦怠(あきる) 

2011-01-24 05:44:02 | Weblog
人間は 反復が嫌いです。


「モダンタイムス」のチャップリンは その悲劇を描いたのでしょう。

くり返しの連続は非人間的なものです。



心理学者は 倦怠(あきる)とは

  何か他のことへ転換せよという疲労の命令だ といっています。

倦(あ)きたら べつの仕事にふみきれ

  それが新しい活動の原動力だ というのです。



「倦怠からの逃避として ラッセルは 戦争 虐殺 追害を上げ 少なくとも 人類の害悪の半分は倦怠を恐れるあまり犯されたものだ」

と 宮城音弥さんは『人間の心理学』で紹介しています。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・281. : 荊(いばら)の道 ・・・ 敬愛 

2011-01-24 05:43:00 | Weblog
女性は母となり 無心に生きてくれてこそ 尊い存在なのです。



女性の幸せは

  菩薩道によって人間の幸福を切り開いてゆけるところにある。

  才知や理論を越えた「母胎」の自然力にある。



私は 受験生の母の白髪みて その力に感動しました。
                    (母 ・・・279.)


女性が そうした母となることを嫌い

  家庭と子どもへの献身をうとましいものとして捨てるとき

  ・・・ 男は ますます女性を蔑むようになることでしょう。


母への尊敬が女性への敬愛となることを

  ・・・ 女の人々は知らねばなりません。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・280. : 荊(いばら)の道 ・・・ 同悲共楽

2011-01-23 14:00:04 | Weblog
母が子どもだけを責めず 自分も一緒に苦しむのは

わが子を「生命がけ」で生み

  そして育ててきた「現実」があるからです。


母には 「自分ひとりだけ」がない。

この尊さは

女性の生理をつらぬく妊娠 出産 育児の痛みが

  ・・・ 母にもたらしてくれる栄光といえましょう。


父には この「自然」な

  「同悲共楽(ともにかなしみともにたのしむ)」の喜びが少ない。

父の不幸がこれです。



母をたっとぶことは 女性を大切にすることです。

女人をいたわる心は ・・・ 母への思いやりに通じています。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・279. : 荊(いばら)の道 ・・・ 受験生の母の白髪(しらが) 

2011-01-23 12:00:31 | Weblog
あるお母さんが 息子の受験が終え

  合格通知を手にして訪ねてこられた。

長い間つらい毎日を過ごし

  迷い苦しんで相談にきていたお母さんです。


私は 久しぶりにその母を見て驚いた。

額のはえぎわから数本の白髪がはっきりとみえる。


私は 涙の出る思いでした。



かたわらにいてニコニコしている息子さんに 私はいいました。

「君 お母さんの白髪に気がついたかね」

「いえ」 といって母をふりかえり

「あっ いつできたの お母さん」 とびっくりしていた。

「馬鹿ね 大きな声出して」 お母さんは笑っています。

「もう齢(とし)なんですよ」

「でも ついこの間までなかったぜ」 息子は首をかしげていた。

  ・・・ 子どもは勉強に夢中で気づかなかったのでしょう。

「お母さん いつできたのです」 私がきくと

「はい 受験の前日にできて 合格発表日までに少しずつふえました」

  とはずかしそうにおっしゃる。


これが母心です。

たった数日で白髪ができる。

子どもは この母の苦しみが分からないかも知れない。


子どもに食欲がなければ 母の食欲もへる。

子の受験は また母の受験でもあるというきびしさは

  ・・・ 子どもには分かりにくいでしょう。


しかし

そこまで心労してくれる母のような人がほかにいない

  ・・・ ことだけは知るでしょうね。




* 2010.11  東ブータンで