きの書評

備忘録~いつか読んだ本(読書メーターに書ききれなかったもの)~

ダーク・ロースト

2019-01-09 16:54:47 | シリーズ:あれは何だったのか
 スタバへ行ってダーク・ローストのコーヒー豆を買おうと思い立った。
スターバックスには、大好きなフレンチ・ローストや
イタリアン・ローストなどの超深煎り豆が売っている。
 
 土日に行くと、他県から来た観光客が大行列なので平日を狙う。
だがそれでも少し並んでいた。
(店員A)「お先にメニューをどうぞ。新商品はこちらで・・・」 
(きの)「いいえ。結構」 コーヒーを買うだけだからね。
(B)「どうぞ」 (きの)「いえ。結構」
 
(前の客)「耳ぴくっ」 こちらを気にしてるご様子。
まぁこの人、スタバのマナーを知らないのねといいたげな。
 
 かたくなに拒否するので賢い(店員C)「ご注文をお伺いしましょうか」 
何で列の真ん中の一人だけ。まぁいいか
(きの)「カフェ・ベローナとコモド・ドラゴンを・・・200gずつ(ボソボソ)」
(C)「えぇっコモド・ドラゴン!?コモド・ドラゴンを200!!」 
カウンターの中の(店員)「うぇーい。コモド・ドラゴン!ドラゴン一丁」 
黙って売ってくれよ。
 
(前の客)「・・・。」 目を見開いて見ている。
イグアナを買いにきた客ではありません。
 
(C)「ドラゴンはひきますか?ベローナは?
落とし方はマシーンで?それともネル?」
(きの)「カミの方で。粗めにひいといてください」 
難解な専門用語で、もはや呪文の応酬。
 
 カードを見せると前の購入履歴が(C)「グラインドは今回も7ですね!?」 
(レジ)「7!!」 
 
 この人の驚き口調が良くないのでは。
前の客は、何だかわからないけど変な常連だと思って見逃がしてくれた。
帰って薄めに淹れて、ミルクと砂糖たっぷりで飲んでみると
(きの)「っあ~♪ 至福の時」 フルーティーな香りがする。
 
 
 
 新宿のおばあちゃんちの2階に住んでたオシャレなミチコおばちゃんは、
コーヒーが好きだった。
幼稚園生だったきのたんは、その魔法の飲料が飲んでみたくて聞いてみたところ
「お母さんがいいって言ったらね」というお返事。
 
 ちょうど1階に母が来ていたので、
「ミチコおばちゃんがコーヒーを淹れてくれるって。
向こうはミルクと砂糖をたくさん入れるって言ってる」などとうまいこと言って
了解を得て、高速で階段を上がって行き、なんとかお茶の時間に間に合っていた。
 
 そのせいか、未だにコーヒーにはミルクと砂糖をたくさん入れるものだと
思っているが、よく考えたら自分はもう大人だ。
ブラックだって、エスプレッソだって飲み放題だ。
 
そんなもの簡単に・・・ってこんな苦いもん飲めるかい!
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話の先が読めない

2019-01-06 20:50:20 | シリーズ:私が悪いのか??
(友人)「〇〇ちゃんが、ホスト・ファミリーの家で夜お皿洗ってたら
誰かが腰のあたりをね、こう触ったんだって!」
 
(きの)「痴漢?」
(友人)「霊感!!」
 
あぁ!
 
 
 
 
(娘)「あのね、あれがいい。砂の中に埋まって
一定時間たったら掘り出してくれるやつ」
 
(きの)「夏目漱石の夢十夜ですか」
 
砂風呂の話だった。 
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連理(れんり)の榊

2019-01-04 02:03:56 | きのたんと大自然
 連理とは、植物の相生(あいおい/一つの根から2本生える)の一種で、
2本の木が上の方で融合した状態だそうだが、前から興味があった。
和合の象徴でほほえましいという文学的な興味ではなく、
免疫がどうなってるのか?という方で。
 
 正月早々、糺の森に見に行った。
太古の森というか、薄暗い雑木林と言った方が近いのか、
とにかく新春のめでたいような雰囲気は、そこにはなかった。
 
 奥の方の社のわきに連理の賢木はあった。
全体が湿って大変おごそかだ。
ここのは榊が2本くっついているが、他所の連理では
モチとクヌギ、スギとイチョウ、ヒノキと桜など、
全然違う木がくっついて、養分を受け渡している。
 
 「接ぎ木は同種に」という植物界における黄金の法則はどうした!?
と思えるほど、イレギュラーな成長スタイルだ。
サボテンは木キリンに、スイカは夕顔に、ミカンにはカラタチが良いそうだ。
なぜなら同一の系統だからだ!
ミカンにリンゴを挿してやっていけるとは思えない。
 
 
南米のジャングルの「しめ殺しのイチジク」は、連理だろうか。
 
 
 もしかすると、連理の片方は了承していないのかもしれない。
勝手に隣から近づいてきて、養分を吸われているだけでは。
 
 ぜったい和合だ!それが証拠に両方育ってるじゃないかという反論には、
栄養を奪われた方は、そのままだったら2倍3倍に育っていた可能性を
否定できないという見方を示唆しておこう。
 
 ただの大きな寄生木(やどりぎ)なのではないかと思うと、
目の前の木も、ひとつも仲良さそうには見えてこない。
 
動物に人間の価値観をあてはめるのは良くないのなら、植物にはどうだろう。
 
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