きの書評

備忘録~いつか読んだ本(読書メーターに書ききれなかったもの)~

タクシーの幽霊の考察

2018-12-14 17:12:19 | 怪談
 前から気になってた地名があった。
深泥池と書いて、「しんでいち」と読むのかと思ってた。
なにやら深い森を連想させるような、素敵な名前。
ところが実際は、(看板)「みどろがいけ」 
 
ミドロ・・・orz 
 
 なぜそんな、どろどろした感じの名前をつけたのか。
カッパが住んでいないかな。
しかし、バス停はあれど肝心の池が見当たらない。
 
 後日、なんと!あの有名なタクシーの幽霊の話の本拠地であることが判明した。
びしょびしょの女の人を乗せたら、いなくなってたっていう。
てっきり関東の話だと思ってた。神奈川とか鎌倉の山の方とか。
京都を匂わすようなことは、一切言ってなかったじゃないか。
へ~。へ~。
 
 感心することしきりで、用事の帰りに実際に行ってみた。
住宅街を歩き、この辺りだろうかと思う角を曲がってみたら、
急に視界が開けた。
 
キレイな池だった。
 
 気温が低いからか、よどんでいるような感じはなく、
太古から続く独自の生物相が、豊かだそうだ。
ただ、ずいぶんぎりぎりまで敷地の境界線が来てる。
これでは大雨の時にあふれ出して、大変なことにならないのか。
 
 左側を交通量の多い道が通ってる。
きっと、あのあたりでタクシーを拾ったのだろう。
向こうの山に見えるのは、病院かな。
折しも小雨が降りだし、夕暮れの湖畔を感慨深く眺めた。
 
 実際、見に来て感じたことは、池があまりに普通過ぎて、
「その女の人は、夜に何しに来たか知らないけど、
散歩でもしてて、滑って落ちただけではないのだろうか??」
というくだらない疑問だった。
 
 コケた時に擦りむいたかなにかで、とりあえず病院に行こうと思って
タクシー呼び止めたら、運転手さんがあんまりジロジロ見るので、
いたたまれなくなって、信号で止まった隙にそっと降りたとか。
その後、運転手は3年後に原因不明の死をとげたって、
それもう幽霊関係ないのでは?
 
 
 写真を撮ってみた。
食べ物用のオシャレなレトロフィルターのせいで、
なぜか少し不気味に写ってしまったが、
実際はもっと、はっきりして澄んだ景色だった。
 
 それにしても、手前の白い結晶のような大きなかたまりは何だろう。
写真を撮った時には、池の中にそんなのなかったように思うのだが。
これが浮島なのかな。
 
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ず~っと勘違いしていた

2018-12-14 15:01:38 | シリーズ:あれは何だったのか
クリスマス・ノエル
No way (ありえねえゼ)と歌っていると思ってた。
「♪No way~ No way~ No way~ No waaay!」
何をそんなに全否定!? 
 
 
オーライは「往来」だと思ってた。
だいたい車は大通りに向かって出ようとするので、
こっちが(家や建物側でなく)往来だよと。
しかし、アメリカ人も言ってるのを見て気づいた。これ英語だ!
 
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百聞は一見に如かず

2018-12-06 12:47:06 | シリーズ:私が悪いのか??
 もう10年以上前になるが、父の葬儀の時、母は心労でダウンし、
喪主代理として葬儀の一切を決定することになった。
親戚は全員東京で、当日にならないと到着しない。
 
(きの)「一人っ子です。葬式は3才の時にひいおばあちゃんのに出たのと、
アメリカで友人のキリスト教式に出たことしかない。」
(葬儀屋)「・・・ ・・・では、最初から詳しく説明していきましょう」
めんどくさがりもせず、仏教間の違いも交えて、長々と説明してくれた。
 
 父は大きいので棺桶を特注にするのかとか、
白黒の幕は張るのかとか、門に提灯は飾るのかといった細かなことまで、
決めることが山ほどある。
 
 途中で、式場の責任者だというダブルを着こなした
目つきのするどいパンチパーマが出てきた。
こちらもまた真面目な性格なのか、熱心に説明を始める。
 
何個目かの質問で、
(パンチ)「送辞の後で、〇✖&%$#やりますか?」
(きの)「えっ?」
 
(パンチ)「〇✖#$%&。」
何だろう。聞いたことない言葉だ。方言かな。
(パンチ)「お葬式の後で送り出すんです。みんなで声をかけて。
その・・・掛け声を」
(きの)「掛け声?」 せーのとか?
 
(パンチ)「エール?」
Yell? Yelling・・・?どなり合い?
 
(パンチ)「ですから・・・社葬とかでは、たまにやる時もあって・・・
みんなで・・・その、大声で叫ぶんです。」
(きの)「何て?」 
 
 彼はここで臆してはならないと思ったのか、
顔を真っ赤にして、身振り手振りも交え真剣な声で叫んだ。
(パンチ)「・・・『なんとか君!進めええぇぇ!!!』とか、
『何とか君はー永遠です!!』などです。ゼェ~ゼェ~」
 
 
(きの)「やりません」 きっぱり。
 
 
(パンチ)「ふぅ~っ、ふ~っ」
こっちは悪くないぞ。知らないから聞いただけじゃないか。
 
(パンチ)「ふ~っ・・・」
次行こう、次。
 
 
 
 
 
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おばあちゃんちとの決別

2018-12-03 17:58:24 | いつかの思い出
 幼稚園の頃から、電車でおばあちゃんちに一人で遊びに行っていた。
今でもそうなのだろうか、昔は幼稚園児が一人で電車に乗って通学し、
大人と一緒でなくても、誰も何も言わなかった。
 
 西武線の入曽という駅から、高田の馬場まで。
ビッグボックスという、赤いオジさんのビルが見えてきたら降りるんだよ
と教えられ、「荒いヤクしまえ~」や「憑りつかせぇぇぇ」などの
恐ろしい駅名に、よく耳を澄ませていた。
 
 土曜日に小学校が午前中で終わってから、おばあちゃんちに行くと、
横浜からはイトコ達が来て泊まった。
毎週のように行っていた時もある。
 
 帰りはおばあちゃんが送ってきてくれる。
入場券を買って一往復。
本当はいけないんだよとか言いながら、
入曽駅の反対側のホームから乗り換えて、暗い中を帰って行く。
おばあちゃんだけは、特別に駅から許されているんだと思った。
 
 常に家にいて、行けば何だかんだとかまってくれ、
おばあちゃんが留守のことなど、一度もなかった。
いつも孫のために存在していて、「きのちゃんが一番大好き」だと言ってくれた。
 
 参考までに、大好きな理由を聞くと、ちょっと黙った後で
初孫だからという答えが返って来た。
では、初孫でなかったら好きではないのか?
などという疑念をたまに抱いたが、
それでもおばあちゃんが見せてくれた、孫たちのことが世界のすべてであるかのようなふるまいは、
誰にもまねできない。
それは今でもそう思う。
 
 
 おばあちゃんちが世田谷に引っ越し、電車一本では行けなくなった。
しかも、そのころには中1になっていたが、
急行の種類がまだよくわかってなかった。
ある日の夕方、いつものように小田急線に乗ったはずだが、
なぜか目的の経堂で停まらなかった。
 
 電車が高田の馬場で停まらないぐらいびっくりした。
どうしたらいいかわからず呆然としていると、
電車はスピードを上げてどんどん離れていく。
とりあえず、次に停まった成城学園前という駅で降りてみる。
 
 ちょうど、おばあちゃんちに来ているはずの鉄道に詳しいイトコに聞いてみようと思った。
能面のような顔の駅員に、電話はありませんかとたずねると、
「ありません」との答え。
そんなわけないだろう、こんな大きな駅で!と思ったが、
ないと言っている以上しょうがない。
駅員は、出たところに電話があると言うので、駅を出てみる。
 
 駅を出て改装中のような覆いのわきを通り、真っ暗な道を歩いてみるが、
しかし、あると言った辺りに電話はない!
電話を探して、だんだん知らない駅から離れていく。
 
 ひと気もない細い道の途中に八百屋があった。
まだそこだけ電気がついていて、その隣にピンクの電話がある。
10円玉を入れてダイヤルを回してみたが、
(受話器)「シーン」 何も言わない。
 
なんなんだよ!ここは。
 
 なぜか停まらない電車に不気味な駅員、鳴らない電話。
世にも奇妙な物語の世界にでも迷い込んだとしか思えなくなった。
結局また電話を見つけて迎えに来てもらったが、
イトコが言うには通勤の時間帯がどうのと。
 
そして、家に着いたらイトコの妹からとどめを刺す一言が待っていた。
 
「おばあちゃんが、きのちゃんだけならまだしも、
けんくんまで迷子になったらって言ってたよ」
 
 ミイラ取りがミイラになると言いたかったのかもしれないが、
気が立っていたこっちは
「なんだって!一番大好きなはずの初孫がミイラになったら、
もうその時点で大問題でしょうが!!
まだしもとはどういうことだ!まだしもとは!」 
もうすべてのことに疑心暗鬼。
 
 電車で迷ったことより、その発言がトラウマとなり、
世田谷の家には小さい頃ほど足繁く通うこともなくなり、
アメリカに居るうちにおばあちゃんは亡くなった。
 
 おばあちゃんは肺炎で死んだんじゃない、
おばあちゃんのことを誰も必要としなくなったから死んでしまったんだと思い、
どうにもできなかったことや、自分の器量が狭すぎたことを、
いつまでも考え続けた。
 
 
 それから数年後に小枝ちゃんを拾い、果たしてこの「けもの」と
どのように接したものかと考えていたら、
当然、この者をこの世のすべてとするべしとの解答が、
急に頭のどこかから出てきたのでそのようにした。
 
結果はどうだったのだろうか。
 
 
 
 
 
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備中高松 (高校修学旅行編)

2018-12-03 14:29:08 | いつかの思い出
 今まで、道などにあまり迷ったことはない。
が、桜上水の駅と、高校の修学旅行だけは記憶に残る迷走ぶりだった。
 
 高校は今は進学校になってしまったが、昔は私服で校則はなく、
守らなければならないのは日本国憲法だけという、ユニークな学校だった。
しかし、修学旅行だけは、何の理念に突き動かされたのか大真面目で、
まわりの私立は海外へ行く中、
わが母校は平和学習をすべく、広島に向かった。
本当に「修学」旅行だった。
行程は、朝から講演を聞き、夜に旅館でレポートをまとめることの繰り返し。
 
 最終日は自由行動で、最後は四国の高松に集合。
翌日そこからバスで帰る予定だった。
班員は比較的真面目で、しっかりとした生徒達で構成されていたように思う。
倉敷の美観地区を散策して、ビイドロ細工などを眺め、
非日常の和の雰囲気にのまれた誰かが「和菓子を買って帰って旅館で食べよう」と言い出し、
そうだそうだ、と敷居の高そうな老舗に旅行者の気軽さでドヤドヤ入って行き、
ああでもない、こうでもないと真剣に練り切りを選んだりした。
 
 さて、四国の高松に渡るには・・・今のようにヤフー乗り換えもなく、
もちろん携帯電話もなかった。
指示された駅に向かい、ふと見ると、
次に出る電車の行き先が「備中高松」となっていて、
もうすぐにでも出るような気配だった。
 
 備中とは何だろうとは思ったが、高松の文字より若干小さく書いてあり、
「元祖・村正」のような形容詞ではないかと思ったので、特に疑問は持たなかった。
だいたい高校生は、この世に同じ地名が2か所あるとは思っていない。
乗り遅れてはいけないと構内を走り、とにかく急いでホームに走りこんだ。
 
 念のため改札の突端で切符を切っていた駅員に、大急ぎで通り過ぎるかたわら
今から乗る電車の方を指さし聞いてみた。
(きの)「ええええと、こっち高松っっ!?」 
駅員は、そうだという顔で頷いた。
 
 全員で乗り込み、人心地着いた。
あとは旅館に帰るだけだ!と景色を楽しむ。
途中で日が暮れてきて、大きな川のようなところを渡った。
瀬戸大橋を通るはずと聞いていたので、全員で「おぉこれが!」などと堪能した。
当時、瀬戸大橋はできたばかりで、どんな規模かもわからず、
勝手に決めつけたが最後、誰も疑わない。
 
 真っ暗な駅に着いてみると、そこは駅舎もなく駅員もいなくて、
ホームがひとつしかなかった。
ここにきて、なんかおかしいと思い始める。
一学年13クラスもある学校の全員を、収容できそうな旅館は見当たらない。
 
 後に、共に学級委員を務めることになる聡明で清潔そうな女子が、
とりあえず先生に電話をかけてみようと発案し、
公衆電話から旅館にかけて、
ここではない、ということがはっきりした。
 
さぁて、どうするか。
 
 四国に行くはずが、岡山県の内陸に来てしまった。
そこから香川県の真の高松までの道順は聞いたが、
次の折り返しの電車は1時間半後だそうだ。
 
 班長が責任を感じて不安にならないよう、
全員がホームの椅子の上に立って、備中高松の看板と笑顔で記念撮影大会を行い、
旅館に帰ったら、枕投げを装い他の班のイヤなやつに
合法的に枕をぶつける算段を整えたり、
無意味にホームを走り回ったりして、時間をすごした。
 
 やっとのことで旅館にたどり着くと、まず担任が両手を広げて
「ああぁぁ」と言いながらまろび出てきた。
残りの先生は、腕組みか腰に手を当て玄関にVの字に展開して仁王立ちだ。
自分たち用の食事が、大広間の端の方に残されていて、
枕投げどころではなかった。
 
次の年は、注意事項に入っていることだろう。
くれぐれも、備中高松には行かないようにと。
 
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