旅先で急に葬式に出ることになった場合、そんなこと言われたってまさか準備して来てるわけないから困る。しかも滞在先は夏だというのに風呂が壊れ、洗濯機は元からない。よく利用する横暴旅行社(娘)は休暇が終わったとかで北海道に先に帰ってしまった。
黒い服はたまたま着ていた(これが原因で以前船で小さい子共達に殺し屋認定され逃げ回られた)。ジャケットは・・・ジャケット・・・。見ると部屋の隅に古いジャケットがひとつポツンとぶら下がっている。これは20年ぐらい前に買った。古いから置いて行ったやつだ。小さいが、着て着れないこともない。
とりあえずコンビニに香典袋を買いに行く。そこへ出てきた件の怪しい旅行社。事情を聞いてはるか北の大地から遠隔で近所のホテルを手配してくる。風呂に入れということだな。洗濯物もたまっているし。ついでに前から狙っていた台湾料理も食べてみよう。ということで日も暮れた頃、大きなバッグを担いで季節外れのサンタが出かけていく。
前から建物は何回も見たことがあるが、あまりに近すぎて泊まることなんてないだろうと思っていた。親戚達は法事の折に泊ったことがあるらしい。市内で一番まともなホテル。のはず。
近づいて行くと駐車場にはワゴン車が多く、なぜだろうと思った。フロントに着くと(貼り紙)「洗濯機は使えません。何者かがコードを全部切って今調査中」(きの)「ええ!!」何のために来たのか。そういうことは最初からホームページで言っといてくれないと。(フロント)「すぐそこにコインランドリーがあります」うちの近くにもあるわ!!なんなんだこのホテルは。
たまに思うのだが、小さなホテルのフロントには、煤けたような顔色の冴えないスタッフがいる。ここにも幸せをどこかに置いてきたことにも気づかないような、うらぶれた若い女性がいた。仕事柄3交代の睡眠不足じゃないのか。彼女は、コードを切る客筋に心底怯えているようだった。
その他(注意書)「シャンプーはエレベーター前に置いてあるのをご自由にどうぞ。ただし備え付けの小皿に使う分だけ。」数個並んだボトルはどれもありきたりの機能を全面に押し出したカー用品売り場と見まがう豪胆なデザインのものばかり。「毛穴サッパリ」「アブラ丸ごと洗浄」「殺菌!消臭!」「立ち上がりが最高」「あきらめない!」スローガンかな。ナナメに書いた太字の「トニック」という文字が踊る。
8千円近く払って全身からこんないかにもみたいな安っぽい匂いをさせて葬儀会場に行ってたまるか。せっかく泊りに来たのに、つまらん。との思いからまずは洗濯を仕掛け、隣のドラッグストアへ行って池のメダカの為の浮上性のエサを買い、ついでにシャンプーも買おう。
さすが大きいドラッグストアだけあって、ずらっと並んだシャンプーはどれも同じに見える。ヒマだからって熱心に原材料を全部ジロジロ見た結果、オーガニックのような名前の一番意味の分からない体に良さそうな高いやつにした。なんでもハーブとスパイスがいっぱい入って柑橘類の匂いがするそうだ。トニック!などとは書かずに「頭皮の環境を整える」と冷静に書いてある。
そしてなんと天然由来99%だそうだ。たまに玉ねぎの皮やミカンの皮、昆布の根元などが入ったお茶の原材料を見ていると、生ゴミの汁・・・?と思うことがあるが、これはきっとちがうのだろう。品のあるいい匂いをさせつつ、頭皮の環境を整えてくれるに違いない。そしてシャンプーと書いてあるが、これで体も洗うつもりだ。頭皮と全身の皮膚は繋がっている。製造者の意図とは違うかもしれないが、頭を洗って良いものならば、きっと体にも良いだろう。
もしかして街なかのビジネスホテルなら、貸自転車があるかもしれない。と思ったらやっぱりあった。8時になったので一番軽そうなのを借りて颯爽と飛び乗り漕ぎだしていく。最終的に大通りを真っすぐ行って右に曲がるのなら、すぐそこの横道に入って民家の植木など眺めながら右に右にナナメに行くのもまた乙。大丈夫、一回もこの町内に来たことないけど方向はだいたいわかるし。
ところが見たこともない細い路地が次々と出現し、迷路のような構造になっていた。まずい、こんなところで行き倒れては葬式に行けない。ほぼ迷子になりながら心細く進んでいると、隣の家との隙間から急に桶を持った花柄ワンピースの婆さんが裸足で飛び出してきてビックリした。我に返ってよそ者の目で見てみれば、いかにもここは西日本だ。夜でも気温の下がらない生暖かい風が吹き、黒ずんだブロック塀から出たヤツデの黄緑色の新葉が、台所の鈍い明かりに照らされ光っている。
ふと、ここはどこだろうという既視感の逆の感触がした。よく知ってる家の近くのはずなのに、もはやどこかもわからない知らない土地の知らない町のようだ。小さく並んだ窓の一軒一軒にそれぞれの家庭がある。自分の知らない間にここにはそういった何世代もの日常生活があったんだ。炭鉱の盛衰も、シャッターが閉まった飲み屋の悲喜こもごもも。
メシ時の人んちをジロジロ見てないで中華に急ごう。
前方に車通りが見えたのでそのまま出たらなんと店の前。しかし近づいて行ってみたらなぜか今日だけ臨時休業!おのれ。せっかく中華の気分で来たのにどうしてくれる。くそう。勝手知ったる地理感覚でショッピングモールがある方向へと暗闇の中、踵を返す。パスタ屋があったはずだ。夜とはいえ最低気温29℃の中あんまり空腹でウロウロするのはよくない。決断は迅速に。
年中無休ではなかったのか。なんで急になんでもない平日に休むのだ!この世のすべてを恨みながらこぎ続け、次なる目的地へと一心に向かう。ショッピングモールがわけもなく休むはずないから大丈夫だろう。しかし、閉店時間というものがある。ここを逃したら、もうどこに食べ物屋があるのかなんて、本当に心当たりがない。飲み屋はいやだ。ひぇぇぇ。
弱虫ペダルの巻島先輩ばりのストロークで駐輪場に滑り込み、店に入れば勝ったも同然。(きの)「(扉)バァーン!!何時までですか。ゼ~ゼ~ッ」(店)「9時まで」あと40分!気もそぞろでメニュー表を繰り目についた緑色のスパゲティーを注文。ドリンクバーも頼んでジンジャーエールにレモンの果汁を2個入れ、勝手なビタミンCドリンクを作成。高速で食べて力もみなぎり、今度は左回りに別の道からホテルに帰ろう。
途中でスーパーに寄って巨大イチジク4個とぶどうパン、飲むヨーグルトを買う。あとで栄養補給にホテルで食べよう。シメシメ。誰もいない夜の街をうぉぉぉぉとばかりに走り回る。葬式に出るんだ。世話になったあの人の為に。
帰りにコインランドリーに寄ってみたら、洗濯&乾燥が無事完了していた。ふと見ると子供服の無料配布というのを行っている。ほぅ、良い行いだな。フロントであの幸薄そうな姉ちゃんに(きの)「中華休みだったー」(フロ)「あらー」(きの)「そのままモールまで行っちゃったよ」(フロ)「ハハハ」なごんだところでおもむろにさっき路地を爆走していた時に思いついた内容を披露してみる。
(きの)「ねぇこのコード切ったていう、これさーよく作業服に油が付いたまま乾燥機に入れると火が付くって言うじゃん。それで焦った人が機械を止めようとして持ってた工具で切ったんじゃないのか。どれかわからないから全部切るしかなかった」まくしたてたところ(フロ)「・・・・・・・・・・確かに。」なんだその沈黙は。そうでも言わないとまたしゃべり続けるぞ。
不肖・迷探偵きのが推測するに、刃物を持った愉快犯がこの市内をうろついているわけではないと思うよ。むしろ火災を防いだヒーローだ。ただ、このままでは器物破損しただけの人物になってしまうと怖くなって逃げたと。業者の大半は割に小心だが、基本いいやつらだ。だからもう客に怯えるのはやめて、ランドリーを再開してくれ。せっかく来たのに、洗濯もできなければ中華も食べれなかったんだ!!どうしてくれる。結局この人は私怨でわめいているだけだ。
さて、せいせいしたので部屋に入り、夜景を楽しもうではないか。どれどれ窓は・・・と。昔の建物だからきっと開くだろうと思って見てみたら、あの苦手な1枚ガラスを社交ダンスのようなスィングでガショーンと勢いをつけて外に投げ出されるやつだ。
写真付きの(説明)「左右のレバーを持ち、このように開けます!」そんなとこにビックリマークを入れる意味がわからん。力いっぱいやれということか。(説)「そしてガラスが90度縦に開いたところでストッパーにロックがかかり・・・」だからそれを戻す時に身を乗り出してレバーをつかむのだろう?高層階で。
(注意)「風が強い日に開けると風圧で閉まらない上に壊れる。弁償して」そんな窓にするからだ。何なんだこのホテルは警告ばかりで。落ちないように気をつけてと言うならともかく、弁償の話ばかりするとは。ホテルがうるさいのか。それともお行儀の悪い客ばかりなのか。
その自慢の高層階の窓からは、家から見えたことのない海が見えた。別の方向には街明かりが続く幹線道路が。こんな角度から自分が住んでいた街の全貌を見たことはない。小さい町だと思っていたが、なかなかどうして、やるじゃないか。
ふと、眼下にあるボロボロの屋根に目がいった。空家?それにしてもすごいな。入り組んだ3棟のうちの全部がボロボロで、よく見ると、緑、黄色、グレーに黒と、1枚1枚ちがう瓦がはまっている。どうやったんだろう。あんなに色とりどりの修理?持ち主が?屋根に登って自分で?俄然興味がわいてくる。
お湯が入ったので、お待ちかねの風呂にゆったりと浸かってみる。買ってきたシャンプーで無意味に何度も全身を洗う。あんなタレのカップ1杯で足りるものか!後でじっくり見ようと思っていた原材料を読む。
普通のグレープシード、ラベンダー、ホホバオイルや、セージ、タイム、ビルベリーの他に、
ヨーロッパ木苺の種の油、ビワの葉、ダマスク・ローズ、サンザシ、エルダー、カンゾウ(もはや漢方)、ツボクサ(熱帯魚の水草?)、イタドリ、マロニエ(毒は?)など、珍しいものも入っている。
その他、キュウリの汁、カラシ、ゴボウ、茶、サトウキビ、メープルシロップにオレンジジュース!
なぜこれだけ入って堆肥の匂いがしないのだろう??と不思議に思いながらクンクン嗅いでみる。最近の敵・シリコンは入っていないらしいが、この99%天然の原材料が全て頭皮に浸みこむのなら、一緒に入ってる保存料や界面活性剤だって浸みこむだろう。
そんなに頭皮のことを考えるのなら無添加の牛乳石鹸で洗い、あとは市販のブルドックソースでもかけておけばいい。ソースにはだいたい体に良さそうなもの入ってるよ。果実のエキスとか、いろんなスパイスとか。保存料もないし。
書類を仕上げ、オシャレな血界戦線を見ながらイチジクをすすっていると、なんか寒い。頭を洗って放置していたからだろうか。エアコンの設定温度は・・・・と壁を探したがそれらしいパネルもなく、ベッドサイドのつまみが(表示)「低」。
低ってなんだよ。低と中と高の3段階しかない。だいたい今何度なんだ?何に対しての「低」なのか。高ならもっと寒いのか。送風口から吹いてくる風がベッドの方まで来ているから良くないのでは。(きの)「ゴトゴト」イスを引っ張ってきてフロントで渡された領収書を、持っていたありとあらゆるシール(バンドエイド、イチジクパックのフィルムについてたテープ、シャンプーの宣伝ポップ)で貼り、送風口の右側だけを閉じることに成功した。
明日もまた、暑くなるんだろうな。乾いた風と埃っぽいアスファルトからの熱気でせっかく洗ったのに何もかも元通りになる。まぁいいや。空調も調節したし、ぐっすり眠る。
朝、気分良くカーテンを開けてセミの声と共に昨日見つけたモザイク瓦を確認し、なんと煙が出ているのを発見。かかか火事!?うそっ??早くどこかに知らせないと(きの)「ん?」よく見ると家の隅に煙突があり、モクモクはそこから出ている。ということは、煮炊き??人がまだ現役で住んでるんだ!あとで絶対見に行こう。
鼻歌交じりで下りて行き、階下のフロアで朝食だ。ホテル自慢のお茶漬けとやらにはあまり興味をそそられなかったので、ナスの煮びたしなどをつつく。せめてオレンジジュースが飲みたいが、あるのは変な粉を溶かしたようなレモネードばかり。下の駐車場から次々とワゴン車が出て行くのを見る。ここは広い宴会場もあって昔は立派なホテルだっただろうに。
メシ後に、ここぞとばかりに風呂に浸って昨日買ったシャンプーをブシュブシュバスタブに投入していたら電話。ビショビショの状態で出たら親戚の(婆様)「どこにいるのぉ~?」(きの)「えっっ?いま?今・・・は近所のランドリー。すぐ帰ります」近所に泊っているとは言えない。ちっとも休めない。
何かに追われるようにさっさとチェックアウトしてホテルを後にする。早めに出て下の個別瓦の全貌が見たい。フロントには昨日のあか抜けない姉ちゃんはいなくなっていて、外国人研修生らしきインド人のような女の子がいた。仮にシンシアと名付けよう。遠い国から来たシンシアは愛想も良く、細かい気遣いが要求される職場でも他の同僚と遜色なく働いている。(シンシア)「また来てくださいね」うん、じゃあね。バイバイ。
瓦の家は前にまわってみたら何ということはない、昔の店舗のまわりに板張りでガードしてある普通の家で、外からはうかがい知ることができなかった。あれは泊った人だけが見れる不可思議なワールドだったのかもしれない。
家に帰り、葬儀の用意をしていて気がついた。シャンプーがない。昨日買ったあの栄養満点のやつ。何でないんだろう。荷物や洗濯物を全部ひっくり返してあらためた結果、本当にないということが分かった。何の銘柄かもわからないのに1回しか使ってない。そんな。
ふと、思いついてホテルに電話してみた(声)「ありますよ」シンシアだな。(シン)「それってオルガニカですよね。タカイヨ。」さぁ。でもここで知らないと言い張ってもらちが明かない。泉の女神にバレないように(きの)「そう!それです。ありがとうございます。取りに行きます。皆様によろしくお伝えください」途中で寄ればいいや。
良かった、珍しいのにしておいて。そうでなければ、あのエレベーター前の下劣なシャンプー群に混ぜられて、あまつさえ共用の備品を部屋に持ち込んだ不届き者という目で見られるところだった。これはなんか違うから取っとこうと思ったお掃除の人、慧眼です!
知人の葬式にシャンプーを持って現われるのはいかがなものか。茶色の紙袋にでも入れて丸めて持っておこうかとも思ったが、形状からして酒瓶を隠し持って来た人物と思われてもいけないので、隣の家の婆様から香典をことづかるついでに葬式用大バッグというものがあるらしく、それを借りてそれらしい着替えなどを2,3入れておく。遠方の葬儀には大活躍するそうだ。
昼前に話し合った結果、裏の家の婆様も一緒に行くことになった。行くのはいいが、さぁて困った。どんな理由で近所のホテルからシャンプーを持ち出してくるのか。
運転手に頼んで途中で降りて、手ぶらでエントランスをくぐる。フロントのシンシアに、また来たぜとばかりに大げさに合図して出してきてもらったシャンプーを、こっそりポケットに忍ばせてきた当該ドラッグストアの袋に入れてもらい、これだ!と見せびらかしながら出てきて堂々とタクシーに戻る。
用意した言い訳はというと(きの)「いやー先日東京の親戚が泊まることになって、その前にどんなところか下見に行った時に、隣の店で買ったシャンプーをフロントの台の上に置いてすっかり忘れて帰って来ちゃったーわはは」ずいぶん作為的だが特に裏の婆様は怪しむ様子もなくスルー。今から始まる葬式の方が気になるみたいだ。
式は滞りなく進み、説明の途中で喪主が泣いたら皆泣いてしまった。曹洞宗だというが、僧侶の衣装?が奇抜。地味な浄土真宗と違って目の覚めるような黄色。山吹色というか、栗きんとんのような艶やかな黄金。ミャンマーや唐の時代、普茶料理のような異国感があり、そして要所要所にドラの音が入ってくる。
遠慮して後ろの方に座ったのでよく見えない。シンバルの(音)「ジャーン、ジャーン、チーン!ジャンジャンジャンジャン ショリショリショリショリ・・・」何が行われているのだろう。最後は祝詞のような文言と、どうやら真言、般若心経もあって仏教界すべてを包括するかのようだ。演奏が高まり、40分ぐらいかけて全行程が終了。僧侶はフサフサの毛束をたずさえて去って行った。
帰りは(きの)「タクシーを呼びたいんですけど、どこが近いでしょうか」(職員)「それなら駅の方から呼びましょう」呼んでくれた。乗ったら乗ったで後部座席で、着いてからどっちの家の前に停めるか、ああでもないこうでもないと盛んにやり取り。(裏)「おたくの前に」(きの)「いいやお宅の前。だってうちに停めたら日なたを歩いて家に帰るようになるでしょう?外は35℃ですよ。はっはっは」などと和やかな時間を共有していたら、
(運)「どっちでもいいですよ。どうせ両方とも家知ってるし。」
恐れ入りました。田舎のタクシーはあなどれない。
夏休みに近所のホテルに泊まってどうということはないが、これも楽園の記録ということで書き記しておこう。
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