因果というと、業だの因縁だの仏教の仲間で難しそうだが、結局のところ「何が原因か」という内容の話。英語で言うとCausationで、理由という意味でしかない。Because(なぜなら)のcause。
風が吹くと桶屋が儲かる問題:
バタフライ効果とも言う。この場合何が直接の原因でこうなったのかよくわからない。かといって、たまにニュースで聞く「ごはんにふりかけをかけたので刺しました」などというあまりにも直前のきっかけに注目しすぎた突飛な事例などは、どこで区切っていいのかわからない。
エルニーニョ現象を科学的に認めないわけにもいかないが、突き詰めるとすべての原因はビックバンということになってしまう。あんな人と結婚したのは間違いだったという捨て台詞は、ある意味原因を探ろうとした真摯な姿なのかもしれない。
もう唯一の原因探るのやめたら?:
という助け舟を出してきたのがヒューム。じゃあもう絶対これのせいと言えるものがないなら、なぜかこれがあると続いてこれも起こるねという、「もしかして関係があるのでは」説でいいじゃんって。注射の副作用とか、アスベストと中皮腫の関係など。心理学なんてみんなこれだ。
しかしこれもまた、じゃあ夏にアイスが売れて犯罪も起こるから、犯罪とアイスは関係が深いと言われても困る。
なかったことへの大注目:
橋が落ちなかったのは設計が上手かったからなのか、そうすると不幸が起こらなかったのは祈ったからなのか、確かめるすべもない。
マッチを擦って火が付くような事は簡単に証明ができるけれども、人の心の内などは本人もわからない時がある。
なぜ、オリンピックで金メダルを取ったのは皆さんの応援のおかげで、ジョーカーのような人物が今までけなしてくれた皆さんのおかげと言っても大多数の共感を得られないのか。
法廷の場で「なぜ」とか言い合っててもきりがないので、そこそこの所で決めてあるのだろうけど、哲学は別に決めなきゃならない学問でもないので、永遠に「考える」ことを続けてもいいのだ。こういう本は面白い。
できればヒュームにシンクロニシティー(偶然の一致)の説明をしてほしかったな。
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