きの書評

備忘録~いつか読んだ本(読書メーターに書ききれなかったもの)~

バブル Bath 愛好会

2023-09-20 12:51:58 | いつかの思い出

 札幌の大通公園前のホテルにて。部屋に置いてあったシャンプーをよく読んだらダージリンの匂がするらしい。紅茶?珍しい。最近流行のホワイトティーという名のミルクティーの甘ったるい匂いがフロア全体に充満するあのポーラかどこかの備品とは違うのかなと、興味に駆られて使ってみる。

 

Aromad’or??アロマドールと読むのか。ぱっと見 Aroma(芳香)+ Odor(臭気)と読めたが。

そんなに特別いい匂いはしないがまぁいい。北海道らしい無駄に長い浴槽にシャンプーを入れてみた。普通の泡立ち具合い。

 

 

 

 朝起きて飯を食い終わって、チェックアウトまで時間があったのでヒマだから入ってみた。シャンプーは昨日使ったから、次は緑色のボディーソープだ。ついでにこれで頭も洗おう。

 

 しめしめと思いながら先ほど食べたブルーチーズに思いを馳せ、しばらく瞑想に浸っていて目を開けたら、目前にスイス山脈のような巨大な尖った泡が形作られていた。

 

なにこれ。はっきり言って浴槽が泡だらけだ。

なぜこんなことに。6回ぐらいしか押してないぞ。

 

 

 

 家に帰ってきても、あの泡風呂は楽しかったな~という思い出でいっぱい。家であれを再現できないか。と思い置いてあったボディーシャンプーをぶしゅぶしゅ撒いてみたが、汚らしい膜のようなものができるだけ。ちがう!もっとこうマッターホルンのような立ち上がりと、いつまでも消えない安定性だ。

 

 

 

 いつか、アメリカのスーパーのオモチャ売り場でバブルバスの液体を売っていた。いかにもといった人工的な紫色をしたボトルのパッケージには子供たちが泡にまみれて遊ぶ姿が印刷されていて、とても楽しそうだった。自然にそれを手に取り、買ってきて用法通りにキャップに半分ほど家のバスタブの流水の下に入れてみる。

 

 一瞬シャボン玉のような匂いがして、みるみる紫色の泡が膨れ上がり、手でどけても叩いても消えない幻想的な空間ができあがった。方々に散々まきちらし、追い回したりして存分に遊び大満足でふと注意書きを見ると「あなたのキドニーに悪いから15分以上入らないように」と書いてあった。

 キドニー・・・腎臓か。やはりバイオロジーの教科書に載っていた薬品の皮膚からの吸収は、バカにできないものがあるようだ。何分経ったっけ・・・。全身がこの毒々しい紫色になったらやだな。ハハハ。

 

 うわあぁぁ。急いで立ち上がって流して出たが、子供用の商品でこんなに危ない内容なのはどうなのか。裏に「保護者の監督が必要」とも書いてあった。くっ。あいにく今ここに保護者はいないが、監督されたくない。

 

 その時の紫人間の恐怖が冷めやらないので、それからはちゃんと決まりを守って泡風呂は15分までと決めている。あの液体は何だったのだろう。そのうち、そこらのシャンプーを入れても同様の効果が得られると聞いた。ではあれはただの界面活性剤だったのだろうか。

 

 古い映画で、マリリンモンローだかが泡風呂にゆったりと浸かっていた。あれはバチャバチャ遊ぶものではないのか。なるほど。少しは見習って大人しく入ろう。体にいい成分でできていればいいのになぁ。よく考えたらこれでは体の洗濯だ。

 

 それから、新しく買ったシャンプーやホテルのいろんな新商品を垂らして静かに泡ぶろを味わっているが、程よく泡立つものもあり、ボトルの半分ぐらい入れても泡立たないものもある。なにが違うのか。

 

 どうも自然派の洗剤はうまく泡立たないように思う。こするにはいいが、泡風呂向きでない。南千歳のエアポートホテルという老舗のホテルに置いてあったジュニパーベリーが入ってるというシャンプーはいい匂いがした。ジュニパーってあれでしょ?ジンとかの香りづけの針葉樹。

 

 それは通販では売ってなかったので、ジュニパーなら何でもいいやと思い、似たのがロゴナという外国のブランドから出ていたので買ってみる。匂いは(きの)「う~む。」なんかこう、木の枝や渋い果実といった雰囲気の荘厳な匂いがして、全身を洗ったら全身から変な抹香臭い香水のような匂いがする。これはおそらく天然洗剤だろうからと思って流水の下に入れてみたが、案の定泡は立たなかった。

 

ドイツが戦時中の大量生産の為に開発した人工の界面活性剤でないとあの楽しい泡の量はまかなえないのかと思うと、なんとも複雑な気持ちがする。

 

 

 札幌大通りのホテルの洗剤が良かったのか、それともシュワーッとした水流か。昔うちの台所用の蛇口の先に付ける簡易的な浄水器を買おうと思って、違うのを買ってきてしまったことがある。中に活性炭も何も入っていない、ただの白いフワフワしたカバーのようなもので、何をするかわからないが、ただ水がシュワーッとなるだけのもの。あれがいい。

 

 さっそく買ってきて付けてみる。確かに水に空気が混ざっているようだが、特に泡は立たない。なぜだ。こういったクリーミーなタイプのボディーウォッシュは泡立たないのか。(きの)「ブシュブシュ」究極の泡風呂を完成させるべく、日々研究をかさねる。

 

 界面活性剤が多ければどうだろう。掃除のついでに台所の洗剤を入れてみる。泡は立ったが、すぐに消えて行った。(きの)「油かな」食用油を入れてみる。汚らしいアクのようなものがフチに溜まり、全然楽しくない。油が有力候補だと思っていたが、違った。風呂が汚いと泡立たないらしいが、それは人間の皮脂などがついているからなのか。ホテルは毎回洗っているのだろうから、それが決め手なのかな。

 

 透明だから?帰ってすぐに入れたのは白いボディーソープだった。ホテルの洗剤は詰め替えの都合上だいたいが透明の容器に入った透明の液体だ。濁っていると尚いいかと思ったが、肌を潤すクリームなどが混ざっているのかもしれない。当たり前だがコンディショナーを入れても泡立たない。作られた泡がそのままガシッと固定されるには何が必要なのか。

 

 塩を入れると析出してある程度固まるらしい。入れてみたら確かに固まったような気がするが量が少ない。シャボン玉は砂糖を入れるとなかなか割れないなどという。スプーンに2杯ほど入れてみた。細かい泡の中に2つ程大きな泡がある(きの)「ははは。シャボン玉だ!ぷちっ」つついたら、ぬらっと割れてめんどくさそうに消えていった。なんだかヌメヌメしている。これが砂糖の効果か。

 

 塩も砂糖もいいが、どうも食品を入れるのがいまいち。味付けをされているようで。出先で簡単に作れるからこそ面白いのだ。そして、この探求の元になった札幌のホテルに敬意を表して押すのは6回までとしておこう。そうしないと基準が定まらなくて比較できない。そもそもあのボディーソープの成分は何だったのか。グリセリン?また候補がひらめいた。それにしても、なぜか日本では泡風呂が流行らないな。銭湯なんか日替わりで泡だらけにしてしまえばいいのだ。

 

 そういえば、そこらのシャンプーでもできると教えてくれたのは誰だったのだろう。あの悪魔の紫ポーションを買ったのは、新しく引っ越したアパートだった。そこにバスタブが付いてたから浸かってみようと思ったのか。それまで住んでた部屋や大学の寮は電話ボックスのようなシャワーブースがあるばかりで面白くないなと思ったからか。

 風呂でキッズ用のおもちゃで遊んでると思われたら笑われそうだから、アメリカ人に話したとは思えない。そうすると風呂好きを公言していたミチコさんという年上の先輩か。その人がバスローブを使ってたんだっけ。しかも泡を洗い流さないと聞いてとんでもない不健康な行いだと思った。

 

 ミチコさんの部屋は古い木造一軒家を改造した下宿で、絨毯の上に直接バーバパパのようなバスタブが置いてあった。玄関を入ったらすぐ台所という訳の分からない間取りと、冬に暖房つけすぎの暖かい室内。

 ミチコさんは卒業して日本に帰るので漠然とその部屋に住もうと考えていたが、もうすでに他の人に貸す約束をしてしまっていると聞き、拍子抜けしたような残念な気分だったが、その後別の部屋を探して引っ越して、そこで人員の都合で急に夏の旅行がキャンセルになり、家に居たら暑い日の朝に小枝ちゃんに会った。なんとも不思議な縁だが、そう考えると人生はどう転ぶかわからない。

 

そういったなつかしい記憶と共に、最近良いシャンプーを探している。

追記:2023年10月

こないだ泊まった野幌のホテルでは、やはりまとまった量の泡が形成された。水量?ホテルはすごい勢いで出るが、自宅は普通の蛇口だ。

勢いなら、と思い、シャワーの頭部分を取り外し、はるか上から注いでみた。普通のシャンプーで普通に泡が立った。よかった、うちが汚いからじゃなかった。

では、白いボディーシャンプーではどうだろう。やってみたら、結局アクの浮いた白湯のようなものしかできない。これは洗剤が向いてないんだ。

 

 

2024年1月

 前から気になっていたツムラの薬湯のお試しサイズを売っていたので買ってみた。どのようなものかな。ほぅ、陳皮にハマボウフウって七味やお屠蘇と変わらないような。どれ。

う~~~ん。

匂いが。なんというか、この・・・いつかどこかで嗅いだ、嫌な臭い。

この匂いが・・・。祭?なんの祭だろう。

もう、匂いのことばかりが気になり本も読めない。

 

古い竹製品?

鞍馬で嗅いだ佃煮屋の古い展示品。民俗博物館の匂い。

もしくは、日なたのホコリが水にぬれた時。

いずれにせよ、ちっともリラックスできない。

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クリーム色のすべり台

2022-06-13 13:53:10 | いつかの思い出

 小さい頃、高田馬場のおばあちゃんちの近くに公園があった。ビルの合間に埋もれるようにしてひっそりと佇む湿った縦長の公園には、斜面をそのまま使った巨大なすべり台があった。ステンレスではなく、黄色い大理石を磨いたようなすべすべの石造りだ。下町のあの場所にどういう経緯で作られたのかわからないが、当時からして子供は少なかったので都心にありながらほぼ貸し切りの穴場であった。

 

 イトコ達とよく遊びに行き、1日中歓声を上げながら滑っては登って遊んでいた。あまりにもなじんだので自分たち専用の公園と思うようになり、子供のうちに引っ越したので後で思い返してみると、どこまでも続く永遠のスロープになっているような気がしていた。最近になって法事の際に、酔った年下のイトコに話すと、彼もそう思っていたらしく、実はあれから大人になって行ってみたら、ただの低い塀のようでショックだったと打ち明けてくれた。

 

(きの)「あれは無限のはずでは?」

 

(イトコ)「それが、ちがうんだ。」

 

そんな!

 

 

 今でも古い公園にはその手のすべり台が多く、そして京都の公園はだいたい古かった。見つけると懐かしくなって、つい滑ってみる。昼は高確率で子供たちやその良識ある保護者がいるので、夜に通りかかった時やひと気のない時にそっと近寄って行く。

 

 

大田神社近くの公園:

 ここも幅の広い立派なすべり台があった。滑り始めるとスピードが乗り(きの)「ドッ」すごい勢いで下の砂場に突っ込んだ。ずいぶんハードな遊具だ。Dr.Martensのつま先が半分ぐらい埋まった。

 

 過去の記憶との齟齬を覚え、家に帰ってよく考えてみた結果、自分はもう大きくなりすぎていて、速度が出すぎるのではないかという仮説に到った。そして、大人の社会常識として滑り終わった後の後ろ側が砂だらけで店などに入っていくのはどうかと思うという配慮から、砂がつかないようにしゃがんで滑っていたのもよくなかった。ペンギンのような姿勢をした大人が猛スピードで滑降するのは、どう見ても危険だ。

 

平べったい靴がジリジリと出て行ってパタンと倒れ、スキーのジャンプ競技のようだと内心喜んでいたのだが。

だって、立って滑るより安全だろう。

 

 

 

近所のすり鉢公園:

 巨大なすり鉢のような円形の遊具がある。とにかく重心を低くすればいいのだな。地上4mぐらいのフチに立って夜の公園を見渡す。小さい子なんか底の部分から出られないような規模だ。実に滑るにふさわしい。というわけで腹ばいで寝そべってトライしてみたら終点近くに粗い砂があり(きの)「ぎゃあぁぁ」腕時計とTシャツの腹の辺りをザリザリ擦って泣いて帰る。

 

二条城の左上:

 とても美しいすべり台がある。横に飲み水もあるよ!

 

三条商店街:

 上記の二条すべり台がApple社の芸術作品だとしたら、ここのはWindowsの事務的なデザイン。しかも微妙に人がいる。

 

ピクミン:

 人のゲーム機を貸してもらい初めてやってみた。途中で坂を下るとみんなついてくる。(ピク)「あ゛ぁぁぁぁ~~」と言いながらまた登ってきては集団で滑っていて気がついたら30分が経っていた。いつの間に。このゲームはどうやらミッションがあるみたいだが、しらん。

♪あぁぁぁぁぁ~~

 

 

近所の小さい公園:

 待ち合わせていてヒマなので、前からいいなぁと思っていた小さいすべり台に登ってみる。いつも小さい子たちでいっぱいの公園も夜となれば大人の時間だ。ベンチで飲んだりブランコに座って悩みを打ち明けたりして遊んでもいい。

 

 何気なく滑って終了となるはずが、なぜか途中でなめらかなクリーム色の石の部分が消えて下地のコンクリートが見えていた。小さいのでしゃがんで滑ってもいいだろうという打算が裏目に出た。コンクリート部分で滑らなくなり、履いていたビーチサンダルがだんだんワラビのように内側に丸まっていくのが見えた。それにつれて足の指も巻き込まれ衝撃とともに着地した。

 

すごく痛い。

 

 サンダルは壊れ足の指が血だらけで全部折れたと思った。そぅっと手近なベンチまでにじり寄って行き、調べてみると背中が落ち葉だらけで手にも擦り傷が。

 

 こんなすり減った危ない遊具を置いておくなんてどうかしている!こっちは翌日に船で出かける予定だというのに。どうしてこんなことをしてしまったのだろう。こんな状態では大型船の長いタラップをスーツケース抱えて歩けはしないし、また理由も言えない。絶対に来るなよ京都Policeと思いながら家まで這うようにして逃げ帰り、しごく反省して以後充分気をつけ軽率な行動は取らないことにする。

 

 

 

船岡山の公園:これはケガの記録なのか。

 長細いすべり台があったので早速階段を登ってみる。自分の背丈より高かったのでこれはもう安全策を取って寝そべり、ミイラのようなスタイルで行こう。

 

 またもや意に反してスピードが上がり、モブスレーのごとき高速となる。頭を打ったらヤバいので、下手に上体を起こすことなく飛行機のように地面に対して鋭角で着地しようと体に力を入れたところ簡単に全身が飛び出し(きの)「つ・・・・・・るんっ!!」

 

浮く。

 

 そのまま地上20cmから失速して落ち、背中を強打して呻く。それにしても全身が射出されるほどのスピードが出たのか。設計したの誰だよ。公園に行くたびにこんなんでは命がいくつあっても足りない。この遊具は誰にもおすすめできない。

 

 

 

 どうしても、なめらかなすべり台の魅力に勝てない。何とも言えない優し気な色が全てを包み込んでくれるような気がする。石でできていることは承知しているが毎回どうも柔らかいバーバパパでできているのではないかと思ってしまう。小さい時はもっと自然に身をゆだねていたように記憶している。

 

 未だに、あのクリーム色のすべり台を滑っていったら、その先におばあちゃんが待っていてくれるような気がする。そうして温かく迎えてくれて、家に連れ帰ってあれこれとかまってくれるに違いない。

 

 そうだ!大もとの新宿のすべり台に、あの時の子供たちが帰ってきたことをいつか知らしめに行かなければならない。そのための肩慣らしをしていたにすぎないという詭弁で自らを正当化する。

 

(きの)「いつかリベンジ」

(イトコ)「その時は連絡を」

 

同志よ。

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クイズ

2019-07-08 11:01:07 | いつかの思い出
(娘)「男は箱を捨てた後で後悔しました。何でしょう」
(きの)「パスワードが書いてあった。スーツケース?タランチュラが入っていた」
(娘)「小さい箱。木を加工した。使ったらなくなる」
(きの)「玉手箱・・・?」 そいつの名前は浦島。
(娘)「違います。」
 
(きの)「パンドラ」 箱捨てたのか。
 
(きの)「真空だった」 後悔で済むだろうか。
 
 
ヒント(娘)「どこで売ってる?とか」
(きの)「スーパーで売ってますか」 (娘)「はい。」
(きの)「コンビニで売ってますか」(娘)「はい。」
(きの)「では無印良品で売ってますか」 (娘)「いいえ」 いいえ!?
 
(きの)「にんじん?」 急にどうした。
 
・・・。・・・。紆余曲折があり、
 
(きの)「マッチ」
 
正解。
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犯人を知っているものはこうも強いのか

2019-05-27 14:12:34 | いつかの思い出
 アメリカの大学の日本人オフィスに、空輸した雑誌が毎週届いていた。
新聞や女子生徒向けの大人のファッション誌などもあったが、
主にジャンプとマガジンを楽しみに読みに行っていた。
 
 各1冊ずつしかないので、混んでいる時は必然的に順番を待つようになる。
ある日、長椅子に座ってマガジン片手に午後の至福のひと時を過ごしていると、
北斗の拳のザコキャラのような鎖をたらした後輩が「うぇーい。次いいっすか」
というようなことを言いながら、ドカドカと入って来て横に座り、
なぜそうまでして言動を一致させなければならないのかわからないが、
絵に描いた悪役のような態度で終始ふるまっていたので、
 
 ゆっくりと読み終わって渡す際、にっこり笑っておもむろに
(きの)「首狩り武者の正体は・・・」 (鎖)「えっ!?何?」 
(きの)「知りたい?首狩り武者の正体」 
(鎖)「いいいいえっ知りたくないっすよ。今から俺が読むんだから。俺ひとりの、この手で!」
という、非常に勤勉な読書欲を見せてくれた。
 
一緒にいた仲間に(鎖)「ヒドイよっあの人犯人バラそうとしたっ!」 
言いつけているのをしり目に部屋を出る。
 
その日は、いつにもまして天気が良かったように思う。
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おばあちゃんちとの決別

2018-12-03 17:58:24 | いつかの思い出
 幼稚園の頃から、電車でおばあちゃんちに一人で遊びに行っていた。
今でもそうなのだろうか、昔は幼稚園児が一人で電車に乗って通学し、
大人と一緒でなくても、誰も何も言わなかった。
 
 西武線の入曽という駅から、高田の馬場まで。
ビッグボックスという、赤いオジさんのビルが見えてきたら降りるんだよ
と教えられ、「荒いヤクしまえ~」や「憑りつかせぇぇぇ」などの
恐ろしい駅名に、よく耳を澄ませていた。
 
 土曜日に小学校が午前中で終わってから、おばあちゃんちに行くと、
横浜からはイトコ達が来て泊まった。
毎週のように行っていた時もある。
 
 帰りはおばあちゃんが送ってきてくれる。
入場券を買って一往復。
本当はいけないんだよとか言いながら、
入曽駅の反対側のホームから乗り換えて、暗い中を帰って行く。
おばあちゃんだけは、特別に駅から許されているんだと思った。
 
 常に家にいて、行けば何だかんだとかまってくれ、
おばあちゃんが留守のことなど、一度もなかった。
いつも孫のために存在していて、「きのちゃんが一番大好き」だと言ってくれた。
 
 参考までに、大好きな理由を聞くと、ちょっと黙った後で
初孫だからという答えが返って来た。
では、初孫でなかったら好きではないのか?
などという疑念をたまに抱いたが、
それでもおばあちゃんが見せてくれた、孫たちのことが世界のすべてであるかのようなふるまいは、
誰にもまねできない。
それは今でもそう思う。
 
 
 おばあちゃんちが世田谷に引っ越し、電車一本では行けなくなった。
しかも、そのころには中1になっていたが、
急行の種類がまだよくわかってなかった。
ある日の夕方、いつものように小田急線に乗ったはずだが、
なぜか目的の経堂で停まらなかった。
 
 電車が高田の馬場で停まらないぐらいびっくりした。
どうしたらいいかわからず呆然としていると、
電車はスピードを上げてどんどん離れていく。
とりあえず、次に停まった成城学園前という駅で降りてみる。
 
 ちょうど、おばあちゃんちに来ているはずの鉄道に詳しいイトコに聞いてみようと思った。
能面のような顔の駅員に、電話はありませんかとたずねると、
「ありません」との答え。
そんなわけないだろう、こんな大きな駅で!と思ったが、
ないと言っている以上しょうがない。
駅員は、出たところに電話があると言うので、駅を出てみる。
 
 駅を出て改装中のような覆いのわきを通り、真っ暗な道を歩いてみるが、
しかし、あると言った辺りに電話はない!
電話を探して、だんだん知らない駅から離れていく。
 
 ひと気もない細い道の途中に八百屋があった。
まだそこだけ電気がついていて、その隣にピンクの電話がある。
10円玉を入れてダイヤルを回してみたが、
(受話器)「シーン」 何も言わない。
 
なんなんだよ!ここは。
 
 なぜか停まらない電車に不気味な駅員、鳴らない電話。
世にも奇妙な物語の世界にでも迷い込んだとしか思えなくなった。
結局また電話を見つけて迎えに来てもらったが、
イトコが言うには通勤の時間帯がどうのと。
 
そして、家に着いたらイトコの妹からとどめを刺す一言が待っていた。
 
「おばあちゃんが、きのちゃんだけならまだしも、
けんくんまで迷子になったらって言ってたよ」
 
 ミイラ取りがミイラになると言いたかったのかもしれないが、
気が立っていたこっちは
「なんだって!一番大好きなはずの初孫がミイラになったら、
もうその時点で大問題でしょうが!!
まだしもとはどういうことだ!まだしもとは!」 
もうすべてのことに疑心暗鬼。
 
 電車で迷ったことより、その発言がトラウマとなり、
世田谷の家には小さい頃ほど足繁く通うこともなくなり、
アメリカに居るうちにおばあちゃんは亡くなった。
 
 おばあちゃんは肺炎で死んだんじゃない、
おばあちゃんのことを誰も必要としなくなったから死んでしまったんだと思い、
どうにもできなかったことや、自分の器量が狭すぎたことを、
いつまでも考え続けた。
 
 
 それから数年後に小枝ちゃんを拾い、果たしてこの「けもの」と
どのように接したものかと考えていたら、
当然、この者をこの世のすべてとするべしとの解答が、
急に頭のどこかから出てきたのでそのようにした。
 
結果はどうだったのだろうか。
 
 
 
 
 
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