今回は日曜日。8,500円 臨済宗の宿坊 2階#2018
宿坊というと、なんとなく旅の僧侶かお参りの団体しか泊まれないような気がするが、最近は普通の人も泊めてくれるらしい。ただ、申し込みの項目に特異な(質問)「檀家ですか?はいなら、寺の名前は?」いいえ、にしといた。はい、と言うと安くなるようだが、うちは母方が真言宗と父方が浄土真宗で、祖母が禅宗で実家が神道。臨済宗には縁がない。マスクをして平熱で来るように言われた。
食事は感染防止のため、今は提供しないようにしているとのこと。事前にいんちき旅行代理店(娘)が電話でコンビニはありますかと聞いたら、山を下りて15分の所にと笑いながら言われたらしい。それならば、二条の駅ビルのようなところで、トンカツ屋の隣で韓国料理の弁当を売っていたから、これは珍しいと思い、何気なく焼肉弁当を選んで買った。受け取る際に、よくわかっていないバイトの女子高生がただ渡してこようとするので(きの)「まだ払ってないよ」しっかりしなされ。
メニューでキムチや匂いのしそうなものがないのを確認して頼んだのに、地下鉄に乗り込んでしばらくして、誰がこんなに食べ物を持ち込んだかと思ったら、自分だった。袋の中を見ると、サービスのキムチパックが弁当の上にそっと乗っていた。えぇ!?ありがたいが、しまった。どうしよう。と思いながら蹴上駅に着き、宿坊に到着。はからずも生臭ものを持って山門をくぐってしまった。荷物は持ってもらわないようにして、部屋に入って早く食べてしまおう。
着いてまずロビーに線香の匂いがたちこめて、煙い。もうキムチもなにもわからない。さすが仏教。ホテルの建物は2階建ての近代的な外観だが、本当に宿坊らしく作務衣の従業員が数人いて、奥の事務所にボウズ頭が見える。あれはファッションのスキンヘッドではあるまい。スピードガンのような器具で熱を測られ(機械)「35.9℃」ちょっと低すぎないか。
(宿)「夜9時になったらホテルの玄関を閉めます」思わず変な声で確認してしまった。(きの)「あふぇぃ?夕方、水路閣に行ってみようと思うのですが、見ているうちに寺院敷地の総門が閉まって、境内に取り残されたりは?」(宿)「ほっほっほ。しませんよ」本当だろうか。クツをぬいで下さいと言われ、スリッパもなし。靴下でひたひたと廊下を進む。こういうところでクツを取られると、少し不安になるのはなぜだろう。みんな優しく微笑んでいるが、無事に帰れるだろうか。
部屋に入って大急ぎでキムチ弁当を食べ終わっても、まだ汁が大量に残っている。そんなものを置いて帰ったのでは悪いような気がして、一気に飲んでしまった。TVがない。テレビがないのはそんなに嫌ではないが、ないのならないと言ってくれれば、パソコンを持ってきたのだが。週末だし、もしかして山道を登ることになるのかと思って、置いてきてしまった。これでは、あのNHKの足軽がどうなったかわからないではないか(すっかりはまっている)。ベッドの上に、黄緑色の浴衣が置いてある。模様は「南禅寺 南禅寺 南禅寺・・・」とひたすら筆で全身に書いてある耳なし芳一デザインだ。歯ブラシやヒゲソリなどは、高そうな取っ手がついたものが置いてある。
窓から覗くと、参拝客はちらほらいる。着物を着て山門の方へ上がっていく観光客らしき人達もいたが、5時頃にみんな帰って行った。水路閣に行ってみた。琵琶湖から水を引っ張ってきてローマの水道橋みたいにして、市内に渡している。明治にレンガで作ったのだそうな。ここは、京都のことをよく知らない時に案内を見ていて、晴明神社、貴船と共に行ってみたい場所だった。しかし、きっと遠いのだろうと思い、場所を調べようともしなかった。まさか街中から地下鉄で3駅とは。
水路閣は坂を上ったらすぐにあった。(きの)「これが!」レンガのアーチが美しいが、なんでお寺の入り口の真ん前にあるのだろう。はっきり言って邪魔じゃないのか。お寺の後ろに設置すれば良かったのに。明治に作った時には、家の前に高速道路を作られたぐらい嫌な気分がしなかっただろうか。まず下から眺めて水の滴り具合いを見る。次に上に登って橋の上を流れる水路の流れを確認する。早いしすごい水量だ。これが琵琶湖疎水か。さすが湖の水圧は圧倒的。ディズニーランドのスプラッシュ・マウンテンのようだ。ここを筏で下りたい。泳いで良いと言われたら嬉しいな。でも見るだけでもいいよ。
しかし、琵琶湖の方向から考えると、逆向きに流れて行っているような気がするのだが。そして、さらに山道に紛れ込み、流れの始まりから追いかけて、ずっと流れに沿ってついて歩く。水が暗い暗渠に吸い込まれて行くまで見届けた。透明とは言えないが、力強く冷たい小川だ。京都市民は、全員これを飲んでいるのか。奥に人家らしき気配があり、道が続いている。
三門に行ってみた。工事中で登れなかったが、巨大な柱にシロアリらしきボロボロした部分があるのを眺めていると、6時頃、疎水の上の山の中腹あたりから(音)「ブォ~ッ・・・ヒブォ~」と壊れたトランペットのような音が聞こえてきた。学校でもあるのだろうか。吹奏楽部の練習かな。寺院を見ながら下りて、住宅の方を歩いた。上品な家が多かった。この辺も哲学の道と言うらしいが、どこがそうなんだろう。銀閣寺のあたりではないのか。疎水記念館は、閉館時間を過ぎていた。
まわりの店が閉まっている様子は、嵐山の比ではない。2、3軒で、しかも開いていたとしても結局湯豆腐だ。焼肉弁当は着くなり食べてしまった。夜になってお腹が空いた。持ってきた飴もスナックも全部食べてしまった。コンビニまで15分。しかもいったん出て締め出されたら山の中で一晩過ごすのかと思うと、気軽に出れない。こうなると食べ物がないことが、気になりだしてしょうがない。普段ならそんなこと気にしないのに。朝食セットは持ってきたが、それを食べてしまっては朝になって本当に何をしたらいいのかわからなくなりそうだから、ぜったいにそれらには手を付けるまい。
窓の外の、京都市街の向こうの山に暮れていく夕陽を日食にならないかと眺めながら、おうちはあっちの方だなと懐かしく思う。わぉーん。わぉーん。
机の上に仏陀の本が置いてあった。(きの)「パラリ」読み始めてしまったが最後、もう気になって途中でやめて置いて帰ることはできない。インドの村で苦悩するゴータマ。とにかく村々を歩き回り説法しまくる。宿坊の外の山の空気は涼しかったので部屋の窓を外に向けて全開にし、手前の網戸だけにして風を浴びながら一心不乱に仏陀の生涯を追い続ける。
読みながら寝てしまった。ふと見ると外は真っ暗で窓が開いている。ハッ!しまった。ここは山の中だ。しかも水気たっぷり。疎水の湿った石のあいだにうようよ・・・。山のやつらはさぞかし長いだろうなど、余計なことを考えてしまい、もう眠れず。外に開いた窓を急いで閉めようとして、手前のネオ和風網戸を開けたら小さな(蛾)「ぶわあぁっ」部屋中が虫だらけに。小さい虫が飛び回るので捕まえることもできず、読んでる本や顔にたかってくる。ブローチのようにまとわりつかせながら仏の道を読み終える。仏陀もインドの森の中でこんなことになっただろうか。
もう怖くて電気も消せないが、明るいと蛾が飛び回る。ここに何しに来たんだっけ。修行に来たのかな。やけくその気分で「真の行者は自ら苦役を作り出し」という川柳のようなものをこしらえて悦に入る。帰りたい。
朝になると、猛威を振るっていた蛾はいなくなっていた。あれだけ居たのにいなくなる訳ないから、どこかベッドのかげに潜んでいるのだろう。窓を開け、逃げる隙を与えて散歩に。前庭の池の蓮が一輪咲いていた。宿の人が、今は食事も朝課の読経も大浴場も何もないから、せめてこの花だけは見てってくれと言わんばかりに、埋もれてやっと出た蕾を案内してくれる。(寺)「小さな声を聴くんです」蓮ということは、この下全部レンコンだろうか。雑念が多すぎる。
昨日、夕方に駅から宿に来るときにトンネルの入り口があった。レンガは良いのだが、唐突に「ねじりまんぽ」と愉快な謡曲みたいなタイトルが書いてあって、どこに続くのか意味不明だし、曇っていて暗くて誰もいなかったので、虫は湿ったトンネルの天井に貼り付く習性があると聞いてからは、うかつに入らないようにしている。
朝なら、光り輝く太陽がすべてを浄化してくれる気がして、見に行ってみた。宿坊の近くと繋がっていたようで、逆側にたどり着いた。トンネルの中から高校生がいっぱい出てきて、今度は入れないほどの大盛況だ。どうしたのだろう。登校?しかし、こんなに居れば、嫌いなアレも、どの頭に落ちていいか迷うはずだと思い、入ってみたらすぐ出口に着いた。
達成感でいっぱいになり、ついでに駅の近くの自販機で飲み物を買って飲んでみた。歩道の真ん中で腰に手を当てて飲んでいると、まわりに等間隔で暗い顔の疲れたような大人が数人いることに気づいた。高校生の流れとは相容れない立ち位置で、なんだか横入りしないでくれと言わんばかりの雰囲気で見てくる。バス停もないのにと思っていると、マイクロバスがやってきて、みんな乗り込んで走り去っていった。どこかの介護施設の名前が書いてあった。
あのトンネルは、蹴上インクラインという坂道を走るトロッコの線路の下を無理やり通したので、強度を増すために線路に対してトンネル自体を斜めに交差させて設置した上に、レンガもナナメに並べて積み上げたらしい。確かに有機的なラインで下から上がってきて天井を越えて向こうに降りて行ってる。もはやアートの域に達したような、すごい技術だ。だから「ねじり」で、「まんぽ」は昔の言葉でトンネルという意味だそうだ。和名は斜架拱(しゃかきょう)だそうだが、そんないかにも Buddhism みたいな名前よりも、「斜構隧道」とかにした方がカッコイイのでは?坂道を上がる列車の振動もあっただろう。今は線路は使ってないが、長年よくその重みに耐え、この姿を保っているかと思うと、いたわるような気持ちでいっぱいになり、しばらく歩道の真ん中に立って眺めていた。
よし、寺に戻ろう。また高校生たちと一緒にトンネルを潜る。前を歩く3人組は、高校生なのに別荘の話をしていて、受け答えも頭が良さそうで、後で聞いたら進学校の男子校だったらしい。そのまま南禅寺に入って行くかに見えたが、彼らは門を越えたところで先生に誘導され、左にそれて寺の敷地から出て行った。高校はあっち側にあるのか。ということは、昨日の吹奏楽の練習は何だったのだろう。まさか・・・法螺貝??6時だったから、法螺貝の時報?
水路閣に再度訪問。また来た。宿坊に泊まった人は、居る間じゅう南禅院やら庭やら無料で見せてくれるらしいから、ずいぶんサービスが良い。参拝時間までレンガに座って待つ。朝の水路もまた良い。下から見上げると水がしたたりすぎて鍾乳洞のような地肌になっている。シダに朝日が当たって風情がある。こんな古いの、よく現役で使うよなー(感動)。絶対に壊してほしくない。リュックの若い人がふいに山の方からやって来て、寺の階段をひょいひょいと上がって行った。
寺が開いたので、宿から渡された冊子を見せて庭に入る。庭園に滝が流れ込む池があって1周まわった頃、係の作務衣を着た小柄な若い女性が、あちらにカエルの卵がありますよと教えてくれた。あんたさっきリュック背負って登って来なかったか?近所の人?そして、池にはイモリが多数生息しているという耳寄りな情報がもたらされた。さっき周ったときには全然気づかなかった。というか、なぜカエルやイモリが好きだとわかった。イモリは、イトコが飼っていたという話だけを聞いて、前からうらやましいと思っていた。ヤモリもいいが、それが水中にいるというところに格別の魅力がある。
指さされた方向を見ると、池の中に地味な黒っぽいものがモタモタと泳いでいた。あんな遅い動きではコイが1匹でも居たら食われてしまうだろう。他のやつは流れが急な所で、慌てふためきながら流されていった。ヤモリも遅いが、やつらは水中だからかもっと遅い。腹が赤いらしいが毒もなく、ただ赤いだけだという。今までよく生き残ってきたなと感心する。しばらく橋の上に陣取り、モタモタ具合いを眺めていた。
お次は、南禅院。ここが南禅寺の本体らしい。建物の入り口でクツを脱いでビニールに入れて持って歩く。盗まれなくていいし、持ってれば安心だけど、何か味気ない。かと言って、三十三間堂の学校みたいな下駄箱もやだしな。広い廊下をどんどん進む。途中で平安調の不思議な扉があった。御所にもあったが、上ががら空きの戸板で何を防ごうというのか、という感じのどこでもドアみたいなものが廊下の途中についてて、妙に気になり写真に収める。
豪華な文化財みたいな襖などが沢山あって、廊下を進んで蔵のあたりに来た時に、懐かしい匂いを嗅いだ。夏の実家の朝の木の板の匂いだ。ただ、その後シロアリの駆除をしたから、湿った木の匂いなのかもしれない。何回行ったり来たりしても、そこだけ、その匂いがする。奥の滝の方は、跳ね返った水が粒子となって舞い上がるのかもしれないが、何だか古い水のような気配がして、あまり好きになれなかった。
その後、南禅院を出て反対側を歩き、素晴らしい建物だと思って木の間から写真を写して、後で調べたら納骨堂だった。大勢のお経が聞こえたので、そっちを見たら、ガラガラと雨戸を閉められてしまった。この暑いのに。修行をしているのか。南禅寺をチェックアウトし、疎水記念館に行こうと思ったら今日は定休日だった。縁がない。缶入り琵琶湖ウォーターが買いたかった。急に見覚えのある市バスが走ってきたので、それに乗って帰る。何だよ、近くだったじゃないか。
帰って(きの)「ノドが痛い」山の湿った空気か?それとも線香か、蛾の鱗粉か、シロアリの匂いか、キムチ一気飲みのうちのどれかか、もしくは複合的な作用だろう。(きの)「街ってありがたいね。ゴホゴホ」自分がこんなに弱しだとは。