認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

アルツハイマー型認知症の予防を国民的な課題に(Bー48)

2015-11-15 | アルツハイマー型認知症の予防と脳の活性化

 時は今 声なき声を あげるべき

  成すべきことを 明日に伸ばすな By kinukototadao

   

  &「アルツハイマー型認知症」に対する専門家たちの重大な誤解

 皆さんご承知のように、「アルツハイマー型認知症」は、発病の原因≪メカニズム≫が分からないし、いったん発病したら治すことさえできないし、発病自体を予防することもできないタイプの認知症であるというのが、世の中の通説というか、定説なのです。そのうえ困ったことに、わが国だけでなくて、世界中の認知症の専門家たち≪学者や研究者や医師達≫がそのように信じ、主張しているのです。

 そうした考え自体のどこかに重大な見落とし或いは、考え方の間違いがあるのではないかと疑う人も、考える人も、認知症の専門家とされる人達の間にはいないのです。発病の原因については、かつては、アセチルコリン説≪仮説:単なる主張であって、発病との間の因果関係の立証がなされていない学説を、仮説ということにします。以下同じ。≫が、現在では、アミロイド・ベータ説やタウタンパク説や或いは、脳の萎縮説等の仮説が主張されているだけなのです。

(コーヒー・ブレイク1)世界中の認知症の専門家とされる人達が主張しているので、専門家ではない皆さんは、「アルツハイマー型認知症というタイプの認知症は、発病の原因がわからないし、治すことができないし、予防することができない病気だ」との考え方が、正しいものだと信じ込んでしまっているという訳なのです。私たちは、沖縄を除く日本全国、440を超える市町村で、「間違ってはいるが、権威が有るので皆さんが信じなびきやすい」こうした主張と闘いながら、「アルツハイマー型認知症」の予防を目的とする地域予防活動を指導してきているのです。

後述するように、原因不明で治らないタイプの認知症であると主張しつつ、治らない段階を見つけて、効きもしない薬を処方するだけの診断が、医療の現場でまかり通っているのです。製薬会社は、効きもしない薬の製造・販売で儲けて、医療機関は、CTやMRIやPETといった高額の診断費用を稼げる機器を使用して、治すことができない末期の段階を(見つけるのに意味がない末期の段階を)見つけて、その上効きもしない薬を処方することで稼いでいるだけなのです(製薬会社は、「アルツハイマー型認知症」の症状の進行を遅らせる「生活要因」については何も知らないで、そのことを排除しない状態での「治験」を正しいデータだと誤解しているだけなのです。ここを「クリック」してください)。

誰でもが80歳とか90歳とかまで生きるという、世界でも稀な程の「超高齢化社会」を実現している我が国は、実は、世界でもまれな程の認知症大国なのです。もっと厳密に言うと、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプに特化された認知症大国なのです。我が超高齢化社会の特徴は、「身体が持つのに、脳が持たない」ということに尽きるのです。国も医師も「身体をもたせること」ばかりに目が向いていて、一番肝心の「脳をもたせること」が置き去りにされている、それが、我が国の医療制度なのです。脳がもたないで(「アルツハイマー型認知症」を発病した状態で)、身体がもつだけの(命がもつだけ)第二の人生に何の意味があるというのでしょうか。そんなことの為に大事な税金を毎年何十兆円もの規模で垂れ流していていいというほどの財政状態にあると言うのでしょうか。

 どうして脳が持たないのかを真剣に考えないと、我が国が財政面から持たないのです。1100兆円もの規模の国家債務、気が遠くなるような、天文学的な、且つ世界に例のない規模の債務を我が国は抱えているのに、政治家も官僚も国民も気にもしていないのです。累積債務の規模がここまでの規模になってしまうと、もはや打つ手がないからと誰もが諦めてしまっているのでしょうか。このまま放置していると、最後は、あの「ハイパー・インフレ」と言う化け物が、政治家や官僚に利用される手段になってしまうのです。皆さん、このまま放置しておいていいのですか。皆さんの年収の規模は現状のままで、消費者物価の暴騰により生活費が今の5倍、或いは10倍になってしまってもいいのですか。

「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、いろいろな種類が数ある認知症全体の90%以上の割合を占めているのです。その診断のための費用と薬の投与による費用と介護にかかる費用の総額は(以下、「介護関連総費用」と言う)、年間で十兆円を超える規模になるのです。然も、診断とは名ばかりで、治せる段階(私たちの区分で言う、小ボケ及び中ボケの段階)で見つけて治す(脳のリハビリにより、「前頭葉」(前頭前野を言うものとする。以下、同じ)を含む脳全体の機能を正常なレベルに回復させる)というのではなくて、極めて高額の費用を請求されることになるCTやMRIや、果てはPETまで動員して(診断には不必要な機器を使って)治せない段階(末期の段階である大ボケの段階)を見つけて、その上、効きもしない薬を何種類も処方するだけなのです(薬を飲むだけで/貼るだけで、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の働き具合が改善する等、脳のメカニズムからして、絶対にありえないことなのです。治療薬などと言ってはいても、興奮型か抑制型の薬の類に過ぎないはずなのです)。

ここで明確に指摘しておきますが、世の中に(ナントカ・メソッドと称するやり方が一部の医者にもてはやされているのですが)、「アルツハイマー型認知症」が治るということは、異常なレベルに機能が衰えていた「前頭葉」を含む脳全体の機能が正常な機能レベルに回復するということなのです。興奮型や抑制型の治療薬を調節して服用させたところで、異常なレベルに衰えて認知症の症状を発現させていた「前頭葉」を含む脳全体の機能が正常な状態に回復するなどということは、脳のメカニズムからして絶対にありえないことなのです。アルツハイマー型認知症」を発病して、何もしようとはしない不活発な状態にあったお年寄りが、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されている状態のままで、薬を服用して何かをしようとするようになったとしたら、興奮型の薬を処方されたからなのです。やたらと怒ったり暴言を吐いたり暴れたりしていたお年寄りが、大人しくなったとしたら、抑制型の薬を処方されたからなのです。それをもって、「アルツハイマー型認知症」の症状が治まった、或いは治ったと称している医師は、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムだけでなくて、症状自体についてもよく分かっていないということなのです。

その方式を主張している医師やそれをはやしたてている医師達は、このブログに例示してある「アルツハイマー型認知症」の症状の類型(小ボケ、中ボケ及び大ボケの各段階の症状)を読んで、「アルツハイマー型認知症」の症状とはどういうものなのか、その症状が「治る」という意味はどういうことなのかをよく考えていただきたいのです。このままでは、世の中を惑わすことになりますよ。

(注)詳しい知識は置いといて、皆さんは、以下の点だけでも、とりあえず覚えておいていただきたいのです。頭に叩き込んでおいてほしいのです。

「アルツハイマー型認知症」は廃用症候群に属する脳の使い方としての「生活習慣病」であり、60歳を超える年齢の「高齢者」が、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々継続させる「生活習慣」の下で、「前頭葉」を含む脳全体の機能が「廃用性の異常で加速度的な機能低下を進行させていく」ことにより、発病するものなのです。症状は、段階的な症状、私たちが区分する「3段階の症状」を示すのが特徴なのです。但し、本質は廃用性のものなので、「前頭葉」を含む脳全体を生き生きと使う生活の実践(「脳のリハビリ」)により、「前頭葉」を含む脳全体の機能を正常な機能レベルに回復させることができる(認知症の症状を治すことができる)のです。この場合、小ボケの段階であれば、「脳のリハビリ」により回復させることが比較的に容易であり、中ボケの段階であれば、回復させることが未だ可能であり、大ボケの段階になると回復させることが困難になるということなのです。

   

あれやこれや、上述したような「診断」が公然とまかり通っている世界、「アルツハイマー型認知症」の診断とは名ばかりの、医療の現場の実態なのです。

「治せない」という視点での効果からいえば、どぶに捨てているとしか言えないこの巨額の無駄な費用は、「アルツハイマー型認知症」の発病自体を予防することを目的とする「地域予防活動」を全国的に展開し、我が国の市町村の隅々の小さな地域単位で展開する状況が実現することにより及び本当の意味での早期の段階(小ボケ及び中ボケの段階)で見つけて、脳の使い方としての「生活習慣」の改善(脳のリハビリ)を家族の後押しを活用して個別具体的に実践する価値観と態勢を浸透させることが出来れば、介護が不可欠となる「大ボケ」の段階にまで症状が進行してしまうお年寄りの数自体を劇的に減少させることが可能になるのです。言い換えると、発病自体の予防と早期の段階で見つけて治すと言うシステム、「アルツハイマー型認知症」の予防を目的とした「地域予防活動」が、我が国の市町村全体に浸透し、小さな単位ごとの地域で活動が実践される日が実現すれば、年間で数兆円と言う規模で、上述の無駄な費用を大幅、且つ劇的に減少させることさえ可能になるのです。異常な速さと規模とで増え続けている「介護関連総費用」を年間で数兆円と言う規模で減少させることが出来、絶対額を半減させることも夢ではなくなってくるのです。或いは、そこで浮いた金を「一億総活躍社会」の実現に資する政策に投入していけばいいのです。垂れ流しにさせている無駄な「介護関連総費用」の増大をせき止め、更には、急激に減少させる、正しい政策を実施させるには、国民全体がこの問題を真摯に受け止め、達成可能な国民全体の目標として、「アルツハイマー型認知症」の発病の予防と早期診断による回復を目的とする「地域予防活動」を一日も早く全国展開するよう、国に要求していくべきなのです。皆さん自身の将来の生活を守り、息子や孫達の世代に過度の負担を残さない為に、現実の課題として、具体的に考えるべきテーマであり、時なのです。安保法案の成立に抗議してデモするエネルギーがあるのであれば、上述の不条理な状態に抗議してデモすべきではないのでしょうか。「介護関連総費用」と言う無駄な医療費に税金を際限なく投入する政策を180度方向転換して、予防と早期発見による回復と言う前向きの政策(「アルツハイマー型認知症」の予防を目的とした地域予防活動の全国展開)に税金を投入する政策を実現するよう要求するデモこそが、いま皆さんに求められているのではないでしょうか。

   

認知症全体の90%以上の割合を占めていて、原因不明で治らないものとされ、製薬会社や医療機関の上述のような不条理がまかり通っている「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の本質は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎないのです。この場合の「生活習慣」とは、食生活ではなくて、脳の使い方としての「生活習慣」と言うことが重要なのです。60歳を超えた年齢の「高齢者」、左脳が活躍する場である「仕事」とは無縁の第二の人生を送っている「お年寄り」が、脳の使い方としての生活習慣を工夫し、趣味や遊びや人付き合いや運動の機会を増やし、或いは、「地域興し」等のテーマにも積極的にかかわるような生き方を追求する第二の人生を送るようになれば、「右脳や運動の脳」を積極的に使う生活の場が増えて、自分なりに「第二の人生を楽しむ生活」を送ることにより、「アルツハイマー型認知症」の発病自体を予防することが出来ることにもなるのです。「アルツハイマー型認知症」を発病したときに備えて、「一人当たり2500万円は貯蓄しておく必要がある」などとマスコミが危機感だけをあおるものだから、お年寄りは節約ばかりに走って、消費を抑制する傾向にさえあるのです。

逆に、「アルツハイマー型認知症」の予防を明確な目的として、「第二の人生」の生き方をもっと積極的に生きる生き方に180度方向転換して、趣味や遊びや交遊や運動、或いは「地域興し」等の社会活動などを積極的に楽しむ生活、「自分なりに第二の人生を楽しむ」生活にお金を積極的に使う消費行動を工夫することが出来るようになるのです。お友達との交遊や日々の夫婦生活を楽しむ為に、リビングや台所やお風呂などをリフォームするだけで、地方の経済は活性化するのです。そうした目的の為のリフォームに対しては、介護保険を源資として、その費用の一部を助成するとかの政策を考慮すべきなのです。お年寄りのお金が貯蓄にどぶ付けされている状況を、新しい政策によって打開すべきなのです。

「アルツハイマー型認知症」を発病するお年寄りの年齢別の割合は、60歳代では12%、70歳代では30%、80歳代では50%、90歳代では75%、100歳代では97%にもなるのです(但し、この数値は、厚労省が発表する大ボケの段階だけの数値ではなくて、小ボケ、中ボケ及び大ボケの段階のすべてを含む数値であることに注意してください)。

アルツハイマー型認知症」を発病して末期の段階の大ボケの症状が出てくるようになると、中ボケの段階にさえ回復させることができなくなってきて、日常生活に介助が不可欠となってきます(大ボケの段階の症状は、ここを「クリック」してください)。大ボケの段階のお年寄りの介護は、老老介護であれば、介護する配偶者も「アルツハイマー型認知症」を発病する危険が極めて高くなってくるのです。目を離せなくなり、どこかへ出かけていくこともままならなくなり、自分自身の時間を持てなくなって、やがては、自身がナイナイ尽くしの「単調な生活」を余儀なくされることになるからです。子供が介護者となる場合は、介護離職が現実のことになってくるのです。上述した垂れ流しの政策のままで居て、家族に多大な負担を強いることになる「家族介護」を制度化するのでなくて、今こそ、「アルツハイマー型認知症」の予防を目的とする「地域予防活動」を制度化すべきなのです。そうすれば、全てが救われるのです。

大ボケのお年寄りの介護にかかる費用(個人負担は除く、税金のみの金額)は、年間で600万円を超えているのです。上述の数値にみるように、お年寄りはいずれの時か(身体がもって、生き続けていれば)、「アルツハイマー型認知症」を発病することになるのです。我が国には、3000万人を超える数のお年寄りが生きているのです。未だ発病していないお年寄りが、やがて発病しても、「地域予防活動」の活発化により「中ボケ」までの段階にとどめることができれば介護の費用は発生しないのです。或いは、「大ボケ」の段階に入ることが1年先延ばしになるその効果だけでも一人当たり年間で600万円が浮いてくるのです。リフォーム代を助成しても、それだけで元は取れるのです。「アルツハイマー型認知症」を発病しても、本当の意味での早期の段階、小ボケ及び中ボケの段階で見つけて「脳のリハビリ」の実践により治せば、介護が不必要となり、一人当たりの税金の投入額が累計総額で数千万円の規模で不必要になるのです。私たちが提唱する「アルツハイマー型認知症」の発病自体の予防と早期診断による回復を明確な目的とした住民参加型の「地域予防活動」の全国展開こそ、国民的な課題として、真剣に取り組むべき喫緊の政策課題なのです。

脳の使い方としての「生活習慣」を工夫することにより、医者や薬に頼らなくても、発病自体を「予防」することが出来るのが、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の特徴なのです。脳の使い方としての「生活習慣」自体に問題があり発病してしまっても、本当の意味での早期の段階(私たちの区分でいう、「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)で見つければ、「脳のリハビリ」(脳の使い方としての「生活習慣」の見直しと個別の状況に適した「生活習慣」の構築とその実践)により、「治す」ことができるのです(脳の機能面から言うと、「前頭葉」を含む脳全体の機能を正常なレベルに回復させることができる)。認知症の専門家達だけでなくて、脳科学者たちも、早く「前頭葉」という脳機能に着目し、研究を進め深めていただきたいと願うのです。「前頭葉」が鍵なのだから。

  とりあえず、そんな難しい話は脇に置いておいて、此処で、本題に戻ることにします。実は、そうした学説(それらの全てが未だに「仮説」にすぎないのですが)を唱えている専門家達のすべてが、「アルツハイマー型認知症」の本質は、「記憶の障害」を発現させる病気だと考えていること、そのこと自体が「重大な誤解なのだ」ということを指摘しておきたいのです。

専門的になりますが、世界で最も権威があるとされ信じ込まれている考え方、米国精神医学会の診断規定である「DSM-4」の規定も、「記憶の障害」の確認をアルツハイマー型認知症と診断するための第一の要件として規定しているのです。第二の要件として規定されている、失語、失認、失行又は実行機能の障害は、症状の程度を確認するための要件に過ぎないのです。猶、「実行機能の障害」という要件が、失語、失認、または失行と並列される形で第二の要件に規定されている問題点≪これまた重大な誤り≫については、前回のブログ(B-47ー&6)で詳細に説明した通りなのです。

然も、記憶の障害を本質とする病気であると誤解している為に、「マウス」が狭い箱の中で迷路をさ迷い歩きながらエサを見つける行動を観察し分析して、発病の原因やら治療の方法を探っているのが現状なのです。どこかの独立行政法人がはまり込んでいる研究の方法のように、たとえアルツハイマー・マウスを使おうとも、本質は変わらないのです。

(コーヒー・ブレイク2)「記憶の障害」が「アルツハイマー型認知症」の本質だと誤解している限り、発病のメカニズムも、治療の方法も、予防の方法も見つけることはできないことを、此処で明確に指摘しておきたいのです。認知症の専門家とされながら、「記憶の障害」の症状さえ確認されると、「アルツハイマー型認知症」だと短絡的に診断してしまう医師が多いのですが、「アルツハイマー型認知症」の症状の第一の特徴は、「前頭葉」の機能障害(実行機能の障害)による症状なのです。「前頭葉」の機能が正常なレベルであって、且つ「新しい記憶」が入っていかないという態様での「重度の記憶障害」の症状を示すのは、側頭葉性健忘症なのです。40~50歳代という若い年齢で発病することが多い「側頭葉性健忘症」の発病者を、60歳を超える年齢で発病するのが特徴の「アルツハイマー型認知症」の発病者だと間違えて取り上げているテレビ番組が極めて多いのです。「前頭葉」の機能レベルが正常であるか否かが、両者を区分ける指標であることさえも知らないでいるのです。

(コーヒー・ブレイク3)「アルツハイマー型認知症」の症状は、回復の可能性と言う視点から私たちが3段階に区分するそれらの症状は、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の働き具合、言い換えると、「前頭葉」を含む脳全体の機能が使われる機会が極端に少ない生活習慣、更にこれを標語的に言うと、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもないナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続される生活習慣の下で、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させてきた「前頭葉」の機能レベルに厳密にリンクした症状として発現してくるものなのだという、そのメカニズムに気づいていない人達が、「前頭葉」と言う脳機能自体を持たない「マウス」の「記憶」に関わる行動を追いかけ続けているだけなのです。

 マウスなんか追いかけないで、人間の「前頭葉」の機能を調べればいいのにと皆さんは思うでしょう。脳機能の専門家達の間で、「前頭葉」は、脳の中の空白地帯と言われてきたのです。空白地帯などというと、皆さんは、機能が何もないのかと思うでしょう。

何もないのではないのです。あまりに複雑で且つ高度な働きを担っているので、調べようがないというか、調べ方を思いつかないだけなのです。彼らが得意とする、CTやMRIやPETを総動員してみても、よくわからないということなのです。私たちは、「二段階方式」と言う精緻な神経心理機能テストを開発して、生きた人間の「前頭葉」を含む脳全体の働き具合に関する「脳機能データ」を地道に集積してきたのです。本屋さんで関係する書籍を探して読んでみても、インターネットで検索してみても、私たちがこのブログに掲載している程度のことも全く見つけることは出来ないのです。それ程に、「前頭葉」自体の研究が遅れているということなのです。

ちなみに、道路を車で逆走するお年寄りがいるでしょう。そのお年寄り達は、「アルツハイマー型認知症」を発病していて、且つ私たちの区分でいう小ボケの段階の人たちなのです(中には、中ボケの段階に進んだお年寄りさえもいるのです)。その人達は、運動の機能が衰えていることが原因でもなくて、記憶の障害が原因なのでもなくて、実は、「前頭葉」機能の障害、就中「前頭葉」の三本柱の機能である注意の分配機能が異常なレベルに衰えてきていることが原因なのです。皆さんが車を運転しているときは、運転のことだけでなく、周りの状況、自分が車を走らせている道路の状況、行き交う車や人の流れの把握など様々なことに注意を分配して的確な判断のもとに運転しているのです。小ボケの人は、注意の分配機能が的確には働かない脳の機能レベルにあるので、ハンドルを必死に握って、道の真ん中よりをノロノロ運転するだけで精いっぱいなのです。走行時速も30Km前後に落ちるので、大きな事故にはつながらないのが一般的で、 軽い接触事故が多くなるのが特徴なのです。

先日の事故のように、歩道を走る場合は別なのですが。その人は、てんかんの発作があリ、且つ認知症の治療を受けているということでしたが、恐らくは「アルツハイマー型認知症」と診断されて興奮型の薬を処方されていたのではないかと疑うのです。いづれにしろ、私たちの前頭葉機能テストで異常なレベルと判定されたお年寄りからは、運転免許証を取り上げるべきなのです。私たちの「二段階方式」のテストで「前頭葉」の注意分配機能を調べるべきなのです。その判定は、MMSEや長谷川式だけでは無理なのです。MMSEや長谷川式では、肝心の「前頭葉」の機能レベルを判定できないからです。

    

私たちが主張していることを実証研究してみれば、すぐにわかることなのです。私たちの「二段階方式」は、手技の実施の手順、或いは過程及び結果についての評価の方法が、極めて再現性が高いので、主張内容の正しさが第三者の手で容易に確認され得るのです。

「二段階方式」の手技は、二段階方式個別事例判定マニュアルA(テスト実施と判定及び基礎データと様式編)、二段階方式個別事例判定マニュアルB(アルツハイマー型認知症の判定とケース事例解説編)及び二段階方式個別事例判定マニュアルC(アルツハイマー型認知症以外の認知症及び認知症と紛らわしい病気の判定とケース事例解説編)並びに二段階方式個別事例判定マニュアル使用の手引き及び脳機能データの管理ソフトにより構成されています。手技の使用の仕方の習得については、エイジングライフ研究所が開催する実務研修会での受講が必須となります。

注)「アルツハイマー型認知症」の最初の段階であって、脳のリハビリにより回復させることが容易な段階であり、私たちの区分でいう軽度認知症(小ボケ)の段階の症状として類型化した症状については、ここを「クリック」してください。脳のリハビリにより回復させることが未だ可能な段階であり、私たちの区分でいう中等度認知症(中ボケ)の段階の症状として類型化した症状については、ここを「クリック」してください。

私たちは、生きた人間の脳の働き方のメカニズムと「前頭葉」を含む脳全体の働き方の具合に厳密にリンクして発現してくる症状という視点から、「二段階方式」という精緻な神経心理機能テストを開発して、14689例にも上る「脳機能データ」を集積して、それを解析し、「アルツハイマー型認知症」の本質が何であるかを解明したのです。

「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、廃用症候群に属する単なる生活習慣病であるというのが私たちの主張なのです。発病の原因となるのは、アミロイド・ベータの蓄積でもタウ蛋白の蓄積でもないのです。それらは原因ではなくて副産物なのです。「前頭葉」を含む脳全体の使い方としての「生活習慣」が発病の直接の原因なのです。発病の対象となる年齢のお年寄り、「第二の人生」を送っている60歳を超える年齢の「高齢者」が、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない単調な生活、ナイナイ尽くしの単調な生活を日々継続させることが、「前頭葉」を含む脳全体の加速度的で異常な機能低下を惹き起こすこととなり、その行きつく先に「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているのです。その発病を予防することが出来る唯一の方法は、自分なりに生き甲斐や目標がある生活、自分なりに楽しいと感じられるテーマを自分なりに実践する生活習慣を構築し、それを日々実践することなのです。それを地域全体で実行するシステムを作り上げることが、我が国にとっての喫緊の課題なのです。そのシステムの全国的な規模での実現と言うテーマは同時に、「一億総活躍社会」の実現にも直結する「テーマ」ともなるのです。

安倍政権が掲げる「一億総活躍社会」とは、的であって矢ではない等と批判ばかりしても何も実現しないし、国民の得にもならないのです。単に批判することにエネルギーを無駄に費やすのではなくて、国民全体が一丸となって、具体的なテーマを提案し、実現の方法を模索し、実行すべき時なのです。

なお、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムやその本質或いは、症状発現の特徴などのテーマについては、認知症の専門家の人達にはこのブログを全部読んでいただきたいのですが、皆さんは、発病のメカニズムについてとりあえずは、このブログのA-30(ここを「クリック」してください)を読んでいただきたいのです。その上で、もっと深く知りたいと考えられた場合は、逐次、関心の出てきたテーマについて読んでいただきたいのです。

   

& 私たちが描いている構想のアウト・ライン

 私たちの夢は、私たちの「前頭葉」が生き生きと働ける間に、「アルツハイマー型認知症」の発病の予防と早期診断による回復と言う「テーマ」、発病の対象年齢に在るお年寄り各自にとって、父母の老後の扶養を期待される若い家族の人達の人生にとって、日本中の自治体にとって及び我が日本国にとって極めて重用で且つ重大なこの「テーマ」を、日本中の全ての市町村の全ての小単位の地域で密に、更には具体的に実践する体制の基礎を作り上げることなのです。この先に残された期間が僅かな私たちの人生をこの「テーマ」の実現に向けて捧げていきたいと考え、努力していきたいと願っているのです。

最終的に実現されるべき上記の状況をスタートさせるための試金石、政府も、自治体の首長も、それを支える官僚も、「地域予防活動」の実践活動の主体となるべき保健師さんも、更には、地域毎でのボランティア活動の主体となる組織の人達も、予防活動に参加する皆さんも、全てが目的を十分に理解し、納得して実践活動に参加していただけるような下地となる「特定のモデル地区」での実践による「実証研究」活動を、全国的規模での「地域予防活動」をスタートさせる為の起爆剤として、全国道州制の構想単位ごとに一つ或いは二つ、脳のイキイキ体験特区モデルとして定め、成果を具現化してみせたいと考えているのです。現在は、その実証研究の相手方を模索中ということなのです。権威ある組織との共同による実証研究により、私たちの主張に権威付けをしたいと考えるからです。何しろ我が国の文化的社会的特徴は、権威主義であり、学歴主義であり、肩書主義だからなのです。あ~、大変!

    

&「二段階方式」を活用した「アルツハイマー型認知症」の「地域予防活動」の展開案と前提となる条件

○認知症全体の90%を占める「アルツハイマー型認知症」(狭義の「アルツハイマー病」とは、発病のメカニズムも発病後の経過も全く異なるもの)について、回復可能な早期の段階(小ボケと中ボケ)の発見とその回復並びに発病自体の予防の為の住民参加型の「地域予防活動」を対象とします。

○「二段階方式」の導入市町村は、「アルツハイマー型認知症」の個別ケースについて、回復可能な早期の段階(「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)の発見と正常なレベルへ回復させる為の「前頭葉」を含む脳全体の活性化を目的とする「生活習慣の改善」(脳の使い方としての生活習慣の改善)の為の具体的な指導を行うと共に、「地域単位」での地域住民の自主参加による「地域予防活動」を実践することになります。

 &「アルツハイマー型認知症」の地域予防活動の展開の概要

○ 「二段階方式」の手技は、神経心理機能テストによる「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの判定テストの実施とテスト結果の判定に基づいて、「アルツハイマー型認知症」の回復可能な早期の段階(小ボケ及び中ボケの段階)を発見し、脳の活性化を目的とする「生活習慣」の個別での改善指導を行うことにより、正常なレベルへの脳全体の機能の回復を可能にさせるシステムであり並びに脳の活性化を目的とする生活習慣の改善を体験させることを目的とした「予防教室」への参加体験により、参加者の日常生活に脳の活性化というテーマを持ち込ませ、実践させることにより「アルツハイマー型認知症」の発病の予防を図る地域住民参加型の活動システムなのです。

○したがって、このテーマは、個別事例の改善指導と地域住民参加による地域単位での自主的な予防活動の展開の二面性を持つ活動となるのです。

○個別事例の改善指導というテーマについては、個人と密接な継続的関係の維持が不可欠であるため、導入市町村の保健師さん等の役割がきわめて重要となります。

○地域住民の自主的な参加による「地域単位」での予防活動の展開というテーマについては、脳の機能テストを実施する保健師さん等の役割と脳を活性化するテーマの実施にかかわる予防教室の自主活動と運営(脳の活性化に資するテーマの選択、実施企画、実施指導及びボランティアの組織化と全体の運営)を担当する地域の自主組織の参画とその役割分担が、きわめて重要となります。

○なお、「二段階方式」の手技については、その実施が「医行為」を含まない為、保健師さん等がすべての面について実施でき、活動を広範囲に展開できることが大きなメリットとなります(「二段階方式」の手技の概観については、ここを「クリック」してください)。

 注)本著作物(Bー48に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。   

   エイジングライフ研究所のHP左の部分を「クリック」してください)

   脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)

     

 

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家族介護の負担を劇的に軽減させる「地域予防活動」の創成(A-95)

2013-10-01 | アルツハイマー型認知症の予防と脳の活性化

 ボケて後 病はとわに 進みゆく

      家族の介護 報われぬまま By kinukototadao

   アルツハイマー型認知症は、世界中の認知症の専門家達の間では、未だに発病の原因も(メカニズムも)分からないし、治すことも出来ないタイプの認知症だとされているのです。当然のことながら、このブログを読んでおられる皆さんもそう信じていると思うのです。

アルツハイマー型認知症と言うタイプの認知症は、発病自体を予防することも出来るし、治すことも出来る病気、廃用症候群に属する単なる生活習慣病に過ぎないのです。すなわち、脳の使い方としての「生活習慣」に起因する病気なのです。末期の段階、私たちの区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階で見つけているがために、発病の原因もわからないし、治すことも出来ない病気にしているだけなのです。本当の意味での早期の段階、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)及び「中等度認知症」(中ボケ)の段階で見つければ、脳のリハビリ(脳の使い方としての生活習慣の改善と工夫)によって治すことが出来るのです。「前頭葉」を含む脳全体を活性化させ、脳全体を正常なレベルのままに維持させる生活習慣、趣味や遊びや人付き合いや運動を日々の生活に取り込み、自分なりに第二の人生を楽しむ生き方、自分なりの目標や喜びがあり、自分なりに生き甲斐が得られる生き方が出来てさえいれば、アルツハイマー型認知症を発病することは無い、発病自体を予防することが出来るのです。

○「アルツハイマー型認知症」とされる人達の総数とその重症度の実態

第二の人生に入っている60歳以上の年齢の「お年寄り達」を対象にして、私達が開発した「二段階方式」の手技に基づく「神経心理機能テスト」で、脳の神経心理機能をチェックしてみると、左脳も右脳も運動の脳も正常な機能レベルに在るのに、脳全体の司令塔の役割をしている「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)の働きだけが異常なレベルに加速度的に衰えてきている人達がたくさんいることが分かります。「前頭葉」の本来的な性質であり、内在する性質として、お年寄りであれば誰でもが抱えている「正常な老化」のカーブを大きく逸脱し、「異常な老化」のカーブを描きつつ加速度的に衰えてきて、「前頭葉」の機能が「異常なレベル」になっているお年寄り達が居るのです。

北海道から九州まで「二段階方式」を導入して「地域予防活動」を先進的に実践してきた440を超える市町村のいたるところで、60歳を超える年齢の「お年寄り達」の間で、驚くほど高い割合による「アルツハイマー型認知症」の発病の指標が確認されるのです。従って、このことを敷衍すれば、日本中どこにでも驚くほどたくさんの、「前頭葉」の機能レベルが「異常なレベル」に衰えている「お年寄り達」が居ることになるはずなのです。

認知症の専門家達からは、未だ認知症ではない(「アルツハイマー型認知症」を未だ発病していない)とされているその人達の「前頭葉」の機能だけでなくて、脳の後半領域の機能である「左脳」と「右脳」とを「二段階方式」の神経心理機能テストで調べてみると、それらの機能が「未だ正常なレベル」に在る人達と「既に異常なレベル」に在る人達とが居ることが分かるのです。前者が、私達の区分で言うところの「軽度認知症」(小ボケ)の段階の人達であり、後者が「中等度認知症」(中ボケ)の段階の人達なのです。認知症の専門家達が「アルツハイマー型認知症」の発病と初めて認める末期段階の「重度認知症」(大ボケ)の段階の人達は当然のことなのですが、「小ボケ」の段階の人達も「中ボケ」の段階の人達も、実は、「アルツハイマー型認知症」を発病している人達なのです。この早期の段階の人達が認知症の専門家とされる人達(医師や学者や研究者達)から見落とされていることが大問題なのです。

何故大問題なのかと言うと、認知症の専門家とされる人達は、私達の区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階も後半にならないと発現してこない極めて重度の症状である「失語や失行や失認」の症状(米国精神医学会が定める「アルツハイマー型認知症」の診断規定である「DSM-4」の第二要件に規定されている症状)が確認されないと「アルツハイマー型認知症」を発病しているとは考えないからなのです。その結果として、私達の区分で言う「軽度認知症」は「不活発病」などの意味不明の名前が冠されたり、「中等度認知症」は「老化現象」などと勘違いされたりして、何等の問題提起も対策も講じられないままに、放置されたままになっているのです。然も、放置されたままでいると、「アルツハイマー型認知症」は、身体が持つのに脳が持たないのが特徴なので、「小ボケ」は「中ボケ」に、「中ボケ」は「大ボケ」に症状の重症化が進んでいくことになるのです(なお、「小ボケ」と「中ボケ」のそれぞれの期間については、「脳の老化のスピード差」というテーマに関するデータについて記述した、ここを「クリック」してみてください)。

私達のデータによると、「大ボケ」の予備軍である「小ボケ」レベルの人達と「中ボケ」レベルの人達とを併せた人数は、「大ボケ」の人達の4倍もいる筈なのです。皆さんご存知のように、厚生労働省が今年の6月に発表した「認知症」を発病しているとされた人達(私達の区分で言う「大ボケ」レベルの人達のこと)の数だけでも天文学的な規模の人数(460万人)なのです。そのうちの90%以上を占めているのが「アルツハイマー型認知症」の人達なのです(460万人×90%≒400万人が「アルツハイマー型認知症」の人達の人数となります)。その数(≒400万人)の4倍も居る「小ボケ」と「中ボケ」レベルの人達を「大ボケ」レベルに落とさないだけでも、天文学的な「介護費用」を削減できることになるのです。

なにしろ、「大ボケ」レベルの人を介護施設で介護するとその費用は、1人当たり月額で30万円にもなるのです(然も、この額は介護保険による負担額のみであって、本人負担分は含まない額なのです)。我が国の今年度の「一般会計」の収入の規模と比較してみてください。背筋が凍るほどの規模の税金により負担されている「介護費用」がかかっていて、その規模はこの先さらに大幅に拡大し続けるという見通しなのです。良いのですか、このまま放っておいて。

  ○   「DSM-4」の規定通りの診断だと、見つける段階が遅すぎるのです

米国精神医学会の診断基準である「DSM-4」が規定する第二の要件である「失語や失行や失認」の症状と言うのは、「アルツハイマー型認知症」の末期の段階、私達の区分で言うと、回復させることが困難な「重度認知症」(大ボケ)の段階にあって、且つMMSの得点が一桁の点数になるまでに「前頭葉」を含む脳の機能レベルが衰えてしまっている人達だけにしか発現してこない極めて重度の症状が確認されている人達ということになるのです。

ここまで「前頭葉」を含む「脳の機能レベル」が衰えてきてしまっていると、「今が、昼なのか夜なのかの区別もつかない」し、「同居している家族の名前も顔もわからない」し、「自分が今居る場所がどこかわからなくて、落ち着かず、外に出ていこうとする」し、「下着や服を自分で着ることもできない」し、「痛んだものを平気で食べる」し、「相手の言葉を理解することもできないし、「それなりに筋がある内容を」言葉を使って考えることも話すこともできないのです。「食事を自分で摂ることもできない」のです。脳の機能がさらに衰えてくると、「手で箸を使って食べることができなくて、口をつけて直接食べようとする」のです。

このような「失語や失行や失認」と言った末期の段階、私達の区分で言う「重度認知症」も更に後半にならないと発現してこない極めて重度の症状を確認できないと「アルツハイマー型認知症」を見つけることができないのは、何故なのでしょうか。それは、「DSM-4」の規定がいくつか確認される典型的な重い症状だけを基準にして「診断の要件」を決めていることに原因があるのです。私達のように、「前頭葉」を含む脳の機能レベルとその直接のアウト・プットである症状とをリンクさせた診断基準にしてやれば、本当の意味での「早期診断」が可能になるのです。そうすれば、回復させることが可能な早期の段階、「軽度認知症」(小ボケ)や「中等度認知症」(中ボケ)の段階で「アルツハイマー型認知症」を見つけることが可能になるのです。この本当の意味での「早期の段階」で見つけることができれば、私達が市町村で実践してきた「地域予防活動」での成果に見られるように、「前頭葉」を含む脳の機能レベルを「正常なレベル」に回復させることができるのです(脳の機能が正常なレベルに回復されることが原因で、それまで発現していた認知症の症状が消えてしまう)。

 ○   認知症に起因する「失語や失行や失認」の症状が意味するもの

そもそも「アルツハイマー型認知症」の人達は、「身体がもつのに対して脳がもたない」ことがその「重要な特徴」なのです。私達が思考や行為や行動や言動を意識的に行おうとするときは、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」が、状況を判断して、状況に即した「テーマ」を考え付き、その「テーマ」を実行する内容と手順を考えて組み立て、実行した結果を洞察したり推理したりする等必要なシミュレーションを行い、状況の判断に基づく必要な修正を加え、或いは感情の吐露の程度や態様を抑制する等、総合的に判断した上で最終的な内容を決定し、左脳や右脳や運動の脳に指令を出して実行しているのです。「失語や失行や失認の症状」が確認される人達の「前頭葉」の機能は、もはや殆ど働いていない状態(機能レベル)に在るのです。逆に言うと、だからこそ、「失語や失行や失認」といった極めて重い認知症の症状が発現してきているのです。

 認知症で言う「失語」では、単なる日常生活の会話レベルのものであれ、自分の言葉で話すことも、相手の言葉を理解することもできない、言葉を介した意思疎通ができない状態の認知症の症状が起きてきます(「二段階方式」を活用して多数の症例を詳しく調べてみると、実は、「前頭葉」を含む脳の機能レベルの直接のアウト・プットとしての症状だということが分かるのです)。具体的な物の名前が出てこない、或いは言えないのです。了解の障害と言って、他人の話についていけなくなるのです。相手が話す話の筋や言葉の意味を理解できない、或いは自分が話すのに単語は言えるが筋のある話にならない等いろいろな程度や態様の症状を示します。

認知症で言う「失行」では、手や足を動かす運動機能自体に障害がある訳ではないのに、意味のある目的に合った動作や行為ができないと言ったことが起きてきます。使い慣れた道具が使えなくなるのです。箸を使って食べ物を口に運べなくなり、食べ物を直接口で食べたりするのです。シャツを前後ろに着たり、着ることさえできなくなります。形の認知と構成に障害が出てくるので、字を書くことや簡単な図形を描くことも難しくなります。

認知症で言う「失認」では、視覚失認や色彩失認、或いは視空間失認等の症状が出てくるようになります。視力や聴力に支障がないにもかかわらず、目で見たり、耳で聞いたりした内容が理解できなくなるのです。日常生活の道具なども、その形から判断できるはずの用具の意味も使用の仕方も分からないので、使えなくなります。人の顔が区別できなくなるので、声を聴いて自分の母親だとは分かるのですが、顔を見ても母親だとは分からないのです。空間情報の認知に支障が出てくるので、知っているはずの場所や道が分からなくなり、自分の家に帰ることができなくて徘徊することにもなります。

○ 医療の現場で行われている「早期診断」の手法とその実態

「アルツハイマー型認知症の早期診断」と打ち込んで、インターネットで検索してみてください。驚くほどたくさんの医療機関が「早期診断」のタイトルのもとに客寄せ風のブログを公開しているのに出会うことができます。ところが、正常レベルへの回復の可能性がない「重度認知症」(大ボケ)の段階で「アルツハイマー型認知症」を見つけているのが、「早期診断」という名の下で行われている医療現場の実態なのです。回復の可能性がないまでに脳の機能が衰えてしまっている段階で見つけることに何の意味があるというのでしょうか。回復の可能性がある「アルツハイマー型認知症」の本当の意味での早期の段階、「軽度認知症」(小ボケ)と「中等度認知症」(中ボケ)の段階で見つけてこそ、早期診断と言える、或いはそれこそが医療機関が果たすべき社会的な役割なのではないでしょうか。

「DSM-4」と言う権威は有るものの内容が誤った診断基準に基づいて「アルツハイマー型認知症」の有無を診断している医療の現場では、「重度認知症」もその後半の段階になって(司令塔の「前頭葉」は殆ど機能していなくて、「左脳や右脳や運動の脳」さえもが異常なレベルに衰えてきていて、僅かに働くだけの脳の機能レベルになって)しか発現しない「失語や失行や失認」の症状の発現を確認して初めて、「アルツハイマー型認知症」の発病と診断し、そのレッテルを貼っているだけなのです。回復させることが困難な「末期の段階」の症状を確認して初めて発病したと診断し、それよりも前の回復させることが可能な軽い段階は見落としてしまっているのです。医師としての良心、或いはその社会的使命に照らして、「これでは見つける意味がない、見つけるのが遅すぎるのでは?」とは思わないのでしょうか。

「早期診断」と銘打つのであれば、見つけた意味や価値が認められる段階(回復させることが可能な本当の意味での早期の段階)での発見であるべきなのではないでしょうか。名ばかりの「早期診断」という現状について介護している家族の側から見た時、末期の段階であって回復させることが期待できない「重度認知症」の段階で且つその後半の段階で見つけてもらうことに、どんな意味があると言えるのでしょうか。その上、CTやMRI等の機器を使う診断は、診断料がとても高いのです(健康保険による負担を含む)。

私達がこのような言い方をするのは、それなりの深い意味があるからです。どんな種類のものであれ、病気の「早期診断」というのであれば、「治すことができる」段階を見つけるべきではないのでしょうか。少なくとも、「病気の進行を明確に遅らせることが期待できる」ものでなければならないと私達は考えるのです。どのブログであれ、医療機関のそれの内容は、(「アルツハイマー型認知症」については、学説は種々あるが発病の原因が未だに解明されていないこと及び早期診断によって「アルツハイマー型認知症」を発病していることが判明しても、それを「治すことは困難」である)と説明されているだけなのです。

その上で、何種類かの薬を服用することによって、「ケースによっては、症状の進行を1年ほど(?!)遅らせる効果が期待できる」と説明されたりしているのです。医療の現場では、服用させた効果が(1年後に?!)期待通りに出なかった場合は、(服用する薬の量を増やしたり、或いは似たような効能書きの薬の種類を増やしたりする)だけの対応が行われていたりするようなのです。何が原因で期待する効果が出なかったのかを説明することさえできていないのです。

私達は、「それらの種類の薬は、そもそも症状の進行を遅らせる効果を期待できないはず」と考えているのです。何故かというと、「アルツハイマー型認知症」と診断された人自体が、色々なレベルの人達だということなのです。「DSM-4]の規定に依拠して診断している限り、「失語や失行や失認の症状」が確認されているはずなので、私達の区分で言う「重度認知症」(大ボケ)のレベルにある人達ということになるはずなのですが、医療現場では、私達の区分で言う「中等度認知症」の後期の段階に在る人たちも認知症と診断されることもあるのです。なにしろ、診断基準自体があいまいな規定なのですから。

そうした人達に上述した薬を何種類か飲ませる一方で、認知症と診断されたその人の生活の場面では、その脳の機能レベルなりに「脳の活性化効果」が出てくる「生活状況」が生まれてきているはずなのです。「二段階方式」の手技を活用して、「アルツハイマー型認知症」の具体的な症例の「生活歴の聞き取り」と症状を発現させている源である「前頭葉」を含む脳の機能レベルとを私達が調べた極めて多数に上る「症例データ」を分析し解析した結果をまとめた「脳の老化のスピード差をもたらす要因」のことなのです(このブログの頭で引用してある箇所をクリックして再度その内容を確認してみてください)。

家族や仲間との散歩や運動)、(家族の優しい言葉かけや励まし、家族との団らん)、(外出、買い物、ドライブ、小旅行、ゲーム、カラオケ等の家族とのイベント)、(離れて住む子や孫からの定期的な電話や手紙による励まし)、(趣味の教室やボランティア活動への参加)、(家事にカムバック等家族や周りから必要とされることで、喜びにつながる仕事への復帰)、(趣味の教室、ゲートボール、カラオケ、お茶飲み会等への参加を通じた友人や仲間とのふれあい)といった機会が得られることによって、「前頭葉」を含む脳が活性化してきて、その程度に応じて脳の機能レベルが改善したり、或いは機能が低下していくスピードが緩やかになったりするのです。

こうした脳が活性化される効果が認められる「生活状況」を完全に排除した上で服用の効果を判定しない限り、「症状の進行スピードが緩やかになった」(言い換えると、「脳機能低下のスピードが緩やかになった」)ことが「服用」による効果だとは断言できないのです。「服用」と「症状の進行スピードが緩やかになった」こととの間の因果関係を証明できたことにはならないからです。そもそも、薬を開発した製薬会社自身が、私達が問題としている「薬を服用しなくても、症状の進行スピードが緩やかになる生活状況が存在する」という問題自体を認識しているとは思えないのです。

 こうしたデータを多数集積している研究所なり、病院なり、製薬会社なりが私達以外に存在するとは考えられないのです。そのような「研究論文」など見たことがないのですから。私達は、脳の機能が正常なレベルのお年寄りから、「軽度認知症」(小ボケ)、「中等度認知症」(中ボケ)及び「重度認知症」(大ボケ)の各段階ごとのデータを多数集積し、分析し、解析した結果に基づき、判定基準として開発しているのです。

 極めて多数の「脳機能データ」に基づくこうした客観的な判定基準があるからこそ、東日本大震災の被災地の高齢者達の間に現在進行中の問題(「軽度認知症」レベルの新規多発、「中等度認知症」レベルへの症状の進行及び今から2~3年先に多発してきて認知症の専門家達の間で大騒ぎになるであろう「重度認知症」レベルに症状が進行した人達の極めて多人数で急激な発現)について、世の中や市町村の保健師さん達や医師を含む認知症の専門家達に警鐘を鳴らし続けているのです。

(コーヒー・ブレイク)「アルツハイマー型認知症を発病」して、米国精神医学会の診断基準である「DSM-4」が第一の要件に規定する重度の「記憶障害」や第二の要件に規定する「失語や失行や失認」の症状が出てくるようになる末期の段階、私達の区分で言う回復させることが困難な「重度認知症」(大ボケ)の段階の更に後半の段階の期間が数年間もあった人達の死後の脳の解剖所見に確認される3つの特徴である、「老人班の生成」、「神経原線維変化」及び「脳の委縮」に焦点を当てる学説が順に、「アミロイドベータ説」、「タウタンパク説」及び「脳の委縮説」なのです。これらの学説は、殺人があった家に居合わせたというだけの理由で居合わせた3人を殺人犯と主張しているようなものなのです。殺人犯と主張する上で必要不可欠である「因果関係を立証できていない」からです。

「アルツハイマー型認知症」の発病者数は、世界中で天文学的な人数になります。一方で、上述の「3つの学説」が学説としては未だに生き残っているとは言え、「アルツハイマー型認知症」は、原因もわからないし、治すこともできないし、予防することもできないとされたままなのです。そのため、現在世界中の製薬会社が、膨大な人とお金と時間とをかけて、「アルツハイマー型認知症」の治療薬の開発にしのぎを削っているのです。

そうした状況の中でつい最近、世界の製薬大手ビッグ3が相次いで、「アルツハイマー型認知症」の治療薬の開発に治験段階で失敗したと発表し、世界中に衝撃が走ったのです(服用による治療効果を確認できなかったと発表)。それらはいずれも、学説の主流である「アミロイドベータ説」に依拠したものだったのです。他の製薬会社が未だにこの学説に依拠した開発を継続中であるとは言え、これによって、「アミロイドベータ説」は破綻したも同然でしょう。学説的には少数説である「タウタンパク説」も、アミロイドベータ説と同じ運命をたどることになるのは時間の問題でしょう。最後に残るのは、「脳の委縮説」と言うことになる訳ですが、世間で所謂「カクシャク」と評価されているお年寄り達をアトランダムに100人も集めて、その人達の「脳の委縮」の状況を調べてみればいいのです。その人達にも、それなりの「脳の委縮」が確認されることを知ることになるはずなのです。最近では、脳内におけるアミロイドベータの蓄積量と脳の委縮の度合いとを組み合わせて、「アルツハイマー型認知症」の早期の段階の発見と症状の進行の状況とを調べる試みも出てきています。私達に言わせれば、「原因ではなくて、結果に過ぎない」ものをどのように組み合わせてみたところで、所詮、「無から有は生まれない」のです。時間の無駄、費用の無駄と言うべきでしょう。

 

○   「小ボケ」及び「中ボケ」の段階で見つけることこそが真の「早期診断」

廃用症候群に属する「生活習慣病」が本質である「アルツハイマー型認知症」は、「前頭葉」を含む脳の機能レベルに応じて「段階的」に認知症の症状が発現し進行していくのが特徴なのです。世の中で「アルツハイマー型認知症」の専門家と言われる人達は、何故か「前頭葉を含む脳の機能レベル」という問題意識も「認知症の段階的症状」という問題意識もないのです。

失語や失行や失認という極めて重度の症状(前述のように、これらの症状は、末期段階の「重度認知症」のレベルでも、MMSの得点が一桁にならないと発現してこない程の重い症状なのです)が確認されないと「アルツハイマー型認知症」とは考えないので、問題意識も認識もないままに単純に、「アルツハイマー型認知症」は治せないものと思い込んでいるので、症状の段階的区分という問題意識もないのでしょう。

私達は、「前頭葉」を含む脳の機能レベルとそれに直接リンクした「認知症の症状」という視点から、その最初の段階(「アルツハイマー型認知症」の入り口の段階)を私達の区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階、次いで「中等度認知症」(中ボケ)の段階、最後に末期段階の「重度認知症」(大ボケ)の段階の三つの段階に区分しているのです。「三段階」に症状を区分するのは、「脳の機能が正常なレベル」への回復の可能性という視点と市町村での「地域予防活動」の実践の経験とその成果があるからです。

「軽度認知症」(小ボケ)レベル    : 正常レベルへの回復が容易

「中等度認知症」(中ボケ)レベル  : 正常レベルへの回復が未だ可能

「重度認知症」(大ボケ)レベル    : 回復させることは困難

○   「要介護認定」の現行基準は、客観的な判定を担保できているか

インターネットで検索するとすぐ出てくるので、「要介護認定」の基準を一度読んでみてください。特に、要介護状態区分の身体の状態(例)と認知症の程度(例)の解説内容を熟読してみてください。身体の状態の説明自体も、一部とか、部分的とか、前半とか全体とかあいまいな規定が多いのですが、それでもそれなりに理解することはできるのです。問題は、認知症の程度の説明内容です。認知症の大多数、90%以上を占める「アルツハイマー型認知症」は、記憶の障害がメインの症状ではないのです。記憶の障害があるから、状況に応じた適切な判断や行動や言動ができないわけではないのです。

そうした「記憶の障害」に基づく症状は、「アルツハイマー型認知症」の「重度認知症」(大ボケ)レベルの人達の症状を眺めていた時に、「単に目につきやすい」という程度のものにすぎないのです。「失語や失行や失認の症状」が発現してきているその源である「前頭葉」の機能レベルに在る、もっと言えば、「前頭葉」が殆ど機能していない脳の機能レベルに在ることこそが一番の問題なのです。

要介護度の認定作業にかかわっている保健師さん達、実務を体験していて、且つ私達の区分で言う「重度認知症」のレベルの人達の自立のレベルと生活実態例をたくさん知っていて(然も、MMSの得点が一桁の点数になるレベルの人達の日常生活上の実態及び介護している家族の困難さの実態や訳も分からない言動や行為に振り回されている家族の大変さも知っている)、家族による在宅介護の問題点を介護者の側から十分理解できている保健師さん達に、上記の問題点を理解し認識していただきたいのです。

「要介護度」の基準の規定で、認定基準に例示されているこのような区分と説明で、認知症を発病している人の「要介護度」を認定するということは、極めて恣意的な判定(言い換えると、「客観的」な判定ではなくて、「主観的」な判定)が行われる危険度が高いということを言いたいのです。「記憶の障害」だけでなくて、様々な内容(項目)と様々な程度と態様とで発現してくる「アルツハイマー型認知症」の症状の要介護度の判定が、「判定する人」の主観に左右される危険度が極めて高い基準内用(或いは、例示的な説明内容)だと言わざるを得ないのです。

この基準の作成に際しては、「アルツハイマー型認知症」の「前頭葉」を含む脳の機能レベルのこと及びそのレベルに脳の機能が衰えてきたとき発現してくる認知症の症状と生活の自立度並びに介護する側からの介護の困難さ等の問題点をどの程度分っている人達が集まって、この認定基準を作成したのか、疑問を抱かざるを得ないのです。その理由は、介護する上で、「アルツハイマー型認知症」の人(「重度認知症」のレベルに在るので、「前頭葉」が殆ど働かないレベルなのに、身体だけはとても丈夫)よりも、身体に不自由がある人(身体を動かすのがとても不自由なのに、「前頭葉」を含む脳の機能は正常なレベル)の要介護度の方が重い認定を受けられるような説明基準になっていると、私達としては言わざるを得ないからです。

「前頭葉」を含む脳の機能さえ正常な機能レベルに在れば、身体が極めて不自由でも、介護する側にとっては左程のことではないのです。介護者が説明する内容を十分理解できるし、自分なりの工夫をすることも、受けている介護に対して何がどの程度足りないのかを自分なりに説明することもできるのです。してはいけないと注意されたことは守れるし、適切な言葉での応答もできるし、感情的な反応を抑制することもできるし、介護する人たちに感謝の気持ちを伝えることもできるのです。

他方で、「前頭葉」を含む脳の機能が異常なレベルだと(特に、「失語や失行や失認」の症状が確認されるレベル、言い換えると、「大ボケ」のレベルで且つMMSの得点が一桁の点数になるレベルだと)、身体が丈夫なことが反って、介護する側にとって、介護の困難さと負担が増大することになるのです。失語や失行や失認の症状についての上述した説明を読み返してみてください。このレベルの認知症のお年寄りの介護がどれほどに大変なのかが想像できるはずです。要介護度の判定者が誰であるかに拘わらず、できるだけ「客観的」な判定結果が得られるような認定基準を作成するには、「アルツハイマー型認知症」の症状のレベルとそれに直結した(その源である)「前頭葉」を含む脳の「機能レベル」についての深い理解が必要不可欠になると言いたいのです。

「アルツハイマー型認知症」の症状は、「前頭葉」を含む脳の機能レベルそれ自体が種々の項目及び様々な態度或いは態様を有する「認知症の症状」となって、且つ「段階的な症状」として現れてくるものなのです。学説であれば当然のこととして要求される「原因と結果との間の説明」に必要となる「因果関係の証明」さえも出来ていないレベルのもので、まるで「うたかた」のように出ては消えするだけの様々な学説、具体的には「アセチルコリン説、アミロイド・ベータ説、タウ・タンパク説、脳の委縮説」等の学説が唱えているような、「脳の神経線維」が侵されて脳内での「情報の連絡」が不十分なものとなるが為に、そのことに起因した程度及び態様からなる「記憶の障害」(「DSM-4」が規定する第一の要件)を筆頭とした種々の「アルツハイマー型認知症」の症状が発現してくるというものではないことを「注意喚起」しておきたいのです。

 ○   施設介護から在宅介護に施策の中心を転換するだけでは解決策とはならない

現在医療現場で行われている「早期診断」とは、認知症の専門家と言いながら末期の段階であることも知らないで、私達の区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階で見つけているだけなのです。その上、症状の進行を緩やかにする効果があるかどうかも定かでない薬を製薬会社の言うがまま服用させているだけなのです。こうした状況の中で、施設介護から「在宅介護」へと施策の大転換が実行されようとしているのです。「重度認知症」のレベルのお年寄りを抱えて、「在宅中心」で「家族」が介護の主体となるという施策への変更なのです。

回復の可能性はなく、服用を進められる薬の効果にも疑問符付きの状況で、介護の主役を担えと言われる家族はどう対処したら良いというのでしょうか。脳はもたないのに対し、身体だけはもつのが「アルツハイマー型認知症」の特徴なのです。「重度認知症」(大ボケ)の段階にあるということは、そこまで衰えてきた脳の働きを回復させることは困難なので、症状が更に重いものに進行していくだけということなのです。何かの病気を発病して病死するまでの間、症状が更に進行していく(「重度認知症」の症状の区分の中で更に重い症状に進行していく)ということなのです。

日本全体の高齢化が急速に進行していて、全日本ベースでさえ高齢化率が25%に達しようかという現在の状況、「老老介護」とか「認認介護」とかの言葉が生まれてくるほどの状況の中で、「在宅ベースで、家族による介護を推進」していこうという施策は、「理解しがたい」と言わざるを得ないのです。このままでは、介護保険制度自体が財政面から破綻してしまいそうだという危機意識が出発点に在るのなら、「早期診断」の対象を根本的に変える措置或いは施策を採るべきだと私達は思うのです。

「早期診断」と言う看板を掲げていながら、回復する可能性が期待できない「重度認知症」(大ボケ)の段階で「アルツハイマー型認知症」を見つけている医療の現場にメスを入れて(その実態は、まるで「羊頭狗肉」の世界というべきもの)、回復の可能性が未だ見込める「中等度認知症」の段階と回復させることが容易な「軽度認知症」の段階で「アルツハイマー型認知症」を見つけるよう、施策も方針も指導も見直すべきだと思うのです。

但し、回復が可能なこの二つの段階で「アルツハイマー型認知症」を見つけるに際しては、「前頭葉」を含む脳の機能レベルを的確に判定することが不可欠となります。医療現場で現在行われているような「CTやMRI」といった機器の活用による画像診断では、「前頭葉」を含む脳の機能レベルを正確に判定することはできないのです。その機器の機能からして無理だということを再度「問題提起」しておきたいと思うのです。

 介護保険制度が財政面から危機的な状況にあることに対する何らかの施策が必要だという問題意識は十分理解できるのですが、さりとて、私達の区分で言う「重度認知症」(大ボケ)レベルにまで脳の機能が衰えてきている人を「在宅介護」の名のもとに家族に介護の面倒を見させるという考えは、「能の機能レベル」が低下していくにつれてそれに相応する形で「症状がどんどん重症化していく」という「アルツハイマー型認知症」の特徴に鑑みる時、再考を要する問題だと思うのです。

認知症の専門家とされる人達は、米国精神医学会が規定する「アルツハイマー型認知症」の診断基準である「DSM-4」の規定に従って認知症の有無を診断するので、「DSM-4」の第二の要件に規定されている「失語や失行や失認の症状」が確認されないと、「アルツハイマー型認知症」を発病しているとは考えないのです。このことを脳の機能面から言うと、「失語や失行や失認」の症状が確認されるということは、その原因である脳の機能レベル自体が(ここでは、「前頭葉」を含む脳の機能レベルを言います)極めて異常なレベルに衰えてきていることを意味してもいるのです。

 もう少し詳しく言うと、脳の司令塔の役割を担う「前頭葉」が殆ど機能していないだけでなくて、「左脳や右脳や運動の脳」までもが極めて異常なレベルに機能低下してきていることを意味してもいるのです。この脳の機能レベルでは、セルフケア自体にも重大な支障が出てくるので、日常生活にも全面的な介助が必要となるのです。「失語や失行や失認」の症状が発現しているレベルの「重度認知症」も後半のレベルの「お年寄り」を抱えて、在宅で介護する家族は、四六時中気にかけていないといけない状態なので、買い物に行く時さえ気がかりなのです。

ましてや、趣味や遊びや人付き合いなどの「社会生活」を自分らしく楽しむ機会など全くと言っていい程期待できない日常生活に追われることになるのです。老老介護とか認認介護とかの言葉がもてはやされている現実がある中で、「重度認知症」のお年寄りを抱えた家族、それが60歳を超える年齢の家族である場合は、その人までもが、その在宅介護に追われるだけの日常生活というナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続する状況の下で、「アルツハイマー型認知症」を発病する、「軽度認知症」の段階に入っていくことにもなるのです。

これは、社会全体に対する問題提起と言うより警告です。他人事ではない、明日は我が身に降りかかる問題なのです。どのような政策を採るべきなのか、社会全体でしっかり、きちんと考えて欲しいのです。国の自衛権の問題に絡む憲法の改正と言うテーマも重要ですが、これこそが喫緊の国民的な議論を要する重大課題なのです。

 

○市町村と地域とが協働して展開する「地域予防活動」が起死回生の秘策

本当の意味での「早期の段階」、回復させることが未だ可能な「中等度認知症」(中ボケ)や「軽度認知症」(小ボケ)の段階で「アルツハイマー型認知症」を見つけようというのであれば、「二段階方式」に代表されるような神経心理機能テストの活用が不可欠となるのですが、この場合は、別の重要な問題があるのです。保険点数が高い「CTやMRI」などの機器の活用が制限された上に保険点数が極めて低い「神経心理機能」テストの活用だけと言うのでは、一定規模での「事業利益」を上げることが要求される医療の現場では、神経心理機能テストを活用した「早期診断」が経済面から困難になるということなのです。

回復可能な段階を見つけるための「アルツハイマー型認知症」の早期診断に「混合診療」という途を考えることが可能であれば、医療の現場での神経心理機能テストの活用が期待できると思うのですが、そうでなければ、「神経心理機能テスト」を使いこなすことができる専門の保健師さんを育成する必要があるという問題はあるにしても、市町村による「地域予防」という方策が残された唯一の道だと、これまでの経験に照らして、私達は思うのです。

 更には、一定規模での「事業利益」を上げるという問題を考えなくて済む市町村の場合には、早期診断による「回復」だけでなくて、「アルツハイマー型認知症」の発病を「予防」すること自体もその「地域予防活動」を展開する「テーマ」に加えることができるという大きなメリットがあるのです。市町村と地域とが協働して展開する「地域予防活動」を全国レベルで展開していき、本当の意味での「早期診断」を目的とする定期的な検査によって「発病を予防」し及び「軽度認知症」や「中等度認知症からの正常レベルへ回復させ並びに「中等度認知症」及び「重度認知症」への進行を抑制し或いは防止させることができれば、「重度認知症」のレベルにまで症状が進行した(「前頭葉」を含む脳の機能が衰えた)お年寄りを家族が主体となって在宅で介護するケースは、大幅に軽減されることになるはずなのです。

そして、「在宅介護」の対象は、脳を活性化させる「生活習慣」の構築(脳の使い方としての生活の改善)により回復させることが容易な「軽度認知症」及び回復させることが未だ可能な「中等度認知症」だけに限定する施策が望ましいと私たちは考えるのです。在宅介護の「テーマ」を180度転換することができるからです。どんなに心を尽くしてもその甲斐がなくて、何らかの他の病気で死を迎えるまで無期限に続き、然もひたすら脳の機能が衰え症状が重くなっていくだけの状況が続く「重度認知症」のレベルのお年寄りの介護ではなくて、正常なレベルに回復させることが可能な「軽度認知症」及び「中等度認知症」のレベルのお年寄りの介護を家族が家庭でやるのです。介護に心を尽くすきわめて大きな見返りが期待できるので、家族にやり甲斐や達成感が得られることになるのです。

現状のままに手をこまねいている場合と比較すれば、制度が実質的に動き出した数年後には、「新規に在宅介護の対象となる人数の激減」、具体的には、「軽度認知症」の発症人数や「中等度認知症」への移行人数や「重度認知症」への移行人数を劇的に削減できるという結果を期待できるはずなのです。その原資を元手にして、「地域予防活動」の更なる拡大と「重度認知症」のお年寄りの「施設介護」を維持していく施策が、本人及び家族の側からも介護保険制度の維持存続を願う市町村や国の財政面からも望まれるはずなのです。

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アルツハイマー型認知症の発病予防に効果がある5つの秘策(A-93)

2013-09-01 | アルツハイマー型認知症の予防と脳の活性化

○  「脳の働き」が衰えてきたことを実感する「高齢者」の日常

※何事をするにつけても、昔のようには、「意欲」が湧いてこないのです。

今住んでいる伊豆高原の地に移り住むようになったのは、2000年の7月のことだったのです。「あれから、もう13年!」。「身体」の方はそこそこなのですが、肝心の「脳」の方がすっかり衰えてきてしまっているのです。その頃は、手芸、絵画、編み物等いろんな趣味にも手を出していました。能や狂言の観劇や美術館での展示物を観るために東京にもよく出かけていました。プライベートなものも含め、年に3~4回は、海外旅行にも行っていました。

週に1~2回は、お友達を我が家にご招待して、富戸の定置網の朝採れの魚をメインに、私の手料理でおもてなしもしていました。それでも、毎日が楽しいばかりで、疲れを感じるようなことは全くなかったのです。「あれから13年」、「意欲」がすっかり衰えてきたのを実感させられる毎日なのです。

※「大丈夫かしら?!」、我がことながら気になるほど、「物忘れ」が日常茶飯事なのです。

脳全体の司令塔の役割をしているのが「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)です。その「前頭葉」の各種機能の「認知度」及び「発揮度」を左右する基礎的な機能(「根幹」をなす機能)を担っているのが「三本柱」の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」(異なる複数の「テーマ」を同時に遂行していくうえで不可欠の機能)の機能なのです。高齢になると、物忘れの症状が日常的に起きてくるのは、「注意の分配力」の機能が、加齢により衰えてきた証の「老化現象」なのです。ほら、前々回のこのブログにも書いておいたでしょう。(恥ずかしながら、ここにもう一度引用しておきます)。

☆ 二階の部屋に用事があって階段を上っていく途中、雑誌が階段に置き忘れられているのを見つけて、階段下の書籍戸棚に片付ける。そして、階段を上っていこうとした時、自分が何をしに二階の部屋に行こうとしていたのかが分からないのです。

☆ コミュニティーセンターで、別荘地の清掃管理についての会合があったのです。会議の重要な議題となるテーマや問題点とか提案内容とかが詳細に書かれたメモが送られてきていたので、忘れないようにと、わざわざ玄関の下駄箱の上に昨晩置いておいたのです。コミ・センについたら、持ってくるのを忘れていたことに気づいたのです。

 

○  「前頭葉」の三本柱の機能に内在する「正常老化」の性質

脳の司令塔の役割を担う「前頭葉」の根幹をなす基礎的な機能である「三本柱」の機能には、加齢とともに「老化」していくという性質があります。上に表示した図は、加齢によるその老化のカーブを表したものです。「前頭葉」を含む脳全体をそれなりに使う「生活習慣」のもとでも、「高齢者」と呼ばれる年代の60歳代の半ば頃になると誰でも、「三本柱」の働き具合がピークである18歳から20歳代の半ば頃に比べて半分程度にまで衰えてくるというのがこのデータが示す重要な意味なのです(加齢による「前頭葉」の「正常老化」の性質)。そして、加齢による「三本柱」の「正常老化」の進行は、70歳代、80歳代、90歳代と年をとるにつれて、緩やかではあるが直線的に「低空飛行」の状態に入っていくのが特徴なのです。

脳全体の司令塔で、置かれている状況を判断したり、状況判断に基づいて何をするのかの「テーマ」を思いついたり、「テーマ」を実行するための「計画」を立てたり、そのやり方を工夫したり、「テーマ」の実行の仕方や予見される実行結果に対する洞察や推理等のシミュレーションをしたり、状況の変化に応じて機転を利かせて対策を立てたり、或いは気持ちや感情の吐露の仕方や程度等の態様について、状況の評価に基づく必要な抑制をかけたり、体験に感動したり、高度な働きを担当しているのが「前頭葉」の各種の機能なのです。

私達が意識的に何かをする世界、思考や行為や行動や言動をする場面をコントロールしているのが「前頭葉」なのです。脳全体の「司令塔」の役割をしているとされながら、「前頭葉」の機能については、データを獲得する条件設定や機能レベルを判定する手技の開発が難しいために、或いは「前頭葉」の機能が人間にしか具有されていない為に、驚くなかれ「世界的」に研究自体が遅れているのです。

 

○  「高齢者」であれば、誰の脳にも起きてくる「廃用性の機能低下」

仕事とは無縁になる第二の人生では、上司の指示や命令も来なければ、周囲からの無理難題の要求にさらされることもなくなります。何を何時までにどのようにやり遂げるかは、全て自分が自分の思うように決めればいい訳です。「なんて、自由な毎日なんでしょう」と指示も来なければ要求も来ない自由とかを謳歌しているうちに(言い換えると、「暇」という自由を持て余しているうちに)、使われる機会や場面が減った「脳」自体が自堕落になっていくのです。

※  加齢とともに働きが衰えていく脳、その脳が「正常な老化」のカーブを維持し続けるためには、やることが楽しくなるような「テーマ」を見つけて、達成「目標」を設定して、「前頭葉」を含む脳全体を意識的にしっかりと使ってやり、働く機会や場面を増やしてやる生活の仕方を工夫すること(脳の使い方としての「生活習慣」の構築)が不可欠となるのです。

「第二の人生」では左脳が主役の「仕事」とは縁がない日々とは言え、右脳や運動の脳が主役となる「趣味や遊びや人づきあいや運動」などを楽しみながら、自分なりの「生き甲斐」や「目標」がある生活を日々過ごすことで「前頭葉」をしっかり使ってやれば、加齢による老化のカーブを描きつつも、脳の機能を「正常なレベル」に保つことができるのです。

「前頭葉」を含むこうした脳全体のメカニズムからすると、これといった生き甲斐もなく、楽しんだり熱中したりできる趣味もなく、親しく交遊する友達もなく、散歩程度の運動もせず、何らかの社会活動に参加する場もなく、達成しようと心に決めた目標もない生活、ナイナイ尽くしの「単調な生活」の下では、「前頭葉」の根幹をなす基礎的な機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」という「三本柱」の機能の出番が極端に少ない生活をしていることになるのです。

「前頭葉」のこの「三本柱」の機能には、上述したように、加齢と共に働きが衰えてくるという「正常老化の性質」がもともと備わっているのです。そのため、60歳を過ぎた「高齢者」と呼ばれる年齢のお年寄りが、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々継続していると、お年寄りなら誰でも経験があるあの体験、「膝」の筋肉の衰え(廃用性の機能低下)と同じようなことが、「前頭葉」を含む「脳」の機能にも起きてくるのです。

※  例えば、足腰が痛いとか痺れがあるとか、何かがキッカケで出不精となり、外に出ていかないで部屋にこもったままの生活を何ヶ月か続けていると、廃用性の委縮により「膝の筋肉」があれよあれよという間に衰えていくのと同じように、「三本柱」の機能を使う機会が極端に少ない生活が半年から1年間も継続されていると、廃用性の機能低下が起きてきて、「前頭葉」を含む脳の機能が加速度的に衰えていくことになるのです。

 

○「 アルツハイマー型認知症」発病のメカニズム

世間で認知症の専門家達から(世界中の専門家達から)原因不明と言われている「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、「加齢とともに脳の老化が進む」という要件(加齢に伴う正常老化という「第一の要件」)と「ナイナイ尽くしの単調な生活の継続」という要件(廃用性の機能低下という「第二の要件」)の二つの要件が重なり合うことによる「相乗効果」により、脳の老化が「加速度的に進んでいく」ことにより発病するというのが私達の主張です(実は、世界中で私たちだけなのです)。中身はなくても権威がある人達の主張を取るか、権威はなくても中身と実績とがある私たちの主張をとるか、その選択は皆さんの手に委ねておきましょう。

※  このメカニズムのもとでは、60歳を超えた年齢の「高齢者」にとって、「第一の要件」は誰しも共通であって、「第二の要件」こそが「アルツハイマー型認知症」を発病するかしないかを決定づける要件となります。

正常な老化の過程とはいえ、加齢による老化により「三本柱」の機能が低空飛行状態に入ってきている60歳を超えた高齢者と呼ばれる年齢の「お年寄り」(発病の「第一の要件」)が、脳を積極的には使おうとしない生活、生き甲斐や目標もなく、趣味や遊びや人付きあいもなく、運動もしない、何らかの社会活動に参加することもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々続けていると(発病の「第二の要件」)、出番が少ないために使われる機会が極端に減った「前頭葉」が廃用性の機能低下を起こしてきて、第一の要件と第二の要件とが重なり合うことの相乗効果によって「前頭葉」の老化が加速度的に進行していくことになるのです。

そして、「前頭葉」の働きが加速度的な速さで衰えていき、「異常なレベル」に衰えてきたところに、「アルツハイマー型認知症」(晩発型アルツハイマー病とも言います)の発病が待っているのです。

※  認知症の大多数90%以上を占めている「アルツハイマー型認知症」は、ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続という、第二の人生での「生活習慣」が発病と直接の関係がある病気、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であるというのが私達の主張です。下図は、「前頭葉」を含む脳の機能が廃用性の機能低下を示すときの、加速度的な衰え方のカーブ(立体図)を示していて、約15000例の症例に基づく「前頭葉」を含む「脳の機能データ」が基礎になっています。

 

○  「発病の原因」に関する「諸学説」が抱える未解決の問題点

「アルツハイマー型認知症」は、アミロイド・ベータやタウ・タンパクや脳の委縮が原因で脳内の情報の連絡機能が低下する為に起きてくるわけではないのです。これらの学説は、表面から見つけやすい「記憶の障害」という症状に目が向いただけの、「前頭葉」の機能に目が向けられていない(「前頭葉」のことをよく知らない)単なる推測を基礎とした主張(仮説)に過ぎないのです。それらが発病の原因だとしながらも、発病との因果関係さえ証明できていないのです。

上図の脳機能データは、脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」の機能が、「最初に異常なレベルに衰えてくる」ということを示しているのです。更に言えば、「MMSで測定される下位項目には、できなくなっていく明確で客観的な順番がある」のです。MMSで測定される左脳と右脳の機能項目に衰えていく順番があるということなのです。もっと驚くべきことはと言えば、脳を活性化する生活習慣に改善させることによって、「小ボケ」のレベルの人は「前頭葉」を含む脳の機能を「正常レベル」に回復させることが容易であるし及び「中ボケ」 レベルの人は正常レベルに回復させることが未だ可能なのです。このような客観的な事実を示している私たちの「脳機能データ」に対して、上記のすべての学説は、どのように説明し、反論できるというのでしょうか。

※私達は、生きた人間が目的とされる「テーマ」を「意識的」に実行している状態下で、「前頭葉」を含む脳の機能レベルとその直接のアウトプットである症状(正常な症状と認知症の症状)とを「二段階方式」と呼称する神経心理機能テストを活用して調べた上掲の立体図に示す極めて多数の症例を分析し、解析して上述の結論(「アルツハイマー型認知症は、脳の使い方としての視点から言うところの生活習慣病である」)に到達しているのです。これは、世界で唯一私たちだけが問題提起している主張なのです。私たちはこの考えに基づき、1995年から先進的な市町村での「地域予防活動」を指導し成果を挙げてきているのです。

そしてこの先2~3年もすると(被災という「キッカケ」の発生から4~5年が経過すると)、東日本大震災の被災地の60歳を超える年齢の「高齢者」達が日本のどの地域の高齢者とも比較にならないほどの高率で(年齢別の「発病率」)、「アルツハイマー型認知症」を発病してくることにより、私達の主張の正しいことが疫学的に証明されることになるのです。

然もその際に注意すべきなのは、その時になって認知症の専門家達が騒ぎ出す人達は既に末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)のレベルに症状が進んでいることなのです。その上、認知症の専門家と言われる人達が問題としていない(認知症だということが理解できていない為に、「不活発病」とか「老化現象」とかの見方から、見逃してしまっているだけなのですが)「軽度認知症」(小ボケ)と「中等度認知症」(中ボケ)の段階の人達の数を併せるとその数は、「重度認知症」(大ボケ)の人達の数の4倍にもなっているはずなのです。「重度認知症」(大ボケ)の段階にまで脳の機能が衰えてしまうと、脳の機能を正常な機能レベルに回復させることは困難になるのです。「中ボケ」レベルに回復させることさえも困難になるのです。医療の現場で行われているような、「大ボケ」の段階で見つけても意味がないのです。

 

○  「キッカケ」となりうる状況や出来事は、高齢者の誰にも起きてくる

「左脳」(仕事)中心の生活だけを生き甲斐に第一の人生を送ってきた人は、定年退職や家業の廃止や家業を息子に譲って仕事がない毎日が始まり、「左脳」を使う機会が極端に少なくなっても、趣味や遊びや人づきあいや運動など、「右脳」や「運動の脳」を使う目標への切り替えが出来ないのです。そのため、「時間だけはたっぷりあるのにすることがない」毎日、「前頭葉」の出番が極端に少ないナイナイ尽くしの「単調な生活」で毎日を過ごすことになることが多いのです。

他方、趣味や遊びや人づきあいや運動などを自分なりに楽しむ毎日を過ごし、生き甲斐や目標があり脳全体をしっかり使う「生活習慣」がある人達も、安心するのは未だ早いのです。「ボケ」とは無縁の「第二の人生」を過ごしているはずなのに、そうした「生活習慣」とは関係なく、ある日突然降って湧いたように後で例示する「生活状況の変化或いは出来事の発生」に遭遇することになるからです。

そのことに衝撃を受けて、大きな痛手を感じ、立ち上がる「意欲」をなくしてしまって、趣味や遊びや人づきあいや運動を楽しむ生活、或いは何らかの社会活動に参加する生活、言い換えると「生き甲斐や目標がある生活」ができなくなり、「前頭葉」の出番が極端に少ないナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々過ごすようになる「お年寄り達」が極めて多いのです。そうしたお年寄り達が、日本全国どこにでもいるのです。

 

○  「単調な生活」開始の「キッカケ」となる出来事や状況の例示

集積した多数のデータから言えば、次に例示するような「生活状況の変化や出来事」が起きてくれば、「ナイナイ尽くしの単調な生活」が始まる「キッカケ」となる可能性が高いということなのです。但し、こうした具体例のような「生活状況の変化や出来事の発生」がそのまま「キッカケ」になるかどうかは人それぞれ、一概には言えない点にも注意が必要です。

その「生活状況」に遭遇した本人の「受け止め方及び対応の仕方」次第なのです。本人にとっての生活に占める重要度と痛手を感じる深さ次第で、本人がとる態度が変わってくることに留意してください。ある程度重要なものでも、本人の痛手が小さければ「キッカケ」にならないし、周りからみてそれ程重要でなくても、本人の痛手が大きければ「キッカケ」になるということなのです。

□ 仕事の第一線を退くこと(定年退職、家業の廃止、家業を息子に譲る、嫁に家事を譲る)

□ 世話役を降りること(子供や孫の手離れ、地域の世話役を退く)

□ 配偶者の死亡(特に、妻が死亡したときの夫)

□ 趣味や遊びやお茶飲み会などの「集いの会」の中止

□ 重大な病気や怪我、腰痛その他の身体上の不具合、配偶者の看病生活(自身の病気や怪我による入院や療養生活、病気や怪我あるいは身体の痛みなどの不具合が継続する生活、認知症その他の重い病気の配偶者の看病生活)

□ 重大な災害の被災により、財産や家族や友人や思い出を失うこと

□ 家庭内のトラブルや心配事(息子のリストラやサラ金問題、息子や娘の離婚、孫の不登校、家庭内の不和)

□ 家族の一員のように可愛がっていたペットの死亡

□ 友人や自分自身の転居(転居により旧来の友達を失い、新しい友達が出来ない)

□ 兄弟姉妹の死(特に、相手が自分より年少の場合は痛手が大きい)

□ 周囲との接触もない孤独な一人暮らし(趣味や遊びや交遊を楽しんでいるような暮らし振りの一人暮らしなら、ボケとは無縁です)

□ さびしい生活 (二世代同居といいながら、家庭の隅に追いやられて家族との会話もないさびしい生活)

 

○  「アルツハイマー型認知症」の発病を左右する「分岐点」となるもの

前回の報告でも説明したように、「キッカケ」となりそうな状況の発生に対する「受け止め方及び対応の仕方」が人によって異なるので、一概には言えないという側面があるのです。それ迄と変わらず、それなりに生き甲斐や目標がある楽しい生活を続けていける人もいれば、他方で、意欲をなくしてしまい、生き甲斐や目標もない、趣味や遊びや人づきあいも楽しまない、何らかの社会活動に参加する機会もない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に変わってしまう人もいるのです。

私達が開発した「二段階方式」の手技を活用するときは、「アルツハイマー型認知症」を発病した全てのお年寄りを対象として、「キッカケ」発生の時期から判定時に至るまでの間の脳の使い方としての「生活習慣」(「生活歴」)について、本人及び同居の家族から詳細な聞き取りを行います。「アルツハイマー型認知症」を発病した極めて多数のお年寄りを対象とする「生活歴」の聞き取りの結果、「前頭葉」を含む脳の老化を加速させる原因となるナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まるには、発病した全員について、「キッカケ」となる「生活状況の大きな変化」(或いは、「生活上の大きな出来事」)の発生が必ず存在することが確認されているのです。

但し、「生活状況の大きな変化」の発生(或いは、「生活上の大きな出来事」の発生)に遭遇したとき、そのことがそのままナイナイ尽くしの「単調な生活」に直結することになる訳ではないことは上述した通りです。その発生が「キッカケ」となるか否かは、遭遇した「生活状況の変化」(或は、「生活上の出来事」の発生)に対する「本人の受け止め方」及び「対応の仕方」が極めて重要となるからです。

或る「生活状況の大きな変化」の発生(或いは、「生活上の大きな出来事」の発生)に遭遇したとき、その発生に対処しようとする自身の気持ち自体が負けて、心が折れてしまい、そこから立ち上がっていこうとする「意欲」をなくしてしまい、新たな「テーマ」を見つけられない人が、そのままナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくことになるのです。

つまり、この「大きな」という要素は、客観的なものではなくて、あくまで本人の主観的な評価によるものだということが重要なのです。本人の評価として、その衝撃が余りにも大きいが故に、「意欲をなくしていく」(再起できなくなっていく)のであって、周りの目から見た客観的な評価としてのものではないという点が極めて重要なのです。その意味で、「本人の受け止め方」及び「対応の仕方」という側面が極めて重要な要素となるということなのです。

 

○  脳のメカニズムから見た、「脳を使う」ことの意味

「脳を使う」ということは、意識的に何かの「テーマ」を実行するということなのです。ところで、脳を使うってどういう「テーマ」を実行することだとあなたは思っていますか。「勉強」することですか?「仕事」をすることですか?「遊ぶ」ことは、どうですか?「趣味や人付き合い」を楽しむことは、どうですか?「散歩」をするのは、どうですか?

※「勉強」するということは、「左脳」を主に使うことになります。「左脳」は、言葉、論理、計算、場合分け等の「デジタルな情報の処理」を担当しているからです。

※「仕事」をすることが脳を使うことですか?「仕事」も「勉強」と同じく、「左脳」を主に使うことになります。

※「遊ぶ」ことや「趣味や人付き合い」を楽しむことは、「右脳」を主に使うことになります。「右脳」は、色や形や音や時間や空間、感情等の「アナログな情報の処理」を担当しているからです。

※「散歩」をすることは、「運動の脳」を使うことになります。「運動の脳」は、身体を動かす働きを担当しているからです。

 

○  「アルツハイマー型認知症」の発病を予防する5つの秘策

「アルツハイマー型認知症」の発病を予防する秘策はあるか。あるのです。それは、簡単な足し算や引き算をすることではないのです。ひら仮名で書かれた簡単な文章を音読することでもないのです。ここで忘れてならないことは、脳全体の司令塔の「前頭葉」のことなのです。「左脳」が「デジタルな情報の処理」を実行するときも、「右脳」が「アナログな情報の処理」を実行するときも、「運動の脳」が「身体を動かす」ときも、三頭立ての馬車(左脳、右脳、運動の脳の三頭の馬)の御者の役割をしている「前頭葉」の指示なしには、勝手には動かない仕組みになっているからです。

三頭の馬のどれかが動くときには、必ず「前頭葉」からの指示があるのです。言い換えると、「前頭葉」自体(三頭の馬を主導し制御しつつ、同時に協働して働く)というのが、「意識的な行為」下で人間の脳が働くときのメカニズムなのです。「三頭立ての馬車」のいづれかの「馬」が働く場面があるということは、不可分的に「前頭葉」の三本柱の機能を含む各種機能が働く場面があるということになるのです。但し、三本柱の機能、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能が活性化することが前提となります。この三本柱の機能が衰えてしまうと、「前頭葉」の個別認知機能が発揮できなくなるからなのです。脳の活性化とは、「前頭葉」の活性化のことであり、就中三本柱の機能の活性化と言うことでもあるのです。あなたにとって、意欲が沸々と湧いてくるとき、注意の集中力が高まるとき、注意の分配力が高まり脳の回転が速くなるときとはどんな時ですか、どんな「テーマ」を実行しているときですか。

「アルツハイマー型認知症」を予防する秘策は、達成すべき「目標」がある自分なりの「テーマ」を見つけて、その「目標」を達成する過程自体や「目標」を達成したことにより自分なりの「生き甲斐」や「喜び」や「感動」が得られることが、「前頭葉」の三本柱の機能の活性化につながるのです。「前頭葉」の三本柱の機能の活性化が得られるような「テーマ」や「目標」を持ち、その実行を自分なりに楽しむ生活、そうした「生活習慣」を構築することこそが、「アルツハイマー型認知症」発病の「予防」に直結するのです。

※ 「アルツハイマー型認知症」を予防する方法とは、日常生活のいろんな場面で、「前頭葉」を含む脳全体をしっかり使ってやることなのです。「趣味」や「遊び」や「人づきあい」や「運動」或いは地域興し等の「社会活動」を自分なりのやり方で「楽しむ」生活を「習慣化」することに尽きるのです。自分なりの「目標」や「喜び」や「生き甲斐」がある生活を送ることで、「前頭葉」の出番を増やしてやる(しっかり使ってやる)ことしか方法はないと言うのが、データと実践に裏付けられた私達の考えなのです。

第二の人生を、ボケとは無縁で自分らしくいきいきと生きるために不可欠な「生活習慣」を打ち立てるための「大原則」。「左脳」中心、仕事偏重だった第一の人生とは生き方を変え、第二の人生では、「右脳」重視の生き方への転換を図り、周囲の目を気にせず、自分らしさが前面に出るような生き方をして、自分がイキイキしていると感じられる脳の使い方(「生活習慣」)を毎日の生活の中に打ち立てることが必要不可欠の条件となるのです。 

       

やることが楽しくて、「意欲」が自然と湧いて来て、熱中できるようなテーマ、「注意を集中」したり、「注意を分配」したり(複数の異なったテーマを同時並行して実行する前頭葉の機能)することができるだけ多い「テーマ」に取り組む中で、自分らしい「生き方」、自分らしい「生活の楽しみ方」を追及し、そうした暮らし方(「生活の仕方」)が「生活習慣化」するよう、意識的に努力して欲しいのです。

☆ 熱中し、夢中になれる趣味や遊びをできるだけたくさん持つ

☆ 社会活動への参加を含め出来るだけたくさんの友達と親しく交わる機会を持つ

☆ 自分なりの生き甲斐や喜び、目標となるものを見つける

☆ 精神的な張りと適度に緊張感のある毎日を過ごす

☆ 散歩程度でも良いから、運動する機会を出来るだけ多く持つ

 

○ これこそ、蛇足?!

※今さら 「趣味」や「遊び」に挑戦と言ったって、もともと私は無趣味なの。私の「第一の人生」を一言で言えば、牛馬のごとくに働くばかりの人生だったのよ。

※ 社会活動に参加するなどして出来るだけ友達づき合いの機会を増やせと言われたって、私は人見知りをする性質なの。おまけに、マンションに住んでいるので、隣の家とも付き合いがないのよ。

※ 先がそれほど長くもないこの私に「生き甲斐」や「目標」を見つけろと言われても、この年で、何があるというのよ。身体が丈夫で、暇があるだけで、社会的地位も学歴もお金もないのよ。

※ 空気のような存在感で長年連れ添ってきたとはいえ、老夫婦二人だけの生活では、お互いに話すことさえもないのよ。緊張感なんてまるでないもの。日常交わされる会話と言ったら、「おい、飯。風呂は?寝るぞ。」くらいのものなのよ。

※ 私、リュウマチの気があって、関節が痛いのよ。杖を頼りに、ヨチヨチ歩くのが関の山なの。運動するなんて、考えたこともないわ。

まあ、なんて口がよく回る人達なのかしら。言い訳ばかりして、楽をしていると、知らず知らずのうちに「意欲」自体が急なカーブを描いて衰えてくるようになってきて、言い訳さえもする意欲がなくなってしまうのよ。

「アルツハイマー型認知症」になって、症状が重くなってきて、介護施設にお世話になるようになると、税金による負担分だけでも毎月1人当りで30万円ものお金が必要になるのよ。家族や1000兆円を超える債務を抱える財政難のこの国に迷惑をかけたくないなら(未だ、そのことの意味が理解できるくらいの「前頭葉」の機能レベルに在るなら)、言い訳ばかりしてないで、自分なりの方策を見つけ出す努力をすることね。 頑張ってね。

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  機能からみた認知症の見わけ方(IEでないとうまく表示されません)

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 http://blog.goo.ne.jp/kuru0214/e/d4801838dd9872301e0d491cd8900f1a

 

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