認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

アルツハイマー型認知症の発病者の段階的症状と脳の働き具合(B-58)

2016-04-15 | アルツハイマー型認知症の症状の進行と特徴

 何時であれ 意識の在りよう 操るは

  三頭立ての 馬車の御者 By  kinukototadao

今日は、4月の14日。今は、もうそのお昼過ぎ。明日は、15日。ということは、ブログの記事を載せないといけないということなのです。ところが、肝心の作業が一向に進んでいないのです。いつもであれば、文字通り「朝飯前」なのです。私のブログは文字数が多くて、一回に書く字数が25000字程度になるのです。それでも、前日の早朝に書き始めて、Tadが起きてくる前には書き終わっているものなのです。ところが今回はと言うと、未だに、書こうという気にもなれないのです。その原因は何かと言うと、「帯状疱疹」(たいじょうほうしん)の発病による神経の痛みのせいなのです。「帯状疱疹」による神経の痛みがひどすぎて、まさに言葉では言い表せないほどの激痛が続いているのです。その痛みに耐えることに、私の「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)の総力が結集され消費されていて、ブログを書くだけの余力が全くのこと残ってはいないという状態に在るのです。夜は、自覚の上では、殆ど眠っていない感覚で、何時眠ったのかわからない程。昼間も激痛が続いて、床に臥せたままの状態で居て、ひたすら激痛に耐えるだけの毎日なのです。左腕の肩を起点として、人差し指に向かって走る神経線維と左の耳の横を経由して左目に向かって走る繊維と左肩の肩甲骨を周回する繊維の3本の神経繊維が同時にウイルスに侵され、神経繊維が侵される激痛が3本の繊維に沿って同時に走っている状態なのです。ずきずきする激痛が続く中で更に、時折、波状的に/間欠的に脳天を突き抜かれるかのような激しい痛み、声に出して何かを叫びながら右の拳を天に向かって突き上げていないと耐えられない程の痛みが、10秒から15秒もの間続くのです。神経繊維への激痛が続くせいで、筋肉が硬直してしまい、左腕が動かなくなってしまってもいるのです。何故私がこんな目に遭わなくてはならないのかと、天を恨むばかりなのです。それほどの、激痛が、日夜続いているということなのです。「前頭葉」の三本柱の機能である、「意欲、注意の集中力及び注意の分配力」の機能がちゃんと働いてくれないのです。私は、何かの「テーマ」について、その内容を文章で表現しようとする際、書く前に、必ず頭の中で事前のシミュレーションをします。どのような「テーマ」について書くのか。その「テーマ」に沿って、どのような全体構成にするのか。どのような筋でその「テーマ」を展開するのか。文体及び言葉の使い方をどのようなものにするのか。全体として、何字くらいの文章量にするのか。それらを何度か頭の中でシミュレーションして、最終的なものを選択したら、あとは一気に書き出すだけなのです。2万字とか3万字とかの文章量であれば、書き出してから書き終えるまで、一気呵成に進行していくので、「朝飯前」の作業で完結するのです。その作業が、まったくのこと進まない。書こうという気力、意欲自体が湧いてきてくれないのです。注意の集中力が、全体構成とシミュレーションとに不可欠である肝心の注意の分配力の機能が、全くのこと働こうとはしてくれないのです。それ程、この「帯状疱疹」による神経の痛みが激烈なのです。あ~、辛い~。痛みがひどすぎて、耐えるのが辛すぎて、2012年の3月以来、一度も欠かすことなく掲載し続けてきた(毎月、1日及び15日に新規のブログ記事を掲載)このブログを、今回だけはスキップしようかと悩んだのです。でも、一度でも怠ると、又何かの理由をつけて掲載を休む気持ちが起きてくることが怖かったので、「刀折れ矢尽き」の心理状態と神経状態で、このブログ記事をやっとのことで書いたのです。全体構成と文章表現に、いつものキレがないのは、「帯状疱疹」の痛みのせいなのです。

   

& 三段階に区分される「アルツハイマー型認知症」の症状

 いろいろな種類が数ある認知症全体の大多数、90%以上の割合を占めているのがここに取り上げる「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症なのです。ところがその「アルツハイマー型認知症」は、世界中の認知症の専門家達(学者や研究者や医師達)から、「発病の原因がわからないし、治すことが出来ないし、発病を予防することが出来ない」ものとされているのです。発病の予防については誰もが考えてもいないのです。早期診断による回復についても、誰もが主張していないのです。発病すると、症状が進行していき、介護が必要になるのが当然のこととして、疑われてもいないのです。それでいて、「アルツハイマー型認知症」の診断と薬の処方と投与とに、天文学的な巨額の税金が垂れ流しにされているのです。診断とは名ばかりで、末期の段階であり、回復させることが困難になる段階、私たちの区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階で見つけているだけ、「アルツハイマー型認知症」と言う病名を貼り付けるだけの診断がまかり通っているのです。私たちは、「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であって、本当の意味での早期の段階(私たちの区分で言う、「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)で見つければ、「脳のリハビリ」によって治すことが出来るし、「前頭葉」を含む脳全体を活性化させる「生活習慣」(食生活ではなくて、脳の使い方としての生活習慣を言うものとする)の構築によって、発病自体を予防することが出来ると主張し、市町村での「地域予防活動」を実践指導することにより実証してきているのです。「介護離職」と言う社会状況は、或る意味で作り出されているのです。発病自体を予防し、早期の段階で見つけて回復させれば、介護は必要ではなくなってくるからなのです。

 「アルツハイマー型認知症」の症状について、世の中の専門家とされる人達は、中核症状と周辺症状(随伴症状)とに区分するのが普通です。何処の誰が最初にこの区分を持ち出したのか知りませんが、区分する意味は全くのこと無いというか、意味不明の区分としか言いようがないのです。単なる自己満足の程度でしかないのですが、誰でもがこの区分を持ち出すのが不思議でならないのです。その上、その人達が取り上げている症状と言うのは、記憶の障害に起因する症状を中心として全てが外観的な症状に過ぎないのです。その人達は、症状が発現するメカニズムについて無知なので、様々な程度と態様とで発現してくる症状を区分する客観的な意味の有る基準を確立できていないが為の「主観的な区分」に過ぎないのです。

 私たちは、私たちが開発した「二段階方式」と言う精緻な神経心理機能テストを活用して、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルとそれに厳密にリンクした症状並びに脳の使い方としての「生活習慣」と言う「生活歴」の把握に基づく14689例ものケース事例を解析することにより、「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下が「アルツハイマー型認知症」の症状の発現の原因であることを突き止めているのです。更には、北海道から九州に至る日本全国440を超える市町村での、「アルツハイマー型認知症」の早期診断による回復と発病自体の予防を目的とした「地域予防活動」の実践の成果に基づいてこうした主張を展開し、その概要をブログで公開もしてきているのです。その私たちが、「アルツハイマー型認知症」の症状を分類し、区分するときは、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの回復の可能性、言い換えると、「アルツハイマー型認知症」と言う病気の症状を治す可能性と言う視点から、以下の三つの段階に区分しているのです。発病の判定及び症状の段階の区分に際しては、後述する「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルとそれを客観的に判定する基準としての、「二段階方式」の手技の基準に基づき、区分しているのです。

「軽度認知症」(小ボケ)の段階の症状   治すことが容易

「中等度認知症」(中ボケ)の段階の症状  治すことが未だ可能

「重度認知症」(大ボケ)の段階の症状   治すことは困難

人は誰でも、権威に対する内容不問的な自発的追従性を自らは気づかない心の奥底に抱いているもの。同じテーマの放送でも、民放の放送内容よりはNHKの放送内容に信頼を抱くのです。この「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムについても、「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下が原因とする私たちの主張内容よりも、アミロイド・ベータの蓄積による神経細胞の滅失や脱落が発病の原因であると主張する東京大学や(アミロイド・ベータ・米の活用によるワクチン療法の開発を主張)京都大学(アミロイド・ベータ・マウスの活用による発病の早期診断と治療薬の開発を主張)の主張の方が信頼がおけると思っているでしょう。アミロイド・ベータの蓄積は発病の原因ではなくて、発病の結果(副産物)に過ぎないのです。両者とも、肝心の因果関係の立証が未だに為されてはいないのです。アミロイド・ベータの神経細胞群への蓄積と「アルツハイマー型認知症」の症状の発現との間には、直接の「因果関係」は存在しないと言うのが私たちの主張なのです。私たちは、生きた人間の「前頭葉」を含む「脳機能データ」と市町村での「地域予防活動」の実施の成果に基づいて主張しているのです。発病の原因は、「前頭葉」を含む脳全体の機能の廃用性の機能低下であることが、2017年の春か夏ごろには明確になることをここで再度問題提起しておきたいのです。東日本大震災の被災地の高齢者達の間でひそかに進行している問題、「アルツハイマー型認知症」の発病と症状の進行が、他のどの地域の高齢者達のそれと比較した場合に、比較にならないほどの多い数と割合で進行していることが明るみに出てくることになるからなのです。私たちの主張、「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下が発病及び症状の進行の直接の原因であること、言い換えると、(「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎないということ)が、疫学的に立証されることになるのです。私たちの区分で言う、「小ボケ」や「中ボケ」の段階の症状が現在も続々と発現してきていても、「アルツハイマー型認知症」の本当の意味での早期の段階(回復させることが可能な段階と言う意味)であることにも気づかないで居て、「不活発病」とかの無意味な名前を冠するだけで放置していて、或いは、「老化現象」だと勘違いし放置していて、全くのこと注目されていないのです。

  生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続するようになってから発病までに半年、「小ボケ」の期間が3年、「中ボケ」の期間が2年、その後は末期の段階である「大ボケ」の段階に入っていくという私たちの基準によると、2017年の春か夏ごろには、症状が進行していき、末期の段階であり私たちの区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階の人達があふれ出してくるようになるはずなのです。認知症の専門家とされる医師達は、末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階の症状が出てきて初めて、「アルツハイマー型認知症」を発病していると騒ぐだけなのです。見つけている段階が遅すぎて、「治せる病気」(「アルツハイマー型認知症」こそが、治せるタイプの及び発病自体を予防することができるタイプの認知症)を治すことができないマンモスに仕立て上げていることに気づいてもいないのです。医師としての社会的使命を放棄しているとしか言いようがないのです。

    

○「軽度認知症」(小ボケ)の段階の症状の類型

(「前頭葉」が異常な機能レベルに在ることの確認を条件として、4つ以上に該当していると、「小ボケ」のレベルであることが疑われます)。

□ 複数のことに注意が分配できなくて、3つの用事が同時にさばけない

□ 機転がきかなくて、創意工夫ができない

□ 発想が乏しくて、画一的な行動が目立つ

□ 何事をするにも億劫で面倒がり、何かをやってみようという意欲が見られない

□  同じ食材を買ってくることが多く、料理の献立の単調さが目立つ

□ 一日や一週間の計画が自分で立てられず、なにも思いつかない様子

□ 朝は遅くまで起きてこないのに、気がつくと居眠りしている

□ これまでなら感動していたことに対して感動しない

□ 問いかけに対する反応が遅く、生き生きした笑顔がほとんど見られない

□ 何時もぼんやりしていることが多くなり、自分からは何もせず、指示されるとできる

□ 根気が続かず中途半端なことを繰り返し、やりかけの家事が目立つ

□ 目の光がどんよりしていて、顔つきが無表情

□ 反応が遅く動作がもたもたしていて、階段をトントンと降りられない

□ 歩くとき前屈みの姿勢で、小股でトボトボと歩く

□ 料理の手際が悪くなり、家族数に関係なく多すぎる量の料理を作る

□ 自分に自信がなくなり、何かにつけ人を頼ろうとする

□ 髪の手入れや、おしゃれに無関心

□ 同じ内容を繰り返して話し、そのことに本人が気づかない

□ 会話の最中唐突に、一方的に言いたいことを言い相手の話しを聞こうとしない

□ 思い込みや思い違いが多く、指摘しても訂正や変更ができない

□ これまでなら楽しんでいた趣味や外出や旅行を嫌がる

「中等度認知症」(中ボケ)の段階の症状の類型

「前頭葉」を含む脳全体の機能が異常な機能レベルに在ることの確認を条件とし、小ボケの症状4つ以上に加えて以下の4つ以上に該当すると、「中ボケ」のレベルであることが疑われます)。

□ 何度教えても日付けがあいまいになる

□ 簡単な計算ができない(お札ばかりで買い物をし、小銭がたまる)

□ 電気やガスの消し忘れ、水道の蛇口の閉め忘れなどが目立つ

□ 家庭内の簡単な用事程度のこともきちんとできない(部屋や洗濯物の整理、食後の片付け、畑や庭仕事などがきちんとできなくなる)

□ お金や持ち物のしまい場所をすっかり忘れてしまい、一日中探している

□ 自分が飲む2~3種類の服薬管理ができない

□ 服の着方に無頓着で重ね着が目立つ(セーターの上からシャツを着る;裏表や前後ろに着る。入浴後、着ていた下着の上に新しい下着を着る)

□ 入浴時の温度管理が出来ず、体を洗わないとか石鹸がついたままとか

□ 周りを汚したり流してないなど、トイレの後始末がきちんとできない

□ 料理の味付けが変になる(特に、塩加減が極端に変になる。塩辛すぎて、周りが食べられないようなものを作り、本人だけが平気で食べる)

□ 行き慣れている所に行くのに、スムーズに行けない(行き先の違う乗り物に乗ったり、行き道を間違えたりする)

□ 自分の子供の数、生まれ順、居住場所の説明がきちんとできない

□ 季節が分からなくなる(夏にセーター等、季節違いの服を着る

□ 昨日の出来事をすっかり忘れてしまう

□ 物盗られ妄想(物の置き場所を忘れて、相手が隠したとか盗んだとか言う)とか、世話をしてくれる人に対して口汚くののしる行為とかがある

 「重等度認知症」(大ボケ)の段階の症状の類型

  (「前頭葉」を含む脳全体の機能が異常な機能レベルに在ることの確認を条件とし、小ボケと中ボケの症状に加えて以下の3つ以上に該当すると、「大ボケ」のレベルであることが疑われます)。

□ 着ている服を脱ぎたがらず、便で汚れた下着をそのまま平気で着ている

□ 風呂に入るのを嫌がる

□ 服を正しく着られず、ズボンを頭から被ったり上着に足を通したりする

□ 家族の名前を間違えたり、子供を配偶者と間違えたりする

□ 食事やあいさつをしたことなど直前に起きたことをすぐに忘れてしまう

□ 家庭生活に全面的な介助が必要(食事、入浴、排泄)

□ 自宅に居ても落ちつかず、出て行きたがる

□ 大小便を失敗しても、後の処置ができない(大小便で汚れた下着を、押し入れなどに隠すようなこともあります)

□ 自宅の方向が、たびたびわからなくなる

□ 同居している家族の名前も顔もわからない(家族かどうか分からない)

□ 昼なのか夜なのかがわからなくて、夜中に騒ぐ(夜中に起きてくる、家中の電気をつけて回る、会社に行くとか田んぼに行くとか言い張る)

□ 痛んだものを平気で食べ、食べ物でないものを口にする

□ 独り言や同じ言葉の繰り返しが目立つ

□ 誰も居ないのに「人が居る」と言ったりする  

    

& 「アルツハイマー型認知症」の「初期の段階」の人達とは

○ 「小ボケ」の段階の人達に確認される症状の類型

  上述した症状の類型を参照してください

○  「小ボケ」の段階の症状が発現している人達の脳の機能レベル

「軽度認知症」(「小ボケ」)の段階の症状は、「前頭葉」の働きだけが異常なレベルに衰えていて、左脳と右脳と運動の脳は正常レベル(判定は、「二段階方式」の基準値による。以下、同じ)なので、「前頭葉」の機能障害の症状と同じなのです。「認知度」と直結していて、認知に不可欠の「意欲」、「注意集中力」及び「注意の分配力」が状況に相応して必要なレベルで働かない、的確に働かないゆえの症状を示します。認知症は、「生活の自立度」がどうであるかを問題にする性質のものなので(社会生活や家庭生活やセルフケアにどのような支障があるかを問題とする)、原因である脳の機能は「前頭葉」だけが異常なレベルであっても、そのアウトプットである「症状」には、コントロールタワーの「前頭葉」の機能レベルが直接反映されるので、正常なものではなくなります。この点が、認知症の定義にも反映されるべきだと思います。DSMーⅣの定義を含めて、「アルツハイマー型認知症」を診断する精神科医も治療薬を開発している研究者も、「前頭葉」の機能の仕方及びその衰え方に対する理解が浅いのではないかと思います。「不活発病」と言う名前を作り出している人達は、「前頭葉」の機能、「前頭葉」の三本柱の機能、或いは、「二重構造」の問題等について無知なので、(そこに確認される症状が、「アルツハイマー型認知症」の初期の段階の症状、「小ボケ」の段階の症状であることに気づいていない)だけなのです。

 & 「アルツハイマー型認知症」の「中期の段階」の人達とは

○  「中ボケ」の段階の人達に確認される症状の類型

  上述した症状の類型を参照してください

○  「中ボケ」の段階の症状が発現している人達の脳の機能レベル

「中等度認知症」(中ボケ)は、脳の司令塔である「前頭葉」の働きが「軽度認知症」(小ボケ)のときよりも更に異常なレベルに衰えてきている上に、「軽度認知症」(小ボケ)のときは未だ正常だった「左脳」と「右脳」の働きも異常なレベルに衰えてきていて(判定は、「二段階方式」の基準値による。以下、同じ)、「脳全体の働き」が異常なレベルに衰えてきているのです。そのため、新しい記憶は記銘度が低くて想起しにくいのですが、昔の記憶は(「前頭葉」の三本柱の機能が正常で在ったころの記憶なので、記銘時の記銘度が高くて、想起され易いので)比較的大丈夫なのが特徴です。

脳全体の衰えが「軽度認知症」(小ボケ)の時に比べて加速度的に速まるので、「症状」の出方の程度や幅も広く深くなります。「中ボケ」は、「小ボケ」(MMSの換算値は、24点以上)と大ボケ(MMSの換算値は、14点以下)の中間にあり、むしろ「中ボケの前期と後期とに区分」した方が「症状」も判定し易いのです。MMSの換算値が20点以上であれば、「集団の中での脳リハビリ」でも効果があるのに対し、20点を切ると手間暇コストの負担が相当に必要な「個別の脳リハビリ」でないと効果が期待できなくなります。20点以上と19点以下との間のたった1点の差なのに、回復の可能性という視点からは、ここに深い溝があるのです。「中等度認知症」(中ボケ)の脳の働きは、4~6歳児のレベルと考えて下さい。

意識の認知度(意識状態)を左右する意欲、注意集中力と注意分配力が「軽度認知症」のレベルよりも更に不十分にしか働かなくなります。その結果、認知それ自体とその記銘、保持及び想起の機能の発揮が更に不十分なものとなります。左脳がらみの論理的思考や計算、或いは言葉に対する理解や判断力、更には右脳がらみの色や形や時間や空間などに対する認知能力にも支障が出てきています(認知症の専門家とされる人達は、米国精神医学会の診断規定である「DSM-4」の重大な誤りに気づかないで居て、それに依拠している結果、「記憶の障害」が原因で起きてくるものと誤解しているのですが)「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の異常で加速度的な機能低下が原因となって、状況の判断、物ごとの理解や見通し等の判断が「幼稚園児」の程度となる結果、「家庭生活」にトラブルが起きてくるようになります。「家庭生活面」で支障が出てくるとは言え、食事、大小便、入浴など身の回りのこと(セルフケア)は自分で一応できるので、家族に迷惑をかけることはあまりないのです。家族も本人の年齢を考えて、老化現象と誤解し易いのです(年が年だから、こんなものと考え易い)。「中ボケ」になると、食器の片付けや、洗濯物の取り込み、庭の草むしりといった、家庭内の簡単な用事程度のこともちゃんとできなくなります。「4~6歳の幼児」がやる程度にしかできないのです。せっかく洗ってくれたお茶碗はもう一度洗いなおさないといけないし、庭の草取りをしてもらうと花の苗まで抜いてしまいます。この程度にまで脳の機能が衰えてきていても、「重度の記憶障害」の症状が出てきていないと、家族が病院に連れて行っても、認知症とは診断されないのです。

 「中ボケ」のイメージは、家庭内の簡単な用事程度のこともちゃんとできないのに、口だけは一人前、「言い訳の上手い幼稚園児」が特徴です。

「前頭葉」の機能が異常なレベルに衰えてきているとはいえ、「小ボケ」には、自覚があります。「意欲もわかないし、根気が続かないし、てきぱき出来ないし、発想も湧かないし、物事に感動することもないし・・」と感じていて、「以前の自分と比較して、自分のどこかがおかしい」という自覚を明確に持っていて、自分の状態に「不安」を感じているのです。ところが「中ボケ」の段階になると、そうした自覚を持つこと自体が出来なくなります。自分の状態に対する自覚がないので、不安も全く感じていないのです。逆に、家族が「こんなところが、おかしいと」指摘しても、「そんなことはない。私は、ボケてなんかいない」と言い張り、自分のおかしな行動についての、一端の言い訳(ヘリクツの類)ばかりを並べ立てるのが特徴です。

& 「アルツハイマー型認知症」の「末期の段階」の人達とは

○ 「大ボケ」の段階の人達に確認される症状の類型

   上述した症状の類型を参照してください

「大ボケ」の段階の症状が発現している人達の脳の機能レベル

 「中等度認知症」(中ボケ)の段階になっても気づかないで、相変わらずナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されたままで居ると、 「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の機能低下が継続され、加速度的に進んで行く結果、末期の段階である「大ボケ」の段階に入っていきます。

「アルツハイマー型認知症」の末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)は、「前頭葉」を含む脳全体の働きが「中等度認知症」の段階よりも更に異常なレベルに衰えてきています。左脳と右脳の働きも、幼稚なレベルの機能が残っている程度である上に、脳の司令塔の「前頭葉」は殆ど機能しなくなっています(判定は、「二段階方式」の基準値による。以下、同じ)。そのため、意識の認知度を左右する「意欲」、「注意集中力」と「注意分配力」がほとんど働いていない状態なのです。「重度認知症」(大ボケ)の脳の働きは、3歳児以下のレベルと考えて下さい。

「前頭葉」、左脳、右脳の機能の衰えが進行していく中で、MMSの得点が一桁の点数になってくるあたりから、運動の脳も異常なレベルに衰えてきて、重度認知症の症状が更に進行していくのです。「大ボケ」の段階の後半になって発現してくる症状、失語や失認や失行の症状及び世間で区分する周辺/随伴症状等も含めて、それらの全てが、外見的には「記憶障害」の症状かと誤解しがちなものの、その機序の実質は「前頭葉」を含む脳全体の加速度的で異常な廃用性の機能低下に直接起因したものであることに、認知症の専門家とされる人達(学者、研究者、医師)に気づいて欲しいと切に願うのです。 

 脳全体の司令塔の役割をしている「前頭葉」がほとんど寝たきりの状態になっているため、これまでの人生で何度となく体験して体に浸み込んでいるような「言葉」や「テーマ」或いは「状況」に対しては或る程度の対応ができるのですが、折々に直面する新しい状況や体に浸みこむほどの経験がないテーマに対しては、理解することも対応することもできないのです。精神科医が「アルツハイマー型認知症」であると診断する第一の要件である「重度の記憶障害」の症状は、「認知」それ自体と「記銘」、「保持」及び「想起」の機能が極めて不十分にしか働かない為に起きてくるものなのです。脳の司令塔の「前頭葉」は、殆ど働かなくなっている上に、左脳や右脳や運動の脳も極めて不十分にしか働かない「大ボケ」は、自分の身の回りのことをする「セルフ・ケア」にも支障が出てきます。食事をしたり、服を着たり脱いだり、お風呂に入ったり、トイレの後始末をしたりといった、身の回りのことも自分でできなくなり、日常生活に「介助」が要るようになります。

  同じ「大ボケ」の段階に区分される症状と言ってもその幅はとても広く(14点以下0点までの幅がある)MMSEの得点が一桁の段階になってくると「前頭葉」を含む脳全体の機能が更に衰えていく中で、「前頭葉」自体が次第に機能しなくなっていきつつ同時に並行して、「左脳」が次第に機能しなくなっていき(左脳の認知機能障害が進行していくので、言葉による理解が次第に難しくなり、コミュニケーションの道が次第に閉ざされていき、「失語」の症状が出てくるようにもなる)、次いで、右脳が次第に機能しなくなっていき(併せて、右脳の認知機能障害も進行していくようになり、物の形や空間の理解も、音の理解も、知人の顔や家族の顔や自分の顔の理解さえも次第にできなくなっていき、自分が住んでいる家さえも自分の家と理解できなくなっていく等といった「失認」の症状が出てくるようにもなる)、最後は、運動の脳が次第に機能しなくなっていく(更に併せて、運動の脳の機能障害も進行していくようになり、着衣失行と呼ばれる症状「服を自分で着ることができなくなる症状」、或いは構成失行と呼ばれる症状「使い慣れた鋏や歯ブラシなどが使えなくなる」等といった「失行」の症状が出てくるようにもなる)ことになるのです。

 「大ボケ」レベルのお年寄りを家族が介護する中核となると、介護する側の家族の自由な生活の道は閉ざされていき、介護する側の家族も共倒れとなってしまうのです。医療の現場が、何時までもこの「大ボケ」の段階で見つけている限り、「介護離職」が重大な社会問題にならざるを得ないのです。

    

& 意識的な世界を操る三頭立ての馬車の御者

意識的に何かの「テーマ」を実行する際の「前頭葉」機能の発揮度

意識的に何かの「テーマ」を実行する場面では、自発性、観察、分析、考察、洞察、推理、推論、想像、問題の発見と理解、状況の判断、興味、関心、発想、連想、企画、計画、創意、工夫、予見、予測、シミュレーション、区別、比較、切り替え、執着、評価、修正、具象化、抽象化、整理、段取り、組み立て、機転、抑制、感動及び判断等、「前頭葉」の機能を構成している各種の高度な個別の認知機能(猶、「学習」機能は、大脳辺縁系の機能であって、「前頭葉」の機能ではないことに留意する)を正常に発揮する上で、一定レベル以上での「認知度」が確保されていることが不可欠となるのです。認知度が一定レベル以下だと、例示した「前頭葉」の各種個別の認知機能自体が必要なレベルで発揮されなくなるのです。そうした個別の認知機能によるその「認知度」の高さ或いは低さを左右しているのが、意欲、注意の集中力及び注意の分配力という「前頭葉の三本柱」の機能なのです(「認知度」と「発揮度」とが共に、「三本柱」の機能の発揮レベルと「リンク」している)。私たちが「前頭葉」の三本柱の機能と名付けている「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能の働き具合が、「三頭立ての馬車」の「御者」の役割(脳全体の司令塔の役割)を担っている「前頭葉」の機能の構成要素である「個別の認知機能」によるその認知度及び機能の発揮度を左右し、下支えする働きを担っていて、個別の認知機能を十分に発揮するに際しての「二重構造」の関係が存在していることを、「二段階方式」を活用して集積した「脳機能データ」の解析によって、私たちが世界で初めて見つけ出したのです。

 ○  意識的な行為の世界と「前頭葉」の働き具合の二重構造の仕組み

 「前頭葉」を中核/監視/管理/支配/統合機能として、相互の有機的な連携の下に「左脳」や「右脳」や「運動の脳」も参加して、「前頭葉」を含む脳全体で何をどのように実行するのかを組み立てるには(自分が置かれているその状況を自主的に判断し、判断に沿って実行すべき「テーマ」をいくつか発想し、その中から1つを選択し、その実行内容及び実行の程度と態様とを組み立てるには)、先立って且つ常に、必要な機能レベルでの「意欲」と「注意の集中力」の機能の継続的な発揮が不可欠になるのです。自分が現在置かれている状況と環境の判断をベースとして、様々な状況の変化を予測して考慮しつつ、いく通りかのケース・シミュレーションを経た上で最終的な実行内容及び実行の程度と態様とを選択して決定し、最終的に実行に移すには、必要な機能レベルでの「注意の集中力」と「注意の分配力」の機能の継続的な発揮が不可欠になるのです。

原因不明と言われている「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化のメカニズムを理解するには、状況の判断、テーマの発想、実行内容の企画や計画、行動や行為や言動のシミュレーション及び実行内容の選択、最終的な意思決定、或いは相互のコミュニケーション等を意識的に行う上で、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベル、就中、「前頭葉」の三本柱の機能の(一定の機能レベルの下での)働き具合(機能の発揮度)が必要不可欠となることを理解すべきなのです。左脳を介した言葉によるコミュニケーションで言えば、相手の話の内容を理解しつつ、自分の考えを構想し整理するには、「前頭葉」の三本柱の機能の中核をなす「注意の分配力」の機能が正常に機能することが不可欠なので、小ボケから中ボケ、更には大ボケへと認知症の症状が進む中で、言葉によるコミュニケーションに支障が出てくるようになるのはその為なのです。「アルツハイマー型認知症」の段階的な症状の発現の根本原因は、「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下に在ることを理解して欲しいのです。

「前頭葉」の機能の構成要素である「個別の認知機能」によるその認知度及び機能の発揮度を左右し、下支えする働きを担っていて、個別の認知機能を発揮するに際しての「二重構造」の関係(「前頭葉」の三本柱の機能の機能レベル/発揮度が個別認知機能の発揮度及び認知度を左右する構造)が存在していることを理解することが、「アルツハイマー型認知症」の症状の発現及び症状の重症化の直接の原因が器質的なものでなくて、機能的な変化、言い換えると、ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続に基づく「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下に起因していることを発見する上で不可欠となるのです。そこに発病の「第一の要件」に関わる問題、「正常老化の性質」(私たち独自のネーミング)の問題が存在するからなのです。 

「アルツハイマー型認知症」の症状の発現及び症状の進行(重症化)並びに症状発現の程度及び態様と、アミロイド・ベータやタウ蛋白の沈着や蓄積とは、無関係の関係にあるのであって、「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下こそがその真の犯人、直接の原因なのだということをここに再度指摘し、問題提起しておきたいのです。         

注)本著作物(Bー58に記載され表現された内容)に係る著作権は、 (有)エイジングライフ研究所に帰属しています。   

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  脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)

 

 

 

 

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意識の構築に不可欠の注意分配力の機能の特徴とその働き方(Bー57)

2016-04-01 | 前頭葉を含む脳機能の正常老化と異常老化

     

  意識して 行う世界 未知のまま

    何をどうする 脳の働き By  kinukototadao

(プロローグ)

私の一日は、お風呂に入ることから始まります。夜、就寝前に入るお風呂は、一日の汗を流す為のもの。私は、朝酒は嗜まないものの、朝風呂が大好きなのです。比較的ぬるめの温度にして、ゆったりと時間をかけて、入浴の時間を楽しむのが日課の始まりなのです。

お湯はと言えば、何を隠そう、温泉なのです。かの有名な熱川から引いてきていて、24時間何時でも、46度の熱い温泉が使えるのです。

お風呂の窓を開けると、上の庭の景色が目に入ってきます。窓の前には、大人が6人は十分に入れる、大理石造りの大きな温泉露天風呂があります。

露天風呂の石縁に沿って、淡い桃色をした可憐な花をつけたカイドウの木々が植えられて居り、すぐ向こうは、柑橘類の小さな林になっています。すだち、カボス、シークワーサー、花ゆず、キンカンなどが植えてあります。柑橘類の林の向こうは、ちょっとした空間になっていて、その中央に大型のピザ窯が据えられています。煉瓦を積んだ土台は、縦が120cm、横が90cm、高さが80cmの大きさで、その上にピザ窯が据え付けられています。ピザ窯の縦は100cm、横は70cm、高さはドーム状の頂上部までが90cmになっています。このピザ窯は、Tadがお友達と一緒に据え付けた100%の手作りなのです。ちゃんとした、T型の鉄製の煙突も、外方向に開く扉もついているのです。

ピザ窯の中は、二段に構成されており、上下は直径が1cm程もある太い鉄製の棒が数十本も並べられていて、下の段に真っ赤に燃えた火を積んで、その上に鉄製の網の棚を置き、下側から輻射熱だけでピザ生地を瞬時に焼くと言うやり方なのです。外はパリッと焼けていて、中は柔らかに生地が焼けるという仕上がりになる訳なのです。

とはいえ、燃えている木は1本もない発火状態になった炭を大量に積む方式なので、ピザ用のクヌギや楢の木が一度に何十本も必要になるので、お客さんの数が10人を超えるときしかピザ会は行われないのです。ピザ窯で焼いた手羽先と手製のピザを食べながら、シャンパンと白ワインをいただくのが、私たちの何時もの流儀なのです。

そのピザ窯を囲うようにして、右手の奥隅には、季節に紅色の花をつけるブーゲンビリアの木と山桃の巨木が並んで立って居り、その手前には、真っ盛りの新芽群が空に向かって伸びた状態の金木犀の巨木があります。眼を転じた左手奥には、現在は、シダを植え付けてある部分がTadにより丸刈り状態にされたままのカナリーヤシの巨木が2本あって、下の庭へ通じる石の階段の手前には、季節に紫色の花をつけるブーゲンビリアの巨木があります。こちらのブーゲンビリアの巨木は、下の庭のプールサイド側から、我が家の庭の写真を写す場合に決まってアングルに取り入れるものなのです。このブログ中の写真にしばしば登場してくる、あのブーゲンビリアの巨木なのです。それらの巨木の足元を飾っているのは、様々な種類と色のバラの木々なのです。どうですか、皆さん。上の庭の全体構成が大体想像していただけたでしょうか。

      

 

& 私たちの眼前に同時存在するのは、重層的な「意識」の世界

 お風呂に身を沈めて、ゆったりと朝の入浴を楽しみながら、この庭の景色をぼんやりと眺めているのです。その時、上の庭の全体像を私の目が捉えているのです。その全体像を一つの視野に入れた時、複数の様々な覚醒レベルでの「意識」と言うか、或いは意識とは二次元的な性質のものもではなくて、三次元むしろ四次元的な意識状態と言うべきものであり、その「意識度」(個々の意識の覚醒度)が異なる意識の世界が、複数存在していることに気づいていただきたいのです。「主題」となって意識されていない世界も、意識度は「主題」のそれよりは低いものの、別の意識の世界として、複数の意識の一つとして、存在しているのです。「主題」となる対象を右奥のブーゲンビリアの木から庭の中央に据え付けられているピザ窯に移したとき、主題こそ変わっても、同じように視野の中に捉えられている「意識度」が主題よりも低い複数の意識の世界が、そこには、存在しているのです。私たちの意識の世界は、基本的には、このような「複数の意識の世界」の同時存在と言う形で構成されているのです。それを可能にしている脳機能が、今日のテーマである、「注意の分配力」の機能と言うことなのです。思考することであれ、言動であれ、或いは行動であれ、意識的に行われるそれらの世界は、この「注意の分配力」の機能なしには存在しえないのです。私が語っている、こうした「意識」の世界とそれを可能にしている「注意の分配力」の機能の働きについては、日本はおろか、世界中の哲学者も心理学者も脳科学者も、誰一人として、問題提起したことは無い、世界初の話なのです。この先、脳全体の司令塔の役割を担いながら、専門家達による研究が遅れていて、未知の領域に近い、「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下同じ)と言う機能の働きやそのメカニズムが明らかになるにつれて、今日の私の問題提起と説明が注目されることになるのです。私たちの意識的な世界と「前頭葉」の機能とは切っても切れない関係にあるのですから。

私がこのテーマを今日持ち出すのは、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムを理解する(解明する)上で、早期診断による回復(治療)の方法を解明する上で、或いは発病自体を予防する方法を解明する上で、「前頭葉」の機能、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能から構成される「前頭葉」の三本柱の機能(私たち独自の命名)、就中、「注意の分配力」の機能の理解が必要不可欠のものであるからなのです。

アミロイド・ベータを注入したアミロイド・マウスも、アミロイド・ベータを吸収させたアミロイド・米も、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムの解明にも、とりわけ、「アルツハイマー型認知症」の治療薬/予防薬の開発にも無関係だということを指摘しておきたいのです。何故なら、それらの説(仮説)が主張の根拠にしている、アミロイド・ベータの沈着と「アルツハイマー型認知症」の発病との間には、何らの「因果関係」も存在しないからなのです。「アルツハイマー型認知症」の様々な症状は、「前頭葉」を含む脳全体の機能の器質的な変化が原因なのではなくて、機能的な変化、廃用性の加速度的で異常な機能低下が原因で発現してくるものだからなのです。この極めて重要な要素が見落とされているのです。解剖所見に基づく誤解が、「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムの解明の妨げとなり、逆に、その「誤解」に基づく研究方法への「拘泥」が迷路へと彷徨いこませているということを指摘しておきたいのです。廃用性の機能低下という視点も、研究者にとって価値あるテーマだと思うのですが。「研究者」、「専門家」というプライドが、邪魔をしてしまうとでも言うのでしょうか。

「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」(脳の使い方としての「生活習慣」に起因する病気)に過ぎないのであって、早期診断(私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」までの段階で発病に気付いて、「脳のリハビリ」を実践させること)により回復させることが出来るし(治すことが出来る)、発病自体を予防することが出来る(脳の使い方としての「生活習慣」の改善と工夫に基づく、「前頭葉」を含む脳全体を活性化させる生活の実践が不可欠の条件)病気なのです。世の中の権威のある人達や組織、学者や研究者や医師達は、「DSM-4」の規定に惑わされて、「アルツハイマー型認知症」の中核症状が「記憶の障害」(第一の要件として規定されている)であると誤解し、第二の要件が規定し確認を要求している失語、失認、又は失行と言った極めて重い症状(私たちが末期の段階として規定する「重度認知症」の段階でも、更にその後半の段階、30点が満点のMMSEの得点が一桁にならないと発現してくることが無い極めて重度の段階の症状)が発現してきていないと、「アルツハイマー型認知症」の発病とは考えないのです。余りにも遅い段階、極めて重度の症状の確認に基づく診断であるが故に、本当の意味での早期の段階、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)及び「中等度認知症」(中ボケ)の段階で見つけて、「脳のリハビリ」を施せば治すことが出来るタイプの認知症であるにもかかわらず、治すことが出来ない病気にされてしまっているのです。

     

脳の使い方としての「生活習慣」、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」の継続こそが、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状進行(重症化の進行)の唯一の原因なのです。なお、ここで私たちが言う「単調な生活」の継続とは、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続のことであり、こうした「生活習慣」こそが、発病及び重症化の真犯人なのです。それ故に、廃用症候群に属する「生活習慣病」であるというその本質から(発病のメカニズム)、症状の進行を遅らせる効能を有する薬も、治療の効能を有する薬も、発病自体を予防する効能を有する薬も、未来永劫開発されることは有り得ないことなのだということを指摘し、強調しておきたいのです。脳の使い方としての「生活習慣」の改善と工夫こそが、発病を予防する唯一の方法となるのであり、「脳のリハビリ」こそが、症状の進行を防止し及び症状を改善させる唯一の方法となるのです。

アミロイドベータ説は世界的には否定された仮説であるにも拘らず、何故か、我が国だけ、アミロイド・マウスとか アミロイド・米とか、肝心の因果関係の立証が為されないままに、意味不明の材料とデータを基礎にして、意味不明の主張が有力視されていて(いずれの仮説も、我が国を代表する東西の国立大学の医学部が主張している)、税金と人材と時間とが無駄に使用されているのが現状なのです。

アミロイドベータの蓄積による老人斑の出現も、タウ蛋白の蓄積による神経原線維変化の出現も、共に、「アルツハイマー型認知症」の症状の発現の原因ではなくて、発病の結果としての単なる副産物に過ぎないのです。一番肝心である因果関係の立証がなされないままで居る単なる「仮説」であるにも拘らず、その両国立大学が我が国では権威があるがゆえに、有力な主張であるかのような誤解を世間に与えているのです。こんな意味もない仮説に、大事な税金を投入するなどもってのほかのことだと思うのです。

       

& 重層的な意識の存在と注意の分配機能との関係

○  意識的な行為の世界と「前頭葉」の個別認知機能によるその認知度及び機能の発揮度の仕組み

意識的に何かの「テーマ」を実行する場面では、自発性、観察、分析、考察、洞察、推理、想像、理解、興味、関心、発想、連想、企画、計画、創意、工夫、予見、予測、シミュレーション、比較、修正、具象化、抽象化、整理、機転、抑制、感動及び判断等、「前頭葉」の機能を構成している各種の高度な認知機能を正常に発揮する上で、一定レベル以上での「認知度」が確保されていることが不可欠となるのです。認知度が一定レベル以下だと、例示した「前頭葉」の各種個別の認知機能自体が必要なレベルで発揮されなくなるのです。そうした個別の認知機能によるその「認知度」の高さ或いは低さを左右しているのが、意欲、注意の集中力及び注意の分配力という「前頭葉の三本柱」の機能なのです(「認知度」と「発揮度」とがともに、「三本柱」の機能レベルと「リンク」している)。

「前頭葉」を中核の機能として、有機的な連携のもとに「左脳」や「右脳」や「運動の脳」も参加して、脳全体で何をどのように実行するのかを組み立てるには(自分が置かれているその状況を判断し、判断に沿って実行すべき「テーマ」をいくつか発想し、その中から1つを選択し、その実行内容及び実行の程度と態様とを組み立てるには)、先立って且つ常に、必要な機能レベルでの「意欲」の継続的な発揮が不可欠となるのです。自分が現在置かれている状況と環境の判断をベースとして、様々な状況の変化を予測して考慮しつつ、いく通りかのケース・シミュレーションを経た上で最終的な実行内容及び実行の程度と態様とを決定し、最終的に実行に移すには、「注意の集中力」と「注意の分配力」の機能の継続的な発揮が不可欠となるのです。

上述のように、私たちが「前頭葉」の三本柱の機能と名付けている「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能は、「三頭立ての馬車」の「御者」の役割、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能の構成要素である「個別の認知機能」によるその認知度及び機能の発揮度を左右し、下支えする働きを担っていて、個別の認知機能を十分に発揮するに際しての「二重構造」の関係(私たちのネーミング)が存在しているのです。 

世界中の脳科学者や認知症の専門家とされる人達の誰もが未だ気づいてはいないその「テーマ」である、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムが解明され、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」という脳機能の働き方のメカニズムにも注目が集まることにより、やがては、「重層的」な意識の同時存在とそれらの覚醒度という「テーマ」が、専門家達に注目される時代がやってくることになるのです。「前頭葉」の三本柱の機能が担う重要不可欠のものとして、覚醒度が異なる複数の「意識」が重層的に、且つ同時に存在する状況下での全体の及び/又は個別の「意識」の覚醒度を支配し、コントロールする機能を有しているという、脳の機能構造面からの問題を提起しておきたいと思うのです。

     

もちろんのこと、そのテーマには、「前頭葉」の三本柱の機能の一つであり、廃用性の機能低下という視点で言うと最初にその機能が衰えていくところの機能、「注意の分配力」の機能が直結しているということになるのですが。

「意識」が存在している世界と言っても、その「意識」の覚醒度が様々に異なる世界、対象となる特定の「主題」に絞り込まない限り基本的には常に複数の重層的な「意識」が構成されて存在しているという、私たち人間だけに特有の「意識」の世界に、脳科学者達が未だ気づいていないだけのことなのです。

或る特定の「主題」に「意識」を集中させて、一定レベルでの機能を発揮させるには、「意欲」と「注意の集中力」の機能の発揮が不可欠となり、複数の「主題」について「意識」を同時に分配させて、一定レベルでの機能を同時に発揮させるには、「意欲」と「注意の分配力」の機能の発揮が不可欠となるのです。但し、我が身が置かれている状況下での「主題」を選択し/特定の内容に意識を集中させる機能は、「前頭葉」の三本柱の機能ではなくて、別の機能である「状況を判断する機能」ではないかと私たちは考えているのです。「評価の物差し」が関与することによって/且つ同時に、「覚醒された意識」の世界が出現することになるのです。「前頭葉」と言う機能部位には、カメラのレンズの焦点を特定の主題に選択的に切り変えるかのような機能が備わっているのです。

ナイナイ尽くしの単調な生活の継続に起因する廃用性の加速度的で異常な機能低下を本質とする「アルツハイマー型認知症」の場合には、脳の機能に衰えていく明確な順番があり、「前頭葉」の三本柱の機能、就中最も高度な機能である「注意の分配力」の機能から異常なレベルに衰えていくのです。私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、上述したような意識の世界は、脳の機能面から説明すると、自分が置かれている状況の理解と判断も、テーマの発想も、テーマに沿った実行内容の企画や計画も、実行結果についてのシミュレーションも、最終的な判断も、「前頭葉」の三本柱の機能、就中、注意の分配力の機能の発揮が明確に不十分/不適切な状態になるまでに機能低下してきているということを基礎とした世界、「意識度」の世界にあることを知るのです。

      

&  アルツハイマー型認知症の段階的な症状の態様とその特徴

「軽度認知症」(小ボケ)の段階で発現する症状の特徴

□ 発想が乏しくなり、画一的な行動が目立つようになってきた

□ 何事をするにも億劫で、何かをやろうという意欲が見られない

□  同じ食材を買ってくることが多く、献立の単調さが目立つ

□ 一日や一週間の計画が立てられず、テーマを自分で思いつかない

□ 朝は遅くまで起きてこないのに、気がつくと昼間に居眠りしている

□ これまでなら感動していたことにも感動しなくなった

□ 問いかけに対する反応が遅く、生き生きした笑顔が見られない

□ 根気が続かず、中途半端な繰り返しや、やりかけの家事が目立つ

□ ぼんやりしていることが多く、何もしないが指示されるとできる

□ お化粧や髪の手入れや服装など、おしゃれに無関心になってくる

□ 自分に自信がなくて、何かにつけ人を頼ろうとするようになった

□ 歩くとき前屈みの姿勢になり、小股でトボトボと歩く

□ 目の光がどんよりしていて、顔つきが無表情になった

□ 思い込みや思い違いが多く、指摘しても訂正や変更ができない

□ 同じ内容を繰り返して話し、そのことに本人が気づかないでいる

上に挙げた症状はすべて、私たちが定義する「軽度認知症」(小ボケ)の段階に特有な「アルツハイマー型認知症」の症状なのです。

上記症状のうちの4つ以上に該当するお年寄りで、60歳を超える年齢の高齢者である場合、「二段階方式」による神経心理機能テストを実施すると、殆どの場合、次のことが必ず確認されることになるのです。

① 「前頭葉」の機能レベルが、異常なレベルに衰えてきていること。

②  左脳も右脳も運動の脳も全て未だ正常な機能レベルにあること。

③ 何かを「キッカケ」にして(典型的なケースの例示をすると、先の「東日本大震災」のような大きな災害の被災)、生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が日々繰り返され継続されていること

④ ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まるその「キッカケ」となった出来事の発生或いは生活状況の変化は、判定時から起算し半年から3年半前の範囲の期間内に起きていること。

       

&「軽度認知症」(小ボケ)の症状が発現するメカニズム

上記に列挙した本当の意味での初期症状、すなわち「アルツハイマー型認知症」の最初の段階の症状(「小ボケ」の症状)は、実は、「記憶の障害」とは関係がないのです。私たちが何かのテーマについて文章で考えを表現するとしましょう。どのようなテーマについて、どのような筋を展開し、どのような内容で表現内容を構成するか、或は、どのような言葉の表現方法を使用するか、全ては、「注意の分配力の機能」(異なった複数のテーマを同時に処理する機能)の適切なレベルでの働きなしには実行することが困難となるのです。

言葉を介して、何かのテーマについて、相手とコミュニケーションを適切に実行するにも、同様に、注意の分配力の機能が適切なレベルで働くことが不可欠となるのです。自分が置かれている現在の状況を理解して、其の上で、様々な対応の仕方(テーマの発想、実行内容の企画と計画、実行の程度と態様)をシミュレーションして、適切な選択を行い、最終的な実行内容を判断し決定しようにも、「注意の分配力」の機能が、廃用性の異常で加速度的な機能低下を進行させてきている「小ボケ」の機能レベルの下では、もはや期待困難なことなのです。この「小ボケ」の段階で、上述したあらゆる場面で、その人らしさは失われていることにも気付いてほしいのです。

アミロイド・ベータの蓄積による老人斑の沈着やらタウ蛋白の蓄積による神経原繊維変化などによる神経細胞の脱落や滅失とやらが原因となって、「記憶障害」の症状を発現させ、且つそのことが、先に列挙した「小ボケ」の症状を発現させているわけではないことを知るべきなのです。アミロイド・ベータ説にこだわる学者や研究者の皆さん、何時まで、アミロイド・ベータやタウ蛋白とやらに執着し続けるつもりなのですか。

「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、左脳も右脳も運動の脳もすべてが正常な機能レベルにあるのに対して、「前頭葉」の機能だけが異常なレベルに衰えてきているといいました。異常なレベルに衰えているその機能とは、「注意の分配力」の機能を中核とした「前頭葉」の三本柱の機能のことなのです。「前頭葉」の三本柱の機能には、誰にでも確認される、生来的な性質としての「正常老化の性質」(私たちが発見した性質)が内包されているのです。日々の暮らしの中で、「前頭葉」の出番が十分に確保されている脳の使い方としての「生活習慣」を構築し、実行していても、「加齢」とともに衰えていくという性質があるのです。20歳の前半を折り返し点として、100歳に向かって、緩やかではあるが直線的に衰えていくという性質のことなのです。65歳ごろには、最盛期の20歳の前半のころの半分くらいに衰えてきているのです。従って、加齢と共に「正常老化の性質」という条件が進行してきた60歳を超える年齢の「高齢者」が(私たちが定義する、「アルツハイマー型認知症」発病の「第一の要件」)、何かを「キッカケ」にして、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々継続していると(私たちが定義する、「アルツハイマー型認知症」発病の「第二の要件」)、第一の要件と第二の要件とが同時に充足されることによるその相乗効果として、「前頭葉」の三本柱の機能が、加速度的で異常な機能低下を進行させていくことになる、その行き着く先に、「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているという訳なのです。

     

その最初の段階が、「脳のリハビリ」により正常なレベルに回復させることが容易な段階であり(私たちの区分で言う、軽度認知症「小ボケ」の段階)、次いで、「脳のリハビリ」により回復させることが未だ可能な段階があり(私たちの区分で言う、中等度認知症「中ボケ」の段階)、最後に、回復させることがもはや困難となる段階(私たちの区分で言う、重度認知症「大ボケ」の段階)があるのです。認知症の専門家とされる人たちは、「小ボケ」の段階も、「中ボケ」の段階も見落としていて、末期の段階である「大ボケ」の段階で見つけているために、「アルツハイマー型認知症」は治すことができないタイプの認知症だと、誤解による確信を抱いているということなのです。

「アルツハイマー型認知症」の末期の段階の更に後半にならないと発現がみられない症状であり、後述する「DSM-4」が「第二の要件」として規定する「失語や失認や失行」といった症状の確認を要求している(私たちの脳機能データによると、MMSEの得点が一桁にまで低下して来ない限り、これらの症状は確認することができないのです)米国精神医学会の診断規定である「DSM-4」の規定は、「アルツハイマー型認知症」と診断するための「第一の要件」として「記憶の障害」による症状の確認を要求しているのですが、上述したように、「アルツハイマー型認知症」の中核をなす症状は、「記憶の障害」に起因する症状なのではなくて、「前頭葉」の機能障害に起因する症状なのです。その意味で、世界的に権威があるとされている「DSM-4」の規定自体が、「第一の要件」及び「第二の要件」の規定の内容の両者共に、重大な誤りであることをここで再度指摘しておきたいのです。

       

& 「前頭葉」という脳機能について学者や研究者や医師達は理解不足

 私たちは、様々な種類が数ある認知症全体の90%以上の割合を占めている、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症に特化して、早期診断による回復と発病自体の予防を目的とした「地域予防活動」の実施を市町村の保健師さんを通じて、且つ地域のボランティア組織の協力を得ながら、小さな地域単位で展開して、市町村全体に拡大する活動を1995年以来北海道から九州までの地域にまたがる累計440を超える数の市町村で全国展開し、早期診断による「回復」及び発病の「予防」の両面で実践の成果を挙げてきているのです。

 ところが、世界中の専門家達の間では、「アルツハイマー型認知症」は治すことも予防することも出来ないタイプの認知症とされてきているのです。その根本的な原因は、認知症の専門家とされる人達が、脳全体の司令塔の役割を担い、私たち人間の意識的な世界を支配し、コントロールしている「前頭葉」と言う脳機能について無関心である上に、「意識」についても無知なことにあるのです。私たちのように、「二段階方式」と言う精緻な神経心理機能テストを活用して、生きた人間の「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルを測定し、同時にその脳機能レベルに厳密にリンクした「症状」と脳の使い方としての「生活習慣」と言う「生活歴」を詳細に調べ、正常なレベルから始めて、正常下限、「小ボケ」、「中ボケ」の前半、「中ボケ」の後半、「大ボケ」と言う風に段階を追って、順を追って判定し、鑑別して行けば、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、脳の器質的な変化が原因で発病してくるのではなくて、機能的な変化、「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の異常で加速度的な機能低下が原因で発病してくるという「発病のメカニズム」を容易に解明することが出来るのです。

アルツハイマー型認知症」の発病の原因を器質的な変化に求め、「前頭葉」を含む脳全体の機能的な変化(廃用性の加速度的で異常な機能低下)という視点に気づかない限り、脳の使い方としての「生活習慣」の改善と工夫/脳のリハビリという方法によって発病の予防も、早期診断による回復も可能である、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であるにすぎない病気を、発病の原因も分からないし、発病を予防することも治すこともできない病気、マンモスに仕立て上げ、効きもしない薬を処方して血税を垂れ流し、(「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の異常で加速度的な機能低下が症状の発現及び症状の進行の唯一の原因である、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の発病のメカニズムを考えるとき、開発することがそもそも不可能であると考えられる)「治療薬や予防薬」の開発という無意味なテーマに、血税を垂れ流し続けることになるのです。政治家の皆さん、官僚の皆さん、もっと大事で、緊急を要する税金の使い道は、有るのではないですか。

皆さんが絶大な信頼を寄せている医学会と言う世界は、実に摩訶不思議な世界なのです。主張内容の正しさ/深さよりも、主張者の権威の方が重視される世界なのです。「アルツハイマー型認知症」の診断規定である、米国精神医学会の診断規定「DSM-4」の「第一要件」及び「第二要件」の規定内容には、両者共に重大な誤りが有るにもかかわらず、我が国だけでなくて世界中を席巻しているのです。アミロイドベータというタンパク質の蓄積と「アルツハイマー型認知症」の発病との間には肝心の因果関係が存在していないにも拘らず、我が国では、著名な東西の両国立大学の医学部が主張している(因果関係の立証が未だに為されていない、単なる「仮説」)がために、我が国では有力視されていて、早期診断の方法の開発とか、治療薬/予防薬の開発とかの名目の実現の可能性が全く無いプロゼクトに、巨額の大事な血税が無駄に使われているのです。

あ~、嘆かわしや。

(総まとめ:分かり易く、ポイントだけをまとめてみました)

  認知症全体の90%以上の割合を占めていて、世界中の学者や研究者や医師達から、「発病の原因が分からないし、治すことが出来ないし、発病を予防する方法もわからない」とされている「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎないのです。脳の使い方としての「生活習慣」の改善と工夫を実践することにより発病自体を予防することが出来るし、早期の段階で見つけて(私たちの区分で言う小ボケ及び中ボケの段階で見つけて)、脳の使い方としての生活習慣の改善(脳のリハビリ)を実践することにより治すことも出来るタイプの認知症なのです。末期の段階、私たちの区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階で見つけているから治せないだけなのです。

 人は誰でも例外なく、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能(私たちが「前頭葉」の三本柱の機能と名付けているもの)が、加齢とともに、衰えてくるものなのです。40を超える機能が確認される「前頭葉」の「個別認知機能」の認知度及び機能の発揮度を下支えし、支配している、「前頭葉」の「三本柱の機能」には、脳の使い方としての「生活習慣」の如何に拘わらず、20歳代の前半を折り返し点としてそれ以降は、加齢と共に緩やかではあるが機能が衰えていくという性質、私たちが「正常老化」の性質と名付けている性質が生来的な性質として内在しているのです。

脳全体の司令塔の役割を担っていて、私たちが意識的に何かをしようとする際になくてはならない働きをしている「前頭葉」を含む脳全体の機能が、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない「単調な生活」の継続、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の下で、使われる機会が極端に減ったことに起因した加速度的で異常な廃用性の機能低下の進行により【情報を伝達する神経細胞が、器質的な病態を発現してくること又は廃用性の萎縮を起こすことにより、「記憶機能」が低下することが発病の原因なのではなくて、1つの要因としては「正常老化の性質」に起因する加齢による機能の劣化がもう1つの要因としては使われる機会が極端に少ない生活習慣の下で神経細胞の再生が弱まってしまい、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能からなる「前頭葉」の三本柱の機能を中心として、各種の認知機能自体が廃用性の機能低下を起こしてくることの2つの要因が同時に充足される相乗効果により、「前頭葉」を含む脳全体の加速度的で異常な機能の衰えが進むことが発病の原因であると私たちは考えているのです】、60歳を超える年齢の「高齢者」のみを対象として発病する老年性のアルツハイマー型認知症」は、症状が何年もかけて、徐々に段階的に緩やかに進んでいくのが特徴なのです。その最初の段階が、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階なのです

60歳を超えた年齢の「高齢者」が(私たちが規定する発病の「第一の要件」)、何かを「キッカケ」として(ここを「クリック」してください)、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、言い換えると、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々継続させていると(私たちが規定する発病の「第二の要件」)、「第一の要件」と「第二の要件」とが同時に充足される相乗効果により、「前頭葉」を含む脳全体の機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくことになり、その行きつく先に、「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているということ、このことが原因不明と言われている「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムなのです。一部の学者が主張し拘泥しているアミロイドベータの蓄積も、タウ蛋白の蓄積も、「アルツハイマー型認知症」の発病とも、症状の進行(重症化)とも無関係(主張する原因と発病との間の因果関係が存在しない)の関係なのです。

注)本著作物(Bー57に記載され表現された内容)に係る著作権は、 (有)エイジングライフ研究所に帰属しています。   

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       脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)

     

    

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