認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

脳の活性化の意味と前頭葉の機能との関係(B-80)

2017-04-15 | 前頭葉の働きとその重要性を知ろう

  陽が沈む 時が経つのも 忘れ果て

      遊びに夢中 脳が活き活き  By kinukototadao   

& 脳の機能面から観た「脳が活性化」している状態とは

最近になってのことなのですけど、「アルツハイマー型認知症」の「予防」という「テーマ」で、脳の活性化とか「前頭葉」の機能とかの言葉がテレビの報道番組で、時々聞かれたりするのです。以下の内容は、3月末の番組での放送だったのです。脳の活性化とか「前頭葉」の機能とかの言葉が、テレビの報道番組で、時々聞かれるようになっているとは言え、中身については余りに底が浅いレベルのものでしかないので、今日は、脳の活性化の意味と「前頭葉」の機能との関係というテーマを取り上げてみることにしたのです。その番組では、「アルツハイマー型認知症」の「予防」と銘打ちながら、いくつかの市町村で実践されているとして「脳を活性化」させる方法として紹介されていた「回想法」なるものやデュアル・タスクという言葉だけを引用して語られる『散歩しながら、尻取りゲームをする』等の方法が、「アルツハイマー型認知症」の発病の予防に効果的だと説明しつつ、他方では、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムについて、『アミロイド・ベータというタンパク質の蓄積により形成される「老人斑」の持つ毒性が、情報を伝達する機能を持つ神経細胞の細胞死をもたらすことが原因で「記憶障害」の症状が発現してくることが「アルツハイマー型認知症」の発病であり、且つ、その「記憶障害」の症状の進行により「アルツハイマー型認知症」の症状の程度が重くなっていく』との学説である「アミロイドベータ」説の主張内容(但し、当該主張の内容と「アルツハイマー型認知症」の発病との間の因果関係の立証が出来ていない「仮説」にすぎないのですが)をそのままを引用するという天衣無縫と言うか無神経で支離滅裂な論理を展開していたのです。

『「アルツハイマー型認知症」の発病の原因は不明であり、発病を予防することも症状を治すことも出来ないタイプの認知症である』というのが、アミロイドベータ説を主張する学者や研究者達の共通の理解でもあるからなのです。然も、そこで挙げられていた脳を活性化する方法とかにより、アミロイドベータの蓄積が排除されることになるはずというそのメカニズムについては、メインの解説者であったその人が(地方の大学の医学部の教授という触れ込みでした)、どのような立証データをお持ちなのか、伺ってみたいとも思わない程粗雑な説明(深い内容は知らないで、学説の単なる受け売りで、アミロイドベータ説を紹介しているだけというのが明白)をしていたのには、ただ驚くばかりだったのです。14689例の精緻な「脳機能データ」を基礎に論理的な議論を展開することを信条としている私としては、論理に無関心で支離滅裂な話を得意げに語る人がいるなど思いもよらず、開いた口が塞がらない状態だったのです。

私のこのブログは、2012年の3月から書き始め、我が国だけでなく、世界中の「アルツハイマー型認知症」の専門家とか権威とされる人達や大学、或いは研究機関を含む組織の主張の重大な誤りを正すべく、世の中に対して問題提起する目的で公開を開始し、A01100まで及びB0180までの合計180回も掲載しているその殆どが、「アルツハイマー型認知症」と言うテーマについて書かれていて、且つ「前頭葉」(「前頭前野」のことを言うものとする。以下、同じ)という脳機能との関係で発病のメカニズムや症状重症化のメカニズムや発病自体を予防する方法や早期の段階で見つけて治す方法を具体的に取り上げていて、詳細な説明とその根拠となる「脳機能データ」とを公開してきているのです。少なくとも、「アルツハイマー型認知症」と「前頭葉」という脳機能との関係について語らせるのであれば、世界広しと言えど、この私の右に出る者はいないはずとの自負があるのです。そう、肝心の「権威」が足りないのが、「玉に瑕」というところなのですけれど。「前頭葉」という言葉を持ち出すのであれば、「意識」の機能構造についての知識が不可欠であり、「前頭葉」の個別認知機能の機能発揮面における「前頭葉」の三本柱の機能との二重構造の関係、更には、「前頭葉」の三本柱の機能の「正常老化の性質」等についての或る程度の知見を得てからにして欲しいのです。

様々な種類が数有る認知症の内で、その全体の90%以上の割合を占めていて、世界中の認知症の専門家達から『発病の原因自体が不明であり、発病を予防することも、症状を治すことも出来ない』とされている「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の本質は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎないのです(但し、此処で言う「生活習慣」とは食生活を言うのではなく、脳の使い方としての「生活習慣」であることに留意する)。「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズム(機序)は、「第一の要件」が『「第二の人生」を送っている60歳を超えた年齢の「高齢者」であること』であり、「第二の要件」が『生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもないナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続』であり、第一の要件と第二の要件とが同時に充足されることにより「前頭葉」を含む脳全体の機能が加速度的で異常な機能低下を進行させていき、「前頭葉」が異常な機能レベルに衰えてきた時から認知症の症状が発現してくることになるのです。世の中で言われている種々の「学説」(仮説)が主張しているような、アミロイドベータの蓄積が原因でもなければ、タウ蛋白の蓄積が原因でもなければ、脳の萎縮が原因でもないのです(発病のメカニズムの詳細な説明については、このブログの「B-71」を参照してください)。   

私たちの意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしている脳機能、脳全体の司令塔の役割を担っていて、三頭立ての馬車の「御者」である「前頭葉」の出番が極端に少ない「生活習慣」、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」が継続されることにより、「前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくことが原因で「アルツハイマー型認知症」を発病することになるのです。その最初の段階であり私たちが「軽度認知症」(小ボケ)と名付ける段階では、左脳も右脳も運動の脳も正常な機能レベルに在って、「前頭葉」の機能だけが異常なレベルに衰えてきているのです。そして、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」が継続されることが原因で更なる廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行していくこととなる結果、私たちの区分で言う、「中等度認知症」(中ボケ)の段階になると、「前頭葉」の機能が「小ボケ」の段階よりも更にその機能レベルが衰えてきている上に、「小ボケ」の段階では未だ正常な機能レベルに在った左脳、右脳及び運動の脳も異常なレベルに衰えてきているのです。加えて、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」が更に継続されることが原因で「前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を更に進行させていくことにより、そのことを直接反映した症状の重症化が進行していき、末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階へと進んで行くことになるのです。

このことを脳の機能面から逆に言い換えると、『「前頭葉」が正常な機能レベルに在る限り、「アルツハイマー型認知症」を発病することは絶対に起きては来ない』ということなのです。すなわち、「アルツハイマー型認知症」を発病しない方法、予防する方法とは、「前頭葉」の機能レベルを正常なままに維持することに尽きるということなのです。その具体的な方法とは、以下に説明するように、「前頭葉」を含む脳全体の機能をしっかりと使ってやること、就中、「前頭葉」の三本柱の機能の出番が出来るだけ多くなるような「生活習慣」を組み立てて、継続して実践することに尽きるのです。生活習慣化するということは、そうした脳の使い方としての「生活習慣」を何年間も継続することが出来るほどに長続きさせるということなのです。

何年間も長続きさせるには、「やっていて、楽しい」こと、「またやりたくなる」こと、「その時間を過ごすことが楽しい」こと、「そのことに従事していると、時間があっという間に経ってしまうと感じられる」ことが必須の条件となるのです。そうした「生活」を繰り返し継続して実践する「生活習慣」が、喜びや生き甲斐を生み出す源となるときは、「アルツハイマー型認知症」と言う病気に対する万全の備えが出来た難攻不落の堅固な城が築かれていることを意味することになり、『ボケ(「アルツハイマー型認知症」の発病)とは無縁の「第二の人生」を完走することが出来る』大きな保証となるのです。

我が国で最も権威があるとされているのは、東大や京大や理化学研究所が主張している「アミロイドベータ説」という仮説です。アミロイドベータ説には大きく、仮説としての6つの前提条件が主張されています。第一に、「アルツハイマー型認知症」の発病は、「器質的な病変」が原因であるとする主張です。第二に、アミロイドベータの蓄積により形成される「老人斑」の蓄積が発病の原因であり、第三にアミロイドベータの蓄積量の増加が症状進行(重症化)の原因だとする主張です。第四に、アミロイドベータの蓄積量の増加が「記憶障害」の症状の原因であり、第五に記憶障害の症状の進行により「アルツハイマー型認知症」の症状の重症化が進行していくとの主張なのです。第六に、アミロイドベータの蓄積を予防し、又は蓄積量を抑制し、或いは、蓄積量を消滅させることが、「アルツハイマー型認知症」の発病の予防、又は症状重症化の防止、或いは症状を治す方法だとする主張です。実は、これら六つの主張(仮説としての前提となる理解)の全てが重大な誤解、重大な誤りなのです。

アミロイドベータというタンパク質の蓄積により「老人斑」なるものが形成され、その毒性が情報を伝達する機能である神経細胞の細胞死を招来させて「記憶障害」の症状が発現してくることにより「アルツハイマー型認知症」が発症するとする「仮説」であるアミロイドベータ説の主張内容は、誤りなのです。アミロイドベータというタンパク質の蓄積量が少量の段階を見つけたからと言って、そのことが、アルツハイマー型認知症の本当の意味での早期の段階を見つけることにはつながらないし、アミロイドベータというタンパク質の蓄積を防止したり、抑制したり、排除したりしたからと言って、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防することは出来ないし、症状の重症化を防止することも抑制することも、症状を治すことも出来ないのです。アミロイドベータの蓄積(その結果としての老人斑の形成)と「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状の重症化との間には肝心の因果関係が存在していないからなのです。アミロイドベータの蓄積による「老人斑」の形成は、「アルツハイマー型認知症」の発病の原因ではなくて結果に過ぎないのです(「アルツハイマー型認知症」を発病して、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」が継続されている生活状況下で、「前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていき、「末期の段階」である「大ボケ」の段階にまで症状が進行していき、更にその状態が何年間も継続された結果に過ぎないのです)。

何故なら、「小ボケ」や「中ボケ」までの本当の意味での早期の段階で見つけて、「脳のリハビリ」(脳の使い方としての「生活習慣」の適切な改善)を密に実践すれば、治すことが出来る(「前頭葉」を含む脳全体の機能が正常なレベルに改善されることにより、認知症の症状が消滅する)からなのです。このことはすなわち、「アルツハイマー型認知症」の発病の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階及び次の段階である「中等度認知症」(中ボケ)の段階までの間では、当該の「仮説」が主張する不可逆的な性質としての老人斑の形成と言った「器質的な病変(病態)」は起きてきていなかったことの証拠でもあるからなのです。米国精神医学会の診断規定である「DSM4」の規定が「第二の要件」での確認を要求している失語や失行や失認と言った症状が発現してくる段階、具体的には私たちの区分で言う末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階の更に後半の段階(30点が満点であるMMSEの得点で言うと一桁の得点にしかならないまでに「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルが衰えてきている段階)という「極めて重度の症状」にしか関心がないが為に、逆にそうした重度の症状が本態であると見誤っているだけのことなのです。

 今は過去のものではあるものの皆さんの誰もが体験してきた「第一の人生」では、「仕事」と言うテーマがあるので、毎週、毎月或いは毎年、遂行すべき大きな/それなりの「命題」があり、達成すべき「目標」があり、そうした状況の下では、自分が置かれている状況の判断や状況判断に沿った「テーマ」の発想や発想したテーマの適切な実行内容及び実行手段の組み立て等について、「時間を忘れて」考察し、考え抜き、独創的な考えや様々な工夫を思いつく為に、「意欲」を掻き立て、「注意の集中力」を高度に発揮させ、更には「注意の分配力」を活用してあれこれと様々な条件や状況を想定してシミュレーションすることに全力で取り組むことになるので、その過程では、脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」という脳機能が、フルに働く状態(「活性化」された状態)が生まれてくることになるのです。脳が活性化されている状態とは、脳の機能の面からは、「前頭葉」の機能がフルに働いている状態を言うのです。世の中では、というか日本だけでなくてこの世界中でという訳なのですが、「前頭葉」という脳機能については未だに殆ど分かっていないので、「脳が活性化する」という言葉が横行したり、流行したりしてはいても、「脳が活性化する」ということが、言い換えると、「前頭葉」を含む脳全体のいかなるかかわりの中でどのように活性化する機能構造に在るのかが、「脳が活性化する」という言葉を使用している本人にさえも、実のところ良く分かってはいないのです。

 私たちは、「アルツハイマー型認知症」の予防と早期診断による回復という目的に特化した住民参加型の「地域予防活動」を北海道から九州までの全国的に広範囲な地域にわたる440を超える数の市町村で指導してきた中で、予防教室に参加しているお年寄り全員について、「前頭葉」を含む脳全体の機能の機能レベルの変化について並びに脳の機能レベルの変化(「二段階方式」の手技を活用して、客観的な基準に基づいて改善、維持、低下の三区分に判定)を招来することとなった直接の要因である脳の使い方としての具体的な「生活習慣」の内容についての聞き取り(判定前数か月間/数年間の具体的な「生活歴」の聞き取り)を定期的に精密診断してきたその「脳機能データ」があるのです(「アルツハイマー型認知症」の症状の悪化/改善に関わる類型化された「生活要因」としての「脳機能データ」については、このブログの「A-34」を参照してください)。  

脳科学の分野の第一人者であるとか、認知症の専門家であるとか言いながら、或いはPETを扱う第一人者だと自称していながらも、極めて浅く、初歩的な程度のことしか分かっていないのです。その為、以前と比べて「物忘れの症状」が少しばかり減ってきたことくらいのことを「鬼の首でも取った」みたいに大げさに取り上げて、脳が活性化された証だとか、果ては「アルツハイマー型認知症」の発病の予防につながるとか騒ぎ立てたりするのです。前回のこのブログ「B-79」で取り上げ、脳の機能面からのメカニズムについて詳しく説明してあるように、「物忘れの症状」は「前頭葉」の三本柱の機能レベルの直接的な反映を示す症状であり、一つには「正常老化の性質」に起因して並びにもう一つには記銘時の状況下での記銘度に起因してその頻度、程度及び態様が発現してくるものなのです。従って、『物忘れの症状が常態として改善した』と言える為には、脳の使い方としての「生活習慣」の改善という根拠の存在が不可欠となるのであり、脳の使い方としての「生活習慣」の改善という「生活歴」の証拠データが必要不可欠のものとなるのです。

 今日は、そこに焦点を当てて、「脳が活性化する」とは、そもどのようなことを言うのか、脳の機能という視点から、就中「前頭葉」を含む脳全体の機能という視点から、ひいては、世界中の認知症の専門家達から発病の予防は困難とされてきている「アルツハイマー型認知症」の発病を予防する為の唯一の方法である「前頭葉」を含む脳全体が活性化する「生活習慣」の構築とその実践という「テーマ」についても(これは、私たち独自の主張であり、見解なのですが、住民参加型の「地域予防活動」の実践では、当たり前の「テーマ」であり、実証されて来てもいるものなのです)、詳しくお話ししてみたいと思うのです。なお、「アルツハイマー型認知症」の発病自体の「予防」と早期診断による「回復」を明確な活動目的とした市町村による住民参加型の「地域予防活動」の実践展開という「テーマ」は、私たちの「二段階方式」の手技だけが為し得てきたものなのです。「アルツハイマー型認知症」の本質は、廃用症候群に属する生活習慣病であり、「前頭葉」を含む脳全体が活性化する「生活習慣」の構築と実践とにより発病自体を「予防」し並びに「脳のリハビリ」(「前頭葉」を含む脳全体が活性化する「生活習慣」の改善と実践)により認知症の症状を改善させる/治す(但し、本当の意味での早期の段階である「小ボケ」及び「中ボケ」の段階までが対象となる)ことを明確な目的とした住民参加型の「地域予防活動」では、「二段階方式」の手技を活用することにより、予防教室に参加しているお年寄りの「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの変化とその基礎となった「生活歴」の聞き取りにより、改善、維持又は低下の判定を担当する保健師さんの必須の業務として行っているのです。その場合、私たちの「二段階方式」の手技では、「前頭葉」の機能レベルの変化については「かなひろいテスト」を使用し、脳の後半領域の変化については「MMSE」を使用し並びに脳の使い方としての「生活習慣」の具体的な中身を聞き取り(「生活歴」の聞き取り)、客観的な基準に基づいて三者を総合的に判定しているのです。

この場合の特徴として、脳の後半領域の機能は、当該対象期間中の「生活習慣」の内容次第で容易に、且つ大きく変化するものなのですが、肝心の「前頭葉」の機能レベルについて一定のレベルでの改善という変化が認められる為には、当該対象期間中の「生活習慣」について密度の濃い改善内容と不断の実践という二つの重要な要素が確認される場合に限られるということなのです。特に、様々な種類が数ある認知症の内の大多数、その90%以上を占めていながら、未だに「発病のメカニズムが分からないし、症状を治すことも出来ないし、発病自体を予防する方法も分からない」とされてきている「アルツハイマー型認知症」を発病するその対象となる世代、「第二の人生」を送っている60歳を超える年齢の「高齢者」の方達にとっては、左脳が専管する「仕事」とは無縁の毎日を過ごすしかない生活状況に置かれているが為に、脳を活性化させるとか、「前頭葉」を含む脳全体が活性化する「生活習慣」とか言われても、「何をどのようにしたら良いのか皆目見当もつかない」という方達が大半だと思うのです。そうしたお年寄りの疑問に答え、且つ一定の指針となるものを提供したいと考えて、今日のこのテーマを選んでみたのです。

我が国日本は、高度経済成長期を謳歌していた時代の残滓が未だ残っているのか、或いは当時働き盛りの年齢だった方達が現在「第二の人生」を送っている中枢を構成しているためなのか、「学歴社会」というものが過去の遺物のはずでありながら、第二の人生を送っているお年寄りの日常生活面においてさえも残存しているように思えるのです。その「学歴社会」の価値基準からすれば、「脳」というのは、まさしく「左脳」のことを言うことになるのです。左脳は、言葉や論理や計算や場合分けなどのデジタルな情報の処理に機能特化した脳なのです。それは、勉強や仕事を遂行する上で必要不可欠の機能でもあるのです。そうであるが故に、学歴社会と揶揄される価値観を特徴とした我が国の高度経済成長期には、左脳だけに光が当てられ、右脳や運動の脳には、誰もが関心を寄せてこなかったのです。ところが、仕事や勉強とは基本的に無縁となるのが、「第二の人生」を送るということなのです。

「アルツハイマー型認知症」の本質は、使われる機会が極端に少ないことに直接起因して「前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていく結果として、認知症の症状が発現し/症状が重症化していくところの廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎないのです。米国精神医学会の診断規定である「DSM4」の規定が第一の要件として確認を要求している「記憶障害」の症状は、「アルツハイマー型認知症」の根幹をなす(基礎となる)症状ではないのです。「前頭葉」の機能障害に起因した症状こそが、「アルツハイマー型認知症」の根幹をなす(基礎となる)症状なのです。そして、「アミロイドベータ」の蓄積による老人斑の形成により/「タウ蛋白」の蓄積による神経原線維変化の形成により、情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死が惹起され「記憶障害」の症状が発現してくることにより「アルツハイマー型認知症」を発症すると言う「仮説」は、発病の原因ではなくて、発病の結果を原因だと勘違いしているだけのものなのです(「アルツハイマー型認知症」を発病して、早期の段階があるとも医師達が知らないがままに症状が進行し重症化していき、末期の段階である「大ボケ」の段階の更に後半になって初めて発現が確認されることになる失語や失行や失認の症状が確認されたお年寄りの死後の「脳の解剖所見」の外観的な所見である老人斑やら神経原線維変化等と言う「器質的な病変」が発病の原因だと思い込んでいる学者達の単なる勘違いを根拠に主張されているだけのもの)。アミロイドベータ説やタウ蛋白説を主張している人達や機関に権威があるが為に、主張され出してから20数年が過ぎた現在でも、主張の根拠とされるものと発病との間の因果関係の立証が出来ないままでの「仮説」として、未だに学会や医療の現場でその権威が保たれているという不可思議極まりない現象を目の当たりにするのです。

 ところで、色や形や音や空間、或いは感情や感性と言ったアナログな情報の処理は「右脳」が専管しているのです。絵をかくのが並外れて上手い人達とか、歌を歌わせたら右に出る者はいないとか評されている人達は、その右脳の働き具合が並外れているのです。サッカーや野球やゴルフなど運動の分野で並外れた技量を発揮している人達はというと、「運動の脳」の働き具合が並外れて優れている人達と言うことなのです。頭がいい、優れた脳をしているということは、左脳だけでなくて、右脳が優れた人にも当てはまるし、運動の脳が優れた人にも当てはまる言葉なのです。然も、「第二の人生」を生きていく上では、仕事とは無縁の日々を生きていくということでもあるのです。脳をしっかり使ってやるとか、脳を活性化させるとか言う言葉を、「第二の人生」を生きている貴方達に対して使うときは、その主役は左脳ではなくて、「右脳(人と場合によっては、運動の脳)」のことを言っているのだということを理解して頂きたいのです。

私たちが日常生活を送るに際して脳を使うということは、「本能」と言うレベルではなくて、「意識的」に何かを考え、行為し、行動するということなのです。その意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしている脳機能、それが「前頭葉」と言う機能なのです。私たち人間の脳を理解するには、「三頭立ての馬車」をイメージしてみて頂くと理解しやすいと思うのです。言葉や計算や論理、或いは、場合分けといった「デジタルな情報」の処理を専管している機能が「左脳」という機能なのです。色や形や音や空間や時間や感情といった「アナログな情報」の処理を専管している機能が「右脳」という機能なのです。身体を動かすための「アナログな情報」を専ら処理している機能が、「運動の脳」という機能なのです。それら三頭の馬を制御しているのが、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」という脳機能、「三頭立ての馬車」の御者の役割を担っているのが「前頭葉」という脳機能だと覚えておいてください。私たちが意識的に何かを考え、行おうとする世界を構築し、統合し、統括し、支配し、コントロールしているのが、この「前頭葉」という脳機能なのです。

前回のブログで取り上げ詳細に説明したように、「記憶」も意識的な世界での脳の働きによるものであり、「前頭葉」が、特に前頭葉の三本柱の機能が深く関与するものなのです。そして「前頭葉」という脳機能は、実は「マウス」には備わってはいないのです。ところが、何故だかは知らないのですが、「アミロイドベータ説」の牙城である京大や理化学研究所は、檻の中で餌を探して彷徨するマウスの行動から、「記憶」に関わるデータを収集して、主張の根拠にしているのです。その解析に基づいて、「アミロイドベータ」の蓄積量が記憶障害の症状の有無や程度に深く関係しているとの仮説を展開しているのです。アミロイドベータの蓄積を抑制したり、或いは蓄積を阻害する効能を有する薬を開発することにより、記憶障害の症状の発現を抑制し、或いは防止することとなり、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防したり、症状の進行を抑制したり、症状を治すことが出来るはずとの前提(仮説)に立った主張なのです。つまりは、その前提自体が崩れると、言い換えると、『「アミロイドベータ」の蓄積量と記憶障害の症状の発現又は症状の重症化との間に因果関係が存在しない時及び/又は、記憶障害の症状が「アルツハイマー型認知症」の根幹(基礎)となる症状ではないことが明らかとなった時、単なる誤解に基づく「仮説」だったということになる』訳なのです。そこで主張されている二つの「前提とされた内容」の両者共に重大な誤りであることは、このブログの「B71」、「B77」及び「B79」で、根拠となる「脳機能データ」の解析結果も交えて詳細に分析し指摘した通りなのです。

 マウスの記憶のメカニズムはさておいて、私たちの体験に照らして言うと、例えば、「今日一日の出来事」を日記に書いておくことにしましょう。今日は、朝方から天気が良くて、風もなく、東北から北陸、山陰地方にかけて裏日本側が一日中吹雪に襲われていたというのに、当地は一日中暖かい日よりだったこと。午前中に大室山のふもとまで車で行って、駐車場に車を止めておいて、Tadと一緒に、そこから「速足の散歩」をしながら、土地のお百姓さんが小屋掛けして道端で売っている「減農薬野菜」を買いに行ったこと。午後は、静岡県内の食事処や遊びどころを取り上げた創刊号である「Tabitabi」の本丸を構成する記事となり、最近になって急に注目を集め始めた富戸に所在する天空の異空間「JGarden」まで、これまた、「速足の散歩」をしながら歩いていき、出されたコーヒーと茶菓子(糖尿病がらみの私は、一つだけいただきましたが)とをいただきながら、御主人が20年かけて手作りで完成させた異空間での景色と音楽と会話とを2時間余りも楽しんで且つ、帰り道を40分かけて歩いて帰ってきたこと。これを日記に書くことが出来るのは、「前頭葉」という「脳機能」がある私達人間だけ、就中、「前頭葉」の機能が正常な機能レベルに在る人だけなのです。但し、一日の出来事を想起することが出来ただけでは、文にすることはできないのです。どのようなストーリーの流れにするのか、それぞれの出来事に対してどのような彩を添えるのか、全体としてどの出来事をメインのテーマとして詳しく書くのか等の作業が必要になってくるからです。その作業には、「前頭葉」の三本柱の機能、就中、「注意の分配力」の機能がフルに働いてくれる必要があるからなのです。

「注意の分配力」の機能は、異なった複数のテーマを同時に処理する上で必要不可欠の機能なのです。私のブログの「B76」と「B77」とを読み比べて頂ければ、そのことを十分理解することが出来る良い見本となっているのです。それらの作業が、出来栄えの議論は脇に置いとくとして、それなりに出来るのは、私達人間には、言葉があることは勿論なのですが、「前頭葉」という脳機能、就中「前頭葉」の三本柱の機能、取り分けて言うと「注意の分配力」の機能があるからなのです。「前頭葉」という脳機能は、私たち人間だけに特有の脳機能であり、他の動物たちには無い機能なのです。今日一日の出来事を、それなりの味付けをして、一定の流れに沿って日記にまとめて書く等という作業は、DNA的に人間に最も近いとされるチンパンジーにも、京大や理化学研究所が「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムの解明の為と称して、閉鎖された箱の中に入れられてエサを探して動き回る行動を研究しているアルツハイマー・マウスにさえも(アミロイド・ベータが注入されたマウス)到底できない芸当なのです。

 & 「前頭葉」の個別認知機能とその働きを支える二重構造の関係

「前頭葉」の個別認知機能が働くとはどのようなことを言うのかというと、「前頭葉」の三本柱の機能と私たちが名付けている「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能がその働き具合を左右し、下支えしているということ、言い換えると、「機能発揮上の二重構造」の関係にあることを、先ず理解する必要があるのです。即ち、私たちが世界で初めて発見し、機能発揮面における「二重構造」の問題と名付けている「前頭葉」の個別認知機能脳の機能発揮上の機能構造のことなのです。例えば、状況の「判断」という個別の認知機能を取り上げて説明すると、「意欲、注意の集中力及び注意の分配力」の機能の発揮度が一定以上のレベルに高まった状態でいないと、「判断」という機能の機能発揮度自体も必要な機能レベルには高くはならないということなのです。私達が「意識」という概念について、意識の覚醒度(意識の覚醒の度合い)という概念の必要性を問題提起している根拠がここに在るのです。

多岐に亘っていて、数有る個別の認知機能(理解、了解、了知、了承、考察、考慮、観察、監視、鑑賞、観賞、感動、抑制、反省、内省、忍耐、思索、思考、企画、計画、シミュ・レーション、創作、創造、洞察、推理、推察、推認、推測、推稿、詮議、詮索、想像、空想、妄想、探求、探索、追及、究明、創意、工夫、比較、検討、評価、判定、判断、修正、選択、選定、排除、排斥、除外、校正、構成、構想、構築、統合、分別、支配、確認、確信、決定、決断、支持、指示、指揮、采配、統率、統括、総括等)の全てが、その機能を発揮するに際しては、「前頭葉」の三本柱の機能の発揮度に左右され、下支えされているという訳なのです。このことを言い換えると、「前頭葉」の三本柱の機能の発揮度が何らかの原因で衰えると、「前頭葉」の個別認知機能の発揮度も低いものになるということなのです。「前頭葉」の個別認知機能の発揮度は、「前頭葉」の三本柱の機能の発揮度に依存する機能構造となっていて並びにその上に、私達が「二段階方式」の手技を活用して集積した「脳機能データ」の解析結果が示しているように、以下に説明する「正常老化の性質」の影響を直接的に反映することになるという訳なのです。

 その「脳機能データ」が示しているのは、「前頭葉」の個別認知機能の『機能の発揮度』を左右し、下支えする働きを有する「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能には、『脳の使い方としての「生活習慣」の如何に拘らず、「加齢」と共にその機能が衰えていく』という性質(私たちが「正常老化の性質」と名付けている性質)が、生来的に誰の脳機能にも内在しているということなのです。その「脳機能データ」によると、『「前頭葉」の三本柱の機能の働き具合は、「18歳から20歳代の前半のころ」がピークで、緩やかながらも直線的なカーブを描きつつ衰えていくのです。そして、「第二の人生」が始まる60歳代の半ばころには、ピーク時の半分くらいのレベルにまで機能が衰えてきていて、100歳代に向かって、直線的に緩やかに、更に衰えていくことになる』ということなのです。

今日一日に起きた出来事をどのような文章としてまとめ上げるか、それについては、「前頭葉」の二つの機能が関わってくることになります。その一つが「前頭葉」の三本柱の機能なのです。どのテーマをメインテーマとするか、それぞれのテーマにどのような味付けをするかという問題、更には、全体の文章の量とそれぞれのテーマとのバランスの問題について、事前のシミュレーションが必要となるのですが、それを可能にする機能が「前頭葉」の三本柱の機能、就中、「注意の分配力」の機能であり、どの程度可能なのかは「前頭葉」の三本柱の機能の機能レベル次第ということなのです。加えて、それぞれのテーマについてどのような味付けを施すのかについては、「前頭葉」の「評価の物差し」という機能が関わってくることになるのです。他の人とは異なる貴方独自のもの(どのような見方、感じ方、考え方をしたのか)については、あなた自身の「前頭葉」の機能を構成している重要な構成要素である「評価の物差し」が決めることになるからなのです。それに加える要素としては、「文章の巧拙」の問題が最後に関わってくることにはなるのですけれど。

 昼時になって、お友達の川島さんが、ご自身が焼かれた手作りのケーキをもってやってきてくれたとしましょう。そこに、砂塚さんが米麹を使用した無添加の手造り味噌を持ってきてくれたとしましょう。「女三人寄れば、姦しい」という訳ではないのですが、ケーキの話と味噌の話が入り混じりつつも、会話が全体として見事に流れていく為には、「前頭葉」の三本柱の機能、就中、「注意の分配力」の機能が正常なレベルで機能していることが不可欠の条件となるのです。

「アルツハイマー型認知症」発病の最初の段階、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、三頭の馬が(左脳、右脳及び運動の脳)未だ正常な機能レベルに在るのに、御者である「前頭葉」の機能だけが異常な機能レベルに在るのです。その「小ボケ」の段階で既に、話の中に入ってはいけなくなってきているという状況が生まれてきていることに、認知症の専門家と言われている人達が気が付かないでいるのです。その人達は、「記憶の障害」の症状こそが、「アルツハイマー型認知症」の根幹(基礎)となる症状だと誤解しているので気づかないのです。「小ボケ」の段階では、記憶障害の症状はその欠片も発現してこなくて、「前頭葉」の機能障害に起因した症状しか確認できないのです。

このことに気づかない限り、MCI (軽度認知障害)とか言って如何にも意味ありげな言葉を持ち出そうとも、本当の意味での早期の段階の判別には何の役にも立たないのです。結局のところ、「脳のリハビリ」により回復させることが可能な本当の意味での早期の段階、私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階を見落としていて、回復させることが困難であり末期の段階である「大ボケ」の段階でしか「アルツハイマー型認知症」を見つけられないでいるのです。回復させることが可能である本当の意味での早期の段階で見つける方が売上高が大きく増えることとなり、回復させることが困難である末期の段階で見つけたのでは売り上げが僅かしか立たないのであれば、医療現場での対処はがらりと変わることになると思うのですが、実態はそれとは逆なのです。末期の段階で見つけて、治すことも何もできないで居ながら、CTやらMRIやらSPECTやらPETまでも総動員して、単に売り上げを稼いで平然として「商売」をしているのです。その上、効きもしない薬までも処方して売上高を伸ばしているのです。不条理だとは思いませんか。

 & 脳の構造と機能面から見た「脳の活性化」の意味

世間では、「アルツハイマー型認知症」の専門家と称する人達(医師や研究者)が、脳の活性化というテーマについて、様々な発言をしています。その代表的な例が、「物忘れ」というテーマなのです。簡単な足し算や引き算を日課にしていると「物忘れ」が減ってくるとか、尻取りゲームをしながら散歩を日課としていると「物忘れ」が減ってくるとか言う類のものなのです。簡単な足し算や引き算をするとか、平仮名で書かれた簡単な寓話の類を音読してみたところで、5~6歳児であればいざ知らず、60歳を超えた年齢の「高齢者」の場合は、「前頭葉」が「活性化した状態」にはならないのです。教室が始まる前や後でのザワザワした状況、世間話に夢中になっている状況下での「前頭葉」の活性化という効果について、医師や研究者や学者が無知なだけのことなのです。教室に通ってきている特定の複数の「お年寄り」を対象にして、『教室に通ってきて実施している場合の効果』と『友達とも交わらないで、一人家に籠って実施している場合の効果』との差を調べてみれば、教室の授業の効果と考えていたものが、生活要因による効果(教室に通ってくる中で親しくなったお友達との世間話に花が咲く時間の体験による効果)であったことが容易に分かるはずなのです。

「物忘れ」が減ってくると言うことを脳の機能面から見てみると、以前に比べて『記憶する際の「記銘度」及び想「想起」の機能レベルが高くなってきている』ということなのです。記憶は、記銘、保持、想起という三つの行程を辿るものなのです。「物忘れが減る」とか、「物忘れの症状が軽くなる」とかの現象が何を意味しているのかを考えることが出発点となるのです。「脳機能データ」の解析から判明していることはというと、『対象となる情報を記銘するときの「記銘度」が高かったものは、よく保持され、よく想起されることになる』ということなのです。従って、物忘れの症状が軽減されたということは、対象となる情報を記銘する際の記銘する力が改善されてきている、言い換えると、「前頭葉」の三本柱の機能の内の「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能が改善されてきているということなのです。但し、此処に極めて重要な問題が潜んでいるのです。「意欲」の機能が改善されてくれば、脳が活性化されているというのに十分なのかという問題なのです。実は、意欲だけでは不十分なのです。「注意の集中力」の機能の改善も必要なのです。「注意の集中力」の機能が改善されていればそれで十分ということなのか。答えは、NOなのです。「注意の分配力」の機能も改善されているのでなければ、脳の機能の「潜在的な能力」が十分に不可逆的に改善されたという訳にはならないのです。このことについて、世間が、脳科学者や「アルツハイマー型認知症」の専門家とされる人達が未だに無知なのです。

仲間達と楽しく会話をする場面でも、日記などの文章を構成して書く場面でも、今日や今週の行動日程を企画し実行内容を組み立てる場面でも、「注意の分配力」の機能が正常な機能レベルで、且つ、フル回転することが要求されることになるのです。どんな種類、程度及び態様のものであれ、複数の対象を同時に、且つ、的確及び適正なレベルで処理する為には、意欲、注意の集中力の機能だけではなくて、注意の分配力の機能が活性化している状態に在ることが必要不可欠のこと、絶対の条件となるのです。従って、何か特別の「テーマ」を日課として、半年間かそれ以上の期間継続して実行した結果、「脳が活性化」したと言えるためには、最も高度な機能である「注意の分配力」の機能の機能レベルが改善されていることが証明されないと、そうは言えないということなのです。そもそも、「注意の分配力」の機能というのは、複数の異なったテーマを同時に並行して処理する為の必要不可欠で、且つそれを専管する機能なのです。私たちが「二段階方式」の手技を活用して集積し、解析した「脳の機能データ」から説明すると、MMSEの下位項目の項目困難度で最上位に在る「想起」という機能は、「注意の分配力」の機能の機能レベルを最も強く反映する項目なので、「簡単な足し算や引き算をする」とか/仮名で書かれた簡単な内容のおとぎ話などを音読するなどの作業程度では、意欲や注意の集中力と言った機能について或る程度機能回復することは期待できるにせよ、「注意の分配力」の機能が機能回復する状態は容易には作り出せないのです。従って、単に「以前に比べて物忘れが減ってきた」くらいのことで、脳の機能が改善された、就中、「前頭葉」の機能が改善された等と「曖昧でいい加減な尺度」を持ち出さないで頂きたいのです。

「前頭葉」の潜在的な機能レベルの一定レベルでの改善、就中、「注意の分配力」の機能の潜在的な機能レベルの一定レベルでの改善を判定するには、私たちが独自に開発した「二段階方式」のような精緻な「神経心理機能テスト」によってのみ可能なことであって、たとえfMRIやらSPECTやらPETを使用しようとも困難であることを付け加えて、問題提起しておきたいのです。血流量の増加や増幅と言う曖昧な基準では、「前頭葉」の機能レベルの一定レベルでの改善又は低下についての客観的で精緻な判定は出来ないのです。更に付け加えると、「前頭葉」の三本柱の機能の潜在的な機能レベルを改善する為には、脳の使い方としての「生活習慣」の改善が必要不可欠の条件となるのであり、趣味や遊びや人付き合いや運動、或いは地域興し等の「テーマ」を脳の使い方としての「生活習慣」に積極的に取り込んで、自分なりの「生き甲斐」があり、「目標」があり、「喜び」があり、「楽しみ」が得られるような「生活習慣」を構築し、出来るだけ人多くのと交わる機会を得ながら、密に実践することが求められるのです。

 & 「アルツハイマー型認知症」(ボケ)の発病を予防する方法

私たちが「二段階方式」の手技を活用して集積した14689例にも上る精緻な「脳機能データ」の解析結果によると、『私たちの意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしている「前頭葉」の機能が正常な機能レベルに保たれている限り、「アルツハイマー型認知症」を発病することは、絶対に無い』のです。そのための必要不可欠の条件は、私たちが発病の「第二の要件」に定義している生活習慣、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」に陥らないことなのです。そのための効果的な手段というのが、「前頭葉」の出番が出来るだけ多くなるような脳の使い方としての「生活習慣」の実践なのです。「前頭葉」の出番が出来るだけ多くなるような脳の使い方としての「生活習慣」の実践により、「前頭葉」を含む脳全体の機能の廃用性の加速度的で異常な機能低下を予防することが出来るからなのであり、肝心の因果関係について何等の立証も無しに学説(仮説)が主張しているような、アミロイドベータの蓄積による老人斑の形成やタウ蛋白の蓄積による神経原線維変化の形成等の器質的な病変(病態)が「アルツハイマー型認知症」発病の原因ではないのです。

上述したように、「アルツハイマー型認知症」としての認知症の症状が確認される最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、左脳も、右脳も運動の脳も全てが正常な機能レベルに在るのに対して、最も高度な機能であり脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能だけが廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行に起因して、異常な機能レベルに在ることが分かるのです。そして、「中等度認知症」(中ボケ)の段階では、廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行に起因して「前頭葉」の機能レベルが更に異常なレベルに低下している上に、「小ボケ」の段階では正常な機能レベルに在った「左脳」、「右脳」及び「運動の脳」も異常なレベルに機能が加速度的に低下してきていて、末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階では、廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行に起因して、「前頭葉」を含む脳全体の機能が更に異常なレベルへと加速度的に衰えてきていることが分かるのです。

生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもないナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」が継続されている状況下で、廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行していくことにより、「前頭葉」を含む脳全体の機能が衰えていくとき、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクする形で「三段階」に区分される「アルツハイマー型認知症」の症状が発現し、重症化が進行していくのです(その症状の類型については、ここを「クリック」してしてください)。それらの症状を子細に観察してみれば、「早期」の軽い段階であればあるほど、「記憶障害」の症状ではなくて「前頭葉」の機能障害に起因した症状が発現してきていることが分かるし、「末期」の段階、私たちの区分で言う「大ボケの」段階の症状であっても、外観からでなくて、症状が発現してくる中身である「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルという客観的なデータ及び視点から深く検討し、観察してみれば、『概観的には「記憶障害」の症状の反映であるかの如くに見える、それら全ての症状が、「記憶障害」ではなくて「前頭葉」の機能障害に起因した、且つ脳全体の機能レベルを反映した症状である』ことが分かるのです。  

 & ボケとは無縁で、「第二の人生」を完走するための心構え

『脳が活性化している』ということは、これを言い換えると即ち、「前頭葉」が活性化していることを言うのであって、「前頭葉」が活性化しているということは、日々の生活の中で「前頭葉」の出番が多い脳の使い方としての「生活習慣」が構築されていて、且つ、そうした実践が継続されていることを意味するのです。その基礎となっている脳機能は、「前頭葉」の三本柱の機能である、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能なのです。

先に「前頭葉」の個別認知機能を列挙しましたが、皆さんがこれまでの人生の過程で発揮してきたものばかりだということに気づかれていると思うのです。その個別認知機能自体を、この年齢で、今更に開発することは加齢の進行との関係で期待可能性が極めて低いのです。考えるべきは、個別認知機能の発揮度を左右し、下支えしている機能である、「前頭葉」の三本柱の機能の発揮度を上げることの方が期待可能性が高いのです。然もその最善の効果的な方法は、『出番を増やしてやり、しっかりと使ってやりさえすれば良い』ということなのです。趣味や遊びや人付き合いや地域興し或いは運動の分野で、自分なりに関心や興味が覚えられそうな「テーマ」を見つけ出して、出来るだけ家の外に出ていき、出来るだけ多くの仲間と交わる中で、自分なりに意欲が湧いてくるもの、集中力が上がるもの、注意の分配力を使う場面が多いものを選んで、日々の、毎週の、或いは毎月の生活の中に取り込んで、その実践を習慣化するのです。「アルツハイマー型認知症」の本質が「前頭葉」の出番が極端に少ない生活の継続に起因した廃用性の「生活習慣病」であるということは、「アルツハイマー型認知症」を発病しない為には、脳全体の司令塔の役割を担っていて、私たちの意識的な世界を構築し、統括し、コントロールしている「前頭葉」を居眠りさせないことが必要不可欠の条件となるということなのです。すなわち、「第二の人生」を自分なりに十分に楽しむ「生き方」が求められるということなのです。

 ここで皆さんに一つ質問があります。クイズではないので、しっかりと「前頭葉」を駆使して考えて、貴方なりの答えを出して頂きたいのです。さて質問です。『「前頭葉」が活性化する「生活習慣」を構築する上で、一番重要な要素となるものは何でしょうか正解は、『人の輪の中に入っていき、人と交わる』ということなのです。住民参加型の「地域予防活動」の体験及び活動拠点となる『脳イキイキ教室』に参加されているお年寄りの皆さんが異口同音に語る言葉が、それなのです。『家に籠ってばかりの生活だった頃は、夫婦間での会話で、声を出して笑うなどということは無かった』、ましてや、独り暮らしの身で、『家に籠ってばかりの生活を送っている場合は、声を出して笑う等という機会は全くなかった』とおっしゃるのです。『教室に通うようになって、皆さんと顔を合わすようになって、楽しくて、声を出して笑う生活が戻ってきた』と皆さん異口同音に語られるのです。人の輪の中に入っていき人と交わるということは、相手の話に耳を傾け、語られるその内容を理解する上でも、どのような目線やら表情をして聞くのか、或いはどのような展開場面で相槌を打つのか、更には、自分なりの考えや意見をどのような内容でどのようにして語るのか、全てが、「前頭葉」の関与を必要とするのです。そうした場面が楽しいと感じられるとき、特に、あっという間に時間がたってしまったと感じられるとき、貴方の「前頭葉」がフル回転していたということなのです。言い換えると、その間には、「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能がフル回転していたということでもあるのです。 貴方の「脳の活性化」について、何をどうすべきか、ヒントになりましたか?

我が国で権威があるとされる大学の医学部の教授がテレビに出てきて、「グーパー体操や昔の思い出話を語る回想法なるものや、散歩しながらしりとりをする場面など」を例に挙げて説明しながら、それらが脳の活性化に役立つとか言って、その証拠として物忘れの症状の低下を挙げたり、時には、例のPETなるものを取り上げて、血流が増幅している状態の映像を示して、脳が活性化している証拠だと強調する報道がみられたりする御時世なのです。 その程度のことであれば、予防教室に通ってきて、「お漬物とお茶をいただき乍ら、世間話に花を咲かせる」だけの内容であっても、「脳の血流」は同様に、同程度に増幅されることを知ることになるのです。世間話中心のお茶のみの場に参加していることにより、そのことが楽しくて、「前頭葉」の個別認知機能の出番が増えることで脳全体が活性化し、「前頭葉」の個別認知機能の発揮度を左右し、下支えしている「前頭葉」の三本柱の機能が使われる機会が増えることにより機能レベル自体が上がってくることになるからなのです。その程度のことで脳が活性化しているとか、介護保険の申請数が大幅に減少したとか、騒がないで欲しいのです。私たちがこれまでに展開し、実証してきた住民参加型の「地域予防活動」の成果は、そんな些細な事ではないのです。『「アルツハイマー型認知症」の発病自体の予防と早期に発見して治すという私たちの提案に対して見向きもしないで、このまま放置して居ると、財政面から近い将来に破綻することが明白な状況にある「介護保険制度」の危機的な状況』に対して、市町村による住民参加型の「地域予防活動」の全国展開、加えて、出来るだけ小さな単位で密に実施することにより驚く程のスピードと規模とで費用を劇的に減少させ、状況を劇的に改善させることが出来るのですから。

ただ単に「歌って、踊る」とか、「しりとりしながら散歩する」とかいうレベルの物ではなくて、脳の機能、特に必要欠くべからざる要因である「前頭葉」の機能レベルの判定とその基礎となっている脳の使い方としての「生活習慣」のチェックと改善指導とを科学的に客観的な手技として確立された「二段階方式」の手技を活用して実践すべきなのです。上述したように、「アルツハイマー型認知症」の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階を脳の機能面から見ると、脳の後半領域の機能である左脳、右脳及び運動の脳の全ての機能が正常な機能レベルに在るのに、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能だけが異常な機能レベルに在ることが特徴なのです。然も、「前頭葉」の個別認知機能の発揮度を左右し、下支えしている機能である「前頭葉」の三本柱の機能には、『加齢と共にその働きが衰えていくという性質、私たちが「正常老化の性質」と呼ぶ生来的な性質』が内在しているのです。従って、「アルツハイマー型認知症」を発病しない為には、言い換えると、「前頭葉」の機能レベルを正常な機能レベルのままに保つ為には、緩やかながらも下降していくそのカーブを下側から支える「生活習慣」が不可欠となるということなのです。

「超高齢化社会」を我が国の財政面から支え直すには、様々な種類が数有る認知症全体の90%以上の割合を占めている「アルツハイマー型認知症」の発病自体の予防と早期診断による回復とを明確な目的とし、且つその目的に特化した活動としての「地域予防活動」を我が国の全ての市町村で/且つできるだけ狭い地域単位で密な活動として展開すべきだと考えるのです。「前頭葉」が活性化している、言い換えると「前頭葉」の個別認知機能が活性化しているということは、機能発揮上の「二重構造」という構造面からみると、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能から成る「前頭葉」の三本柱の機能が活性化しているということなのです。皆さんのこれまでの「体験」に照らして考えてみた時、どんな時、どんな状況の下に在る時、「前頭葉」の三本柱の機能が活性化しますか?実行の目的となる「テーマ」を考えたり、企画したりすること自体が楽しいと思えるとき、「テーマ」の実行内容をあれこれと考えること自体が楽しいと思えるとき、実行するに際しての達成目標を考えること自体が楽しいと思えるとき、実行する仲間を含めた実行の環境が楽しいと思えるとき、実行していること自体が誇らしいと思えるとき、実行した結果が嬉しいと思えるとき、そのテーマの実行の過程や目法の達成により、そうした「生活習慣」に従事すること自体に生き甲斐を覚えるとき、更には、そのテーマを実践していることを周りの人達に自慢したいと思えるとき、繰り返してやりたいと思えるとき、そうした「生活習慣」を継続していきたいと思えるとき、ではないでしょうか。そうした好循環は、「前頭葉」に内在している機能である貴方自身の「評価の物差し」(貴方独自のものの見方、考え方、感じ方の基準)がプラスに評価しているからこそ得られることなのです。周りから見ての評価ではなくて、貴方自身の評価でプラスに評価できて、且つ楽しくて、それが何であれ、打ち込めることが出来て、夢中になれて、時間が経つのも忘れてしまうようなことが、一つでも二つでもあれば、「鬼に金棒」と言えるでしょう。

自分なりの「テーマ」を選択して、自分なりの「目標」の設定が出来ていて、そうした「テーマ」の遂行と設定した「目標」の達成に向けての努力の過程、更には、「目標」の達成により、自分なりの「生き甲斐」や「喜び」が得られることが、「前頭葉」の三本柱の機能を更に活性化させることになるのです。そのことが、加齢と共に機能が衰えてきていた「前頭葉」の三本柱の機能の衰えのカーブをさらに緩やかなものに変えてくれることになるのです。その反射的な効果として、「前頭葉」の個別認知機能の発揮度自体が高いものとなる、これこそが「脳の活性化」という脳の機能面からの変化なのです。そうした「テーマ」を一つでも二つでも、貴方の「生活習慣」に組み込んでいくことが出来たとき貴方は、ボケ(「アルツハイマー型認知症」の発病)とは無縁の「第二の人生」を完走することが出来るのです。

暇もお金にも余裕がなくて、仕事一筋の人生をやってきて、働くことしか考えられないという人は、「運動の脳」の活用を考えてきていただきたいのです(ここを「クリック」してください)。運動の脳の活用も無理という人は、とりあえず家に籠ることだけは避ける生活、家の外に出て行って、出来るだけ人と交わり、人に接する努力をしていただきたいのです。相手の話を聞いて理解するにも、相槌を打つにも、自分なりの考えを表明するにも、それなりの表情や目線を提示するにも、必ず「前頭葉」の働きが絡むので、「前頭葉」の三本柱の機能の出番が出来るからなのです。お漬物やお茶菓子をつまみながら、車座になって、たわいの無い世間話に加わるだけでも、貴方の「前頭葉」は十分に活性化することが出来るからなのです。

「第一の人生」では、夫には会社勤めという「仕事」があり、妻には家事や子育てという「仕事」があり、短期及び長期の達成すべき複数の「目標」が常にあり、その達成の過程における及び折々の目標の達成による喜びや生き甲斐を得られる機会がそれなりに有るのですが、仕事とは無縁になる「第二の人生」では、仕事以外の分野で追及すべき自分なりの「テーマ」を見つけて、達成すべき自分なりの「目標」を設定し、目標達成の過程で及び折々の目標の達成により、自分なりの「喜び」や「生き甲斐」が得られる機会が出来るだけ多くなるよう、常にそうした「目的意識」をもって生きていくことが求められるのです。「アルツハイマー型認知症」を発病することになるかならないか、それは、「第二の人生」を生きていく上での貴方自身の脳の使い方としての生活習慣の在り方、「生き方」が問われることになるのです。「アルツハイマー型認知症」を発病しない為には、「前頭葉」の機能レベルが正常な機能レベルのままで加齢を重ねていくことが必要不可欠の条件となるのです。そのためには、「前頭葉」が生き生きと働くような、自分なりの脳の使い方としての「生活習慣」の確立が求められるのです。

「第二の人生」は、脳の機能面から説明すると、仕事とは関係がない生活となるので、「右脳」の活用が主体となるのです。趣味や遊びや人付き合い、或いは地域おこし等の社会活動のテーマの中から、自分なりに関心があるテーマ、興味が持てるテーマ、継続してやっていけそうなテーマを選んで、自分なりの目標を設定して、実践の過程自体や状況が楽しめて、それにより更なる「意欲」が湧いてきて、そして目標の達成により「喜び」や時には「生き甲斐」が得られるような「生活習慣」、脳の使い方としての「生活習慣」を構築し、実践していただきたいのです。

 私たちの「前頭葉」の三本柱の機能には、誰であれ、生来的な性質としての「正常老化の性質」が内在されているので、加齢が進行していくだけで、その機能は緩やかな直線的カーブを描きながら衰えていくものなのです。これと言った目標もなく、毎日を何となく過ごすだけの生活、脳全体の司令塔の役割を担っていて、私たちが「意識的」に何かをしようとする世界を構築し、支配し、コントロールしている「前頭葉」が居眠りをし始めたとき、「アルツハイマー型認知症」という病気が抜き足、差し足、忍び足で近寄ってくることになるのです。丁度、日常の生活面での何等の自覚症状がないままに、幾種類もの合併症を惹き起こすあの恐ろしい「糖尿病」が忍び寄ってくるように。

 注)本著作物「Bー80」に記載され表現された内容に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

エイジングライフ研究所のHP左の部分を「クリック」してください)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

咲いた 咲いたよ!

2017-04-13 | 自分なりのテーマを日々楽しむ脳の活性化

 今年は2月が寒かったせいで、桜の開花が全国的に遅れたようです。

伊豆高原の我が家の周りの桜も、例年に比べて2W咲くのが遅れました。

その桜がやっと咲いてくれたので、皆さんにお裾分けです(写真に、ポインターを

当てて、左をワン・クリックすると、写真が拡大表示されます)。

 

 リビングから真下に眺める、桜並木の様子です。

今年は、お友達をお呼びして、夜桜を楽しみながら、宴会をしました。Tadが気を利

かせて、投光器で桜を照らしてくれたので、皆さん拍手大喝采でした。

最初の写真は、2Fのベランダからのもので、遠景に見えているのは伊豆の大島です。

 

   

     

        

 

           

               

                  

 

   

      

          

 

             

                 

 

    

        

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緊急報告   劇的な改善効果がある糖尿病の食事と運動療法

2017-04-07 | 脳の活性化と前頭葉の機能

   

  昨日、糖尿病の闘病生活の経過診断の為に病院へ行ってきたのです。

 血液検査の結果、HbA1cの値は、なんと7.0だったのです

 HbA1cの値は、直近の45日間ほどの平均値なので、今日現在の

 瞬間風速値で言うと「正常値の域」に入ってきているということなのです。

  緊急入院時の値が15.2で、18泊19日の期間教育入院して、更に退院後1ヶ月

  経過時の値が8.9で(この時、劇的な改善例と担当の医師から激賞されまし

  た)、その更に1ヶ月後の値が7.0 だったという訳なのです

 

 目を丸くしている担当医に、医師から指導された食事療法等のやり方(体重制限

   62kg、総カロリー制限1600kcal)ではなくて、QOLを重視した私なりのやり方

  {(体重69kg 総カロリー2100kcal)+午前と午後の速足の散歩}の内容を説明

  したところ、結果が極めて良いので、その考えに従った生活をこの先も続けて

  くださいと言われたのです。

  次回は、60日経過後に診察を受けるように私から要望しました。

 

  糖尿病との闘病生活で良い結果が出ないで悩み苦しまれている方たちは、

 是非私のブログの記事(B-78)を参考にしていただきたいと思い、今日

 この緊急報告の記事を書いているのです。

  但し、その場合は、『必ず、血糖値を毎食後計測できる態勢を整えた』上で、

貴方自身の「QOL」を重視する視点で、様々なケースシミュレーションをして(体重、摂取する総kcal、炭水化物とその他とのバランス、味付けの具合、運動療法の内容とその程度及び回数)、貴方に最適のやり方を採用していただきたいのです。私の場合、器具は病院で購入しました(器具の購入には、保険は効かなくて自費となりますので、念のため)。

 なお、私の体験で言うと、『砂糖は、味付けに使おうと、菓子類であろうと、猛毒(血糖値の急上昇を招く)』に近く(食べるとすぐに血糖値が急上昇する)、極力摂取しないこととし、『食用の油類(これまた、毒性が極めて強い)も血糖値が相当上昇する』(食べた後、時間をかけて血糖値が上昇する)ので、極力使用料を控えめにすることをお勧めします。但し、たまには、使いたくなるので(間食に、菓子類を食べることもあるし、油を使うと食材がおいしくなるので)、その時は「速足の散歩」を必ず実行してください。以前は、速足の散歩を毎日午前と午後の2回、各1時間実行していましたが、急に状態が回復してきた最近では、30~40分程度でも十分な効果が得られるようになってきました。

現在の私は、週に2~3回、昼食を外食して楽しんでいます。但し、砂糖や油類を使った味付けの物は極力避けて、刺身、寿司、ウナギの白焼き(ウナギが大好物なの)、パスタなどを楽しんでいます。毎日家で作る食事は、(B-78)に記載してある通り、病院で指導を受けた味付けとは全く異なります砂糖と油類は極力使用しないものの、例えば「つゆの素」等は普通に使用しています。つまり、味のない病院食とは異なり、「食することを楽しめる或る程度の味付け」にしているのです。但し、そのためには、「速足の散歩」の実行付きが不可欠の条件となります。どの程度の味付けならいいのか、そのためには速足の散歩時間をどの程度にするのか、ケースシミュレーションして、貴方に最適な条件を確認してください。なお、速足の散歩を実行するに際しては、散歩自体も出来るだけ楽しめるよう、一緒に歩ける人を選んだり、コースを選んだりして、出来るだけ工夫してみてください。口が寂しくて、間食したいときは、カシュ-・ナッツ類(血糖値を下げる効果がある)がおすすめです。

 

  

 

 ところで、速足の散歩は、血糖値を下げる上で極めて重要な要素なのですが、長続きすることが不可欠となります。そのためには、歩くのが楽しい状況を作り出す工夫が必要です。食材を購入するスーパーまでの往復を速足の散歩コースにする(そのためには、都度購入する食材の量を少なめにして、何度か通う)。都会に住んでいるお年寄りであれば、テレビでもやっている「街中の散歩」を楽しむのです。その日に散策して回ってみたい街までの往復は電車にして、街中を楽しんで回りながら速足の散歩をするのです。気に入った雰囲気の喫茶店に出会ったら、途中休憩して、コーヒーを楽しむのです。ブラックで飲むのであれば、コーヒーはOKなのですから。

  

P.S. 6月1日に経過観察に病院へ行ってきました。

   HbA1cの値はと言うと、なんと、担当の医師もただ驚くばかり。

   6.4でした!!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「物忘れはボケの始まり」という格言は、正しいのか誤りなのか(B-79)

2017-04-01 | アルツハイマー型認知症に対する正しい知識

年とれば 堰切るごとに 物忘れ

   あれよあれよと 言葉を知らず

                                   By kinukototadao

 (プロローグ)世の中に、「物忘れドック」なるものがあるのをご存知でしょうか?比較的小さな病院では見受けられないのですけど、大きな病院では、臆面もなく「物忘れドック」と銘打って、ホームページなどで診察を勧誘しているのです。犬の健康診断ではなくて、「アルツハイマー型認知症」の早期発見につながる診断と言う触れ込みなのです。ところが、その広告文言を子細に読んでみると、肝心の「アルツハイマー型認知症」については、基本的に良く分かっていないということが良く分かるのです。そこで今日のこのブログで、「物忘れ」の症状が発現してくるメカニズム(機序)について、脳の機能面、就中、「前頭葉」(「前頭前野」を言うものとする。以下、同じ)の三本柱の機能との関係について、関連する「脳機能データ」にも触れながら、詳細に説明することにしたのです。よく分かっていなくてもテレビに出てくる人もいれば、よく分かっていなくても診察の広告を出す病院もあるのです。

 世界中の認知症の専門家達から、『アルツハイマー型認知症は、発病の原因が分からないし、症状を治す方法がないし、発病を予防することも出来ない』とされているのです。いくつか主張されている学説も、主張の内容と発病との間の因果関係が立証できない「仮説」のままというのが現状なのです。その「物忘れドック」では、「医学的・科学的にしっかりと検証された検査をして診断していきます」との説明がなされてもいるのです。『どんな検査をするのか」というと、通常のお決まりのコースでは、『「MRI検査」や「問診」』とあります。病院によって若干の違いは有りますが、だいたいの検査としては、まず「MRI」で脳内に異常(脳梗塞や脳出血や脳の萎縮の有無とその程度など)がないかどうかを調べます。また、記憶の倉庫(これまた仮説)とされる「海馬」という部位の萎縮度の検査をします。次いで、「記憶力テスト」や「認知機能テスト」を行い(但し、彼らが使用している認知機能テストは、脳の後半領域の働きの具合を判定するものであって、肝心の「前頭葉」の働き具合を判定することは出来ないのです)記憶や認知機能が低下しているかどうかを調べるというものなのです(肝心要の「前頭葉」の機能については、関心がないというよりは、無知なのでしょう。全くのこと触れていないのは、何も書けないということだと思うのです)。

  そして、こうした検査によって、患者に起きている「記憶障害」の症状としての物忘れの症状が「アルツハイマー型認知症」としての「記憶障害」の症状であるか否かの診断が出来ること並びに当該検査を受けることが患者の今後の「アルツハイマー型認知症」の発病のリスクとその程度についての指針となる(早期診断となる)とも謳っているのです。「物忘れドック」が診断の大前提としていること、それは、『記憶障害の症状が、様々な内容、程度及び態様の下で発現してくる「アルツハイマー型認知症」の症状の根幹(基礎)となる症状であり、その程度により、「アルツハイマー型認知症」の発病の危険度を判定できる』ということなのですが、実はこれこそが「重大な誤り」なのです。これは、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズム(機序)に関する学説である「アミロイドベータ説」や「タウ蛋白説」や「脳の萎縮説」等の仮説と同じく、米国精神医学会が策定した「アルツハイマー型認知症」の診断基準である『DSM4』の規定の考えを正しいものとして単に踏襲した主張に過ぎないのです。実は、『DSM4』の規定では、「アルツハイマー型認知症」と診断する「第一の要件」として、「記憶の障害」の症状の確認を要求しているのです。

 私たちの「二段階方式」の手技が「アルツハイマー型認知症」の段階的な症状(「脳のリハビリ」により正常な機能レベルに「前頭葉」を含む脳全体の機能を回復させ得る可能性の程度により、三段階に区分している症状の類型としての「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の各段階の症状)を生きた人間の「前頭葉」を含む脳全体の機能とその機能レベル並びにその発現としての症状の面から客観的に判定し、鑑別するのに対して、世界中の認知症の専門家とされる人達(学者、研究者、医師)は全て、単に外観からの症状のみを観察し、想像や推測や憶測により、自説を展開しているに過ぎないのです。そうした研究態度からは、回復させることが可能なレベルとしての視点から私たちが本当の意味での早期の段階として区分し、取り上げている「小ボケ」や「中ボケ」の段階の症状には、気づかないで居て(見落としてしまって居て)、且つ末期の段階である「大ボケ」の段階の症状を外観的に判断して、「記憶の障害」の症状が根幹をなしているとの誤解をしているだけのことなのです。

        例えば、「着ている服を脱ぎたがらず、便で汚れた下着をそのまま平気で着ている」、「風呂に入るのを嫌がる」、「服を正しく着られず、ズボンを頭からかぶったり上着に足を通したりする」、「家庭生活に全面的な介助が必要(食事、入浴、排泄)」、「自宅に居ても落ちつかず、出て行きたがる」、「大小便を失敗しても、後の処置ができない(大小便で汚れた下着を、押し入れなどに隠すようなこともあります)」、「今は昼なのか夜なのかがわからなくて、夜中に騒ぐ(夜中に起きてくる、家中の電気をつけて回る、会社に行くとか田んぼに行くとか言い張る)」、「痛んだものを平気で食べ、食べ物でないものでも口にする」、「独り言や同じ言葉の繰り返しが目立つ」等と言った症状が発現している原因は、それらの学説が主張する「記憶の障害」に在るのではなくて、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続に起因して、廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行した、言い換えると、殆ど機能しなくなってきている「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルにあることを知らないでいるだけなのです。私たちは「二段階方式」という簡便で保険点数も極めて低く安価ながら、極めて精緻なレベルで、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルを判定することが出来る「手技」を持っているのですが、彼等はというと、CTやらMRIやらf-MRIやらSPECTやら、果てはPETまでも総動員して、極めて保険点数が高い機器を診断に思う存分使用しながら、売上高を稼ぐだけで、然も「アルツハイマー型認知症」の診断とは名ばかりで、殆ど何も分かっていないというレベルの診断を平然と行っているのです。

「物忘れドック」の謳い文句の一つに、「アルツハイマー型認知症」発病の早期診断というテーマがあるのですけど、以下に列挙する「小ボケ」の段階の症状(左脳、右脳及び運動の脳の全てが正常な機能レベルに在って、司令塔である「前頭葉」の機能だけが異常な機能レベルに在る下で発現してくる「前頭葉」の機能障害に起因した症状)を観察してみると明らかなように、「記憶の障害」の症状はその欠片も確認されないのです。即ち、その謳い文句とは異なり、「記憶の障害」の症状に焦点を定めた「物忘れドック」の診断では、本当の意味での「早期の段階を」鑑別することは無理な相談だということが皆さんが以下に掲げる「小ボケ」の段階の症状の類型をみても容易に理解できることと思うのです。末期の段階である「大ボケ」の段階の症状が発現してくると、日常生活面での「介護」が必要不可欠のものとなるのに対して、「小ボケ」の段階では、家庭生活面にも何等の支障がなくて、家の外に出て行って人と交わり何らかのテーマの遂行が要求される「社会生活面」で支障が出てくるようになるだけなのです。そうした両者の差異は、「記憶障害」の症状の程度の差異にあるのではなくて、ましてや、アミロイドベータ説という仮説が根拠としているアミロイドベータというタンパク質の蓄積量の差異に起因している訳でもないのであり、廃用性の加速度的で異常な機能低下に起因した「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの差異(働き具合の差異)に基づいているのです。

 注)「小ボケ」の段階で確認される特有な症状の類型

 ○眼の光がどんよりしていて、表情に力がなく、無表情、無感動の様子が見て取れる

 ○問いかけに対する反応が遅くて、生き生きした笑顔が見られない 

 ○何事に対しても、意欲がなくなる

  (何かをしようとする意欲が出てこない様子)

  (何をしたいのかを思いつかない様子)

  (何をするにも億劫で、面倒がるようになる)

 (何事につけても、直ぐに人を頼りにする)

  (外出するのを面倒がり、嫌がるようになる)

  (おしゃれに関心がなくなる)

  (人付き合いを面倒がるようになる)

  (新しい道具を使うのを面倒がるようになる)

 此処と言うときに、その「テーマ」についての「発想」が湧いてこなくなる

  (会議などで、意見やアイデアを思いつかない)

  (料理の献立が単調になる)

  (いつも同じパターンの食材ばかりを買ってくる)

 ○肝心の「意欲」自体が出てこなくて、自分で計画して何かを始めようとしなくなる

  (色々なことを自分で計画するのが面倒になる)

  (買い物に行くと、お札ばかり使うので、小銭がやたらと貯まるようになる)

  (料理の献立を考えるのが面倒になる)

  (家人に指示されると、草むしりや洗濯や片付けなど家庭内の用事程度のことはこなせるが、自分から  やろうとはしなくなる)

  ○「根気」が続かなくなり、何かをやり始めても、すぐに投げ出してしまう

 (テレビを見ていても同じ番組を続けて見ていられなくてチャンネルを直ぐに変えるようになる)

  ○機敏な動作が出来なくなる

 (歩く時も前かがみの姿勢となり、小股でトボトボと歩く)

  ○毎日ボンヤリとして過ごし、居眠りばかりするようになる

  ○食事の支度をしていて、鍋を度々焦がすようになる

  ○自動車を運転すると、軽微な自損事故が目立って増えてくる

  (歩道に乗り上げる、こする、バックの確認をしないでぶつかる)

  (信号無視や右折/左折のウインカーの指示を忘れる)

  (流れに乗れなくて、同乗者が怖いほど、スピードが遅い:交通量が多い広い道を、時速30Kmで走り、車の列を従える。「前頭葉」の三本柱の機能である「注意の分配機能」が廃用性の機能低下により異常なレベルにまで衰えてきていることが原因で、道路の状況、車や人の流れや交差点の状況等に目配りや気配りと言う「必要な注意を配る」ことが出来なくなり、真っ直ぐ走らせるのが精いっぱいの状況にある為、道の真ん中寄りを時速30Km程度の速度でノロノロ運転することになるのです)

 話の流れに乗れず、話の輪にも入っていけなくて、主題とは関係のない話を自分勝手に唐突に話す

 ○オルゴール・シンドローム現象が起きてくるようになる

 (同じ話を何度も繰り返して話していて、本人はそのことに気付かないでいる)

  ○社会生活に支障が出てくるようになる(人と交わり、コミュニケーションをとりながら何らかの目的に沿った行動が要求される家庭の外での生活、「社会生活」に支障が出てくるようになる)

 

冷蔵庫の扉を開けて、「あれっ!私、何を取ろうとしてたんだっけ?」。『あれよ、あれ!』、お友達と世間話をしていて、肝心の言葉が出てこないんです。夫に頼まれてメモってきてたのに、本屋さんで自分が好きな作家の本が目に留まり、立ち読みしてたら、夫に頼まれていた雑誌を買うのを忘れてそのまま帰ってきてしまい、電車に乗ってからそのことを思い出したのです。私だけ?皆さんも同じような体験がお有りでしょ!!今日は、皆さんが日常体験されていて、『物忘れは、ボケの始まり』とか言われると不安感を覚えておられるあの「物忘れ」の症状が発現するメカニズムについて、その概略を説明しておきましょう。

 物忘れの症状」は、皆さん誰もが自覚されている症状なのですが、30歳代になると既にその症状が発現してきて、年をとればとるほど「物忘れ」の症状が発現する頻度が多くなってきて、その程度も重くなっていくものなのです。そうした症状は、脳の機能面から説明すると、単なる「加齢現象」に過ぎないのです。「二段階方式」の手技を活用して判定すると、「前頭葉」が正常な機能レベルに在ることが分かるからなのです。更に、「アルツハイマー型認知症」の症状との関係で言うと、直接の因果関係はないものの、60歳を超えた年齢の高齢者である場合は、間接的にはあるというのが正しい答えなのです。「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズム(機序)についての私たちの主張の内容はというと、発病の「第一の要件」が、『60歳を超えた年齢の「高齢者」であること』であり及び発病の「第二の要件」が、『ナイナイ尽くしの「単調な生活」という脳の使い方としての「生活習慣」の継続』であり並びに両者の要件が同時に充足されることが「アルツハイマー型認知症」を発病することになるということなのです。

 但し、そのいづれか一方の要件に該当するというだけでは、「アルツハイマー型認知症」を発病することにはならないのです。此処で言う「第一の要件」とは、後述する、誰の脳にも生来的な性質として宿っている「正常老化の性質」に関わることであり、加齢に伴う「前頭葉」の三本柱の機能(意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能のことを言います)の老化のカーブの作用が、脳の機能面からは「物忘れ」を発現させる基礎となっているという限定的な意味で、「物忘れ」の症状が「アルツハイマー型認知症」の発病とは無関係の関係とは言えないというか、間接的な因果関係が存するということにはなるというだけのものなのです。「正常老化の性質」に起因して、加齢に伴い物忘れの症状が進んで行くとは言え、60歳を超える年齢の高齢者になった(発病の「第一の要件」を充足すること)というだけでは、「アルツハイマー型認知症」を発病することにはならないからです。第一の要件と第二の要件とが同時に充足されることが、「アルツハイマー型認知症」を発病する上での絶対的な条件となるのです。要点なので、混同しないでいただきたいのです。 

 対象となるものが何であれ、私たちが意識的に何かを考え、発言し、行為し、或いは行動しようとする際に、無くてはならない脳機能、それが、「左脳」、「右脳」及び「運動の脳」という三頭の馬と協働しつつ、それらを自在に操る三頭立ての馬車の「御者」、言い換えると、脳全体の「司令塔」の役割を担っている「前頭葉」という脳機能であり、私たち人間だけに備わっている脳機能でもあるのです。「前頭葉」と言う脳機能は、私たち人間だけに特有の世界である「意識的な世界」(意識的に何かをしようとする世界)を構築し、支配し、統括し、コントロールしている機能であり、自分が置かれているその状況を判断し、状況判断に沿って為すべき「テーマ」を発想し、発想したテーマの実行内容を組み立てて、その実行による結果を推測し、シミュレーションして必要な修正を加え、最終的な実行の内容、程度及び態様を決定し、実行の決断に基づいて脳の各部に実行の指令を出すと共に、実行の過程を終始観察し、統括し、コントロールしているのです。

 

その「前頭葉」の個別認知機能(理解、了解、了知、了承、考察、考慮、観察、監視、鑑賞、観賞、感動、抑制、反省、内省、忍耐、思索、思考、企画、計画、シミュ・レーション、創作、創造、洞察、推理、推察、推認、推測、推稿、構築、構想、構成、校正、詮議、詮索、想像、空想、妄想、探求、追及、究明、創意、工夫、比較、検討、評価、判定、判断、修正、選択、排除、排斥、除外、分別、分配、確認、確信、決定、決断、支持、指示、指揮、采配、支配、統率、統合、統括等)の『機能の発揮度』を左右し、下支えする働き(「二段階方式」の活用により集積した「脳機能データ」の解析により、私たちが独自に発見した「前頭葉」の個別認知機能の機能発揮上の「二重構造」の問題)を有する「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能には、『脳の使い方としての「生活習慣」の如何に拘らず「加齢」と共にその機能が直線的なカーブを描き乍ら緩やかに衰えていく』という生来的な性質(「正常老化の性質」)が内在しているということなのです。そのデータによると、『「前頭葉」の三本柱の機能は、「18歳から20歳代の前半まで」の頃がピークで、加齢と共に直線的なカーブを描きながら緩やかに徐々に衰えていくのです。そして、「第二の人生」が始まる60歳代の半ば頃には、ピーク時の半分くらいに機能が衰えてきていて、100歳代に向かって、直線的で緩やかに、更に衰えていくのです』。『加齢と共に、物忘れの症状の頻度が増していき、その程度が重くなっていく現象は、上述の「正常老化の性質」のカーブを色濃く反映した結果なのです』。

 我が国での有力な学説とされているアミロイドベータ説(アミロイドベータというタンパク質が蓄積して「老人斑」が形成され、その毒性が情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死を招くことにより「記憶障害」の症状が発現してくることが「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムであると主張する仮説)やタウ蛋白説(タウ蛋白というタンパク質が蓄積して「神経原線維変化」が形成され、その毒性が情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死を招くことにより「記憶障害」の症状が発現してくることが「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムであると主張する仮説)の主張は、それらの主張と「アルツハイマー型認知症」発病との間に存在する因果関係について、未だに立証が出来ていない単なる「仮説」であり【私たちに言わせると、「アルツハイマー型認知症」を長く患っていた結果として、末期の段階(私たちの区分で言う「大ボケ」の段階)の更に後半の段階にまで症状が進行していった「お年寄り」、米国精神医学会が策定した「アルツハイマー型認知症」の診断規定である「DSM4」の規定が要求している、失語や失行や失認の症状が確認された「お年寄り」達の死後の脳の「解剖所見」に共通して確認される「老人斑」(アミロイドベータ説が主張する根拠)や「神経原線維変化」(タウ蛋白説が主張する根拠)や「脳の萎縮」(脳の萎縮説が主張する根拠)を何の根拠も無しに取り上げて、それらが「アルツハイマー型認知症」の発病の原因だと各々の説が主張しているだけのことなのです】。これらの主張の内容が間違いであることは、簡単に立証することが出来るのです。

 何故なら、「アルツハイマー型認知症」の根幹となる症状とは、両説が主張している「記憶障害」の症状なのではなくて、「前頭葉」の機能障害の症状であるからです。認知症の専門家とされる人達(自称による専門家を含む)は、外観から観測される症状を意味もなく並べ立てるだけなのですが、私たちは、脳のリハビリ(「前頭葉」を含む脳全体を活性化させる脳の使い方としての生活習慣の改善という方法)により回復させることの可能性の有無とその程度とにより、軽いほうから「軽度認知症」(回復させることが容易な段階である「小ボケ」)、「中等度認知症」(回復させることが未だ可能な段階である「中ボケ」)及び「重度認知症」(回復させることが困難な段階である「大ボケ」)の三段階に区分しているのです。その根拠となるのは、私たちが「二段階方式」の手技を活用して集積した14689例にも及ぶ生きた人間の「脳機能データ」なのです。檻の中で餌を求めて彷徨するマウスの行動から憶測により導き出した記憶障害の症状が原因だと考えるアミロイドベータ説の主張者たちとは根拠のレベルが異次元なのです。

 

「アルツハイマー型認知症」を発病した最初の段階(これを脳の機能面から定義すると、左脳、右脳及び運動の脳のいづれも正常な機能レベルに在って、司令塔である「前頭葉」の機能だけが異常な機能レべルに在るのが特徴なのです)である「小ボケ」の段階では、「記憶障害」の症状はその欠片も確認されなくて、全てが「前頭葉」の機能障害の症状だけなのです(「前頭葉」を含む脳全体の機能とその廃用性の加速度的で異常な機能低下に厳密にリンクしたものとして、私たちが類型化した三段階に区分する「アルツハイマー型認知症」の段階的な症状については、ここを「クリック」してください。各段階の症状が発現する基礎となっている「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルについて、「二段階方式」のような精緻な神経心理機能テストを活用して確認すれば、一見した限りでは「記憶障害」の症状を呈しているのかと誤解しそうな「中ボケ」の段階の症状も、「記憶障害」の症状が「アルツハイマー型認知症」の根幹となる症状であると主張する「権威ある人達」の主張内容が誤りであることを容易に理解することが出来るのです)。「前頭葉」の機能構造や意識的な世界の機能構造や「前頭葉」の三本柱の機能と「前頭葉」の個別認知機能との機能発揮面での「二重構造」の関係に目が行き、そのことを理解することが出来れば、「アルツハイマー型認知症」の症状の発現のメカニズム(機序)が、私たちが独自に規定した発病の「第二の要件」に掲げている生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」に起因したものであることを容易に理解できる(分かってしまえば、コロンブスの卵程度の物)のに、『器質的な病変が発病の原因である』との誤った前提に立脚している上に、『「記憶障害」の症状が根幹をなす』との誤解に基づいた信念だけにしがみついていて、それがアミロイド・ベータを注入したアミロイド・マウスであろうとも、マウスのおしりばかりを追いかけていたのでは、何時まで経っても、発病の真の原因に迫ることは出来ないし、「仮説」の域から脱出することも出来ないのです。

  我が国で最も権威があるとされていて、専門家達からもその主張や学説を疑うことが為されない「東京大学」や「京都大学」の主張はともに、アミロイドベータ説(仮説)なのです。私たちが活動を開始した時から既に主張されていて、今猶、主張の内容と「アルツハイマー型認知症」の発病との間の因果関係を立証できないでいる「仮説」に過ぎないのです。我が国の製薬会社の規模とは比較にならないほどの規模である欧米の巨大な規模の製薬会社で、「アミロイドベータ説」の主張の考えに則って、「アルツハイマー型認知症」の治療薬の開発に挑んだPRJは、つい最近のことながら、相次いでその全てが失敗に終わっているのが現状なのに、我が国では未だに「有力説」として存続しているのが不思議な現象というしかないのです。

 

 世界広しと言えど、唯一の正しい主張内容である、『「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であり、「前頭葉」を含む脳全体が活性化する「生活習慣」の構築と実践により発病自体を「予防」することが出来るし、私たちが定義する「小ボケ」及び「中ボケ」の段階、言い換えると本当の意味での「早期の段階」で見つけて「脳のリハビリ」に励めば、認知症の症状自体を「治す」ことが出来るタイプの認知症である』という私たちの主張内容は、北海道から九州に至る幅広い地域での440を超える市町村での実践の成果により確認され、実証されてきているものなのです。どこかの権威がある大学の医学部が私たちの主張内容を検証してくれさえすれば、私たちの主張の内容が正しいことが確認され、同時に権威が付与されることとなって、「二段階方式」の導入に今一歩踏み込めないでいる保健師さん達に導入と実践に対する勇気と確信を付与することが出来るのです。私たちが、時に、有名大学や権威ある機関の名前を取り上げて、その主張内容の重大な誤りを公然と指摘する行為は、我が国の文化にはなじまない面があることは承知の上で、公開の討論の場で、「いづれの主張内容が正しいかを競いたい」と考えるが故のことなのです(私たちは、公開討論により、いづれの主張内容が正しいかを競いたいと強く希望しているのです。

  公開討論の結果が、放置され、垂れ流しの状態に置かれている現状を打開する契機になると信じてもいるからなのです)。『「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、発病を予防することが出来ないし、治すことが出来ないタイプの認知症である』とするそれら権威があるとされている大学や機関が主張している「重大な誤りの内容を伴った主張」がこのまま存続していくと、我が国は、取り返しの付かない状況に追い込まれて行ってしまうことを危惧するのです。発病の予防も早期の段階で見つけて治すことも出来ないものとした誤った内容の主張が存続したままで放置されていると、「超高齢化社会」を下支えしている大切な制度である「介護保険制度」が財政面から破綻してしまうことは目に見えた問題だからなのです。

 認知症の専門家とは言っても、「アルツハイマー型認知症」については、私たちのレベルから見ると、全くのこと無知な人達ばかりなのです。厚労省の発表数字で460万人も居るとされているお年寄りは、末期の段階の症状が発現している「お年寄り」(私たちの区分で言う「大ボケ」の段階の「お年寄り」)であって、本当の意味での早期の段階の「お年寄り」(私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階のお年寄りであって、「大ボケ」の段階の「お年寄り」の予備軍)の数は、「大ボケ」の段階の「お年寄り」の2~3倍にもなるのですから。このまま放置しておいて、良いのですか? 

 コーヒー・ブレイク) 一口に「認知症」と言っても様々な種類が数有るのですが、そのうちの大多数、90%以上を「アルツハイマー型認知症」が占めているのです。私たちのように、全国的な展開を行い、極めて軽い段階の症状を含む症例数を判定し鑑別した実績が伴っていないで、末期の段階の症例しか体験していないと、「アルツハイマー型認知症」が認知症全体に占める割合さえ確かな情報を獲得することは出来ないのです。

 ましてや受診する先が精神科となれば、家族は、『アルツハイマー型認知症の発病の原因は不明であるとか、遺伝的な要素も考えられる』等の風評が飛び交う中では、症状が「軽い段階」程度では病院に、ましてや精神科に連れて行こうとは考えもしないのです。娘や息子(発病者の孫)の結婚に支障が出てくると危惧するからなのです。末期の段階の症状が出てきて、更には、手に負えない段階にまで至らないと受診させようとはしないのです。その結果、末期の段階でしか発病者を診断する機会が持てなかった精神科医が、体験的に治らないものとの誤った判断を持つに至ったということなのです。精神科医自身が本態を見誤ってしまったということなのです

  私がかつて勤務していた病院は大病院であった上に、中核となっていた副院長の金子医師が、脳外科手術であっても、脳外科手術の成功だけではなくて、社会復帰が可能であるか否かの判断にもこだわり、様々な神経心理機能テストを開発して使用したのです。「アルツハイマー型認知症」を含む認知症を受診する為の専門病院(当時は、「老人性痴呆疾患センター」という名称が付されていました)として厚労省が指定した他の病院はその全てが精神科を受診の窓口としていたのに対して、私が当時勤務していた「浜松医療センター」と言う病院は、唯一、脳外科が認知症の受診の窓口であったが為に、北海道から沖縄まで、且つ、極めて軽い症状の段階の人達が数多く診察に見えたが為に、最初の段階から、真の実態に触れる機会が数多くあったのです(「アルツハイマー型認知症」だけではなくて、他の種類の認知症、認知症と紛らわしい他の病気並びに「アルツハイマー型認知症」の軽い段階から中途の段階を含む末期の段階に至るまでの各段階の患者に接する機会がとても多かったのです)。

加えて、元々は、脳外科でしたが、脳外科手術の後の社会復帰の可能性とその程度についての脳機能の状態を知る目的で様々な「神経心理機能テスト」を開発する業務と開発したテストの実施業務とを、最盛期6人の部下を抱えた私が責任者として主担当していました。その中の一つが、現在も私たちが使用している「かなひろいテスト」だったのです。脳外科手術を専門とする世界的な脳外科医であり乍ら、当時金子医師が脳外科手術から次第に離れていくに反比例する形で、認知症患者の診断数が他の疾患センターのそれと比較して桁が違う程の患者数の受け入れと診断により、私たちは認知症の専門家へと変身して行ったのです。東京都、神奈川県、静岡県及び愛知県に在住する超100歳老人の前頭葉を含む脳全体のイキイキ度の検査を世に先駆けて実施したのも当時の私達の研究グループだったのです。

  「物忘れ」の症状が発現するその原因は、海馬と言う脳機能の衰えに原因があるのではなくて、加齢に起因した「正常老化の性質」のカーブを反映した「前頭葉」の三本柱の機能の機能低下に基づいた対象情報の内容を記銘する際の「記銘度」が低くなってきていることにあるのです。学者達の間では、「短期の記憶」と「長期の記憶」とは、「海馬」が区分けし、選択しているとの学説(これまた、「仮説」の域を出てはいないのです)が有力視されていますが、この主張内容は、「前頭葉」の機能並びに意欲、注意の集中力及び注意の分配力から成る「前頭葉」の三本柱の機能についての無知からきた単なる推測という程度のものに過ぎないのです。海馬が様々な種類及び程度、態様から構成されている情報が出はいりする器官ではあるとしても、そもそもいかなる基準に基づいて、短期に記憶すべき情報と長期に記憶すべき情報とを識別し、区分けしているというのでしょうか。私達の日常体験に照らしてみても、全く納得がいかない「仮説」と言うしかないのです。

 

記憶」の対象となるべき都度の情報(左脳がらみのデジタル情報、右脳及び運動の脳がらみのアナログ情報から構成された様々な内容、程度及び態様から成る情報)を記銘する際の記憶の対象となるべき情報についての記銘度」は、脳の機能面から説明すると、記憶の対象となるべき情報を記銘する際に、「前頭葉」の三本柱の機能がどの程度働いたのか否かに左右されているのです。 

記憶の対象となるべき情報に対する自分自身の関心や興味が深く大きかったものであったり、体験した事象自体が強く激しい心の痛みや悲しみを伴うものであったり、大きな喜びや感動を伴うものであったり、或は、自身が何度も反復した内容であったりしたこと(意欲をもって、集中して、「記憶」しようと何度も何度も反復して覚えるための努力を傾注した情報等も含む)に起因して、よく「記銘」されたものであればあるほど、記銘度が高くなるので、その分よく「保持」され、その結果として、よく「想起」されるということなのです。その上、前々回のブログで詳説したように、「第二の人生」を送っている皆さんであれば、誰しもが、加齢による「前頭葉」の三本柱の機能の老化現象(「正常老化の性質」)の影響をもろに受けているということなのです。65歳時には、全盛期の半分にまで衰えてきている訳なのですから。誰の脳にも生来的なものとして内在する「正常老化の性質」が原因で、年をとればとるほど、「前頭葉」の三本柱の機能の働きが衰えてきているので、その分、「記銘度」が低くなり、「想起」もし難くなってきているということなのです。

  なお、記憶の対象となる情報の記銘度は、「前頭葉」の三本柱の機能の働き具合を直接反映することになるのですが、更に詳しく言うと、「注意の分配力」の機能の働き具合に最も大きく左右されることになるのです。三本柱の機能の中では最も高度な機能であるが故に、「注意の分配力」の機能が他の機能に先行して加齢と共に衰えていくのです。「注意の分配力」の機能が加齢とともに衰えてきているという脳機能レベルの下で、複数のテーマに対し分配されて働いている「注意の分配力」の機能の分配の対象に在った情報のうちの一つに対する記銘度が低くて(記銘時に注意の分配がより多かった他の情報が一つ以上存在した状況下で)、当該情報を想起することが出来なかったという仕組みなのです。「MMSEの下位項目」の一つである「想起」と言う機能は、想起するに際して意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能レベルを反映するのですが、最も影響が大きいのは、注意の分配力の機能レベルなのです。「前頭葉」の三本柱の機能のうち、「注意の分配力」の機能が最も高度な機能であり、加齢による老化、「正常老化の性質」の影響が最も大きいからなのです。 

B77」で開示してある、MMSE 下位項目の項目困難度と題する表に見るとおり、私たちの「脳機能データ」によると、「MMSEの下位項目」のうち、最初に機能が衰えていくものとは、実は、「想起」という項目なのです。「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症と言う病気は、廃用症候群に属する「生活習慣病」であり(但し、此処に言う「生活習慣」とは、食生活ではなくて、脳の使い方としての生活習慣であることに注意する)、より高度な機能から順に衰えていくという明確な規則性が確認されるのです。

 思うに、か弱くて小さな動物としてのものでしかなかった私たちの脳は、過去の進化の過程で、「注意の集中力」の機能(何か一点に集中するための機能)よりも、(天敵に何時なんどき遭遇したり、或は襲われたりはしないかと、食事中も家族との団欒中も、木の実などの食料を探しているときも、常に周囲に気を配って、生きてきたので)「注意の分配力」の機能(異なった複数のテーマを同時に並行してこなす為の機能)の方をより高度な機能として発達させてきたと考えられるのです。立ったままの状態で眠ったり、脳の片方だけを交互に使って眠ったり、色々な動物の睡眠の仕方/取り方を調べてみると、そのことが良く理解されるのです。私たち人間の脳が、睡眠中、レム睡眠とノン・レム睡眠とを同じようなパルスで繰り返す仕組みであるウルトラ・ディアンリズム(超日リズム)を進化の過程で獲得したのと同様の仕組みではないかと考えるのです。

 

「加齢」により衰えてきているとはいえ、注意の分配力の機能をフル回転させて、仕事とは無縁の「第二の人生」を送っている日常の生活面での複数の「テーマ」を同時に処理している過程で(音楽を聞きながら、部屋の片づけや掃除をしながら、新聞を読んでいる夫とも会話を交わしつつ)、足腰が頓に弱ってきたことを自覚しつつ、二階への階段をゆっくりと上がって行き目的の部屋に辿り着いた時、「自分が何をしに」その部屋にやってきたのかが分からない(部屋に行く目的の情報を記銘するとき、同時に複数の「テーマ」に注意が分散されていて、二階に上がっていく目的となった肝心の情報に対して配分された機能の容量が小さかったがために「記銘度」が低くなったせいで、思い出せない)自分が居るということなのです。皆さん、「物忘れ」のメカニズムを知って、安心出来ましたか? 

 左脳がらみのデジタル情報はさておいて、右脳及び運動の脳がらみのアナログ情報について言うと、厳密に正確に、全体の且つ詳細な構成内容について想起することは殆どの場合不可能なことであって、記銘度が高かった情報からの構築による総体としての或る種曖昧な情報の想起であることは、私たちが日常的に体験していることでもあるのです。街角で見かけて思わず振り返ってみた程のハンサムな青年の顔や姿であっても、僅か2時間後には、その容姿や容貌や服装でさえも、はっきりとは思い出せない貴方が居るはずなのです。私たちには、「二段階方式」を駆使して集積した14689例にも及ぶ「脳機能データ」の解析結果という客観的な証拠があるのです。「物忘れ」の症状の進行について言うと、「加齢」と共に「前頭葉」の三本柱の機能の働き具合が衰えていくにつれて、対象となる情報を記銘する際の「記銘度」自体も低くなっていく上に、「想起」する際にも思い出しにくくなっていくという脳の機能構造があるのです。

  ちなみに、記憶は、記銘、保持、想起という脳機能要素から構成されていて、且つ其の順番の経路をたどります。記憶の対象となる情報の「記銘」に際しても、思い出そうとする情報の「想起」に際しても、「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能が必ず関与する仕組みになっているので、両者ともに、「前頭葉」の三本柱の機能の「加齢」による機能低下という要因に大きく左右されてしまうことになるのです。その結果として、『年をとればとるほど、物忘れの症状が進んでいく』ことになるのです。「物忘れ」が発現するメカニズムは、「アルツハイマー型認知症」が発現するメカニズムとは明確に異なるものであることをこのブログで確認しておいてください。

 加えて言うと、脳全体の司令塔の役割を担っていて、私たちが意識的に何かをしようとする世界を構築し、支配し、コントロールしている「前頭葉」が正常な機能レベルに在る限りは、「物忘れ」がどんなに激しくとも、「アルツハイマー型認知症」の発病とは関係がないということなのです(「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムについては、ここを「クリック」してください)。

   吾が駄作ながら、ここで、一句。

        『物忘れ、反省と工夫が効けば、年のせい』。

「物忘れの症状」が常日頃気になる程のものになってきているのであれば、そうした状況、我が身が頻繁に「物忘れ」をするその状況に対する、貴方なりの自覚と工夫が出来てさえいれば(例えば、大事だと思うことは、メモにしたり、日付が絡むのであればカレンダーに書き込んだり等の工夫をするものでしょう。出来ていますよね)、それで良いのです。反省と工夫は、「前頭葉」の重要な個別認知機能の一つであり、状況に対する正しい認識と自覚と反省と工夫が自身で出来ているということは、すなわち、肝心の「前頭葉」が正常な機能レベルに在ることの証拠でもあるからです。 

 「アルツハイマー型認知症」は、「前頭葉」を含む脳全体の機能が、ナイナイ尽くしの単調な生活習慣が続く生活状況の下で、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させてくることに起因して発病するもの、就中、「前頭葉」の機能が異常なレベルに衰えてくることから、認知症の症状の発現が始まるものなのです。その最初の段階であり、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、左脳も右脳も運動の脳も正常な機能レベルに在って、「前頭葉」の機能だけが異常な機能レベルに衰えてきているのです。そうであるが故に、「前頭葉」の機能が正常な機能レベルに在る限り、「アルツハイマー型認知症」の発病は絶対に起きてはこないものなのです。このことは、私たちが「二段階方式」の手技を活用して集積した14689例にも上る精緻な「脳機能データ」が証明していることなのです。                          

  この肝心なことを、認知症の専門家とされる人達が分かっていないだけのことなのです。専門家と言いながら、肝心の「前頭葉」には無関心なのです。脳の「後半領域」の判定にしか役には立たない手技である「長谷川式」を使用して及び極めて重度の「記憶障害」の症状の発現である失語や失行や失認の症状の確認により、「アルツハイマー型認知症」の発病の有無を診断しているのです。「前頭葉」の機能や日々の「生活習慣」に起因した廃用性の機能低下という性質について無知なだけでなくて、「アルツハイマー型認知症」そのものについても無知と言うしかないレベルなのです。いったい何を根拠にして、専門家と称しているのか、理解に苦しむのです。

 診察する医師の単なる主観である外観から観察されるだけの「記憶障害」の症状の判定だけでは、回復させることが可能な本当の意味での早期の段階、私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階を見つけることは出来ないのです。「認知機能テストと」言っても、脳の後半領域の判定テストである「長谷川式」を用いるだけでは、肝心の「前頭葉」の機能レベルを判定することが不可能だからなのです。その上、「DSM4」の「第二の要件」が確認を要求している失語や失行や失認と言った症状により「アルツハイマー型認知症」の診断を行っていたのでは、せっかく見つけても何の意味もないのです。失語や失行や失認などの症状は、末期の段階である「大ボケ」の段階の更に後半の段階で初めてその症状が確認される極めて重度の症状だからなのです(私たちの「二段階方式」で活用しているMMSEの基準に照らして言うと、30点満点のMMSEの得点が一桁の得点にならないと発現がみられない症状だからなのです)。「物忘れドック」とか銘打って、如何にも高度な診断を行うかの印象があるのですけど、そうした医療の現場では、CTやらMRIやらf-MRIやらSPECTやら、果てはPETまでも総動員して、保険点数が極めて高い機器をふんだんに診断に使用していながら、「売上高を稼ぐ」だけの名ばかりの診断が行われているのです。

  その上、何種類かの効きもしない薬を「この薬自体は、「アルツハイマー型認知症」の症状を治す効能は有していないが、ケースによっては、12年ほど症状の進行が遅れることが期待される」などという薬を処方してもいるのです。「アルツハイマー型認知症」の診断とは名ばかりで、殆ど何も分かっていないというレベルの診断を平然と行っていて、単に売上高を稼いでいるだけの診断が行われ、罷り通っているのです。末期の段階の、更に後半になって初めて発現してくる症状を基準にして「アルツハイマー型認知症」の診断をおこなっていると言うことは、診断を行っている医師自身も「治すことが出来ない」と知って診断しているということであり、そもそも何の為に、「アルツハイマー型認知症」の診断を行っているのかと問いただしてみたくもなるのです。

こうしたレベルの診断と投薬が行われている結果として、介護が不可欠となる末期の段階の症状を呈するお年寄りが何百万人も産み出されてきていて、「アルツハイマー型認知症」の診断、投薬及び「大ボケ」の段階のお年寄りの介護の為の費用に対して支払われる血税の規模が、年間で15兆円を超えるところにまで来ているということなのです。無関心でいても良いのでしょうか。国全体の債務の規模は、既に1100兆円を超えているので、『もう、どうなっても良い』というお考えなのでしょうか。皆さん、どうなのですか?

  実力のない権威が主張することを信じるのか、権威がなくても実績のある私たちが言うことを信じるのか、それは貴方の選択(「前頭葉」の機能)にお任せします。 サイチェン!

注)本著作物「Bー79」に記載され表現された内容に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

エイジングライフ研究所のHP左の部分を「クリック」してください)

脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする