南箱根ダイヤランドの我が家に通うようになってはや1か月が過ぎました。月日が経つのって速いものと、今更ながら驚くのです。昨日というか、こちらに通うようになってから初めて、お巡りさんが家庭訪問(訪問調査)に見えました。いろいろ話していて、伊豆高原が本宅で、こちらの家は仕事場という話をしていた際、伊豆高原のことについてそのお巡りさんが余りに詳しいので驚いて聞いてみたら、以前伊豆高原の派出所に勤務していたことがある方だったのです。
「何かのご縁ですね」って笑って言ったら、それがご縁で、こちらの状況をいろいろ詳しく話してくださったのです。空き巣の類は全く起きていないこと、事件も事故も起きていないこと。その中でひとつだけ面白い話が有ったのです。花を勝手に盗っていくお年寄りがいるので、その点だけは注意してくださいと、笑いながらおっしゃるのです。花を勝手に切り取っていくだけでなく、プランターごと持って行ってしまうお年寄りもいるということだったのです。それって、(特殊例外的な人格の持ち主の場合を除き)脳の働きが正常なお年寄りのすることではないのです。
お酒を飲んでもいないのに、道路を車で逆走するお年寄り、あるいは、後続車両を列にして従えながら、時速30Km弱の速度で、道路のセンター寄りをノロノロ平気で運転するお年寄り(これは、実は、廃用性の機能低下により,「前頭葉」の三本柱の機能である「注意分配機能」が異常なレベルに衰えてきていることが直接の原因となっていて、周りの状況に「注意を分配」することができていないだけなのです。周りと同じくらいのスピードで走ると道路の左端がちゃんと認知できなくて怖いので、センター側に寄って、且つノロノロの速度で走るのが精一杯なのです。サイドミラーに気を配る余裕なんて、まったく無いのです。)、そんなお年寄りは決まって、「二段階方式」を活用して脳の機能レベルを判定してみれば、「前頭葉」の機能レベルがもはや正常域には無い(異常なレベルに衰えてきている)ことがわかるのです。「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルが、私たちの区分でいう「軽度認知症」(小ボケ)の段階の人達が示す症状なのです(ここを「クリック」してください)。
さて「南箱根ダイヤランド」と言うこの別荘地は、私がこれまでに聞いていた数字とは違って、建屋が2500戸もあって、そのうち定住世帯が1000世帯あって、その大半は高齢者世帯だということなのです。ムべなるかな。認知症の専門家たちは、重度の記憶障害の症状並びに失語、失認または失行の症状のいづれかが確認されないと、「アルツハイマー型認知症」の発病とは認めないのですが、そうした症状が確認されるのは、私たちの区分でいう「重度認知症」(大ボケ)の段階でもさらに後半の段階にならないと確認されない(発現してこない)極めて重い段階の症状を診断基準にしているということなのです。そのため、せっかく見つけても手遅れで意味がない、つまり「治せないという結果」になっているのです。
実は、「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症にはもっと軽い段階、脳のリハビリによって容易に治すことができる「軽度認知症」(小ボケ)の段階及び脳のリハビリによって治すことが未だ可能な「中等度認知症」(中ボケ)の段階があるのに、診断基準の重大な誤りによって(「診断基準」として余りにも重い症状を規定し、その確認を要求している)、本当の意味での「早期の段階」を医師達が見落としているだけなのです。私たちがこれまでに集積してきた脳機能データは、「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であって、発病自体を「予防」することもできるし、早期の段階で見つけさえすれば「治す」こともできるということを示しているのです(ここを「クリック」してください)。
周りの実態をよく観察してみてください。60歳を超える年齢のお年寄り(発病の「第一の要件」)が、何かをキッカケとして生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々続けていると(発病の「第二の要件」:すなわち、「前頭葉」の出番が極端に少ない生活、言い換えると脳の使い方としての「生活習慣」)、廃用性の機能低下が加速度的に進行してきて、「前頭葉」を含む脳全体の異常な機能低下をきたすことにより、「アルツハイマー型認知症」の症状が発現してくることになるのです。30~50歳代の若い年齢の人達が、ナイナイ尽くしの単調な生活を日々継続していても、「アルツハイマー型認知症」を発病することには絶対にならないのです。一部の学者達が、未だに発病との間の因果関係さえ立証できないままに、主張している「アミロイドベータの蓄積」が発病の直接の原因ではないと言うことをここに指摘し、問題提起しておきたいのです。
そして、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続される生活習慣の下で、症状がさらに進行していくことになるのです。回復させうる可能性と言う視点からそれを私たちが区分しているのが、三段階に区分される症状群なのです。その最初の段階が「軽度認知症」(小ボケ)であり、この段階で見つけることが出来れば、「脳のリハビリ」により、容易に正常な脳の機能状態に回復させることが出来るのです。次いで、「中等度認知症」(中ボケ)の段階があり、この段階で見つけることが出来れば、「脳のリハビリ」により、正常な脳の機能状態に回復させることが未だ可能なのです。最後の段階、末期の段階が「重度認知症」(大ボケ)の段階であり、この段階で見つけていたのでは手遅れ、治すことが出来ないのです。ついでのことに指摘しておくと、「DSMー4」(下記参照)が診断の「第二の要件」として規定している失語、失認、失行と言った症状は、「大ボケ」の段階でも更に後半にならないと発現してくることが無い症状、私たちの客観的な指標で示すと、30点満点のMMSの得点が一桁の得点にならないと発現してこない極めて重い症状、言い換えると「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルが極めて低い異常なレベルになっていて初めて発現する症状なのです。このレベルにまで脳の機能が衰えてきていると、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」は殆ど働かなくなっているのです。その上、「前頭葉」の手足となって働く「左脳」、「右脳」及び「運動の脳」までもが極めて僅かにしか働かなくなっている機能状態(機能レベル)に在るということなのです。
「アルツハイマー型認知症と言うタイプの認知症は、治すことが出来ない」とされているのは、医師達が、重大な誤ちに気づかないで、それを要件として規定している米国精神医学会が定める「DSMー4」という「アルツハイマー型認知症」の診断基準を盲信していて、「見つけている段階が遅すぎる」だけなのです。「アルツハイマー型認知症」と言えども、ごく普通の病気と同じ、早期発見と早期治療が肝心なのです。権威に盲従していて、治すことが不可能となる末期の段階の症状を基準にして診断している医療現場にこそ問題があるのです。何時まで、こんな話をし続ければいいというのでしょうか。あー、嘆かわしや。
〇 「アルツハイマー型認知症」に効く薬が開発される可能性は、未来永劫、無いのです
私たちが、生きた人間の「前頭葉」を含む脳全体の働き具合(「脳の機能レベル」)とそれに厳密に対応した認知症の「症状」並びにテスト実施前6年間の脳の使い方としての「生活歴」に着目して、「二段階方式」を活用して集積してきた14689例にも上る精緻な「脳機能データ」の解析結果は、「アルツハイマー型認知症」の本質は、「前頭葉」を含む脳全体の出番が極端に少ない「生活習慣」に起因した廃用性の加速度的で異常な機能低下を「原因」とする病気であることを示しているのです。
自分なりに生き甲斐や目標がある生活を送る生活が日々継続されている「生活習慣」(此処では、脳の使い方としての生活習慣を言います)の下では、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルは緩やかにしか低下していかないのです(「前頭葉」を含む脳機能の「正常老化」)。こうした生活習慣を維持しているお年寄りの場合は、身体が持つ限り脳が持つことになるのです。生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない生活の繰り返し、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が日々継続する生活習慣のお年寄りの場合は、且つその場合に限って、「前頭葉」を含む脳全体の機能が加速度的で異常な機能低下を進行させていくことになる結果として、「アルツハイマー型認知症」を発病することになるのです。「アルツハイマー型認知症」は、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルのアウトプットそれ自体が、認知症の症状(回復の可能性と言う視点から言うと、「三段階」に区分される症状)となって現れてくるだけなのです。アミロイドベータの蓄積量が症状の発現及び症状の進行具合(重症度)を左右している訳ではないのです。更に付言しておくと、廃用性のものであるからこそ、「脳のリハビリ」が「アルツハイマー型認知症」を治すための唯一無二の方法となるのであって、「治したり、或いは症状の進行を和らげる」効能を有する薬が開発される可能性は、未来永劫無いと私たちは考えているのです(ここを「クリック」してください)。
脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」は、自己の体験に基づいて後天的に形成してきた「評価の物差し」と「記憶の倉庫」を駆使しつつ、 手足となる「左脳」、「右脳」及び「運動の脳」と協働しつつ、自分が置かれている状況を理解し、考察し、判断し、状況判断に沿って「テーマ」を発想し、テーマを実行する「目的」と実行する「内容」を企画し、計画し、更には、実行結果を洞察し、推測し、ケース・シミュレーションした上で、必要な「修正」を加えて、最終的に何をどのように実行するかを「決定」し、手足となる脳の各部(左脳、右脳及び運動の脳)に実行の指令を出す、これが私たち人間だけに特有である「意識的な世界」での脳の働き方のパターンなのです。
従って、意識的な世界を支配しコントロールしていて、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の働き具合(機能レベル)が廃用性の機能低下により次第に衰えていくにしたがって、そのアウトプットだけでなくて、それに先行する各工程自体も、衰えていく「前頭葉」の機能レベルを直接的に反映したものとなり、且つ最終的には、「前頭葉」の機能障害のレベルに直接リンクした結果をアウトプットした「症状」となって発現してくる機能構造になっているのです。
此処に参考までに、私たちが三段階に区分する、「アルツハイマー型認知症」の症状を提示しておきます(ここを「クリック」してください)。「小ボケ」及び「中ボケ」段階の症状は勿論のこと、末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階の症状も全て、廃用性の機能低下に起因する「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルを直接反映した症状となって発現してきているのです。上述した「前頭葉」を含む脳全体の機能構造及び「大ボケレベル」での脳全体の機能レベルとに照らして「大ボケ」段階で発現する「大ボケ」に特有の症状を子細に考察してみるとき、「記憶の障害」が第一義的な症状ではないことに、専門家ではない皆さんでも、気づかれることと思うのです。
「大ボケ」レベルになってくると、たとえ「大ボケ」の初期の段階であろうとも、肝心の「前頭葉」自体が殆ど機能しなくなっている上に、コミュニケーションに不可欠の「左脳」も僅かにしか働かなくなってきていて、コントロール機能が失われた状態での感情を中核とした「右脳」の働きが主役となっており、それを運動の脳が補佐しているという状態に過ぎないのです。たとえ何かの言動が有ろうとも、「今の季節が何時なのかはおろか、今が昼なのか夜なのかの区別もつかない脳の機能レベルにあるのだ」という認識を回りの人達が持つべきなのです。「前頭葉」が殆ど機能しえなくなっている脳機能レベルのお年寄りに対し、「人格」を問題にした発言をすることは、脳の機能を知らない人達のすることなのです。「アルツハイマー型認知症」のお年寄りの症状を理解するには、或いは適切な対応の仕方(介護の在り方)を検討する上では、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルと言う視点が不可欠となるのです。
南箱根ダイヤランドの我が家の玄関先には、私の大好きな百日紅の大木が何本かあります。花が咲くのが今から待ち遠しいのです。
(コーヒー・ブレイク)
函南町にあるビブラ・ビブレの人達が、日帰り乍ら我が家を訪ねてきてくださるということで、この猛暑の中にも拘らず、Tadが上下の庭の草を刈り取ったり、樹木の枝を切り取ったり、幅が2mで25段もある階段やら、かなり大きなプールの壁面を高圧洗浄機で磨いたり等、大奮闘中(正確には、孤軍奮闘中)なのです。汗を滝のように流しながら、目が輝いていて、何故だか、イキイキとしてやっているのです。人間の脳って面白いものですね。「前頭葉」がその状況をどのように捉えているか、その捉え方次第で、「苦痛」ともなれば、逆に「喜び」ともなるのですから。あら、非難めいた眼を私に向けないで。寒村の農家に生まれたTadは、牛馬に代わる役割を両親から期待され、幼少期に新聞に載るほど働いた経歴と経験を有するのに対し、超過保護の両親に育てられた私は、鉛筆と包丁と車のハンドル以外は握った経歴が無いの。だから、こういった種類の「テーマ」については、Tadの専権事項と言うのが私たちの間の暗黙の了解事項となっているの。
話を元に戻して、その「前頭葉」こそが、「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムを知る上での鍵となるのです。「アルツハイマー型認知症」の第一義的な症状が「記憶の障害」であると誤解していて、何時までアルツハイマー・マウスの行動を追いかけていたところで、何等の結果(成果)も出てこないのです。時間と、人材と資金(税金)の無駄遣いに終わるだけなのです。
伊豆高原の我が家の庭先には、これまた私が大好きなブーゲンビリアの花が、今を盛りに咲きほこっています。この花は、来年の3月までも咲き続けるのです。真っ盛りのブーゲンビリアの花をお楽しみください。
注) 本著作物(このブログB-41に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。
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脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)