認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

発病の引き金となる[単調な生活]の開始とその「キッカケ」(A-80)

2013-03-21 | アルツハイマー型認知症発病のメカニズム

第一の人生を自分なりに頑張って生きてきて、「第二の人生」に入っていきます。現在その第二の人生を送っているということは、年齢は60歳を超える「高齢者」である場合がほとんどでしょう。ということは、この「ブログ」を続けて読んでくださっている方ならお気づきのように、「アルツハイマー型認知症」を発病する「第一の要件」は、皆さん既に充足されていることになる訳です。従って、「アルツハイマー型認知症」を発病することになるか否かは、 (生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない)と言うあのナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続)という発病の「第二の要件」を充足することになるか否かだということになりますね。今日の「テーマ」は、そのナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まることになる「キッカケ」についての話です。

「趣味や遊びや人付き合いや運動」を自分なりに楽しむ生活を送っていて、それなりに「生き甲斐」や「目標」があり、時には「喜び」が得られる「生活」を送っている。そうした生活の下では、「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)の機能は加齢とともに衰えていくとは言え、「正常な老化のカーブ」を描いていくので、「異常なレベル」に衰えてくることはないのです。「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、「前頭葉」の機能が異常なレベルに衰えてくることから始まるものなので(最初の段階が、「軽度認知症」の段階)、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」が、衰えていきつつあるとは言え、「正常な老化のカーブ」を描いていっている限りは、「アルツハイマー型認知症」を発病することは絶対にないのです

前回のブログで、左脳偏重(仕事中心)の生き方(価値観)は、「アルツハイマー型認知症」の発病との関係で言うと、(リスクが高い)という話をしました。もう少し正確に言うと、私達が「二段階方式」の活用により集積してきた脳の使い方という視点からの生活習慣(「生活歴」)のデータから明らかになったこと、それは、左脳偏重(仕事中心)の生き方(価値観)は、「発病のリスク要因ではあるが、直接の原因ではない」ということなのです。前回のブログを読んで不安に思われた方がおられるとしたら、その点については、誤解しないでいただきたいのです。

「アルツハイマー型認知症」発病の直接の原因である「第二の要因」とは、生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もないというナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続なのです。そして、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まるには、その「キッカケ」となる「生活状況の大きな変化」(或いは、「生活上の大きな出来事」)の発生という問題があるのです。それが、今日のテーマである「キッカケ」の話なのです。

(一方で)、「左脳偏重」(或いは、「仕事中心」)の生き方(価値観)を第二の人生に入っても変えることができない人達は「アルツハイマー型認知症」を発病する(リスクが高い)のは事実なのですが、(他方で)、生き方に対する考え方(価値観)に特別の問題がない人でも、「キッカケ」に遭遇することによって、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくことが「アルツハイマー型認知症」の発病との関連でとても重要なことなのです。ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まる分岐点は、「キッカケ」に遭遇するかどうか、(そして)、遭遇した「キッカケ」に負けて心が折れてしまうことになるかどうかなのです

 

○ 「前頭葉」の三本柱の機能に内在する「正常老化の性質」

ここで、もう一度、脳の構造についての私の説明を思い出していただきたいのです。それは、「前頭葉」の基礎的且つ中核をなす機能であるあの「三本柱」の機能、すなわち、「意欲、注意集中力及び注意分配力」の機能に内在する「加齢による老化のカーブ」のことなのです。これは、本来的に内在している性質なので、(脳の使い方としての生活習慣の差異に起因するカーブの緩やかさの相違はあるにしても)、誰でも年を取るにつれて、(正常な機能範囲を保ちつつも)機能のレベルが次第に衰えていくのです。参考のために、そのグラフを下図に示しておきます。

(意欲、注意集中力、注意分配力の正常老化のカーブ)

 脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」には人間だけに特有の様々な高度な機能が詰まっているのです。自分が置かれている「状況」を判断したり、その状況の下で何をするのか(やろうとする「テーマ」)を思いついたり、テーマの内容をどのような手立てのもとに実行するかその「計画」を立てたり、やり方の「工夫」をしたり、実行する上での障害となることや状況の変化についての洞察や推理をしたり、関連する内容を修正したり、状況の変化に対応する機転を利かせたり、感情の高ぶりを抑制したり、最終的な判断や意思決定をしたりしているのです。

 それら各種の高度な働きを担当している「前頭葉」の機能、中でも、それら各種の高度で複雑な「認知機能」を正常に発揮する上でとりわけ重要な「認知度」及び「発揮度」を左右している「前頭葉の三本柱の機能」、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の働きには、上記「意欲、注意集中力と注意分配力 」のグラフにみられるように、正常な機能範囲を保ちつつも「加齢と共に、緩やかなカーブを描いて、老化し衰えていく」という、重要な性質があるということを、ここで思い起こしていただきたいのです(「正常老化の性質」)

 

その「三本柱」の機能の働き具合(或いは、衰え方)は、誰にも共通した性質であって、18歳から20歳代の半ばまでが「ピーク」で、20歳代の半ばを過ぎる頃から100歳に向かって、緩やかではあるけれど、一直線に衰えていくものなのです。「アルツハイマー型認知症」を発病する人の割合が急に多くなってくる60歳代後半にもなると、「前頭葉」の働き具合は、ピーク時の頃に比べて、「働き」が半分以下に衰えてきているのです。

70歳代、80歳代、90歳代、100歳代と、年をとればとるほど、前頭葉の働きがさらに衰えていって、正常なレベルを保ちつつもどんどん「低空飛行」の状態になっていくのです(この性質こそが、「アルツハイマー型認知症」を発病する「実質的な第一の要件」ということなのです)。

 

ここから本題に戻ることにしましょう。私達が「意識的」に何かの「テーマ」を実行しようとするとき、(私の場合の例で言えば)ハワイ島の「コナ・コーヒー」を沸かして飲もうとか、韓国の「古代史」の本を読んでみようとか、海洋公園のところの早咲きの桜の花の「写真」を撮りに行ってみようとか、国立公園の中にある海辺の散策路に「散歩」に出かけてみようとか、定置網で今朝獲れの新鮮な魚を使った「手料理」を作ってみようとか、色々な「テーマ」を思いつけるのも、(或いは)そうした「テーマ」を誰(どのお友達)と一緒に楽しもうかとか、どんな服装やいでたちにしようかとか、どんなお化粧にしようかとか、どんなテーブルセッティングにしようとか、飲み物はどのお酒にしようとか、更には(思いつく「テーマ」を仲の良い友達と一緒に楽しむひと時を過ごすために)、あれこれ考えて工夫やシミュレーションをするとき、先ずは、「意欲」が必要になるのです。意識的な行為や思考の世界が動き出すためには、一定の機能レベル以上の「意欲」が働くことが不可欠なのです。加えて、もてなしの中身をあれこれ考え付いたり工夫したりするには一定の機能レベル以上の「注意の集中力」と「注意の分配力」が働くことが必要になるのです。

専門家の誰もがこれまで問題としてこなかった、(或いは、気づいていなかった)ことなのですが、意識的に何かの「テーマ」を実行するには、前頭葉の三本柱の機能である、「意欲、注意の集中力及び注意の分配力」の機能が一定のレベル以上で働くことが不可欠になるのです。この三本柱の機能が使われる機会が極端に少ないナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続される下で、廃用性の機能低下を加速度的に進行させていくその先に、「アルツハイマー型認知症の発病」が待っているということなのです。

 

上述した例に見られるように、私達が、日常生活を送るうえで、「意識的」に何かの「テーマ」を実行しようとするときは、この「三本柱」の機能が十分に働いているかどうか(一定レベル以上の機能レベルであるかどうか)によって、「前頭葉」の各種機能の「認知度」及び「発揮度」が変わってしまうのです(これが、前回のブログで説明した、「二重構造の仕組み」の問題です)。言い換えると、考える工程の質および実行内容の程度及び態様が変わってしまうのです。

その構造的な帰結として、「正常老化の性質」を持つこの「前頭葉」の三本柱の機能が「加齢」とともに衰えていくにつれ、いろいろな場面でいろいろな「テーマ」を処理する際に、「前頭葉」の各種機能の「認知度」及び「発揮度」が必要且つ十分なレベルのものでなくなるために、何の「テーマ」をどのように実行するのかについての、計画内容も実行の仕方の工夫も、シミュレーションの程度も態様も、だんだん尻すぼみのものになっていくことになるのです。

このことは、「高齢者」と呼ばれる年齢にある人なら誰にでも例外なく起きてきていることなのです。私達は、集積された多数の脳機能データによる裏付けを持っているのですが、2年前、5年前、10年前の頃の自分の姿を思い出して、現在の状態と比較してみれば、皆さんも十分に納得がいくことと思います。

 

そうした「前頭葉」の三本柱の機能が「正常な機能範囲」を保ちつつも「加齢」とともに徐々に低下していく中で、ある日「キッカケ」となる「生活状況の変化」や「生活上の出来事」遭遇することになるのです。「キッカケ」に遭遇したことにより、その生活状況の変化(或いは、生活上の出来事)に負けてしまい、心が折れて、立ち上がる意欲が出てこなくて、新たな「テーマ」を見つけることができない人が、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくことになるのです。

生活状況の大きな変化(或いは、生活上の大きな出来事)に負けてしまった人は、何かの「テーマ」を考えついたり実行したりしようとする「意欲」を衰えさせてしまうことになるのです。生活状況の大きな変化」「生活上の大きな出来事」遭遇したことで、心が折れてしまい、「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲」を掻き立てたり、「注意を集中」したり、或いは、「注意を分配」したりする機会が得られることになる「テーマ」が日常生活面から次第に消えて無くなっていく生活を送るようになるのです。言い換えると、生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を送るようになってしまうのです。

 そうした生活状況が徐々に進行していく(「継続」されていく)中で、「前頭葉」の「三本柱」の機能(意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能)が次第に「正常老化」のカーブを離れていき、「加速度的な老化のカーブ」をたどるようになっていき、終いには、異常なレベルに衰えていくことになるのです。そのナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まるには、必ず「キッカケ」となる「生活状況の変化」(或いは、「生活上の出来事」)の発生があるということを強調しておきたいのです。

 

○ ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まる「キッカケ」

「加齢による脳の老化」という「アルツハイマー型認知症」発病の(第一の要件)の充足は、第二の人生を送っているお年寄り全員に共通のもの。ところが、「第一の要件」を充足しただけでは、「アルツハイマー型認知症」を発病することにはならないのです。ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続という(第二の要件)の充足がないと、「アルツハイマー型認知症」を発病することにはならないのです。

(コーヒー・ブレイク)この「第二の要件」の充足は、「アルツハイマー型認知症」を発病したお年寄り全員に必ず確認されるものなのです。「アルツハイマー型認知症」を発病させている犯人は、一部の学者が主張しているような、「アセチルコリン」でも「アミロイドベータ」でも「タウタンパク」でも「脳の委縮」でもないというのが、脳の機能データの分析に基づく私たちの結論なのです。主張の根拠として要求される原因と結果との間の「因果関係」の立証がなされていないそれらの「仮説」を信じるのか、脳機能のデータに裏付けられた私たちの主張のどちらを選択するのか、それは、あなたの「前頭葉」が決めることになりますね。

 

ところで、私達が開発した「二段階方式」の手技を活用するときは、「アルツハイマー型認知症」を発病した全てのお年寄りを対象として、発病の開始の時期から判定時に至るまでの間の脳の使い方としての「生活習慣」(「生活歴」)について、本人及び同居の家族から詳細な聞き取りを行います。 「アルツハイマー型認知症」を発病した極めて多数のお年寄りを対象とする「生活歴」の聞き取りの結果、「前頭葉」を含む脳の老化を加速させる原因となるナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まるには、発病した全員について、「キッカケ」となる「生活状況の大きな変化」(或いは、「生活上の大きな出来事」)の発生が必ず存在することが確認されているのです。

 趣味や遊びや人付き合いや運動も自分なりに楽しみつつ日々を過ごしていく中で、それなりに「目標」がある生活を送っていて、「生き甲斐や喜び」が得られる日が時々はあり、脳は「正常な老化」のカーブを描きながら、ボケとは無縁の毎日が静かに過ぎて行く。そんな「第二の人生」を過ごしているお年寄りが、脳の老化を速める原因となるナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まる「キッカケ」となる「生活状況の大きな変化」の発生(或いは、「生活上の大きな出来事」の発生)に、遭遇することになるのです(分かり易い事例を挙げれば、「東日本大震災」のような大災害に遭遇することは、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まる「キッカケ」になる可能性が極めて高いということなのです)。

 

但し、或る「生活状況の変化」の発生(或いは、「生活上の出来事」の発生)に遭遇したとき、そのことがそのままナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まる「キッカケ」になる訳ではないことに注意が必要です。その発生が「キッカケ」となるか否かは、遭遇した「生活状況」(或は、「生活上の出来事」)の発生に対する「本人の受け止め方」が極めて重要となるからです。

後に例示して説明するように、或る「生活状況の大きな変化」の発生(或いは、「生活上の大きな出来事」の発生)に遭遇したときその発生に対処する自分自身の気持ち自体が負けて、心が折れてしまい、そこから立ち上がっていこうとする「意欲」をなくしてしまい、新たな「テーマ」を見つけられない人が、そのままナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくことになるからです。

(ここで再度、コーヒー・ブレイク) これといった生き甲斐や目標となるテーマもなく、趣味や遊びや人付き合いを楽しむ一時もなく、運動もしない毎日。こんなナイナイ尽くしの「単調な毎日」を過ごしていると、意欲、注意の集中力と注意の分配力の「三本柱」の出番が極端に減少してしまうために、「高齢者」の場合は、「前頭葉」の加速度的な機能低下(不十分にしか使われないことによる「廃用性」の機能低下)を起こすことになってしまうのです。そうしたナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されていくその先には、「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているのです(その最初の段階が、私たちの区分でいう、「軽度認知症の段階」なのです)。(ここを「クリック」してください)。

とはいえ、東日本大震災を被災された「高齢者」の置かれている現状からすれば、生き甲斐や喜びが得られる「テーマ」、「前頭葉」の三本柱の出番が得られるような趣味や遊びや人付き合いの「テーマ」を見つけること自体が、極めて困難だと思うのです。むしろ、日々の生活手段となる目標さえ見つけ出せないという状況でしょう。

 そこで、被災地の「高齢者」の方達は、とりあえず「1日5000歩」の速足での散歩をして欲しいのです。歩く速さは、「会話が楽しめるが、軽く息がはずむ程度の速さ」です。安全な場所を選んで、歩きやすいところで、仮設住宅で知り合ったお友達を誘って、一緒に、「おしゃべりを楽しみ」ながら、歩いて欲しいのです。

 速足で歩くことは、「意欲」と「注意の集中力」という前頭葉の機能を高めるのにとても効果があるのです。仲間とのおしゃべりも楽しみながら歩くと、「注意の分配力」も働きます。もちろん、天気が良くなかったり、足腰に痛みがあるなど身体の調子が良くないときは、無理をしてはいけません。そんなときは、仮設住宅で、仲間とおしゃべりでも楽しみながら休んでいてください。

 一週間、二週間、一ヶ月、半年と、歩く日が続く中で、自分でもはっきりと意欲がわいてきたなと実感することが出来るようになるはずです。

 意欲が出てくるようになったら、脳の司令塔の「前頭葉」の働きが良くなってきた証拠ですから、そこで、周りの人たちにも相談しながらじっくりこれからの対処策や目標あるいは生き甲斐について、考えてみて頂きたいのです。

                                                                                                                                                                                            

(ここで、本論に戻って説明を続けます)その意味で、「本人の受け止め方」という側面が極めて重要な要素となるのです。つまり、この「大きな」という要素は、客観的なものではなくて、あくまで本人の主観的な評価によるものなのだということに注意して頂きたいのです。本人の評価として、その衝撃が余りにも大きいが故に、「意欲をなくしていく」(再起できなくなっていく)のであって、周りの目から見た客観的な評価としてのものではないという点が極めて重要なのです。

言い換えると、「本人の受け止め方次第」で「キッカケ」となるかどうかが決まってしまうということなのです。分かり安い例を挙げて説明すると、「かわいがっていた飼い猫が死んだ」からと言って、全てのお年寄りが、何事にも「意欲」をなくしてしまい、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくという訳ではないということなのです。「キッカケ」となる「生活状況の変化」の発生(或いは、生活上の出来事)の発生については、次回のブログ(4月1日)で、その類型化と具体例とを詳しく説明する予定です。

 注)本著作物(このブログA-80に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

 エイジングライフ研究所のHPここを「クリック」してください)

脳機能からみた認知症の初期の見わけ方(IEでないとうまく表示されません)

 

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アルツハイマー型認知症の発病原因と生き方 その2(A-79)

2013-03-11 | 発病の引き金となる生活習慣

私達がこれまでに「アルツハイマー型認知症」の早期発見と回復及び予防の為の「地域予防活動」を展開してきた市町村(高齢化率が30%を超える市町村)において畜積したデータによると、「アルツハイマー型認知症」を発病している人達(精神科医が取り上げている「大ボケ」だけではなくて、「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の全てのレベルを含みます)の年代ごとの割合は、定年退職などで「第二の人生」が始まったばかりの60歳代に12%もの高い割合を示していて、70歳代に30%、80歳代に50%、90歳代に75%、加齢の極まりの100歳代に97%というように、年をとるにつれて、「どんどん増加していく」のが特徴なのです。(ここを「クリック」してください)。

 こうした「データ」から、「アルツハイマー型認知症」を発病する要因は、一部の学者が主張しているような食べ物でも金属の摂取でもなくて、「加齢による脳の老化」という問題が基本的な条件(発病の「第一の要件」)として考えられるのです。「アルツハイマー型認知症」を発病している対象者は、「高齢」のお年寄りばかりなのです。だからと言って、皆さんがお気づきのように、(高齢になると誰もが「アルツハイマー型認知症」を発病する訳でもない)ことも事実です。

ということは、「アルツハイマー型認知症」の発病要因については、「加齢による脳の老化」という要因以外の要因があるはずということにもなりますね。その「第二の要因」とは何か。「アルツハイマー型認知症」を発病する原因(要因)には、実は、第二の人生における日々の脳の使い方としての「生活習慣」(「生き方」)が密接に関係しているのです。その「生活習慣」(生き方)を選択する上での、「評価の尺度」(価値観)が今日の「テーマ」です。

○ 「アルツハイマー型認知症」を発病している人たちの対象となる年齢

 

私達が「二段階方式」の手技を活用して集積してきた「前頭葉」の機能レベルに関するデータを含む多数の脳機能データと「アルツハイマー型認知症の症状」に関するデータの解析結果は、以下のことを示しています。

☆ 「アルツハイマー型認知症」を発病しているその対象者は、50歳代の人は殆どいなくて、「高齢者」と呼ばれる60歳代以上の年齢のお年寄りに限られている(50歳代の人は皆無とは言いませんが、極めて稀なのです);

☆ 年をとるほど「アルツハイマー型認知症」を発病する人の割合が増えていき、身体も限界の100歳代では、殆どの人が(97%の人が)「アルツハイマー型認知症」を発病している;

☆ 「アルツハイマー型認知症」を発病しているお年寄りの同年代ごとの割合が、北海道、東北、関東、東海、中部、北陸、近畿、中国、四国、九州のどの地域をとってみても、どこも殆ど同じで、地域差が認められない。

 

 ○  「生き方」が誰も皆「同じ規格」なのが単一民族である日本人の特徴

「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)は、自分の置かれている状況を判断して、実行すべき「テーマ」の内容を計画し、その実行結果をシミュレーションした上で、どのような内容の行為をどのように実行するのかを選択し、最終的な実行内容を決定する「評価の物差し」としての働きを持っています。そして、「左脳」が主役となる「仕事」という「テーマ」を殆どの人が失って生きていく「第二の人生」で、どのような「生き方」をするのか、言い換えると、どの「脳」をどのように使う生活をするのかが問われることになるのです。

そのメカニズムのことを知っていようといまいと、そのことを認識していようといまいと、どのような脳の使い方(「生活習慣」)を選択し構築するのか、そのことが「アルツハイマー型認知症」の発病を左右することになるのです。正しい選択をすれば、その人の「前頭葉」は衰えていきつつも正常な老化のカーブを描くので、「アルツハイマー型認知症」の発病とは無縁で、第二の人生を完走できるのです。間違った選択をすれば、その人の「前頭葉」は加速度的な機能の低下のカーブをたどっていき、その先には「アルツハイマー型認知症」の発病が待っていることになるのです。

 ところで、「アルツハイマー型認知症」を発病するお年寄りの年代ごとの割合に「地域差」が認められないという「データ」のことを先ほど紹介しました。そのことは、言い換えると、何が重要かを判断し選択する「評価の尺度」(価値観)にも、「地域差がない」ことを意味してもいるのです。現在は「高齢者」の仲間入りをされている皆さんもご記憶のように、高度経済成長を謳歌していた1970年代には、90%を超える国民が「中流である」との意識を持つに至り、「一億総中流」という言葉がマスコミをにぎわしたものなのです。

アメリカとかシンガポールとかの多民族国家とは異なり、異民族による侵略を一度も受けることもなく他国からの移民を受け入れることもしてこなかった「単一民族」国家の典型である我が国の国民は、出身地(国)も容姿や容貌も、肌の色も、背丈の大きさも、生活様式も、教育水準や生活水準も、居住している住居の大きさも、日常生活の足として使う車のデザイン(ガラパゴスデザインと揶揄される)もそのカラーの好みも、(13000万人もの人口があるのにかかわらず)、多様性に乏しいというよりはもっと「均一」なのです。その行き着くところの「生き方」(価値観)までもが、全ての面で同じ規格、単一様式なのです。アメリカやシンガポールといった多民族国家のそれらと比較してみると、その対極にあることが分かるのです。

 ○ 生き方(「生活習慣」)の基礎となる「価値観」

その「生き方」を選択する上での基礎となる「価値観」が、「左脳が主役となる仕事」をすることに対する評価の仕方と「右脳が主役となる趣味や遊びや人付き合い」を楽しむことに対する評価の仕方に典型的に現われているのです。「仕事をすること」に対する評価と「趣味や遊びや人付き合いを楽しむこと」に対する評価、言い換えれば、どのような「生き方」(脳の使い方としての「生活習慣」)を重視するのかということに関しても、私たち日本人の考え方には、日本全国殆ど同じで地域差がないのです。

価値観、生き方、日常生活での脳の使い方(「生活習慣」)が、皆ほとんど同じで、あの金太郎飴のように「均一」なのです。第一の人生はさておいても、「第二の人生」においてもそうなのです。「高齢者」であることは発病の「第一要件」なのですが、世界に例を見ない「超高齢化社会」であることだけで「アルツハイマー型認知症」大国になっている訳ではないのです。「発病の引き金となる第二の要因は、実は、この価値観に潜んでいるということなのです」。そのことをもう少し具体的に説明していきましょう

 

○  「第一の人生」を支えてきた「左脳」(仕事)中心主義の価値観

「左脳」は仕事や勉強をするために不可欠の脳、「右脳」は趣味や遊びや人づきあいを楽しむために不可欠の脳、「運動」の脳は身体を動かすための脳だと言いました。最近の若者の考え方は、相当変化してきているのではないかと思いますが、戦後の復興期からほんの最近に起きたリーマンショックの時期までは、第一の人生を送るとき、脳の使い方が「左脳偏重」の人達が多かったのです。つまり、「仕事偏重の生き方や考え方」をする人達が多かったのです。「社会の主流」だったのです。所謂「右肩上がり」の経済成長の中で、「幼少期、少年期、青年期、壮年期を生きてきた」人達が皆(これから高齢者の仲間入りをしていく私たち第二世代並びに既に第二の人生を送っていて、「アルツハイマー型認知症」を多発している第一世代)、そうした価値観のもとに「第一の人生」を送ったのです。 

「企業戦士」とか「滅私奉公」とかの言葉がマスコミでもてはやされ、「仕事」に命をかけ、家庭を忘れて仕事に全ての時間を費し没頭する、会社に生涯を捧げることをよしとする考え方、そうした風潮(或いは、「価値観」)が、私達(第一世代や第二世代)日本人の社会的な「評価の物差し」となっていたのです。それが、敗戦後の日本の復興を支えてきた人達が作り上げた「社会規範」だったと言ってもいいでしょう。その社会規範の中で企業戦士として働き続けてきた夫達(夫が出世することを強く望み、企業戦士となることを是認し、働く夫を精神的にも支えてきた妻達)が、夫の定年退職その他を契機にして、第一の人生で築きあげた「評価の物差し」のままで、「第二の人生」に入っていったのです(そして、今まさに「第二の人生」に入っていこうとしている第二世代は、「第一世代」が第二の人生でどうなっているのかに、もっと注目すべきなのです)。

 

こうした生き方(価値観)は、働いた先が、企業であれ、学校であれ、病院であれ、地方自治体や国であれ、農業や林業や漁業や商業や工業に従事したのであれ、現在「第二の人生」を送っている高齢者に共通して言えることだったのです。こうした価値観は、「第一の人生」では、むしろ必要で不可欠とされた(される)のですが、「第二の人生」ではそれが逆効果となって現れてくるのです。「人生60年」と言われて、脳がもたなくなる時は身体ももたなくなっていた「一昔前の時代」には、「第一の人生」での価値観をそのまま「第二の人生」に持ち込んでいっても、何の問題もおきなかったのです。

ところが誰でもが80歳や90歳まで生きる「超高齢化社会」の「今の時代」は、「第一の人生」での社会規範であったこの価値観のままに「第二の人生」を送っていると、せっかくの「第二の人生」だというのに早々と「アルツハイマー型認知症」を発病することになるのです(上述した、年代別の発病率を見てください)。「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症の特徴は、「身体がもつのに脳がもたない」という問題があるのです。「小ボケ」から「中ボケ」を経由して「大ボケ」へと脳の働きがどんどん衰えていく一方で、身体のほうはその間しっかりともつのが、「アルツハイマー型認知症」の「特徴」なのです。つまり、「介護」されるだけの日々が何年も続くことになるのです。「長期間に渡る介護」が必要になるということに関連して、「家族介護」による家庭崩壊の問題や「介護保険」の財政破綻の危機といった重大な社会問題を抱えることになるのです。

○ 「第二の人生」をどう生きるか(日々をどのようにして過ごすか)

 「仕事一筋」(或いは、「仕事第一」)の生き方、「左脳偏重」の生活習慣を疑うこともなく、社会的な規範として抵抗もなく受け入れて第一の人生を送ってきた人達は、「第二の人生」に入っていくと、「仕事以外のこと」には価値を見出し難いのです。第一の人生での体験が少ないことも一因なのですが、「趣味とか遊びとか運動とか」に価値がおけなくて、そうしたことに(彼らの価値観からの言葉で置き換えると、そのような「些事」に)熱中することが出来ないのです。そうした「些事」が、自分が生きていく上でのメーンの「テーマ」となる日常などには価値が置けないと感じるのです。だからといって、「仕事」をする世界に逆戻りする訳にはいかないでしょう。

 

そうした考え(価値観)を引きずるお年寄りは、やっと出会った(見つかった)趣味や遊びなのに、その「楽しみ方」を知らないのです。「趣味や遊び」なのに、そのやり方がまるで「仕事そのもの」なのです。「第二の人生」での趣味や遊びのやり方に、第一の人生で仕事を遂行するとき使っていた「ルール」を適用しようとしてしまうのです。そのうえ、「周りの目」とか、「周りが自分のことをどう考えているか」ばかりを気にするのです。自分らしい生き方に自信が持てないで、何事につけ、自分らしさを前面に出せないで生きていくのです。『いつまで第一の人生のルールに縛られ続けるの』と声をかけてあげたくなるのです。

☆ 水彩画の集いに参加してみたら、周りの人達が色遣いのセンスも、線の描き方も、筆使いも、自分より上手なのです。

☆ 能面を打つ集いに参加してみたら、周りの人達がみんな自分よりセンスが良く、ノミの使い方が上手に見えて仕方がないのです。

☆ ゲートボールの集いに参加してみたら、周りの人達がみんな自分よりもスティックの使い方が上手なのです。

☆ 自分の家の庭に好きな山野草を植えて楽しむようになって、近所のガーデニングの会に参加したら、メンバーの家の庭が広いので家に呼ぶのが嫌なのです。

 

○ 「生き方」の基準にコペルニクス的な転換が必要(「左脳」中心の考え方からの転換)

「第二の人生」を送る日常生活の面で、「脳を活性化させる」ために最も重要且つ必要となる指標とは、「自分なりに楽しむ」或いは、「自分なりの楽しみ方をして楽しむ」ということなのです。「どんなテーマであれ、何時であれ、誰とであれ」、「周りと自分とを比較して、自分の達成度を測る」それが、私たち日本人の特徴です。第一の人生で、常に生活水準の向上を目指して、努力していく時期には、それはそれとして必要なことだと思うのです。But、「第二の人生」では、そういった「価値観」は、肝心のあなたの脳に通用しないのです。あなたの脳がもたないのです。「百害あって、一利なし」なのです。

このブログの言わんとすることが理解できて、心に思い当たることがある人は、明日と言わず今日から改めていただきたいのです。440を超える市町村での活動を通して、「アルツハイマー型認知症」を発病した余りにも数多くのお年寄りたちの姿を目撃してきた私たちの目には、このままの生き方で第二の人生を送る場合のあなたの将来像がはっきりと見えてしまうのです。

「第二の人生」では生き方の基本として、周りの目を気にして自分と周りとを比較するのではなくて、「自分なりの特徴が出せているか」、「自分らしさが出ているか」、「自分なりに楽しめているか」を評価の物差しにすべきなのです。周りとの比較で評価すると、水彩画の教室に参加することも、能面を打つ会に参加することも、ゲートボールをする集いに参加することも、自分の技量が周りの人に比較して劣っているので、評価できないのです。参加していても面白くなくて、参加の回数が次第に減っていき、最後はやめてしまうことになるのです。「一億総中流」の意識や「常に周りと自分を比較する」指標は、「第二の人生」では、「無用の長物」というよりは、「捨て去るべきもの」なのです。

「脳の活性化」を何よりも重視すべき第二の人生での「趣味や遊びや人付き合い」は、生活を組み立てるための第一の人生での「仕事」とは、根本的に「位置づけ」が異なるべきものなのです。以前のブログで詳しく説明したように、「前頭葉」の三本柱である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能は、内在する「正常老化の性質」により、そもそも加齢とともに働き具合が衰えてきているのです。その働き具合を正常なレベルに保ち続けるためには、その「三本柱」の機能が活性化される「テーマ」を日々の「生活習慣」に組み入れることが不可欠なのです。そのためには、「前頭葉」の評価の物差しとなる基準自体にもコペルニクス的な転換が求められることになるのです。

  せっかく、趣味や遊びのテーマを生活習慣に組み入れたのに、参加するたびに意欲を落とすことになったり、参加していても注意の集中力や注意の分配力が十分に発揮されない結果になっていたのでは、それこそ「逆効果」なのです。じゃあ、どうすればいいのか。考え方(評価の指標)を変えればいいのです。趣味や遊びは、仕事ではないのだから、「周りとの比較による目標を十分達成できたがどうか」を評価の指標(仕事の評価指標)にするのではなくて、「自分なりの目標を達成する過程を、自分なりに十分楽しめたかどうか」を評価の指標(趣味や遊びの評価指標)にすべきなのです。

(コーヒー・ブレイク)第一の人生における 「仕事」という「テーマ」の場合には、周りから期待された客観的な達成値(達成しなければならない目標値)というものがありますね。自分なりに達成出来たと思っていても、客観的な達成値が小さければ、期待外れの評価を受けることになります。その結果、本人の達成感(或いは、満足感)は小さなものとなり、その「テーマ」を再度遂行しようとする場合に、「意欲」が湧いてこなくなります。

ところが、「第二の人生」における「趣味」や「遊び」や「交友」や「運動」を「テーマ」にする場合には、「自分が自分なりに設定する自分なりの主観的な期待値」を達成すべき目標値とすることができる訳です。従って、その達成内容(或いは、達成値)が周りの人達が期待するものと比較して劣っているものであっても、自分としての達成感(或いは、満足感)を得ることができることになります。そして、(周りの評価が何であれ)、自分なりの(大きな)満足感が得られれば得られる程、その「テーマ」を再度遂行しようとする意欲が湧いてくることになるのです。「周り」がどうなのかということではなくて、この「自分なり」という指標を設定することが、「脳の活性化」という視点から、極めて重要で不可欠の指標となるのです。

 「評価の指標」を上述したものに変えたとき、周りとの比較ではたとえ下手でも、自分なりに楽しめたと感じられるときには、(時間がたつのも忘れて)熱中できている自分の姿をそこに発見することができるはずなのです。時間が経つのも忘れて熱中できているときには、「前頭葉」の三本柱がフル回転しているのです。つまり、「脳全体が活性化している」のです。そうした時間を過ごすことができる「生活習慣」を構築することができたとき、そこには、「アルツハイマー型認知症」とは無縁での、「第二の人生」の完走が待っていることになるのです。

 

 他方で、「第一の人生」を生き抜く中で培った上述した「左脳中心の価値観」を変えることが出来ない人達は、「第二の人生」が始まり、日々を過ごしていく上での「生き甲斐」や「喜び」や「目標」を与えてくれていた「仕事」がなくなったとき、「仕事以外のテーマ」をどのように持ち、どのように毎日を過ごしだらいいのかが分からないのです。朝は遅くに起きてきて、新聞を読んだら、テレビのチャンネルをひねるだけ。お昼を食べた後には、昼寝して、夕方になったら「水戸黄門」を見る。それで、一日が終わり。まるで、「毎日が判を押したような生活」を送ることになるのです。(これではボケてしまうよ)と家族に急き立てられて、やっと見つけた「趣味の会」に参加しようにも、周りは誰も顔を知らない人達ばかり。声をかけることも出来ず、一緒に楽しむことも出来ず、たった一回の参加でもう終わり。

生きがいや喜びを与えてくれるものも目標となるものもなく、「有り余る時間をもてあます日々を過ごす」ことになるのです。せっかくの第二の人生なのに、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な毎日」を過ごすようになるのです。ナイナイ尽くしの「単調な生活」が日々継続する「生活習慣」のもとで、「前頭葉」を含む脳全体の機能が加速度的な低下を進行させていき、その先には「アルツハイマー型認知症」の発病という「第二の人生」が待っていることになるのです。(ここを「クリック」してください)。

 

北海道から九州まで、440を超える市町村での「地域予防活動」を指導する体験の中で、そうしたお年寄りの姿をたくさん、私たちは見てきているのです。これは、脅しではなくて、私たちが見てきた実態なのです。そうした第一の人生での「左脳」中心(「仕事」中心)の生き方を「第二の人生」に持ち込んだままの「生活習慣」を継続しているその結果として、極めて多数のお年寄りたちが「アルツハイマー型認知症」を発病しているのです。回復が困難で介護の対象でしかない末期段階の「重度認知症」(大ボケ)のお年寄りの数が、我が国では300万人を超えているという現実を抱えることになってきているのです。

But;皆さん、この程度の数字で驚かないでください。学者、研究者、医師といった「アルツハイマー型認知症」の専門家と言われる人達の誰もが、末期の段階で回復させることがもはや困難な「重度認知症」(大ボケ)だけしか見つけられずにいる為に(重大な誤りがある「DSM-4」を金科玉条として信奉していることが原因)、アルツハイマー型認知症の早期診断による回復予防」という「テーマ」がどの専門家からも提起されることがないままできているのです。その結果、「大ボケ」の予備軍である「小ボケ」と「中ボケ」とを合わせた人数が、『大ボケ』の人数の(2~3倍にもなっている)現実にさえ気づいていないのです。我が国は、経済大国であるだけでなくて、「アルツハイマー型認知症」大国でもあるのです。

今日も、極めて多数に上る人数の「正常なお年寄り」の中から「小ボケ」が生まれていて、極めて多数に上る人数の「小ボケ」が「中ボケ」の段階に進んでいて、極めて多数に上る人数の「中ボケ」が「大ボケ」の段階に進んでいるのです。「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、蛇口を閉めることができる、廃用症候群に属する「生活習慣病」に過ぎないのに、今日も蛇口は開きっぱなしのままなのです。

つい先日も、某テレビ局の朝の番組で、「家族介護」を柱に据えた「地域包括支援介護」の考え方が紹介されていました。その道の識者とされる参加者達の発言や関心は、現在の制度下では開きっぱなしになっている蛇口を閉めること、「アルツハイマー型認知症」の「予防」(或いは、「地域予防」)という「テーマ」は、頭のどの隅にも無い内容のものばかりでした。『施設が不足しているとか、施設の人的及び物的な内容が不十分だとか、施設で働く人たちの賃金が低いとか』、運営のコストが増大する内容ばかりがメインのテーマに取り上げられていましたが、それらを解決するには、「消費税」を上げ続ける必要があるのです。なぜなら、この先『認知症の人達』の数はさらに拡大増加していくと予想されているからです。「少子高齢化」の問題と1000兆円を超える「累積債務」の問題、更には「貿易赤字」の常態化の問題という「三重苦」を背負っている我が国での実現可能な解決策になるはずがないのに。

 注)本著作物(このブログA-79に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

 エイジングライフ研究所のHPここを「クリック」してください)

 脳機能からみた認知症の初期の見わけ方(IEでないとうまく表示されません)

 

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アルツハイマー型認知症の発病原因と生き方(日本人の価値観その1)(N-78)

2013-03-01 | アルツハイマー型認知症発病のメカニズム

(プロローグ) 「人生60年」と言われていた一昔前と違い、世界に先駆けて「超高齢社会」を実現し、誰でもが80歳90歳まで生きる我が国では、「第二の人生」が20年も30年もあるので、人生を完走する上で、「第二の人生をどう生きるか」が、極めて重要なものとなるのです。人生の終焉を迎えるその時まで、自分の来し方を振り返り感謝の気持ちを込めて、「生きてきて、よかった」と感じることができる『前頭葉』(前頭前野に局在する、前頭葉の三本柱の機能、評価の物差しの機能及び実行機能から構成されている複合機能体を言うものとする。以下、同じ)の働きを維持していてほしいのです。その為、どのような脳の使い方、「生き方」をすれば良いのかについて、皆さんに、「脳の機能データ」の解析に基づき、「問題提起」したいと思うのです。

&1   『アルツハイマー型認知症』は、『意識』が関わるタイプの認知症

(1) 私達が意識的に何等かの「テーマ」を実行しようとするに際して、その実行内容が複雑で高度なものであればあるほど、そうした場面で要求される「前頭葉」のさまざまな個別認知機能(総称して、「実行機能」=Executive Function と言います)の「発揮度」(様々な程度態様からなる情報の認知とその処理にかかわる「前頭葉」の各種個別認知機能の発揮にかかわる「認知度」と密接不可分の関係)を左右する前頭葉の三本柱』の機能、「意欲、注意の集中力及び注意の分配力」からなる機能に、「正常老化の性質」が本来的に内在していることが、私たち「二段階方式」独自の手技である『改訂版かなひろいテスト』の実施データの解析により判明したのです。

(2)『意識的な世界』(目的的な世界)で、意識が覚醒した状態下では、状況に応じた「テーマ」を発想し、テーマを実行する実行内容を計画し、実行結果をシミュレーションし、比較した上で、選択し、最終的な実行内容と実行の仕方を決定し、その実行を決断して、左脳や右脳や運動の脳に対して実行の指令を出す過程では、情報の「認知度」と情報の処理に関わる「前頭葉」の各種個別認知機能の「発揮度」及び「認知度」が高いレベルで要求されることになります。

(3) 複合機能体である『前頭葉』の構成要素である各種個別認知機能(総称が「実行機能」)、例えば、自発性、発想、計画、考察、洞察、推理、検索、忖度、憶測、機転、修正、感動、抑制、忍耐、決断などの個々の認知機能の認知度発揮度も、「前頭葉の三本柱それ自身の機能レベル及び機能の発揮度が、異常なレベルに機能低下してきたときは、その先にある「評価の物差し」の機能及び「実行機能」の発揮度も同様の機能の発揮度状態に置かれる機能構造(機能発揮上の二重構造及び廃用性の機能低下の進行が連鎖していく連鎖構造)、私たち「二段階方式」独自の言葉で言う『機能発揮上の二重構造』が存在していると考えるのです(「前頭葉の三本柱」の機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行していくのに連動する形で、同じ過程を辿って、「前頭葉」の各種構成要素としての各種機能も機能の発揮度が異常なレベルに低下してくると考えられるのです。

&2 『機能発揮上の二重構造』とその要である『注意の分配力』の機能

(1)上述した私たち「二段階方式独自の理解であり、見解である『二重構造の仕組み』についての分かり易い補足説明をします。例えば、信号が青になって通りを横断しているとしましょう。道の反対側の「信号が青になっている」のを確認した時(そのことが、認知されあなたの『意識』に上ってきたとき)、その背景としての建物や樹木や車や歩行者等の映像が、あなたの意識に上っている信号の映像と同時に、物理的にあなたの目には映し出されているはずなのです。但し、選択されて「意識」の対象となるべき特定の映像に対し注がれているあなたの「注意集中力」(或いは、「注意分配力」の一部)が一定レベル以上になっていないと(言い換えると、その特定の映像に対する『認知度』が一定レベル以上のものになっていないと)、あなたの「意識」には上ってこないということなのです。

(2) つまり、意識自体にも『意識の覚醒の度合い』(意識度)というものがあり、注意の集中力(或いは、注意の分配力の一部)が一定レベル以上になっていないと対象が(或いは、対象となるべき意識の内容が)特定されないので、「対象」に対する意識の覚醒の度合が薄く(或いは、低いと表現してもいいのですが)、意識下でありながら、あなたに認識されないだけのことなのです。カメラの焦点がきちんと合わないと、対象となる画像がピンボケになってしまうのに似ているといえば理解しやすいでしょうか。でありながら、

(3)この「認知度」が低い為に「意識度」が低くて、意識下でありながら、『意識的』には認識されていないレベルの「認知された状況」(或いは、内容)について、「無意識」の世界と勘違い(或いは、混同)している学者が少なからずいるのです。こうした考えが、若い「脳科学者」達の間で、流行の気配さえ最近はあるのです。『人間の行動や行為や思考の全ては、無意識起因するものであって、意識に起因する行動や行為や思考というものは存在しない』などと、声高に意味不明のことを言い募る学者達が少なからずいるのには、本当に驚かされるのです。

このことに関わる『リベットの実験』に於いて、リベット自身が、『注意の分配力』の機能による先行的メタ認知(実際の実体験認知の実行に僅かに先行して、起きている認知)について無知であった為に、実験の結果の解釈を誤り、無意識が全ての意識に先行しているものと誤解しただけなのです。『注意の分配力』の機能は、異なる3つ以上の複数の意識」を構築し、統括し、管理する機能であり並びに複数の異なる「テーマ」同時に並行して処理する上で不可欠の機能であり及び咄嗟の判断と処理に不可欠の機能なのです。『意識』を解明するには、『注意の分配力』の働きの深い理解が不可欠となるのです(『注意の分配力』の機能は、マウスは愚か、チンパンジーにも備わっていない機能なのです)。

注意の分配力』の機能の働きによって、同時に並行して行われる認知機能の発揮により、⓵秒針が3時の真上に来た瞬間にボタンを押すという「テーマを保持している」機能の発揮状態下で、②秒針の動きを常に目が追っていきながら、秒針が3時の真上に来る直前に、「秒針が真上に来たらボタンを押す」という「テーマ」を強く意識(認知)し(強い血流変化)、④秒針が3時の真上に来たことを認識した瞬間に、⑤ボタンを押す指示が(脳内で)行われて(強い血流変化)、その結果、ボタンを押す動作」が実行されているだけのことなのです(先行するメタ認知である③と④認知機能の発揮は、無意識ではなくて、意識下のものであり、後行する実体験認知である⑤と⑥の認知機能の発揮も、同じく、意識下のものなのです)。

&3  『アルツハイマー型認知症』発病の『第一要件』

(1)「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、発病の対象者を実態面から見るとき、「第二の人生」を送っていて、60歳を超える年齢の「高齢者だけが、発病の対象となっているという特徴があります。

高齢者だけが発病の対象となるには、「脳の機能面」から見た時、次のような理由があることがその根拠となるのです。私達が開発した「二段階方式」と呼ばれる神経心理機能テストを活用して、『前頭葉』の機能レベル年齢別の推移を調べたのです。そのデータの解析によって、「意識的な世界」(目的的な世界)に於ける脳全体の司令塔の役割を担っている『前頭葉』基盤的機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力(二段階方式が、「前頭葉の三本柱」の機能と総称)には、「脳の使い方」としての意味で言う『生活習慣』の如何に拘わらず、「加齢」の進行と共に老化していくという性質(「正常老化」の性質二段階方式が命名)があることが判明したのです。

(2) 自分なりに追求する特定のテーマとそれを達成するための目標が有り、趣味や遊びや人付き合いや運動を楽しんでい居て、喜びや生き甲斐を覚える機会がある「脳の使い方」としての生活習慣』の下で日々を過ごしていようとも、20歳代の半ばにピークを打ったその先は、年を重ねていくにつれて「前頭葉の三本柱」の機能レベルが正常な機能レベルを保ちつつも、100歳に向かって緩やかに低下していくという性質が本来的な性質として内在しているのです。

(3) 私達がこれまでに集積してきた極めて多数の症例に基づく脳機能「データ」によると、「正常な老化」の場合でも、「高齢者」と呼ばれる年代の65歳頃になると誰でも、その働き具合がピーク時である20歳代の半ば頃に比べて「半分程度」にまで衰えてきているのです。このことが、加齢による前頭葉の「正常老化」の性質の重要な点でもあるのです。つまり、この「60歳を超えた年齢の高齢者である」という条件こそが、「アルツハイマー型認知症」を発病する「第一の要件」なのです。そして、加齢による前頭葉の「正常老化」のカーブは、その先70歳代、80歳代、90歳代、100歳代と年をとるにつれて、「直線的」ではあるが緩やかなカーブを描きながら、更なる「低空飛行」の状態に入っていくのです。それ故に、実態面を見るとき、「アルツハイマー型認知症」を発病する対象は60歳を超える年齢の「高齢者」だけということになるのです。更に言えば、60歳代よりも70歳代、70歳代よりも80歳代、80歳代よりも90歳代、90歳代よりも100歳代と、年齢が増せば増すほど「アルツハイマー型認知症」を発病する人達の「同年代での発病率」が大きくなっていくのです(年をとればとるほど、「アルツハイマー型認知症」を発病するお年寄りの割合を示す数値が大きくなる)。北海道から九州まで、日本全国どこでも、この特徴的な「実態」が確認されているのです。

&4  『アルツハイマー型認知症』発病の『第二要件』

(1)  脳の使い方としての「生活習慣」が発病の引き金に(「第二の要件」)

「正常老化」のカーブを辿りつつ年をとっていく過程にあるとはいえ、「前頭葉」の機能が「低空飛行」の状態に入ってきている「60歳を超えた高齢者と呼ばれる年齢のお年寄り」が(上述した、発病の「第一の要件」)、脳を積極的に使おうとはしない「単調な生活」、キャッチ・コピー的な表現を借りて言えば、「自分なりの追求する特定のテーマがない暮らし方、生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない単調な生活」というナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」を日々続けていると(発病の「第二の要件」)、出番が極端に少ないために使われる機会が極端に減った『前頭葉』が廃用性の異常な機能低下を進行させていくことになるのです。

(2) 私たち「二段階方式」が定義する発病の第一の要件」と「第二の要件」とが重なり合う(二つの要件が「同時に充足される」)ことの「相剰効果」によって、「前頭葉」の廃用性加速度的異常機能低下進んでいくことになるのです。「前頭葉」の働きが加速度的に衰えていくことにより、脳の働き具合(機能レベル)が異常なレベルに衰えてくるその先に、「アルツハイマー型認知症」(晩発型、或いは老年性「アルツハイマー病」と呼称されることもあります)の発病が待っているのです(発病の最初の段階が、私たち「二段階方式」の区分でいう「軽度認知症」=「小ボケ」の段階です)。

&5 『アルツハイマー型認知症』の発病の『三段階区分」の意味

(1) その機能構造の結果、最も高い機能レベルが要求される「社会生活面」において、廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行して異常な機能レベルに衰えた『前頭葉』の機能レベルの「直接のアウトプット」として、『アルツハイマー型認知症』の発病としての症状が発現れてくると考えられるのです(最初の段階である、「軽度認知症」=「小ボケ」の段階)。但し、「小ボケ」の段階では、「前頭葉」のコントロールの下で「前頭葉」と協働して働いている『左脳』も『右脳』も『運動の脳』も、それら全ての機能レベルが未だ正常なレベルにあることが重要なのです(『前頭葉』だけが異常なレベル)。

(2)『前頭葉』の機能レベルが更に衰えていくのに同時に並行して、これらの「左脳や右脳や運動の脳」の機能までもが「異常なレベルに衰えが進行してきたときから、「次の段階」(「中等度認知症」=「中ボケ」=前頭葉を含む脳全体の機能が異常なレベルに在る)に進んでいき、「家庭生活面」にも支障が出てくるようになるのです。

(3)更に、「前頭葉」並びに「左脳、右脳及び運動の脳」が、同時進行的に更に廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行していくことにより、最後は、「末期の段階」である「重度認知症」=「大ボケ」の症状が、発現して来て、「セルフケア」にも支障が出てくるようになり、日常の生活面での「介護」が必要となるのです。

この「末期の段階」である『大ボケ』の症状が発現してくるようになって初めて、『アルツハイマー型認知症』の発病であると診断する旨を、米国精神医学会が策定した診断規定である『DSM - Ⅳ』の第二要件は、規定しているのです。この「末期の段階」だけを取り上げて「アルツハイマー型認知症」と診断しているが為に、「アルツハイマー型認知症」は、(発病の原因も分からないし、治すことも出来ないし、予防することも出来ない病気)にされてしまったのです。(発病の原因が分からないのも、治すことが出来ないのも)見つけるのが遅すぎるせいなのです

&6 『アルツハイマー型認知症』発病の『初期段階』(「小ボケ」)とは
(1)「軽度認知症」(小ボケ)の段階は、左脳、右脳及び運動の脳の機能は、まだ正常なレベルにあって、司令塔の「前頭葉」の働き具合だけが異常なレベルに衰えてきたことの反映としての症状、『前頭葉の三本柱の機能、評価の物差しの機能及び実行機能』の働きだけが異常なレベルに衰えてきていることを反映した症状だけが発現してくるのです。そのことを分かりやすく説明するために、「小ボケ」が運転すると、どのようなことが起きるかを例示してみましょう。「脳の機能レベル」という視点からすると、「高齢者」が免許証の更新を申請した際は、視力や運動能力だけでなくて、(「前頭葉の機能レベル」が正常なレベルにあるか否かを調べるシステム)の導入を図る必要があると思うのです。

〇運転中のスピードが遅すぎて、同乗していると怖い(周りの車の流れとは無関係に、30キロ程度で、平気でノロノロ運転するようになる)

〇自損事故を起こすことが増えてきて、小さな接触事故を多発するようになる(車の両サイドに、小さな接触傷がやたらと増えてくる)

〇方向指示器、ブレーキの操作が遅くなる(動作をする反応が遅いのではなくて、「注意の分配力」の衰えにより、咄嗟の判断が出来にくくなるし、複数の判断と処理が咄嗟に出来なくて、慌てる)。

〇 本人が既知の場所でも、規制に反してしまうような事が起きてくる(本人が既知の場所で、進入禁止とか右折禁止の違反をしてしまう)

〇車を運転して行くとき、よく知っている行き先への道を間違えるようになる(以前よく行っていた娘の家に行くのに、道順を間違えて手間取るようになる)

 &7 『アルツハイマー型認知症』に特有な『脳機能データ』の意味

 「第一の要件」と「第二の要件」との相剰効果により「廃用性の加速度的で異常な機能低下」が進む時は、下図の右図(熊地区での全数調査)が示すカーブに見られるように、放物線を描いて「加速度的」に(but、緩やかに)脳の機能が衰えていくことを、私たちが集積してきた多数の症例の「データ」が示しているのです(左図は、立体的に表示したもの=14689例)。

    

(1)「第一の要件」と「第二の要件」とが同時に充足されることの「相剰的な効果」により、「廃用性の異常な機能低下」が加速度的に進行していくとき、「前頭葉」を含む脳全体の機能に「衰えていく順番がある」ことが、「アルツハイマー型認知症」の特徴なのです。

⓵「三頭立ての馬車」の御者の役割をしている「前頭葉」が最初に異常なレベルに衰えていき、次いで、馬の役割をしている「左脳」と「右脳」と「運動の脳」が、その順番に異常なレベルに衰えていくのです。

②更に、「アルツハイマー型認知症」の場合は、且つ、その場合に限り、国際的に認知され使用されている神経心理機能テストのMMSEで判定される「左脳」及び「右脳」の衰え方自体にも「厳密な規則性」がある(衰えていく厳蜜な「順番」がある)ことがとても重要な特徴なのです。衰えていく順番は、速い順に次の通り。

 想起、注意と計算、時の見当識、所の見当識、三段階口頭命令、五角形相関図の模写、文を書く、記銘、書字命令、復唱、命名

(2) 少しばかり専門的になりすぎたので、ここで本題に戻ることにしましょう。脳全体の司令塔で、置かれている状況を判断したり、何かを思いついたり、計画を立てたり、工夫したり、洞察や推理をしたり、機転を利かせたり、各種の高度な働きを担当しているのが 、意識的な世界(目的的な世界)に於ける脳全体の司令塔の役割を担っていて、複合機能体である『前頭葉』の機能なのです。

 その働きが、あまりにも高度で、複雑で、且つ働き方や働き具合が様々な程度と態様を示すので、計測したり判定したりする方法の開発が難しい為に、研究自体が遅れてきたのです。その為に、研究者達から、脳の中の「空白地帯」とさえ言われてきたのです。

(3) 私たち「二段階方式」は、『アルツハイマー型認知症』の脳の機能の衰え方の臨床データを解析していて、MMSEで判定される「下位項目の衰え方に規則性がある』ことに気付いたのです(廃用性の異常な機能低下が進行していくときは、「下位項目」の衰えて行く順番に、「厳密な規則性がある」のです)。

「二段階方式」の手技を活用し、「前頭葉」を含む脳の全体の機能レベルを調べ、「下位項目」の衰え方が規則通りであるか否かを判定することにより、「アルツハイマー型認知症」であるかどうかを鑑別できるのです。

(4) 認知症の専門家達から、「原因もわからないし、治すことも出来ないし、予防することも出来ない」病気と言われている「アルツハイマー型認知症」の診断につき、世界的に権威があるとされている米国精神医学会の診断基準である『DSM-Ⅳ』への挑戦が、そこから始まったのです。

『DSM-Ⅳ』の規定には、重大な誤りがあり、それがために、症状の回復も、進行の抑制も困難な末期の段階(私たちの区分でいう、「重度認知症」=「大ボケ」の段階)で、初めて発病を見つけることしか出来なくて、症状の回復及び進行の抑制が可能な、本当の意味での早期の段階(私たち「二段階方式」の区分でいう、『小ボケ」及び「中ボケ」の段階が存在していること)を見逃しているだけだということが分かってきたのです。

&8   『注意の分配力』の働きに着目した『脳の機能面からの分析』

  

(1)意識的(目的的)に何等かの「テーマ」を実行する場面では(例えば、あなたが、仲の良いお友達を家に招待して、手料理でもてなすというテーマを考えてみてください)、自発性、観察、分析、考察、洞察、推理、理解、興味、発想、企画、計画、創意、工夫、予見、シミュレーション、修正、整理、機転、抑制、忍耐、感動及び判断等、「前頭葉」を構成している各種の「個別認知機能群」(実行機能)を発揮する上で、不可欠の働きである『注意の分配力』の機能が、「評価の物差し」の機能による評価、関心、注意、選択に基づいて実行機能行使する為には、一定レベル以上での機能の「発揮度」に下支えられた「認知度」が確保されていることが必要となるのです。「実行機能」の機能の「発揮度」及び「認知度」が低いときは、「前頭葉」の各種機能自体が必要なレベルで発揮されなくなるからです。その機能の「発揮度」及び「認知度」の高さ/或いは低さを左右し、下支えているのが、『意欲、注意の集中力及び注意の分配力』という「前頭葉の三本柱」の機能なのです(機能の「発揮度」と「認知度」とが共に、「前頭葉の三本柱」の機能の機能レベル、就中、『注意の分配力』の機能の機能レベルと「リンク」しているのです=機能発揮上の二重構造)。

(2) 自分なりに追求する特定のテーマがなく、生き甲斐となるものも、目標となるものもなく、その上、趣味や遊びや人付きあいを楽しむ機会もなく、運動もしない、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」を日々送っていると言うことは、脳の機能面から言うと、「前頭葉」の機能の中でも最も基本的で不可欠な機能であり、「認知度」を左右する働きをしている意欲、注意の集中力と注意の分配力という「前頭葉の三本柱」の機能の出番が極端に少ない生活を送っていることになるのです。ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」を日々送っている中で、もともと加齢により機能が衰えていく性質を持っている「前頭葉の三本柱」の働き(複合機能体である「前頭葉」の働きの基盤機能)が、膝の筋肉と同じように、廃用性の異常な機能低下を起こしてきて、更には加速度的に働きの衰えが進行していくのです。

(3)「前頭葉の三本柱」の働きが、就中、「注意の分配力」の働きが廃用性の加速度的で異常な機能低下を起こし、さらに進行して行く時、同時に、自発性、観察、分析、考察、洞察、推理、理解、興味、発想、企画、計画、創意、工夫、予見、シミュレーション、修正、整理、機転、抑制、忍耐、感動及び判断という「実行機能」機能及び機能の「発揮度」同時に加速度的に低下していくということなのです(上述した『二重構造」とその連鎖の仕組み』の問題)。そうした各種の機能が異常なレベルに低下した下での、『前頭葉』を含む脳全体の機能レベルのアウトプット自体が、前頭葉』を含む脳全体の機能レベル厳密にリンクした、三段階に区分される「類型的な症状」、即ち、『アルツハイマー型認知症発病の症状として発現してくるのです(世界初で、唯一で、且つ、正しいことが、対象を、『アルツハイマー型認知症』の発病の予防に特化した活動であり、452の市町村での住民参加型の『地域予防活動』の実践展開指導で、疫学的方法により実証されていて、顕著な成果を挙げてもいたのです。政府が、『ボケても安心な社会づくり』を標榜して、『介護の予防』という川下に目を向けた活動を市町村での全国展開を制度化していく中で、私たち「二段階方式」が標榜する『持続可能な超高齢社会』を構築し、維持していく上で不可欠であり、川上に目を向けた活動が、市町村から消えていくこととなったのです(現在では、G00ブログ上での情報発信しかしていないのですが、いつの日か、天の命を受けて、市町村による予防活動の国策化実施を実現したいと考えているのです(臥薪嘗胆)。


&9  「 小ボケ」と「中ボケ」の段階を見落としている問題点

(1) この「前頭葉の三本柱」の機能が異常なレベルに機能低下してきたことにより発現してくる症状(より詳細に説明すると、「前頭葉の三本柱」の機能が異常なレベルに衰えてくることに連動し連鎖して、「前頭葉」の構成要素としての各種機能の機能発揮度も異常なレベルに衰えてくることが原因で発現してくる症状)、複合機能体としての『前頭葉』の機能障害としての『アルツハイマー型認知症』の症状について、発病の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の症状として例示してあるものの中から、いくつか取り上げて、症状を具体的に説明しましょう。

〇 複数のことに注意が分配できなくて、3つの用事が同時にさばけない(「注意分配力」の機能障害)

〇機転がきかなくて、状況に応じた創意工夫ができない(「実行機能」の機能障害)

〇 発想が乏しくて、画一的な行動が目立つ(「実行機能」の機能障害)

〇何事をするにも億劫で面倒がり、何かをやってみようという意欲が見られない(「意欲」の機能障害)

〇一日や一週間の計画が自分で立てられず、なにも思いつかない様子(「実行機能」の機能障害)

〇これまでなら感動していたことに対して感動しない(「実行機能」の機能障害)

〇ぼんやりしていることが多く、自分から何もしないが指示されるとできる(「評価の物差し」の機能障害)

〇 根気が続かず中途半端なことを繰り返し、やりかけの家事が目立つ(「注意集中力」の機能障害)

(2) 『前頭葉だけが(個別の構成要素を挙げると、意欲、注意の集中力及び注意の分配力からなる「前頭葉の三本柱」の機能、「評価の物差し」=意識の首座=自我の機能及び「実行機能」)異常レベルであって、「左脳も右脳も運動の脳も」機能が、未だ正常レベルである「軽度認知症」(小ボケ)の段階で発現してくる症状は、この複合機能体である『前頭葉』の各構成要素が異常な機能レベルに在ることの『アウトプットそのまま』であることが重要なのです。とはいえ、『意識的な世界』に於ける脳全体の「司令塔」の役割(三頭立ての馬車の御者)を担っている『前頭葉』の機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行に因り、異常なレベルに衰えてきたその時(その段階=小ボケ)から、『アルツハイマー型認知症』は、『もう始まっている』と考えるべきなのです。

(3)『アルツハイマー型認知症』は、性質それ自体として「治すことが出来ない」タイプの認知症ではないのです。治すことが出来ないのは、本当の意味での早期の段階であり、治すことが出来る小ボケ」及び「中ボケ」の段階を見落として、最早治すことが出来なくなる「末期の段階」、「大ボケ」の段階で、発病を見つけている医師達に責任があるのです(「発病のレッテル貼り」をしているだけ)。

(4)その大本は、「DSM-Ⅳ」の第二要件の規定内容の誤りにあり及び「DSM-Ⅳ」の第一要件の誤りに気付かず、妄信していて、憶測と想定による仮説内容である『アミロイドβ仮説』の誤りにあるのです。

& 10「アルツハイマー型認知症」発病の引き金となる要因

(1) 世界中の認知症の専門家達から発病の原因が不明と言われている「アルツハイマー型認知症」は、上述したように、「加齢の進行とともに脳の老化が進む=正常老化の性質」という発病の「第一の要件」)と「ナイナイ尽くしの単調な生活習慣の継続」という発病の「第二の要件」)二つの条件が同時に充足されることによる『相剰効果』によって、廃用性の加速度的で異常な機能低下が惹き起こされることにより、『前頭葉』(前頭葉の三本柱の機能、評価の物差しの機能及び実行機能から構成されている複合機能体であることに注意)の機能が、異常なレベルに衰えが進行してくることが原因で、発病するのです(二段階方式独自の見解)

(2) 私たち「二段階方式」が定義し、提示する『アルツハイマー型認知症』を発病するメカニズム(原因と機序)のもとでは、「第一の要件」は誰しも共通であり、「第二の要件」こそが「アルツハイマー型認知症」を発病するかしないかを決定づける条件となるのです。認知症の大多数90%以上を占める「アルツハイマー型認知症」は、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」(自分なりに追求する特定のテーマがなく、生き甲斐無く、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標となるものもない単調な日々の暮らし方)の継続という第二の人生での「生活習慣」が発病の引き金となる病気なのです。

(3)「原因も分からないし治せない病気」と言われて放置されたままになっている「アルツハイマー型認知症」という病気は、廃用症候群に属する老化・廃用型の「生活習慣病」であるというのが私達(kinukototadao)の見解です。私達の見解は、関係する「前頭葉」の働きを含む脳機能データにより根拠づけられていて、更には、452の市町村で展開した住民参加型の地位予防活動の実践の成果によって、疫学的方法により、実証されてもいるのです。

(4) 高齢になればなるほど、「アルツハイマー型認知症」を発病する人の割合が増えていきます。実態がそうであるとはいえ、どんな年齢の高齢者であろうと、年をとっているだけ(「第一の要件」の充足だけ)では、「アルツハイマー型認知症」を発病することはないのです。他方で、「アルツハイマー型認知症」を発病する人たちは高齢者に限られていて、30歳代や40歳代といった年齢の若い人達が、どんなに長い期間ナイナイ尽くしの「単調な生活」を送っていても(「第二の要件」の充足だけ)、発病することにはならないのです。「第一の要件」と「第二の要件」とを同時に充足することの「相剰効果」として、(「前頭葉」を含む脳全体の機能が、放物線を描くように「加速度的に機能低下していく」)こと、そしてその先に、(「アルツハイマー型認知症」の発病が待っている)ことを専門家と言われる認知症の研究者や認知症専門の精神科医は、早く知って欲しいのです。

&11 「若年性アルツハイマー型認知症」は架空の病気

(1) 働き盛りの30歳代から50歳代の若い年齢で、「若年性アルツハイマー型認知症」を発病する人が増えてきている)などとテレビで放映されたりすることがあります(これまでに、NHKが、繰り返して放送しているもの)。

(2) 老年性の「アルツハイマー型認知症」(全体の90%以上を占める)と若年性の「アルツハイマー病」(全体に占める割合は、1,.1%程度)とをまとめて、「アルツハイマー病」と呼称する人達がいます。その人達は、両者の「解剖所見」が似ているというだけの理由で、同じ病名をつけて呼んでいるのです(彼らは、「アルツハイマー型認知症」については無知な人たちであり、両者共に遺伝子が発病を惹き起こす原因と誤解しているだけ。その遺伝子も、「アルツハイマー病」は早発型で、「アルツハイマー型認知症」は晩発型なのではないかと、空想している)。

(3) 「若年性アルツハイマー型認知症」と診断され、呼称されている認知症の殆どは、発病の原因自体が「アルツハイマー型認知症」とは、全く異なる別の病気なのです。但し、認知症ではなくて「認知症と紛らわしい病気」である「側頭葉性健忘症」(このケースが、一番多い誤診のケース)や「感覚性失語症」や「緩徐進行性失行」のことをよく知らないで、それらを「若年性アルツハイマー型認知症」とまちがえているので、注意が必要です。

(4) 生まれつき特定の遺伝子に異常がある人だけが発病する「アルツハイマー病」(若年発症が特徴 )、「早発型アルツハイマー病」は、「アルツハイマー型認知症」発病の第一の要件とも第二の要件とも全く無関係の病気なのです。

(5) 米国精神医学会が定める「アルツハイマー型認知症」の診断規定である「DSM-Ⅳ」に、第一の要件として「記憶の障害」が、第二の要件として「失語、失認又は失行」が挙げられている為に、「前頭葉」を含む脳の機能レベルを調べることもなく、原因と結果との間の「因果関係」を確認することもなく、重度の記憶障害の症状(或いは、あたかも記憶障害の症状のように見かけられる症状)と第二の要件に挙げられている失語や失認や失行(紛い)の症状のうちのどれか一つの症状が見られると、「アルツハイマー型認知症」であると誤診しているのです(その人達は、『誤診』をしていることにも気づいていないのです)。  

(6)「働き盛りの若い50歳代の人たちの間に、「アルツハイマー型認知症」を発病する人達が増えてきているというのは、タイトルとしては衝撃的でニュース性があり視聴率を稼ぐことと思いますが、内容的には「全くの誤り」なのです。「アルツハイマー型認知症」を発病する「対象」は、60歳を超える年齢の「高齢者だけ」となるのです。

(7)「側頭葉性健忘症」の特徴である重度の「記憶障害の症状」(重度の記銘力障害が原因での重度の記憶障害の症状であることに注意)があっても、或いは「認知症の症状」と誤診されやすい「感覚性失語」による症状、又は「緩徐進行性失行」の症状があっても、(「前頭葉」の機能レベルが正常な場合は、そもそも「認知症」ではない)のです。

 

& 12    『アルツハイマー型認知症』の正体に対するコンセンサスの獲得   

(1) 世界中の認知症の専門家達(医師や研究者や学者達)から、「原因がわからないし、治すことができないし、予防することもできない」と言われている「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、(廃用症候群に属する老化・廃用型の単なる「生活習慣病」である)とする私達「二段階方式」独自の見解は、権威には乏しくても、「回復と予防」を目的とした他に例のない規模での市町村での「地域予防活動」による実績と大量の脳機能「データ」に裏打ちされています。

& 13    『 アルツハイマー型認知症』は予防出来ることのコンセンサスの獲得

(1)「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する老化・廃用型の「生活習慣病」であって、早期の段階で見つけると治せるし、『前頭葉』を活性化させる「生活習慣」の構築により予防することも出来る病気であるとの私たち「二段階方式」の主張が、検証PRJ(50~100 程度の市町での住民参加型の地域予防活動による検証と実証)により、疫学的に証明されることによって、『「アルツハイマー型認知症」は、原因もわからないし、治すことができないし、予防することも出来ない病気である』と主張してきた「認知症の権威者達の考え」が初めて変わり、「アルツハイマー型認知症」という病気に対する考えに「コペルニクス的な転回」が訪れることになると思うのです(いつの日か、検証PRJを政府に提案してみたいと考えているのです)。

(2) そこで初めて、「アルツハイマー型認知症」の予防という課題に対する「国民的なコンセンサス」が形成されることになると考えているのです。何かの機会に私達のこのブログを読んでくださった方達は、出来るだけ周りの方達にもこのブログの存在を教えてあげていただきたいのです。私たちのこの想いを、どうしたら、できるだけ多くの方達にお知らせできるのか、それが一番の悩みなのです。

注)本著作物(このブログA-78に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

 

 




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