認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

心が湧き立ってくるよー満開のブーゲンビリア

2017-06-17 | 脳の活性化と前頭葉の機能

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アルツハイマー型認知症の予防に不可欠の脳の活性化(B- 84)

2017-06-15 | 脳の活性化と前頭葉の機能

    

 & 「アルツハイマー型認知症」の本態に関する「仮説」の類とは

「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化のメカニズムについて、世界中の認知症の専門家達(学者、研究者、医師)の間では、様々な「仮説」が主張されています(主張されている発病の理由と発病との間に要求される因果関係の立証が未だに出来ていないので、「仮説」として扱われているのです。テレビに出てきて断定的な言い方をする人達がいますが、あくまでも「仮説」にすぎないのです)。

これまでに主張されてきたそれらの仮説の全てを挙げるとそれらは、アセチルコリン説、アミロイド・ベータ説、タウ蛋白説、そして脳の萎縮説なのです。それらの仮説の内では、アミロイドベータ説(アミロイドベータというタンパク質が脳内で消費されないものが蓄積することにより、「老人斑」なるものが構成されて、老人斑が有する毒性が記憶を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死を惹き起こすことにより、「記憶障害」に起因した症状が惹起されることになることが「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化の原因であるとする主張なのです)が、これまでは通説の地位を占めてきていたのです。ところが、アミロイドベータ説に立脚して治療薬の開発に挑んだ欧米のいくつもの巨大な製薬会社をはじめとして、我が国でもその分野では著名な製薬会社を含めて、治療薬の開発に挑んだ全ての企業が治療薬の開発に失敗したが為に、通説としての地位が揺らぎ始めていて、これまでは少数説の地位に甘んじてきていたタウ蛋白説がその地位に取って代わろうとしている現況に在るのです。

ところがそのタウ蛋白説もアミロイドベータ説と基本的には同じ考えに基づいていて(タウ蛋白というタンパク質が脳内で消費されないものが蓄積することにより、「神経原線維変化」なるものが構成されて、記憶を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死を惹き起こすことにより、「記憶障害」に起因した症状が惹起されることになることが「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化の原因であるとする主張なのです)、近い将来にこの仮説もアミロイドベータ説と同じ運命を辿ることになるのです。何故なら、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状の重症化と記憶障害の症状の発現との間には直接の因果関係が存在していないからなのです。両説共に単なる「憶測」に基づいた主張に過ぎないのです。そのことについては、次章で詳しく説明することにします。60歳を超える年齢の高齢者で、現在は「第二の人生」を送っている貴方達は、時空をコントロールして行き来することは不可能であっても、私たち人間だけに特有な脳機能である「前頭葉」(「前頭前野」を言うものとする。以下、同じ)という脳機能により、意識的な世界で、自由な意思と自由な選択という機能を自在に使える自分に、幸せと楽しさを覚えていることと思うのです【ただし、「アルツハイマー型認知症」を発病している場合は、除外する】。世界中の認知症の専門家達(学者、研究者、医師)から、発病の原因が分からないとされている「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、現在の貴方には不自由さを感じさせていないはずなのですが、「前頭葉」絡みのその脳機能の使用が思うに任せなくなってくることが、言い換えると、「前頭葉」の機能レベルが異常なレベルに衰えてくることが、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化の重要な要因なのです。然もそのことは、「器質的な病変」に起因したものではなくて、或いは、「記憶の障害」に起因したものではなくて、機能の低下、就中、廃用性の機能低下に起因したものなのです。世界中の認知症の専門家(学者、研究者、医師)から発病の原因が不明とされてきている「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化の真の原因が、実は、此処にあるのです。

    

& 「アルツハイマー型認知症」の段階的な症状とその特徴

認知症の専門家とされる人達は、米国精神医学会が策定した診断基準である「DSM-4」の規定が「第一の要件」として確認を要求している「記憶障害」に起因した症状(実は、これこそが重大な誤りであり、諸悪の根源なのです)が「アルツハイマー型認知症」の根幹をなしているとの誤った前提に立脚しているので、「記憶障害」に起因した症状なるものを外観的に観察し、それを単に「アルツハイマー型認知症」の症状として羅列しているだけなのです(更に言うと、中核症状と周辺症状又は随伴症状に二区分するのが通例)。それに対して私たちは、生きた人間の意識的な世界に着目して、その機能レベルを精緻に判定することが出来る神経心理機能テストである「二段階方式」の手技を独自に開発して、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクした症状であり、14689例にも上る生の、憶測ではなくて実際の症例による「脳機能データ」を集積し、解析してきている上に、その根拠に基づいて、北海道から九州に至る広範囲の452に上る市町村に於いて、住民参加型の「地域予防活動」として、「アルツハイマー型認知症」の早期発見と回復並びに発病の予防というテーマのもとに、実践し、主張内容が正しいものであることを証明してきてもいるのです。

私たちが主張し類型化した「アルツハイマー型認知症」の症状及びその特徴は、三段階に区分されるものなのです。最初が私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階であり(自分で決断できなくて、何かと人を頼ろうとする「指示待ち人」であって、社会生活の面で様々な支障が出てくる段階です)、次が「中等度認知症」(中ボケ)の段階であり(口先だけが一端の言い訳のうまい「幼稚園児」であって、家庭生活の面でも様々な支障が出てくる段階です)、最後が末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階となるのです(謂わば、「脳が寝たきり」の状態にあって、食事や入浴、大小便、或いは服を身に着けること等と言った日常生活面での簡単な身の周りの処置程度のことさえも出来ない、言い換えると、「前頭葉」を使って意識的に何かの「テーマ」を実行しようにも、そのこと自体が困難となっているので、セルフケアの面でも様々な支障が出てきて、日常生活面での介護が不可欠となる段階です)。「脳のリハビリ」(「前頭葉」を含む脳全体の出番が出来るだけ多い「生活習慣」の工夫と実践)により、正常なレベルに回復させることが可能(「アルツハイマー型認知症」の症状を治すことが可能)であるか否か及びその可能性の程度により私たちが三段階に区分しているものであって、「小ボケ」は回復させることが容易であり、「中ボケ」は回復させることが未だ可能であり、「大ボケ」は回復させることが困難となるのです。「アルツハイマー型認知症」の全ての症状は、『DSM-4』が規定しているような「記憶障害に起因した症状」(これこそが、単なる憶測に基づいたものであり、根本的に誤った見解なのです)なのではなくて、「前頭葉」を含む脳全体の機能についての「廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行していくことに直接起因した症状」ばかりなのです。それであるが故に、檻の中で餌を探して歩きまわるマウス(アミロイドベータを注入したアルツハイマーマウスであっても同じこと)の記憶についてどんなに詳しい研究調査を実施しようとも、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化のメカニズムの解明には何の役にも立たないし、時間とコストと更には若い人材の無駄遣いに終わるだけなのです。

私たち人間の意識的な世界で生じてくる記憶のメカニズム自体が、マウスの記憶のメカニズムとは根本的に異なる脳の機構と機能により構築されていることさえも無視した、憶測だらけの、且つ間違いだらけの主張に過ぎないのです。以下に列記する「アルツハイマー型認知症」の様々な症状について、それらの全てが、記憶障害に起因したものではないことを確認し、理解していただきたいのです(なお、私たち人間の意識的な世界で生じてくる記憶のメカニズム並びに記憶障害に起因した症状が発現するメカニズムの説明については、このブログ中の「B-36」を読んでみてください)。

    

 ○  [ 小ボケのチェックリスト](「軽度認知症」(小ボケ)に特有で、代表的な症状を8項目列記しておきます)

□ 発想が乏しくなって、画一的な行動が目立つようになる

□ 何事にも億劫で面倒がり、やろうとする意欲が見られない

□ 一日や一週間の計画が立てられず、なにも思いつかない様子

□ 問いかけに対する反応が遅く、生き生きした笑顔が見られない

□ 根気が続かず中途半端なことを繰り返し、やりかけが目立つ

□ 目の光がどんよりとしていて、普段の顔つきが無表情となる

□ 歩くとき前屈みの姿勢で、小股でトボトボと歩く

□ 自分に自信がなくなり、何かにつけて人を頼ろうとする

         

 【中ボケのチェックリスト】(「中等度認知症」(中ボケ)に特有で、代表的な症状を8項目列記しておきます)

□ 簡単な計算さえもしなくなり、お札ばかりで買い物をするので、やたらと小銭がたまる

□ 家庭内の簡単な用事程度のこともきちんとできない(部屋や洗濯物の整理、食後の片付け、簡単な庭仕事さえもきちんとできない)

□ 自分が飲む2~3種類の服薬管理ができない

□ 服の着方に無頓着で、重ね着が目立つ(セーターの上からシャツを着る。裏表や前後ろに着る)。

□ 入浴時の温度管理が出来ず、体を洗わないとか石鹸がついたまま

□ 料理の味付けが変になる(塩加減が極端に変になる。塩辛すぎて、周りが食べられないようなものを作り、本人だけが平気で食べる)

□ 行き慣れている所に行くのに、スムーズに行けない(行き先の違う乗り物に乗ったり、行き道を間違えたりする)

□ 季節が分からなくなる(夏にセーターなど、季節違いの服を平気で着る)

        

 【大ボケのチェックリスト】(「重度認知症」(大ボケ)に特有で、代表的な症状を8項目列記しておきます)

 □ 着ている服を脱ぎたがらず、便で汚れた下着をそのまま平気で着ている

□ 風呂に入るのを嫌がり、怖がるようになる

□ 服を正しく着られず、ズボンを頭からかぶったり、上着に足を通したりする

□ 家族の名前を間違えたり、子供を配偶者と間違えたりする

□ 自宅に居ても落ちつかず、外に出て行きたがる

□ 大小便を失敗しても、後の処置や始末ができない(大小便で汚れた下着を、押し入れなどに隠すようなこともあります)

□ 今は昼なのか夜なのかがわからなくて、夜中に騒ぐ(夜中に起きてくる、家中の電気をつけて回る、会社に行くとか田んぼに行くとか言い張る)

□ 痛んだものを平気で食べ、食べ物でないものを口にする

    

 & 症状の発現及び症状重症化のメカニズムについての正しい理解

-「器質的な病変」が発病の原因ではないのです

認知症の専門家とされる人達は、「アルツハイマー型認知症」の末期の段階(私たちの区分で言う「大ボケ」の段階)の様々な症状、極めて重度の症状を外観から観察して並びに末期の段階の症状が発現して猶何年間も生きたお年寄り達の死後の脳の解剖所見に共通して見られる「老人斑」(アミロイドベータ説の根拠)、「神経原線維変化」(タウ蛋白説の根拠)、或いは「脳の顕著な萎縮」(脳の萎縮説の根拠)等の器質的な病変に着目して、発病の原因が「器質的な病変」にあるに違いないと最初から決めつけ、思い込んでいるのです。その結果、「記憶の障害」を惹起する原因で、且つそのことが器質的な病変にあると考えられそうなものばかりを探し求めるという誤った方向と方法に深く入り込み、迷路に入り込んでしまっているのです。

-「記憶の障害」が発病及び症状進行の原因ではない

「アルツハイマー型認知症」の症状が重いものになるにつれて、記憶の障害に起因した症状であるかと誤解しやすいものが増えてくるのは事実なのですが、実は、それらの全ての症状が、記憶の障害に起因したものではないことを知る極めて有効かつ有益で客観的な方法が存在するのです。それは、私たちの意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしている「前頭葉」という脳機能に着目した方法なのです。「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の特徴はというと、脳内に何等の器質的な病変が見当たらないのに(脳が壊れてもいないのに)、「アルツハイマー型認知症」の様々な程度及び態様での症状が発現してくることなのです。その原因は、「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行こそが発病及び症状重症化の真犯人だからなのです「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルが正常な状態から始めて、その機能レベルを順次下げていきつつ、同時に「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクした症状を判定し、鑑別していくことにより、前述した、「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の各段階の症状が発現してくることを客観的な基準とデータに基づいて観察し、確認することが出来るのです。但し、その為には、私たちが独自に開発した「二段階方式」の「手技」に代表されるような精緻な「神経心理機能テスト」の活用が不可欠であり(「アルツハイマー型認知症」と紛らわしい他の種類の認知症との精緻な鑑別が出来並びに「アルツハイマー型認知症」と紛らわしい認知症以外の他の病気との精緻な鑑別が出来るのです)、それは、CTやMRIやSPECTやPETをもってしても困難なことなのだということを指摘しておきたいのです。脳全体の司令塔の役割を担っていて、言い換えると、左脳、右脳及び運動の脳という三頭立ての馬車の御者の役割を担っている「前頭葉」と言う脳機能が構築し、統括し、支配し、コントロールしている私たちの意識的な世界は、極めて複雑で、様々な機能が複雑に絡みつつ統合されていて、且つ重層的な機能構造から成り立っている上に、そこで発現してくる「意識」自体が、静態的ではなくて動態的なものであり、私たちが独自に主張しているような世界、『「意識状態」であって、且つ、そこには「意識の覚醒度」という問題が存在しており』、何かのテーマを考え実行しようとしている状態下では、「テーマ」を構成する各要素ごとに形成された意識の覚醒度がそれぞれに異なる「多重で、且つ多層の意識状態」が存在しているので、CTやMRIやSPECTやPETを総動員しようとも、精緻なことは何等の判定も、鑑別も出来ないことを知るべきなのです。

  

-私たち人間の「記憶」のメカニズムと廃用性の機能低下とは

枠が3万字と言うブログの制限の都合でここで詳細を説明するのは回避しますので、詳細については、「B-36」をお読みください。

私たち人間の「記憶」のメカニズム及び廃用性の機能低下に起因した物忘れを含む記憶障害の症状が発現してくるメカニズムについて、詳しい説明(私たちの考え方)が載っています。

-私たち人間の「意識的な世界」で起きていること

「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の特徴はというと、私たちが意識的に何かの「テーマ」を実行しようとする際に、器質的な病変の存在が全く確認されないで居て、脳の機能面から観た記憶の障害も確認できないのに、自分が置かれている状況の理解と判断、判断に沿った「テーマ」の発想、実行内容の企画と計画、実行結果何が起きてくることになるかのケースシミュレーション、シミュレーションに基づく修正、最終的な実行内容の決定、実行の方法、程度及び態様に関わる選択と決定、実行の決断、決断に基づいた脳の各部(左脳、右脳及び運動の脳)に対する実行の指令について、様々な程度及び態様での支障が起きてくる病気(認知症)なのです。

-廃用性の加速度的で異常な機能低下に起因した病気なのです

私たちが生きた人間の「前頭葉」と言う脳機能に焦点を当て、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクした症状を調べ上げて分かったことは、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状の重症化には「二つの条件」が存在するということなのです。その一つが、私たちが発病の「第一の要件」に掲げる「加齢に基づく機能低下」という問題であり、他の一つが、私たちが発病の「第二の要件」に掲げる「廃用性の機能低下」という問題であり、この二つの条件が同時に充足される下で、「前頭葉」を含む脳全体の機能についての廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行していくその先に、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状の重症化が待っていることが解明されたのです。

   

-「加齢」に起因した機能低下の問題(発病の「第一の要件」)

「前頭葉」の廃用性の機能低下の進行に関連して理解することが不可欠となるのが、私たちが14689例にも上る「脳機能データ」の解析を通じて解明した『「前頭葉」の個別認知機能の発揮度に関わる二重構造の問題』というテーマなのです。観察、考察、判断、理解、考慮、企画、計画、洞察、推理、推察、シミュレーション、修正、創意、工夫、構想、構築、比較、検討、評価、反省、抑制、感動、決定、決断等、私たちが大まかに数えただけでも60を超える数の様々な種類の機能が集積していることで知られる「前頭葉」の「個別認知機能」は、各々の機能を単独に/複数の機能を同時に並行して、機能を発揮する上で、私たちが「前頭葉」の三本柱の機能と呼ぶ「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能により、機能の発揮が下支えられ並びに機能の発揮度が支配されているという機能構造、言い換えると、「機能発揮上の二重構造の関係」にあるということなのです。然も、「前頭葉」の三本柱の機能には、脳の使い方としての「生活習慣」の如何にかかわらず、加齢と共にその機能が衰えていくという重要な、且つ、誰の脳にも存在する生来的な性質が内在しているのです。その機能レベルが衰えていくカーブに関する私たちの脳機能データによると、20歳代の前半の頃にピークを迎えてからは、正常な機能レベルを保ちつつも加齢とともに直線に近い緩やかなカーブを描きつつ衰えていき、「第二の人生」が始まる60歳代の半ば頃になるとピーク時の半分くらいの機能レベルとなり、それ以降も、100歳代に向かって緩やかに下降していきつつ衰えていくという特徴があるのです。この加齢に起因した老化のカーブを私たちは、「正常老化のカーブ」と呼んでいるのです。「アルツハイマー型認知症」の発病と症状が重症化する原因は、私たちが規定する発病の「第一の要件」と「第二の要件」とが同時に充足されることにある(注意を要するのは、「第一の要件」と「第二の要件」とのいづれか一方を充足するだけでは、発病することにはならないのです。若者がナイナイ尽くしの単調な生活習慣に陥っているからと言って発病することにはならないし、お年寄りが「前頭葉」が活性化する生き生きとした生活を楽しむ生活習慣を送っている場合には発病することは無いのです。)とはいえ、年齢別の発病率(この場合、「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の全ての段階のお年寄りを含む総数を基礎としていることに留意する)が、60歳代では12%、70歳代では30%、80歳代では50%、90歳代では75%、加齢の極まりの100歳代では97%という風に、年を取れば取るほど発病の割合が高くなるその第一の要因は、この「第一の要件」に存するものと私たちは考えているのです。

-廃用性の機能低下の問題(発病の「第二の要件」)とは

「アルツハイマー型認知症」の年齢別の発病率が上述のような高い割合を示すとは言え、年を取ればだれでも「アルツハイマー型認知症」を発病する訳ではないことも確かなのです。80歳代の50%が発病するとはいえ、残りの50%は発病していないわけなのです。つまりは、「アルツハイマー型認知症」発病の原因(要因)について、上述した「第一の要件」以外のもう一つ別の要因が存在するということなのです。「加齢」による「前頭葉」の三本柱の機能について、その機能レベルの低下だけであれば、第二の人生が始まったばかりの60歳代という年齢で、「前頭葉」の機能が異常なレベルに衰えてくるものではないのですが、「前頭葉」の機能低下についてはもう一つ別の重要な要因が存在しているのです。それを私たちは、「廃用性の機能低下」と呼んで「正常老化の性質」による機能低下とは区別しているのです。正常老化の性質は内因性の遺伝的な要素なのですが、廃用性の機能低下は外因性の生活環境、具体的には、脳の使い方としての「生活習慣」の要素なのです。私たちの意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしている「前頭葉」と言う脳機能、脳全体の司令塔の役割を担っていて、左脳、右脳及び運動の脳という三頭立ての馬車の御者の役割を担っている「前頭葉」と言う脳機能が、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない単調な生活、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」が継続されていると、出番が極端に少なくなった「前頭葉」の三本柱の機能が廃用性の機能低下を進行させていくことにより異常なレベルに衰えてくると言うことなのです。その結果、「前頭葉」の三本柱の機能が廃用性の機能低下を進行させていくことにより、機能発揮上の二重構造の関係にある「前頭葉」の個別認知機能自体の機能の発揮度が、その反射的な効果として、低下していくことになるのです。

発病の原因も症状重症化の原因も不明とされてきている「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、私たちが主張する発病の「第一の要件」と「第二の要件」とが同時に充足される状況下で、「前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくことにより、発病及び症状の重症化が進行していくものなのです。左脳、右脳及び運動の脳の全てが未だ正常な機能レベルに在って、「前頭葉」の機能だけが異常な機能レベルに衰えてきたその時から「アルツハイマー型認知症」の症状が発現してきて(私たちの区分で言う「小ボケ」の段階:社会生活面で様々な支障が出てくるようになる)、「前頭葉」の機能が加速度的で異常な機能低下を進行させていきつつ、左脳、右脳及び運動の脳までもが異常な機能レベルに衰えて来始めるその時から私たちの区分で言う「中ボケ」の段階が始まり(家庭生活面で様々な支障が出てくるようになる)、更には、「前頭葉」を含む脳全体の機能が更なる機能低下を進行させていくことにより末期の段階であり、私たちの区分で言う「大ボケ」の段階(セルフケアにも様々な支障が出てきて、日常生活に介護が必要となる)に入っていくことになるのです。

従って、アミロイドベータの蓄積の程度やタウ蛋白の蓄積の程度を精緻に計測できたからと言って、「アルツハイマー型認知症」の発病や、「脳のリハビリ」により回復させることが可能な本当の意味での早期の段階を判定し、鑑別することは出来ないのです。「前頭葉」の機能を中核として左脳や右脳や運動の脳との連携を含めて、私たちの意識的な世界で繰りひろげられる意識の内容とか程度、或いはその異常なレベルであるか否かの計測や判定や鑑別をするに際しては、CTやMRIやSPECTやPETを持ち出そうとも、何の役にも立たないこと、不可能だということがお分かりいただけたでしょうか。

    

& 早期診断と「脳のリハビリ」による正常な状態への回復

-サプリメントも薬も効かない世界

上述したように、『「アルツハイマー型認知症」の本態が、廃用症候群に属する単なる生活習慣病であり、その場合に言う「生活習慣」とは、脳の使い方としての生活習慣である』ということは、発病を予防する方法は、「前頭葉」の出番が出来るだけ多い生活習慣を構築し、それを実践することが唯一の方法となるのであり、症状の重症化を抑制し/防止し、或いは症状を治すには、「脳のリハビリ」が唯一の方法となるのであって、いかなる種類のサプリメントも薬も何等の効能を発揮することは出来ない〈あり得ない〉ということなのです。 ・

-医療現場での診断の問題点

医療現場では、アミロイドベータ説の考えを是認して受け入れていて並びに「DSM-4」の規定の内容を疑うことなく信望しているので、外観的な「記憶障害」に起因しているとの誤解に基づいた症状の判定と失語や失認や失行などの症状(脳の後半領域の働き具合を判定する上で有効な「MMSE」を実施すると、30点が満点の得点が一桁にしかならない程に脳の働き具合が衰えてきている人達だけに発現が確認される症状、極めて重度の症状なのです)を確認することにより、「アルツハイマー型認知症」と診断しているだけなのです。その結果、せっかく見つけても、それは末期の段階の更に後半になって初めて発現が確認される症状を基礎とした診断であり、せっかく見つけても何の意味もないのです。その認識さえも無くて、副作用だけあって、治したり、症状の更なる進行を抑制し/又は防止する効能を有しない薬、言い換えると、効きもしない薬を何種類か処方しているだけなのです。売り上げを稼ぐという目的以外に、こうした診断に何の意味があるのかと、行為自体の目的、意図及び意味を疑うのです。

    

& 脳の機能構造面から見た「脳が活性化する」と言う意味

-意識的な世界と「前頭葉」の機能の活性化

私たち人間の脳が活性化するということは、私たちの意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしている「前頭葉」の機能自体が活性化することを意味することになるのです。「前頭葉」の機能が廃用性の機能低下を起こしてくるだけで、上述した「小ボケ」の症状が発現してくることになる訳なのですから。こうした基礎的な知識さえも持たないで居て、脳の活性化についての本を出版したり、テレビに出てきて語る人達が多数いることに違和感を覚えるのです。

注意の分配力」の機能の重要性に着目した「デュアル・タスク」という言葉を持ち出そうとも、「物忘れの症状」が減ったくらいのことで脳が活性化されたなどと騒ぎ立てているようでは、「前頭葉」と言う脳機能についての理解が未だ極めて浅いというしかないのです。

    

 & 「アルツハイマー型認知症」を予防する「生活習慣」とは

-あなたにもできる「アルツハイマー型認知症」発病の予防

「脳の活性化」とはすなわち、「前頭葉」の活性化であると言いました。私の今回のブログを気を入れて読んでこられた方は直ぐに気付かれたことと思うのですけど、「前頭葉」の活性化、言い換えると、「前頭葉」の個別認知機能を活性化させるには、機能発揮上の「二重構造」の問題が存することを想い出して頂けたのではないでしょうか。そうなのです、「前頭葉」の個別認知機能を活性化させるには、「前頭葉」の三本柱の機能を活性化させることが必要条件となるのです。実行するに際して「意欲」が湧いてきて、「注意の集中力」が高まってきて、更には、「注意の分配力」の機能がフルに回転するような「テーマ」を見つけて、生活習慣化して実践することが求められるということなのです。「生活習慣化」するというのは、何年間もの長期に亘って実践することが「前頭葉」の潜在的な機能レベルを高め、且つ、そのこと自体が「アルツハイマー型認知症」の発病の予防に直結する条件となるからなのです。このブログ中で何度も指摘してきているように、廃用症候群に属する生活習慣病を本態とする「アルツハイマー型認知症」は、左脳も、右脳も、運動の脳も未だ正常な機能レベルに在る中で、最も高度な機能である「前頭葉」の機能だけが異常な機能レベルに衰えてくることにより認知症を発病する、言い換えると、「前頭葉」の機能が正常な機能レベルに在る限り「アルツハイマー型認知症」を発病することは起きては来ないからなのです。

   

それでは、「第二の人生」を送っている60歳を超えた年齢の高齢者である貴方にとって(言い換えると発病の「第一の要件」に該当している)、どのような「テーマ」を見つけて実践すれば良いのか。実は、何か特定の/特別の「テーマ」というものはないのです。

言葉や計算や論理や場合分け等デジタルな情報を専管的に処理する「左脳」が関わる仕事」とは無縁の「第二の人生」を送っているのが通常のケースなので、仕事以外の「テーマ」、右脳や運動の脳を使う趣味や遊びや人付き合いや運動や地域興し等の「テーマ」の中で、要は、自分なりに興味や関心が持てるものであって、その「テーマ」の実行を企画したり計画したりするだけで、或いは、その「テーマ」を実行する上で自分なりの「目標」の設定が出来て、その「目標」遂行の過程自体が楽しくて及び「目標」達成の結果が、自分なりの喜びや楽しみや、場合によっては「生き甲斐」をもたらしてくれることになるもの、言い換えると、貴方の「前頭葉」を活性化してくれる「生活習慣」となるものであれば、なんでも良いということなのです

その条件に合致するものでさえあれば、何か一つのものに集中し、熱中するのも良いし、或いは逆に、ダボハゼのように、アレにもコレにもいろいろなものに手を出すやり方でも良いのです。世界中の認知症の専門家達から発病の原因が不明であるとされてきている「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、私たちが規定する発病の要件、発病の「第一の要件」(第二の人生を送っている60歳を超える年齢の高齢者であること)と「第二の要件」(生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない「単調な生活」、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」が継続されていること)とが同時に充足されることにより、認知症を発病することになるのです「アルツハイマー型認知症」を発病することになるか/ならないか、それは、「第二の要件」に該当するかしないか、言い換えると、「第二の人生」での脳の使い方としての「生活習慣」次第ということなのです。「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、「第二の人生」での貴方の日々の「生き方」が問われることになる病気(認知症)なのです。 

    

  (エピローグ)

私のブログは字数が多くて、写真を或る程度は挿入するものの、3万字の枠が殆ど字で埋められてしまいます。テーマと全体の流れとを頭の中で構成しさえすれば、あとはただ打ち出すだけなので、朝飯前の作業で終わるのが通例なのですけど、実は、このところ苦労しているのです。去年の3月8日に帯状疱疹を発病して以降、4種類もの様々な病気が一気に噴き出してきて、「一生分」を此の1年間で体験したみたいな状況が続き、殆ど寝ていない(言葉に言い尽くせない程の激痛が続いた為に、昼も夜も何時寝たのか分からない程の状態が続き、何らかの運動で身体を動かすことも、頭を十分使うこともなく、15ヶ月間もの長期に亘って、「前頭葉」の出番が少ない生活をだらだらと過ごしてきてしまったのです。一時は左腕全体が全く動かない程になっていた「帯状疱疹」の後遺症としての極度の筋肉痛が、此のところやっとのこと和らいで来て、現在は、就寝中に2~3度痛みで目が醒める程度には良くなってきてはいるのです)せいで、私の「前頭葉」の三本柱の機能が廃用性の機能低下を進行させてしまい、「正常域」に在るレベルでの機能レベルを保っているとは言うものの、潜在的な機能レベルが大きく落ち込んでしまっているからなのです。「意欲」も、「注意の集中力」も、更には、肝心の「注意の分配力」の機能も衰えてしまってきているのです。そのせいで、僅か 3万字程度のブログを書くというのに、かつてとは異なり、頭の中での構成がままならないのです。全体を構成するには、シミュレーションが不可欠であり、事前のシミュレーションをするのに必要な「注意の分配力」の機能が思うようには働いてくれないのです。こんなことは生まれて初めての体験なのです。「注意の分配力」と言う脳機能の重要性を我が身の実体験により、改めて思い知らされているのです。「前頭葉」の三本柱の機能、その中でも最も高度な機能であり、正常老化の性質に起因した場合であれ/廃用性に起因した場合であれ最も早くに衰えていく機能である「注意の分配力」の機能を、出来るだけ早期に回復させる為には、何等かの「テーマ」に熱中して打ち込むのが一番効果的なことは分かっているのですけど、そうした「テーマ」を今の私の「前頭葉」は、思いつかないのです。口が悪いTadからは、何かにつけて、「小ボケ」呼ばわりされているというのに。

     

 その上、夏の始まりを告げる梅雨の季節は、私にとっては一番苦手な時期なのです。家の外に出かけて行って、何かの「テーマ」に挑戦しようにも、雨がしとしと降っていたのでは、格好の「テーマ」自体を探すのに一苦労するからです。昨日も今日も雨の天気。激しくは無いけど、しとしと雨が降っているのです。何をしようかと思案に暮れていた時、ハタと思いついたのです。『そうだ!富戸のJ-GARDENへ行って、ご夫妻との会話を楽しんだり、雨に濡れた風情の庭の景色や雰囲気や音楽等を楽しみながら、意欲が湧いてきたところで、今日のブログを書けば良いんだ!』。

ところで、このブログ中でも何度かその景色を紹介したことがある、富戸のJ-GARDENの特徴を一言で言えば、“天空の異空間”という表現がぴったりだと思うのです。父親から受け継いだ600坪余りの小高い地に在るミカン畑を、独力で大改造して造り上げた手作りの“空間”なのです。道路に面したところには、売店用の建物があり(未だ販売自体には取り掛かっていない)、その脇に取り付けられた手造りの石の階段を登って行くと、二段になった広い庭に辿り着く、そこが天空の異空間 “J-GARDEN”なのです。庭の部分は、二段になっていて、二段になった上の庭の北側部分には、私が“バベルの塔”と呼ぶ3階建ての建物があります。その中二階部分には、小部屋があり、私が音楽を聴いたり、パソコンを使ったりできるようになっています(私のための“特設空間”)。小部屋の右上隣りには、なんと”天空の露天風呂”が待っているのです。敷地内から豊富に湧き出る温泉を利用してもいるのです。露天風呂からは、居ながらにして水平線と大島が一望できる仕掛けになっているのです。

 露天風呂の脇の石造りの螺旋階段を登って行くと屋上はテントを張って、キャンプが出来るような仕様になっています。その屋上からは、大島が東南方向の間近にあって、更には、北側方向にはダイヤモンドヘッドが眺められ、目線が尾根伝いに追っていくと、水平線に落ちて、その南方向の延長線は大島につながっているという訳なのです。 その水平線のほぼ真ん中の辺り、晴れた日には房総半島を望むことが出来るというパノラマティックな仕掛けになってもいるのです。 右脳の働きが突出しているご主人は、一枚の図面さえ引くことなく、この異空間を構成する様々な建物や塔やモニュメントを造り上げてきたのです。右脳が未発達で、何かにつけて、左脳に頼るしかない私には、憧れの気持ちも交じってとても眩しい存在なのです。上の庭の南側にあるのがこれまたご主人手作りの温室なのです。今は、薄いピンク色の花が真っ盛りのブーゲンビリアの巨木と黄色をした色のアラマンダの花が甘い香りを振りまきながら咲き誇っています。その部屋の中に”緩いくの字”に曲がった木製の手造りのテーブルがあって、差込口が設置されているので、そこに小型のパソコンを持ち込んで、このブログを書いているところという訳なのです。

   

 ダイヤランドに在る脳活性化研究所の玄関前で、富士山に向かって今にも飛び立とうとしている鳳凰は、御主人の制作によるものなのです。言い遅れましたが、御主人の本業は、日本の刀鍛冶の伝統技法を受け継いだ我が国有数のアイアン作家であり(さる宮家の、庭のテーブルの修復を頼まれるほどの腕前)、J-GARDENの設営は、趣味なのです。GARDENへの入場料を取らないし、駐車場も無料なのです。一度訪ねてみることを、お勧めします。きっと、感動しますよ。

注)本著作物「Bー84」に記載され表現された内容に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

 エイジングライフ研究所のHP左の部分をクリックしてください)

 脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)


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梅雨の季節とブーゲンビリア

2017-06-10 | 脳の活性化と前頭葉の機能

梅雨の季節とブーゲンビリア

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緊急報告   劇的な改善効果がある糖尿病の食事と運動療法

2017-04-07 | 脳の活性化と前頭葉の機能

   

  昨日、糖尿病の闘病生活の経過診断の為に病院へ行ってきたのです。

 血液検査の結果、HbA1cの値は、なんと7.0だったのです

 HbA1cの値は、直近の45日間ほどの平均値なので、今日現在の

 瞬間風速値で言うと「正常値の域」に入ってきているということなのです。

  緊急入院時の値が15.2で、18泊19日の期間教育入院して、更に退院後1ヶ月

  経過時の値が8.9で(この時、劇的な改善例と担当の医師から激賞されまし

  た)、その更に1ヶ月後の値が7.0 だったという訳なのです

 

 目を丸くしている担当医に、医師から指導された食事療法等のやり方(体重制限

   62kg、総カロリー制限1600kcal)ではなくて、QOLを重視した私なりのやり方

  {(体重69kg 総カロリー2100kcal)+午前と午後の速足の散歩}の内容を説明

  したところ、結果が極めて良いので、その考えに従った生活をこの先も続けて

  くださいと言われたのです。

  次回は、60日経過後に診察を受けるように私から要望しました。

 

  糖尿病との闘病生活で良い結果が出ないで悩み苦しまれている方たちは、

 是非私のブログの記事(B-78)を参考にしていただきたいと思い、今日

 この緊急報告の記事を書いているのです。

  但し、その場合は、『必ず、血糖値を毎食後計測できる態勢を整えた』上で、

貴方自身の「QOL」を重視する視点で、様々なケースシミュレーションをして(体重、摂取する総kcal、炭水化物とその他とのバランス、味付けの具合、運動療法の内容とその程度及び回数)、貴方に最適のやり方を採用していただきたいのです。私の場合、器具は病院で購入しました(器具の購入には、保険は効かなくて自費となりますので、念のため)。

 なお、私の体験で言うと、『砂糖は、味付けに使おうと、菓子類であろうと、猛毒(血糖値の急上昇を招く)』に近く(食べるとすぐに血糖値が急上昇する)、極力摂取しないこととし、『食用の油類(これまた、毒性が極めて強い)も血糖値が相当上昇する』(食べた後、時間をかけて血糖値が上昇する)ので、極力使用料を控えめにすることをお勧めします。但し、たまには、使いたくなるので(間食に、菓子類を食べることもあるし、油を使うと食材がおいしくなるので)、その時は「速足の散歩」を必ず実行してください。以前は、速足の散歩を毎日午前と午後の2回、各1時間実行していましたが、急に状態が回復してきた最近では、30~40分程度でも十分な効果が得られるようになってきました。

現在の私は、週に2~3回、昼食を外食して楽しんでいます。但し、砂糖や油類を使った味付けの物は極力避けて、刺身、寿司、ウナギの白焼き(ウナギが大好物なの)、パスタなどを楽しんでいます。毎日家で作る食事は、(B-78)に記載してある通り、病院で指導を受けた味付けとは全く異なります砂糖と油類は極力使用しないものの、例えば「つゆの素」等は普通に使用しています。つまり、味のない病院食とは異なり、「食することを楽しめる或る程度の味付け」にしているのです。但し、そのためには、「速足の散歩」の実行付きが不可欠の条件となります。どの程度の味付けならいいのか、そのためには速足の散歩時間をどの程度にするのか、ケースシミュレーションして、貴方に最適な条件を確認してください。なお、速足の散歩を実行するに際しては、散歩自体も出来るだけ楽しめるよう、一緒に歩ける人を選んだり、コースを選んだりして、出来るだけ工夫してみてください。口が寂しくて、間食したいときは、カシュ-・ナッツ類(血糖値を下げる効果がある)がおすすめです。

 

  

 

 ところで、速足の散歩は、血糖値を下げる上で極めて重要な要素なのですが、長続きすることが不可欠となります。そのためには、歩くのが楽しい状況を作り出す工夫が必要です。食材を購入するスーパーまでの往復を速足の散歩コースにする(そのためには、都度購入する食材の量を少なめにして、何度か通う)。都会に住んでいるお年寄りであれば、テレビでもやっている「街中の散歩」を楽しむのです。その日に散策して回ってみたい街までの往復は電車にして、街中を楽しんで回りながら速足の散歩をするのです。気に入った雰囲気の喫茶店に出会ったら、途中休憩して、コーヒーを楽しむのです。ブラックで飲むのであれば、コーヒーはOKなのですから。

  

P.S. 6月1日に経過観察に病院へ行ってきました。

   HbA1cの値はと言うと、なんと、担当の医師もただ驚くばかり。

   6.4でした!!!

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血糖値594(HbA1Cが15.2)で始まった私の糖尿病奮闘記と前頭葉の機能の維持策(B-78)

2017-03-15 | 脳の活性化と前頭葉の機能

  

(プロローグ)

 私は毎日、午前と午後の二回それぞれ大体1.0時間ずつの速足の散歩をしています。インスリンの注射はしていないのですが、3種類の薬の服用が継続されているからです。
血糖値を正常域の枠内で維持する為なのです。糖尿病の専門家の言によると、『一旦、糖尿病を発病すると、生涯そのままの生活で生きていかなくてはならない」とされていて、その最も大きな問題点はと言うと、「体重規制」と「食生活規制」のことなのです。
 米国製ハーレー・ダビッドソンのツーリングモデルを駆って、気心が知れた仲間達と日本一周の旅をするのを生き甲斐としているお年寄りがいるように、私にとっては、『アルツハイマー型認知症』に関するG00ブログを書き続けることと同じくらい、気心が知れたお友達を招いて一緒に食事を楽しむというテーマは、「第二の人生」を自分なりに、楽しみながら生きる上で捨て去ることが出来ない、極めて大切な「テーマ」なのです。

私は、これまで食には特別の関心と想いとがあって、食通という域ではなくて、出来るだけその道を「究める」生き方をしてきたのです。食材は勿論のこと、味にも見た目にも、味わう相手や味わい方にもこだわってきたのです。
近接する地域の漁協の準会員になって、早朝に5時起きして、定置網から上げられたばかりの「活きた魚」を仕入れてくるのです。魚を買いに行くと、貴方は何の商売をしてるのかと聞かれたりもする程、その日に買う魚にもこだわり、野菜はと言うと、近隣の減農薬栽培の野菜農家から、直に購入してくるのです。殆ど、毎週のように色々なお友達をお招きし、一緒に食事の時間を楽しんできたのです。
そのため、伊豆高原のお家の上の庭には、大人が16人一緒に腰かけて食事ができる規模のバーべキュウ炉も据え付けたのです。但し、後片付けが大変過ぎて、今ではそのバーべキュウ炉はTad手作りの大型の「ピザ窯」に代わってはいるのですけど。伊豆の東海岸、箱根、軽井沢の各地を3年間も探し回った果てに見つけた現在の棲み処である伊豆高原に越してきてから、昨年3月に帯状疱疹を発症する日までの16年間にわたり、材料にとことんこだわり、味付けにも見た目にもこだわる「食生活」をこれまでは人一倍楽しんできたのです。

ところが、「糖尿病食」というものは、そうしたこととは全く逆の極に位置したものなのです。味はと言うと、とても薄味すぎて味が無いに等しいのです。「美味しい」と感じさせてくれることとは全くのこと無縁なのです。
あるのは、身長と体重とを基礎とした指標に基づく、一食あたりと一日当たりの「総カロリー数」という厳格な縛りなのです(担当医から私に出た指示は、167cmという身長から逆算された、「62kgに体重を落とすこと」及1600kcalという一日当たりに摂取することが許された総kcal数の厳守だったのです)。

炭水化物が全体の総カロリー数の約50%を占める割合での摂取を基本とし、魚と肉、野菜、果物等に対する一定割合での規制があるのです。その上、調味料についても厳しい縛りがあるのです。それらの基本となるものとして、身長との関係で算定される一定の数値に体重を落とすことが要求されるのです。その究極の目標はというと、「血糖値」を所定の範囲内の数値に収めること。それが全てという訳なのです。

1週間、その厳格極まりない「数値規制」を順守して生活した時、何の為に生きるのかという視点が全く欠けているだけでなくて、私の「前頭葉」が、その「数値規制」オンリーと言う考え方に対し激しい拒絶反応を示したのです。「第二の人生」は仕事とは無縁の生活となるので、日々追及される生活面では、左脳ではなくて、右脳が主役となるのです。右脳は、理屈ではなく、「感性、感情の脳」なのです。数値規制とその意味という左脳から送られてくる情報ではなくて、食材や味や見た目に関する「右脳」から送られてくる情報が、「前頭葉」の「評価の物差し」の評価対象となるのです。

担当医から出された厳格なその数値規制を守っている限りでは、血糖値が所定の枠内に保たれるものの、古希を迎えたとはいえ、ドライバーが日本の女子プロのトップレベルの人達に遜色がない程の飛距離を誇り、見た目も、周りから50代にしか見えないと称賛されてきたこの私が、身体全体から発散される雰囲気にも、声の響きにも、全くのこと力がなく、「痩せてひ弱な肉体」と日増しに衰えていくに任された免疫力の機能低下と心の窓であり「前頭葉」の機能レベルを反映する目の輝きにも迫力がなく、そこにあるのは、「生きる意欲」を日毎に減退させていく、弱弱しく力のない私の姿でしかなかったのです。

  

「前頭葉」の個別認知機能の発揮度を左右し、下支えしている働きを担っているのが、私たちが「前頭葉」の三本柱の機能と名付けている「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能なのです。実は、この「前頭葉」の三本柱の機能の老化のカーブと免疫力の機能の老化のカーブとがドンピシャリと重なるのです。「前頭葉」の三本柱の機能が衰えていく「生活」ということは裏を返せば、免疫力の機能が衰えていく「生活」とも言い換えることが出来ると私は考えるのです。

 糖尿病の専門の医師の考えの基礎はと言うと、数値規制オンリーであって、糖尿病と日々戦う高齢者の「QOL」については、何故か全くのこと無関心なのです。「基礎体力」が衰えていき、意欲をはじめとした「前頭葉」の三本柱の機能が衰えていき、更には、「免疫力」の機能が衰えていき、その上、「食の楽しみ」というある意味「第二の人生」を生きていく上での「生き甲斐」、少なくとも「喜び」となっている私なりの重要な「テーマ」を奪われ、逆に、「食事をするのが辛い」、「我が身に言い聞かせなくては食事をのどに運んでいく気になれない」ような味が薄いというか、味も何も感じさせないような食事を毎日毎食摂り続けていかなくてはならない「生活」、これでは何の為の「第二の人生」なのかと、私の「前頭葉」はその「数値規制オンリー」の指示に対し、大きな疑問と激しい反発とを覚えたのです。
   

ここで問題点を指摘しておきたい誤った主張が2点あります。
その一つは、『血糖値を調整するインスリンの低下で脳内のエネルギー代謝が悪化した結果、神経細胞が死滅してアルツハイマー病(正しくは「アルツハイマー型認知症」のこと)が進行するとみられる』との主張が誤りであること。

この主張は、アミロイドβ仮説やタウ蛋白仮説と同じく、権威だけは世界最高で内容が間違いだらけのあの「DSM-4」の規定が「第一の要件」として確認を要求している「記憶の障害」の症状が、「アルツハイマー型認知症」の症状の根幹となるとの考えを踏襲しているだけなのです。前提とされている考えが重大な誤り、勘違いであることは、「B-77」で詳細に指摘したところです。

「アルツハイマー型認知症」は、器質的な病変が発病の原因なのではなくて、廃用性の異常な機能低下の進行が発病の原因である廃用症候群に属する老化・廃用型の単なる『生活習慣病』であり(但し、食生活ではなくて、脳の使い方としての「生活習慣病」であることに留意する)、その根幹をなす症状は、「DSMー4」の規定が確認を要求している「記憶障害」の症状ではなくて、廃用性の異常な機能低下に起因した『前頭葉』の機能障害が原因なのです。
   

(コーヒーブレイク)先日の新聞報道でも、「アミロイドβ仮説」の考えを前提とした治療薬の開発が日本の或る製薬会社で進行中とありました。
『「アルツハイマー型認知症」の発症に関わるタンパク質(アミロイドβ)を減らし、認知機能の改善を促すのが開発の目的』と記述してあり、アミロイドベータが「アルツハイマー型認知症」を惹き起こす真犯人であるかのごとき表現が使用されていたのですが、この学説は単なる「仮説」に過ぎないのであり(「アミロイドβの蓄積により生じる器質的な病変としての「老人斑」が有する毒性が情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死を惹き起こすことにより、認知機能の低下としての「記憶障害」の発現を招くと主張する仮説)であり、発病との間の因果関係が未だに実証されていないもの。

アミロイドβの蓄積があたかも真犯人であるかのような誤解を招く恐れが高いこの表現は、一流新聞の記事とは思えない程にお粗末と言わざるを得ないのです。私のこのブログの「B-73」で取り上げ、詳細に論じているように、欧米の巨大な規模の製薬会社が軒並みこの「アミロイドベータ仮説」の考えに則った開発に相次いで失敗していて(アミロイドベータ説の考えに則って開発したいずれの薬も、症状の進行を抑制する効果、認知機能の改善効果が認められなかった)、「アミロイドβ仮説」は、発病との間の因果関係が認められないとして、かつての有力説であったその地位から、少数説であったタウ蛋白仮説にその地位が取って代わられようとしている状況に在るのです。

話題の製薬会社は、上述の会社とは開発のタイミングが遅れていて、現在第3相治験の段階にあり、共同開発契約を締結している相手方との契約上の義務(追加投資費用の折半)の履行上、巨額の追加投資の是非を決めるべき段階に来ているとのことなのですが、もはや過去の遺物でしかない「アミロイドβ仮説」にしがみついているだけなのです。
おまけに、従来市販されてきたアリセプト(『「アルツハイマー型認知症」の症状自体を治す効果は有しないが、ケースにより、症状の進行を1~2年程遅らせる効果が期待される』と製薬会社は主張。この主張自体も、私たちの脳機能データが明確に示している「日々の脳の使い方としての生活習慣要因の影響を考慮していなくて(無知で、見落としているのか)」、服用と結果としての効能との間の『因果関係の確認が杜撰』と言わざるを得ないのです。

   

「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する老化・廃用型の単なる「生活習慣病」であり(但し、食生活ではなくて、脳の使い方としての「生活習慣」であることに留意する)、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化のメカニズム(機序)から考えて、飲むだけで/貼るだけで「前頭葉」を含む脳全体の機能の機能レベルが改善される効能を有する薬が開発されることは絶対に有り得ないことなのです。私たちの主張内容は正しくても「権威」が足りないので、このような粗雑な内容の報道記事が載るたびに、「二段階方式」の実践に対する保健師さんの自信が揺らいでしまい、住民参加型の「地域予防活動」の新規展開が遠のいていくことになるのを恐れるのです。

   

脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」(「前頭前野」に局在する複合機能体を言うものとする)という脳機能は、左脳、右脳及び運動の脳という三頭の馬を操る「三頭立ての馬車」の『御者』であり、私たちが意識的に何かを行おうとするに際して、自分が置かれている状況を判断し、状況判断に沿って為すべき「テーマ」を発想して、テーマの実行内容を組み立て、実行の結果をシミュレーションして必要な修正を加え、最終的な実行の決断に基づいた指令を脳の各部に出す役割を担っているのです。

   
『第二の人生』を送っている60歳を超える年齢の「高齢者」が、左脳が専管する仕事とは無縁の「第二の人生」を送る生活の中、「キッカケ」の発生と継続を契機に、「第二の人生」を生きていく上での拠り所で、それまで継続出来ていた「自分なりの特定のテーマ」の追求が出来なくなる状況の継続により、心が折れ、「意欲」を喪失し、何事に対しても挑戦しなくなって、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」が開始され継続されていくことが『直接の原因』で、「意識的な世界」(目的的な世界)における脳全体の司令塔の役割を担っている『前頭葉』(意欲、注意集中力、注意の分配力、評価の物差し及び実行機能により構成されている「複合機能体」であると、「二段階方式」は、独自の見解として理解している)が、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくことの結果、『異常な機能レベルにまで衰えが進行していくこと』が、直接の原因で、『アルツハイマー型認知症』を発病してくることになるのです(同様のメカニズムにより、症状が進行していくのです)。
『アルツハイマー型認知症』は、廃用症候群に属する老化・廃用型の『生活習慣病』であるというのが、「二段階方式」独自の見解であり、この主張内容が正しいことは、北海道から九州に跨る450を超える市町村での個別で有償の使用許諾契約の締結に基づいて指導してきた『住民参加型の地域予防活動』の成果によって、疫学的方法により実証されているのです。

  

私たち人間だけに特有な世界である『意識的な世界』(目的的な世界)を構築し、統括し、支配し、コントロールしている『前頭葉』(単体ではなくて、複合機能体)と言う脳機能について余りにも無知であり、『前頭葉』を含む脳全体の機能について機能発揮上の二重構造が関わることにより、連鎖的に起きてくる『廃用性の異常な機能低下の進行』という機能構造についても無知な儘なのです。アミロイドβの蓄積が発病を惹き起こす原因であると誤解により主張するアミロイドβ仮説の主張内容が正しいものとの前提に立脚した開発を実行している製薬会社であるエーザイの開発コンセプトの単なる受け売りの記事と言うしかないのです。「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズム及び症状が進行していく機序から考えて、発病自体を予防したり、症状を治したり、症状の進行を抑制したりできる効能を有する(治療薬)が開発されることは、未来永劫有り得ないことなのです。
   
症状の発現に対する治療薬としてこれまでに市販されている何種類かの薬(エーザイのアリセプトを含む4種類の薬)は、単なる「興奮型」或いは「抑制型」の「単なる対症療法薬」に過ぎないのであって、「アルツハイマー型認知症」の症状自体を治す/症状の進行を抑制する効能を有してはいないのです。「アルツハイマー型認知症」の発病者本人の為ではなくて、発病者を介護する周りの人達の労役作業の緩和に資する為の薬(対症療法薬)に過ぎないことをきちんと認識し、こうした薬を製造し販売している製薬会社も使用している医師も、正直にそのことを認めるべきなのです。

二つ目の誤った主張とは、糖尿病の発病それ自体が「アルツハイマー型認知症」発病 のリスクを高めるとする「久山町の研究」の報告です。
これは、九州大学が行った福岡県久山町の住民の疫学調査に基づく報告なのですが、これまた、因果関係の確認が粗雑に過ぎるのです。結論から先に言うと、糖尿病の発病と「アルツハイマー型認知症」の発病との間に直接の因果関係は存在していないのです。
発病との間に直接の因果関係がある要因とは、脳の使い方としての「生活習慣」、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の開始とその継続という生活要因なのです。脳の使い方としての「生活習慣」という要因を見落とし、短絡的に因果関係が存在するとの誤った分析をしているのです。世の中で雑に行われているビッグ・データの解析で、赤ワインとかココアが「アルツハイマー型認知症」の予防に効果があるとされた風評と同じレベルのものに過ぎないのです。

合併症の発病者を含む糖尿病患者、或いは高血糖状態に在る糖尿病の予備軍であるお年寄りの間に、「アルツハイマー型認知症」の発病者が多いということが久山町研究の統計的な「事実」としても、そのことだけをもって、「アルツハイマー型認知症」の発病との間の直接の因果関係の存在を実証したことにはならないのです。私たちが、「アルツハイマー型認知症」発病の「第二の要件」として規定している脳の使い方としての「生活習慣」という要因を見落としているからです。

合併症の発病者を含む糖尿病患者、或いは糖尿病の予備軍であるお年寄り達が「アルツハイマー型認知症」を発病するケースが多いという実態は、「糖尿病」の発病自体に「アルツハイマー型認知症」発病の原因が存するのではなくて、実は、『医学会の研究不足に拠るところの「体重規制」とカロリー規制と薄味規制という数値規制オンリーの考えを基礎とした闘病生活の強要』との間に因果関係が存することを指摘したいのです。

「体重制限」と「糖尿病食」の強要が「前頭葉」の機能を正常なレベルに維持していく上で不可欠である「意欲」を減退させ、自分なりに生き甲斐や喜びを得られるような「テーマ」を追及する生き方への「意欲」を喪失させてしまうことになるからです。
本人のQOLに対しては全くのこと無関心で、「数値規制」オンリーの考え方に基づく「体重制限」(基礎体力と意欲の減退が不可避的となる「ひ弱で脆弱な肉体」の維持)の強要に加えて「糖尿病食」(意欲と免疫力の低下を余儀なくされることとなる)の厳格な維持を要求する担当医の生活指導を忠実に守る闘病生活を「キッカケ」として、毎日が「単調な生活習慣」に追い込まれることになること、言い換えると、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもないナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」に落とし込まれていき、継続が要求されることになるのです。数値規制オンリーの要求と強要が、「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の異常な機能低下を進行させていく原因であるナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」に本人を追いやる要因に加えて、加齢により機能が低下していくという「正常老化の性質」が基盤の要因として存在していることにより、両要因が同時に充足される状況下、相剰効果に因り、『廃用性の加速度的で異常な機能低下』が進行していく結果「アルツハイマー型認知症」を発病することになるのです。

   

此処に取り上げた異なる二つの要因こそが、「アルツハイマー型認知症」発病の真の原因なのです。
第二の人生を送っている高齢者に対する糖尿病の治療を専門にしている医師達に言いたいのです(注意喚起です)。世界中の認知症の専門家達から『アルツハイマー型認知症は、発病の原因が分からないし、一旦発病するとその症状を治すことが出来ないし、発病自体を予防することも出来ない病気』と言われ続けてきているのです。
私たちが独自に開発した「二段階方式」の手技を活用して集積した14689例にも上る精緻な「脳機能データ」の解析と北海道から九州までの広い地域に及んだ450を超える市町村で展開し実証してきた住民参加型の「地域予防活動」の実践の成果によると、認知症の大多数90%以上を占めていて、私たちの区分で言う末期の段階、「重度認知症」(大ボケ)の段階に在る「お年寄り」の数だけでも、厚労省の発表数字で460万人を超える規模となっている「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の正体は、廃用症候群に属する老化・廃用型の単なる『生活習慣病』に過ぎないのです。

「アルツハイマー型認知症」は、『加齢』の進行に因る「正常老化の性質」が発病の基礎にあるが為に60歳を超える年齢の「高齢者だけが発病の対象となるのです老年発症が特徴)。ボケるかボケないか、「アルツハイマー型認知症」を発病することになるか/ならないかは、『第二の人生』を送っている『高齢者』にとっての「日々の生き方」、言い換えると脳の使い方としての『生活習慣』の在り様が問われる病気なのです。

   
私たち「二段階方式」が定義する『アルツハイマー型認知症』の発病要件は、第一の要件が『「60歳を超える年齢の「高齢者」であること』であり、第二の要件が『自分なりに追求する特定の「テーマ」がなく、「生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない」ナイナイ尽くしの『単調な生活習慣』が継続され、「生活習慣化する」ことであり、且つ、その二つの要件が同時に充足される相剰効果に因り、『前頭葉』を含む脳全体の機能が廃用性加速度的異常な機能低下を進行させていくこととなり、その行きつく先に、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状の更なる進行が待っているのです。
その「最初の段階」が、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階なのです。「小ボケ」の段階を脳の機能面から説明すると、『前頭葉』の三本柱の機能、「評価の物差し」(意識の首座=自我)及び「実行機能だけが異常なレベルに衰えてきていることに起因した『前頭葉』(前頭葉の三本柱の機能、評価の物差しの機能及び実行機能の複合機能体であることに留意する)の機能障害起因した症状だけが発現してくることになるのです。
私が教育入院していた病院の糖尿病患者のみが入る病棟では、周りの高齢者は皆さん、目がうつろで生気がなく、歩くのがやっとのお年寄りばかりだったのです。身体が不活発の上に、肝心要の『前頭葉を含む脳全体の機能が、不活発な状態に在った』こと、生活不活発の「状態」に在ったのです(但し、このことだけでは、一部の医師達が主張しているような病気とは言えなくて、私たちの意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしている『前頭葉』の機能が異常な機能レベルに在ることが確認されて初めて、アルツハイマー型認知症と言う病気の世界に入っていくことになるのです)。

   
厳格極まりない数値規制オンリーの「糖尿病対策」の強要、糖尿病食の維持を含む闘病生活の厳格な維持が「キッカケ」となって、意欲を喪失してしまい、何事に対しても挑戦しなくなっていき、『自分なりの特定のテーマを追求する生活習慣』が継続できなくなった』結果として、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」の継続に本人を追い込んでいくこととなり、その行きつく先が、「アルツハイマー型認知症」の発病となるというリスクを抱えた「闘病生活」の指導(強要)という訳であり、担当の医師は、「血糖値さえ、所定の閾値内に収まっていさえすれば、万事がOK」という訳なのです。結果、『単調な生活習慣が継続されていても、そのことに対して、何等の問題意識がない』のです。

そうした実体験に基づいた私の考え方は、医師が要求する「厳格な数値規制」を厳守する数値規制オンリーの「生活」とは真逆のものなのです。厳格な血糖値規制と糖尿病食の厳守が至上命題とされ、糖尿病の合併症の回避だけが目的とされている生活、私に言わせれば、「命を単に長らえるだけの生活と生活スタイル」ではなくて、厳格な血糖値規制というものは守りつつも、この先長く続く糖尿病との闘病生活に「QOL」という視点を持ち込み、気力の源である基礎体力の維持に必要な体重を確保すること並びに基礎体力の維持と運動療法(私の場合は、「速足の散歩」とゴルフ)の実施に必要十分な総 kcal数を摂取することに加えて、自分なりにイキイキとした生活と食生活を楽しむ「生活スタイル」を確保した「闘病生活」をしようと心に決めたのです。最終的なリスクは医師が決めるのではなく、自分が決めるものであり、且つ自分の「第二の人生の生き方」自体も絡むことになるからです。

難しい話は脇に置いといて、試みに、近所の3つのレストランで、昼食だけのことなのですけど、「地魚の刺身定食」、「季節の野菜定食」、「スパゲッティー・ミートソース」を3日間トライしてみたのです。勿論その昼食後は、各1時間の「速足の散歩」の実行付きで。なんと、昼食後2時間が経過した時の血糖値は、各回とも120代だったのです。
私の場合、インスリン注射は必要なくて、1種類の薬を朝食前と2種類の薬を朝食後に、1種類の薬を夕食前と1種類の薬を夕食後に服用する必要はあるのですけど、「食後の運動」(私の場合は、速足の散歩)をきちんと実行しさえすれば、食生活については、かなりな程度の柔軟性が確保できるということなのです。この生活スタイルを3ヶ月間試行し、その下で、血糖値が所定の域値内を安定的に維持する結果が確認できた暁には、定常的に外食を楽しもうと考えているのです。こだわりの魚料理を提供してくださるお店で、ダイヤランドに在る私の仕事場(名称は、脳活性化研究所)への行き帰りに、昼食を楽しんでみたいと密かに考えているのです。
   
「第二の人生」を生きるということは、身体が持ちさえすれば良い(命長く生きることが最大の価値)ということでは、ないのです。「自分なりに、如何に生きるか」。それが「第二の人生」を長生きする上では、厳しく問われることになるべきなのです。「第二の人生」にとって、私Tadの場合は、「食と言う命題」は、極めて重要な位置づけを持つのです。「毎食、毎日の摂取するカロリーの制限」の視点からだけの食事の在り方という訳にはいかないのです。

身体(合併症を危険視される関連の内臓器官や眼)及び血糖値は、それで万全だとしても、この先ボケないで(『前頭葉』を正常な機能レベルに維持し続けていく「生活習慣」の構築と継続により、「アルツハイマー型認知症」を発病しないで)生きていく上で、医師の強力な指導内容では、必要不可欠の機能である肝心の「前頭葉」が持たない(結果として、高齢者で、糖尿病の症状が重い場合は、アルツハイマー型認知症の発病者の割合が高くなる)というのが、私からの問題提起なのです。

身体(言い換えると、基礎体力としての体重を一定の範囲内に維持すること)と免疫力と意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能から構成される「前頭葉」の三本柱の機能とを本来あるべき水準に維持することを最も重要な指標としつつ、その上で、食事の摂取の在り方を工夫することにより、血糖値が所定の域内に収まるようにすること(私が私なりに策定した基準値というと、体重は70~72kgの範囲内で維持すること、総摂取カロリー数は2000~2100kcalの範囲内とすること及び或る程度の味付けとすることでした)。その自由度を或る程度確保する為に必要不可欠の条件として毎日午前と午後の二回、「速足の散歩」を実行すること(エイジングライフ研究所は、伊豆高原でも東側の海岸に近い場所に位置し、且つ国立公園内に在るので、伊豆七島を眺めながら散策できるコースが幾筋も整備されているのです。車で10分のところには伊豆の瞳と呼ばれる一碧湖があり、20分もいくと、豊かな広葉樹林に囲まれたダム湖があり、周囲を散歩するのに丁度6,70分程度かかるので、散歩にはうってつけなのです。また、脳活性化研究所は、三菱商事が開発に関わったダイヤランドと呼ばれる大型の別荘地内に在って、富士山を眺めながら散策できるコースがいくつもあり、別荘地内の道路の総延長は、マラソンコースとほぼ同じ長さの42kmにもなるのです)にしたのです(意識的に、プラス思考を導入中!)。実は、此処だけの話なのですけど、劇的な血糖値抑制効果がある「速足の散歩」を実行する上で、基礎体力の維持の為には、総kcal数を増やす必要があると体験的に感じていたのです。

ところが、基本方針を打ち立てて、何度かのケース・ワークによる試行錯誤をしてみた結果、砂糖、みりん、しょうゆ、油が、血糖値にとっては「猛毒」にも等しいことが判明したのです。「炭水化物」を摂取する総kcalを所定の制限値内に保ってはいても、この「四人組」が活躍した味の食事を摂った2時間後では、血糖値が急上昇し、160近くにまで跳ね上がるのです。
「速足の散歩」をこなすとその血糖値は急降下して120前後、時には100代にまで低下するのですが、それは単なる対処療法であって、体質の改善(回復)とはならないのです。現在は糖尿病を発病した状態に在る「体質」を改善して、以前の正常な体質にまで回復させることが本来の目的なので、私の『前頭葉』の「評価の物差し」とも何度か折衝し、協議した結果、基礎体力を確保する為摂取する炭水化物の総kcalは基準規制値よりもやや多めにすることとして、『基本として「薄味ベース」であるが、四人組の出番を極力抑制しながら、それなりの味付けとする』ことで妥協したのです。

 かくして、退院した翌週から、私の「挑戦」が始まったのです。病院で指導を受けた運動療法のレベルとは違い、「速足の散歩」という内容の運動療法の場合は、血糖値を下げる効果が絶大なのです(但し、私の「運動療法の中身」を知った担当に女医は、『Tadさん、それは、強靭な肉体を誇る肉体労働者がやるもので、普通の高齢者には、到底無理ですよ』との評価でした)。

(肝心の味付けに関しては、上述した基本方針は堅持するという条件付きで)基礎体力を維持し、「前頭葉」の三本柱の潜在的な機能レベルを拡大し、そのことによって免疫力それ自体を適切な機能レベルで維持し、然も、「血糖値を所定の数値の域内に収める」という、私なりの対処方法を実践することに決めたのです。

前置きが長くなりましたが、実はこの私、昨年の3月8日に突如、帯状疱疹を発症し、人並み外れて痛みの部類には強いはずのこの私が、手の先の指を天に向かって突き上げ絶叫していないと耐えがたい程の激痛が間欠的に襲ってくるのです。然も、その激痛が6ヶ月間もの間日夜続き、突き刺すような痛みを伴う帯状疱疹の激痛がやっと収まってきたと思ったら、帯状疱疹を発症した左肩の肩甲骨の周辺、左肩から左腕の手首の手前まで、更には、左肩から左耳の脇を通り抜けて左目の手前までの部位が関係する腱と筋肉との収縮による激痛(後遺症)により、左腕が全く動かなくなってしまったのです。且つ、その激痛が今度は5ヶ月間続き、夜も何時眠ったのか分からない程の痛みが続いたのです。運転をする際にも左腕が痛くて動かないので右手一本でのハンドリングになるのです。私の車は、ウインカーを操作する部位がハンドルの左側にあるので、右手で操作するのがとても大変だったのです。
   
世に先駆けて、『アルツハイマー型認知症』の発病の予防、市町村による住民参加型の「地域予防活動」の展開を指導すると言う仕事、そのことを『天職』とまで感じ、信じて頑張ってきた私に対して、『天帝は何故にこのような酷い仕打ちをするのか』と恨んだ程なのです。私が中学1年の時、物置小屋の片隅で見つけた古びた表紙の漢文の書籍の文中に在った一文の冒頭の言葉である「天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先ず其の心志を苦しめ、其の筋骨を労し、その体膚を餓やし、其の身を空乏し、行い其の為すところに払乱せしむ・・・」云々の言葉が私の脳裏をよぎったものの、耐え難い程の余りの痛みに身も心も折れてしまいそうになるのです。30代とか40代、せめて50代の若い身ならいざ知らず、古希を迎えて、あとはお迎えを待つだけの身だというのに「何故―っ?!」と、絶叫してみたくもなるのです。

とは言え、そこで家に籠るようになると危険なので、無理をしながらも出来るだけ外に出かけて行く機会を作り、お友達に会う機会を作り頑張って、苦境と戦ったのです。普通ならそこで抗う心が折れてしまい、結果として、「前頭葉」の三本柱の機能の一角を担う「意欲」という機能が急速に衰えて行ってしまい、何もしようとはしなくなる生活不活発状態に陥るところなのです。

しかし、『アルツハイマー型認知症』の発病自体の予防と早期診断による回復という明確な目的のもとに住民参加型の「地域予防活動」の実践を指導する身であるこの私が、帯状疱疹の発病とその痛みに耐えかね、言い換えると、それが「キッカケ」となり、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」に陥って行ってしまうと、その先に「アルツハイマー型認知症」の発病が待っていることになる訳なのです。このまま心が死ぬ訳にはいかない、「アルツハイマー型認知症」を発病して、与えられた天命を達成せずに中途で投げ出す、そんな笑い話にもならない事態だけは絶対に起こしてはならないと心に言い聞かせ、死に物狂いで耐え、命がけで身体を張って、頑張っていたのです。
   
ところが後遺症としての筋肉痛が収まりもしないうちに、年も押し迫った年末の12月23日に今度は「尿閉」と言う追加の仕打ちが待っていたのです。その尿閉は、近くの病院に駆け込んで、若い駆け出し風の医師にバルーンを入れて貰って事なきを得たのですが、天帝の仕打ちは更に続いていたのです。尿閉の原因となった6倍もの大きさに肥大した前立腺を切り取ってしまう手術が必要との診断で、最新の機器を使える他の病院に転院したのですが、そこの泌尿器科で採血した際に、「HbA1Cの数値が15.2で、且つ、血糖値が594ということで緊急入院」することを要求され、当日そのまま「入院」することになったのです。
天から降って湧いたかのように、突然同時に起きてきた「尿閉」と言う問題と血糖値が594という問題とは、其れまでに徐々に何年間もかかって高血糖の状態に進んできていたものが(7年前の胆石の除去手術の際に、HbA1Cの数値が正常域値内に在ることが確認されていた)、昨年の3月8日に帯状疱疹を突如発症して以来続いた激痛による強大な「ストレス」に加えて、免疫機能の急激な低下が原因で血糖値が僅か3~4ヶ月間ほどの極く短期間に急上昇した為に糖尿病の域値、然も糖尿病としても極めて高い域値迄に症状が進行する状態が起きてきたのではないかと私は考えたのですが、主治医は私の問題提起には全くのこと耳を貸そうとはしてくれなかったのです。脳と言っても、「前頭葉」が関わる問題であり、専門外のことでもあるので、本人の関心がなかったのでしょうけど。

   
世界中の脳科学者であれ、心理学者であれ、認知症の専門家であれ、私たちの意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしていて、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」という脳機能については、殆ど知らないことだからです(複合機能体であることさえ知らない)。余談はさておき、その入院が(18泊19日)続いて、やっとのこと、退院となったのです。その入院中に、投薬や食事や血糖値の測定や種々の検査の合間の時間を見つけて折々に書いたのが、全体の構成面で意味不明の赤恥を晒したあの2月15日に公開した「B-76」のブログだったのです。名誉回復の為に、退院後に再構成した上で書き直したのが「B-77」のブログという訳です。基本的には同じテーマを構成の仕方を変えて書いたものなのです。

両者で根本的に異なっているものはと言うと、ブログの「テーマ」と全体を構成する際に必要不可欠の機能である「前頭葉」の三本柱の機能の核心をなす『注意の分配力』の機能の、機能レベルの差の問題なのです。

私Tadは、大きなテーマの文章を書くときは、」頭の中で全体を構成(メタ認知)した後、それを打ち出すのですが、総字数が2~3万字ぐらいの文章となると、全体を構成するのに「評価の物差し」の機能と「実行機能」と「前頭葉の三本柱」の機能(中でも、注意の分配力の機能)がフルに発揮されている状態であることが必要となり、入院中は、激烈極まりない程の痛みを伴った筋肉痛とそのストレス(これも血糖値を上昇させる一要因)とにより肝心の「前頭葉」の三本柱の機能の発揮度が落ちてしまっていて、あんなふうな支離滅裂のものになってしまったのです。
「B-76」と「B-77」とを読み比べて頂ければ、その歴然たる差異が読み取れると思うのです(但し、「B-77」は、体力と気力の回復ということもさること乍ら、名誉挽回とばかりに張り切り過ぎ、気持ちが昂り意欲が高じて、集中し過ぎて、注意の分配機能が働きすぎた為に書きすぎた結果、総字数が4万字にもなってしまい、1万字分削減した為、その分、流れが若干よどんでいるかとは思うのです)。
様々な種類が数ある(私が思いつく機能だけでも66もあるのです)「前頭葉」の個別認知機能(総称して、『実行機能』=Executive Functionという)の発揮度は、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能からなる「前頭葉」の三本柱の機能の発揮度とリンクしていて、且つ、それに左右され、下支えされているという私たちの主張を証明するような私の実体験でもあったのです。

急速に衰えてしまった「前頭葉」の三本柱の機能(中でも、『注意の分配力』の機能)を復活させる為に採った退院後の私の秘策。それは、毎日午前と午後の二回、1.0時間ずつの「速足の散歩」を実行するということだったのです。

「速足の散歩」の効能はと言うと、「前頭葉」の個別認知機能が働く上での基幹機能である「意欲」の潜在的な機能レベルを奥底から掘り起こし強化してくれるというものなのです。『意欲』の潜在的な機能レベルが掘り起こされて、強化されることにより、「注意の集中力」の機能の潜在的な機能レベルが強化されることにもなるのです。「注意の集中力」の潜在的な機能レベルが強化されることにより、「注意の分配力」の機能の潜在的な機能レベルが強化されることにもなるのです。『意欲』を源として、注意の集中力の機能が生まれ出てきていて、「注意の集中力」の機能が分化したものが『注意の分配力』の機能という「三層構造」の仕組みになっているからです。

かくして、毎日午前と午後の二回、1.0時間ずつの「速足の散歩」を実行することにより、血糖値を低く抑える効果と「前頭葉」の三本柱の機能の潜在的な機能レベルの強化という二つの目的を同時に達成することが出来たのです。
とは言え、無意味数字に対する記憶力が未だ十分には戻ってきていないので、私の「前頭葉」の三本柱の機能レベルも未だ十分には回復してきていないということなのです。「速足の散歩」、私は毎日の食後2時間が経過した時点で、「血糖値」を計測しているのですが、実は、この「速足の散歩」が、食後の血糖値の急上昇を抑える上で、極めて効果的なのです。糖尿病の闘病生活を送っておられる方は、「速足の散歩」を是非取り入れていただきたいのです。

『速足の散歩』を開始してから10日近くが経過した私の状況はと言うと、「B-77」のブログを「朝飯前」に書き終えることが出来たということなのです。但し、その朝飯とは、何を隠そう、私なりのアレンジが入っているとはいえ、「糖尿病食」のことなのですが。
  あ~!!!『 むかしのしょくせいかつがなつかしいYO~ 』. 
絶対に糖尿病を克服して、昔の「食生活」を取り戻してやるぞ~!!

「食の喜び」失くして、何のための第二の人生よ。
 私が糖尿病食では、皆さんが気兼ねして、食事会に誘っても、来てくれなくなってしまうのです。『「アルツハイマー型認知症」は、原因不明で治らないもの。発病を予防することも症状を治すことも出来ないタイプの認知症である』との世界中の権威が有る専門家達の誤った考え、主張をひっくり返してきたこの私なのです。今度は、『糖尿病は、一度発病したら、生涯付き合っていくしかない病気であり、「糖尿病食」を日々遵守していくしかない生活になる』という糖尿病の専門家達の主張をひっくり返してやるという強い思いに駆られてか、せっせと「速足の散歩」に励んでいる、今日この頃なのです。

糖尿病を発病して、日々糖尿病食の摂取と言う苦痛にさいなまれている同病の仲間達、絶対に負けないでこの先も頑張りましょう。この先が、明日が楽しくなるような生活でないと、肝心の「前頭葉」が持たないのです。血糖値だけが正常で、身体は細くひ弱になり、「前頭葉」の三本柱の機能の潜在的な機能が衰えていき、免疫機能も低下していく、それが、退院時に渡された食事療法の手引きが主張している「食事療法」の構成内容なのです。

今から50年も前に出版された内容のものが、殆ど内容の改定もないままに現在販売されているのです。私が問題にしている脳、就中「前頭葉」と身体との関係という視点など、その欠片も存在しないのです。

食事をするということは、食事の内容を考えるにも、並べられた食事を眺めるにも、食べたものの味を深く味わうにも、必ず、「前頭葉」の関与があるのです。「前頭葉」には、3歳が終わるときまでは親の背中を基礎として、4歳になって以降は自分独自の体験をそれに付加して、18歳になるまでに完成させてきた物差し、後天的に獲得したその人独自の「評価の物差し」と言う機能が備わっていて、何であれ、「前頭葉」の個別認知機能の機能発揮上の対象となるものに対して、自分なりの感じ方、観方、或いは考え方を造り出し、作り上げるものなのです。

何時の日になったら、「糖尿病」を発病した第二の人生を送っている高齢者が極めて厳格な(ある意味で、厳格すぎるほどの)遵守を求められる「体重規制」と「食事規制」に、「前頭葉」の機能との関係という「テーマ」並びにQOLと言う視点が持ち込まれることになるのでしょうか。

厚労省が試算している末期の段階の「大ボケ」の段階のお年寄りだけでなくて、私たちの区分で言う「小ボケ」と「中ボケ」とを含めた「アルツハイマー型認知症」の発病者数は、既に1000万人を超えている筈なのです。その「アルツハイマー型認知症」でさえ、「前頭葉」の個別認知機能との関係、就中、「前頭葉」の三本柱との関係について語れる『アルツハイマー型認知症』の専門家は、我が国だけでなくて、世界中を探してもいないのです。ましてや、この「糖尿病」と「前頭葉」の三本柱との関係について語れる知識がある糖尿病の専門家は、未だ現れてきていないのです。    あ~、嘆かわしや。 

 (エピローグ) 実は先日、退院後初めての診断を受けてきたのです。入院時15.2だったHbA1Cの値は、45日間経過後には8.9 へと下がっていたのです。
担当の医師は、これほど急激に劇的に数値が改善したのは極めて珍しい例だとおっしゃっていました。ここだけの話なのですけど、実はその日の昼食は、外食だったのです。野菜サラダと、トンカツ2切れと鮭の煮つけ2切れと、ガンモドキの煮物とお吸い物に、多めのご飯という献立でした。最近開店したばかりという店の女将と話が弾んで世間話を30分程して、食後の運動は無しに、車で1.5時間かけて病院に行き、昼食後2時間経過時の血糖値が124だったのです。HbA1Cの値は、測定日前1.5ヶ月間の平均値ということでしたので、丁度入院した日からその診断日までの期間と言うことでもあった訳なのです。

 私は、「QOLという視点」を取り入れて考えた私なりのやり方に対し大いに自信を持ったのです。その場で直に、1ヶ月後の診察の予約をお願いしたのは言うまでもありません。次回の診察日におけるHbA1Cの値が正常値の域内に在る自信があったからです。えっ!なんですって、「捕らぬ狸の皮算用?」。ぜったいにそんなけっかにはなりませんからね!  

注)本著作物「Bー78」に記載され表現された内容に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

エイジングライフ研究所のHP左の部分を「クリック」してください)

脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)


  


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