国道を北へ走っていくと、左手の山にスキー場が見えてくる。国道というのにクルマは少なくゆったりと走れます。風景はふつうの田舎の風景。田んぼがあり、畑があり、民家があって、国道沿いには飲食店やお店がある。が、観光地ではない、人々の生活が感じられる。なにしろ、1998年にはオリンピックの会場にもなった白馬村です。今どんな風景になっているだろうと興味がわくではありませんか。白馬駅の佇まいも40数年前から大きくは変わっていない気がします。
学生時代、大糸線に乗ったころには、スキーエリアとして、または避暑地、別荘地としての白馬という見方をまったくしていなかったと思います。あの頃は、スキーとテニスとゴルフはお金持ちの遊び、私なんぞが近づくものではないと思っていましたから。
白馬に行くことがあったら見ておきたいと思ったのが青鬼集落。2000年に、文化庁の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。国道148号から姫川を渡って、細い道を登っていくのですが、運転に自信のない人には少々難しい。私には自信がある!というのではなくて、下調べも十分にせずに行ってしまうものですから、行ってみたら結構恐かったという話です。この集落に行くにはこの道しかありませんから、景色の良い季節なんぞは、すれ違いで恐い思いをする人は多いのではないでしょうか。幸い私は、国道から入ったところでBMWとすれ違っただけで、集落の駐車場まで行けました。
先客は一台。私が退散をする時に一台のクルマがやってきただけでした。日差しは強いものの、気温は31℃くらい。私の生活圏とは暑さが違います。
確かに迫力のある建物群です。訪れてみてよかった。しかし、白馬村青鬼に行っても日差しが強いのは変わりなく、すでに午後になっており白馬の山々も逆光線でよく見えない。こんな季節、こんな時間では訪れる人も少ないはずと納得したのでした。
建物群は、確かに生活の匂いはしますが、これも季節的、時間的なものか生活している人々の姿は見えません。お善鬼の館と呼ばれる建物は、観光客も入ってよいらしい。今は集落の集会所のように使われているようですが、もともと民家だったはずです。
獣害防止の柵を越えて、棚田にも汗を拭き拭き、行ってみました。道祖神が畔に一体あるだけで人の姿は見えません。
棚田越しに白馬の山が見えるのですが、ここから見ても午後は逆光になって霞んでいるだけ。この景色を楽しむためには午前中でなければなりません。
一軒の民家の横にある畑を見てなるほどと思ったのは、野菜を支える支柱に、スキーのストックがふんだんに使われている。スキー場銀座の大糸線沿い。使わなくなったストックの再利用でしょう。また、消火栓の背の高いこと。豪雪でも消火栓が使える工夫ですね。もともとは茅葺屋根だったはずですが、今は鉄板被膜。屋根の雪はきっと溜まらずに落ちるのでしょうね。
どこの重要伝統的建造物群保存地区を訪れても感じることですが、生活をしながら建物や景観をを保存していくのは大変だろうなと思いました。白馬村が2000年に青鬼地区を紹介した資料には伝統的な茅葺が14棟残っていると書かれています。つまり14世帯分(お善鬼の館を除いても13世帯)あったと思われますが、白馬村のサイトにある行政区(一般的には自治会に相当)の青鬼区紹介票(2024年度分)では、8世帯と書かれています。景色がみたくて遊びに来る私たちは保存も責任もありません(保存活動の協力金500円を納めただけ)が、住んでる人たちはこの景観を守るために相当な時間も労力も注ぎ込んでおられるにちがいありません。
地図で見ると青鬼地区の東隣が鬼無里。かたやアオオニ、かたやオニなし。鬼無里というところも訪ねてみたいものです。
また、心細い道を下って下界に戻る時気づいたのは、大糸線の電車がもうすぐやってくるということ。姫川を渡る鉄橋で電車を待ちましょう。先ほど青鬼にいた夫婦も細い道を降りてきました。と、私の近くで車を停める。「電車が来るのか」と聞いてきます。ご夫婦と一緒に電車を待ちました。信濃大町行の電車には間に合わず、南小谷行きの下り二両編成を見ることができました。あとで確認すると信濃森上15:54発南小谷行きのようです。
44年前には、この線路も走ったはず。糸魚川まで往復した記憶は確かにありますから、南小谷までは電車、そこから先はキハ52で糸魚川まで往復したはずです。では、この鉄橋を渡る時に乗っていた車両は何?思い出せません。急行アルプスだったのかなぁ。
(つづく)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます