ウグイスの鳴き声で始まった廃線跡のハイキングでしたが、この辺りにくるとカラスの声が大きい。人家が近づいてきたということでしょうか。
そして最後のトンネル、北山第一トンネル。
最後かと思うとやや名残惜しい。トンネルの入り口の脇で老夫婦がいました。女性の方が何かを採取しているように見えます。後で気づいたのですが、この老夫婦は男性の方が足がやや不自由なようです。女性が気づかいながらゆっくり二人で歩いている。こんな年齢になっても、二人でハイキングをしようかというところに感心もしましたが、いったん入ったら出られないこの廃線敷。そこを私と同じ方向に歩いているということは、武田尾側から、ここまで歩いてきたということでしょう。その根性にも脱帽。このトンネル内は一部ぬかるんでいるところがあって、そこをこの男性は壁に片手を預けながら歩いていました。私はその横を追い越していく。このトンネルは他のトンネルよりも若いらしい。もともとトンネルはなかったのですが、1922(大正11)年に、その線路の山側にトンネルを掘ったそうです。どうりでどちら側の入り口にも、川のほうに余裕があるのが確認できます。廃線跡のさらに廃線跡ということですね。1、2歳の子供を抱っこして歩く父親らしき人とすれ違いました、どこまで歩く気なのだろう。
武庫川支流の姥ヶ懐川を渡る小さな橋は、それがもと鉄道の橋梁だったということも思いつかないくらいの変身ぶりです。それを越えると、中国自動車道がちらっと見える。そろそろ終わりかと寂しくなります。
いっぽう、虫たちは元気。現役時代の落下防止柵の上を、尺取り虫が走る(だってとっても速い)。それも何種類も確認できます。名塩川橋梁を渡る頃には、中国自動車道も大きく見えるし、集落も見えてきます。自転車止めが作ってあって、ここから敷地内にバイクや自転車が入れないようにしてある。どうやらここまでがJR西の敷地のようです。12時42分。廃線敷の入り口に立ったのが10時32分ですから、2時間10分かけて歩いています。
生瀬からの登り、武田尾からの下り、どちらがおすすめといえるでしょうか。私は武田尾側から下りましたが、生瀬側からの上りの方が良いかもしれません。武田尾温泉には日帰り入浴できる宿もあるらしいので歩いた後お風呂に入って帰るのも良いかもしれない。
廃線跡マップで武田尾側の入り口と生瀬側の入り口を確認し、その地点の標高を国土地理院地図で調べてみます。武田尾側が111mくらい、生瀬側が64.5mくらいです。標高差が46.5mという計算になります。マップによれば、廃線跡の全長は4.7kmだそうですから、平均斜度は9.8‰(パーミル)。パーセントでいえば、0.98%、約1%となります。武田尾側から歩いても生瀬側から歩いても、徒歩ではほとんど気にならないくらいの「坂道」です。
鉄路を車輪で走る鉄道は摩擦係数が低く勾配が苦手です。例えば、山陽本線の難所とされた瀬野八(八本松駅 - 瀬野駅間)で22.6‰、長野新幹線の開通でなくなってしまいましたが、信越本線の碓氷峠(かつてラック式を使っていた)で66.7‰、箱根登山鉄道では80‰が最大勾配になります。一方道路では、CMにより有名になったベタ踏み坂(江島大橋。島根県、鳥取県)で61‰(6.1%)です。だから廃線跡を徒歩で歩くのは、登山やハイキングとは傾斜が違うのです。歩くのに辛いほどの傾斜は少ないと考えるべきでしょう。
(つづく)
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