自分の選択ではぜったいあり得ないだろうなというようにことも、相手方の意向によって時に邂逅することもあります。自分の意志が強固である人は素晴らしいと思う一方、偶然の出会いがあるのは、他人の意志に任さねばならないときであり、それもまた、「自分の選択肢の中にはなかっただけ世界が広がったと思うこともあります。
ひょんなことから、京都国立近代美術館の「岸田劉生と森村・松方コレクション」展に行きました。岸田劉生といえば、麗子像というくらいしか知りませんし、(失礼ながら)その暗い雰囲気の少女の絵が面白いとも思っていませんでした。麗子って誰なのか、そもそも岸田劉生っていつくらいに生きていた人なのかも知りません。まぁ、自分の選択肢の中に、この画家の作品を見にいこうということはおよそあり得ない。
残念ながら絵を見て、ものがわかるほどの素養もありませんし、行って何が分かったかといわれれば俯くしかありません。「壺」という油絵を見たときは、本物の壺かとはっとしました。また、寒山拾得という水墨画、どこかで見たような気がすると考えてみたら、串本の串本応挙芦雪館で芦雪の寒山拾得図を見ていたのでした。今両者を比べてみるとまったく絵の雰囲気は違うのに、イメージの中でつながるものがあるのですね。
劉生という人は若くして亡くなった人なんだなとか、麗子の絵はたくさんあるんだとか、白樺派とかかわりがあったとかくらいしか、記せません。今回の展示は年代ごとに区切ってありましたが、京都時代という区切りがあって、関東大震災により関西に転居しているということを知りました。谷崎潤一郎が関西に移ったのも関東大震災がきっかけでした。転居先がもし京都でなくて芦屋辺りなら、阪神間モダニズムに岸田劉生が関わっていたことになるわけですね。
ただ、岸田劉生のほんまもんの絵を近代美術館で見たという記憶は、これからどこかで生きてくるかもしれないと、思いながら帰宅したのでした。
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