
潮岬に行くのも30数年ぶり。海に沈む太陽が見られればいいなと思い走ります。
海洋訓練に行っていたころは、望楼の芝の近くにある元ガソリンスタンドの建物を使っていた渡船屋さんを拠点にしていました。盆の12日夜に出発して、当時は天王寺から新宮へ夜行列車が出ていました。子どもたち(参加者は小中学生が多かった)は夜行列車で、スタッフたちは数台のクルマでやってきました。正確な回数は覚えていませんが、昭和の終わりごろ片手から両手の間くらいの回数、参加しました。子どもたちを引率して電車で行ったこともクルマで荷物を運んだこともありました。
練習場所は灯台の下の2か所ほど。時には、遠泳として袋港まで泳いだこともあります。太平洋側に出ると静かなようでも波は大きく、渡船から海に入ると、すり鉢のそこに落ちたように周囲は水ばかりかと思うとも次の瞬間には海面を見下ろすような景色に見える、とにかく太平洋はスケールのでかいものだと思いました。
岩礁の多いところですから、渡船で岩礁まで運んでもらって釣りをしている人を今回も見かけましたが、怖くないものなんでしょうかね。
訓練時に泊まる宿は何か所かありましたが、一度だけ泊まった民宿では「湯船」がありました。浴室に入ると小さな船が置かれていて、なぜか湯が張ってある。スイッチを入れるとモーター仕掛けでその船が揺れ、丁寧なことに潮岬灯台の模型が光るというものでした。その動く船が湯船なのです。人生でほんまもんの「湯船」を見たのはこの時一度きりです。
さて、その潮岬。某会の芝や、潮岬タワー、灯台あたりまでは記憶の風景とほとんど変わっていないように思えました。懐かしくうれしい気持ちです。料金所(かつて外周路は潮岬有料道路だった)跡近くの、かつてのガソリンスタンド跡は、別の業種になっていましたが、あのころのままの建物で残っていました。潮岬タワー(上ったことはないけど)もそのまま。もちろん、灯台も変化がないように思われます。広大な芝生は、キャンプ場として11月の下旬でもたくさん人がキャンプを楽しんでいます。私たちのころは、キャンプ場としては整備されていなく、それをいいことに、テントを張って数日間の海洋訓練をした年もありました。新しい建物が建っていると思ったのは、南紀熊野ジオパークセンターができていることくらいでしょうか。令和元年7月にオーブンしたようです。
センターに入ってみると、黄色いジャンパーを着たスタッフが数人。親切に来場者に説明をしています。私も声を掛けられて、どこから来た?どこを回ったか?を聞いてくるのです。「無量寺に行ってきた」というとそれにもコメント。ジオパークに関わっては、「付加体」という言葉を覚えて帰るようにと言うのです。南紀の川から海に流れ出た土砂がプレートの沈み込みにより押し戻されて褶曲し堆積したものが、付加体だということです(正確かどうかは不明ですが)。それがよく見えるのがすさみ町のフェニックス褶曲だそうで、理科の教科書にも載っているらしい。つまり、わたしもかつて学習したはず。まったく覚えていません。無量寺スタッフ同様に親切に声をかけるのですね。串本の文化かもしれないと思います。
潮岬四阿山と名付けられた場所があります。読み方も難しいのですが、「しおのみさきあずまやさん」と読めばいいのではないでしょうか。和歌山県観光連盟が、和歌山県朝日夕日百選というものを定めているのですが、そのうちのひとつが、ここ潮岬四阿山だということです。たどり着いて、気づいたことです。しかも、この場所は朝日、夕日ともに鑑賞できる、おいしい場所らしい。
西の方角には潮岬灯台、その左手にずーっと太平洋。もうすぐ太陽が水平線に沈みますが、どんな風景になるのでしょう。
水平線まではまだ少し時間があるので、水辺まで下りてみました。小さな波止に、漁船が2隻係留されています。30数年前はこの波止で訓練をしていました。かつて酸素ボンベを子供たちに背負わせて、この坂道を歩きました。夜光虫なるものを初めて確認したのもこの波止でした。見上げると灯台。風景はほとんど変わっていないように思われます。
四阿山に戻って、日の入りを待ちます。何人かの人がやってきて風景写真を撮っていきますが、日の入りを待つ様子はないようです。この季節になると太陽は灯台からずいぶん離れた南の方角に沈みます。ひと月訪問が早かったらどんなだったでしょう。
いよいよ日の入りというころになると20人くらいの人が集まってきました。近くの宿に泊まっている人もいるようです。黙って見ている人、一眼レフの人、スマホの人、それぞれがきれいな日没を期待しています。が、雲が。水平線より少し上に厚い雲が陣取っていて太陽がさえぎられています。場所によっては雨が降っているのも見える。太陽が海に沈む直前にはその雲から開放されて…いたらいいな。誰かが、「昨日はだるま夕日だったのよ」なんてしゃべっている。
結局、水平線でも雲に邪魔されて、だるま夕日というより火事場の炎のように見えた太陽が海に沈んで終わり。たまたまやってきて、いい日没を見ようというのは虫のいい、身勝手な話ですね。太陽が消えてしまうと集まっていた人々も、「まるで潮が引くように」静かに消えていったのでした。
串本の町に戻って、スーパーで食料品を買って、お風呂に入る。
サンゴの湯という日帰り温泉に行きました。シンプルなお風呂ですが結構な客がある。串本でダイビングを楽しんだ人たちもここで温まっていくようです。
道の駅橋杭岩に戻って、おやすみなさい。
(つづく)
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