カメラの記録を確認すると、思い立って草津を歩き始めて橋の袂に着くまでに2時間半ほどかかっているらしい。13kmくらいだから2時間と予測したわけですが、やはりもりやま芦刈園で、仕事の電話に対応した分だけ時間がかかってしまいました。
大橋の袂、南側はヤンマーマリーナ。ここのホテルがちょっと変わっています。「セトレ マリーナびわ湖」というそうですが、屋根に草が生えている。大地から盛り上がってできた建物のようにも見えますし、船のシルエットのようにも見えます。私の勝手な想像ではスペインあたりのイメージでしょうか。こんなことも歩く速度だから気づけるわけで、得をした気分です。
料金所(徒歩や自転車は無料です)の横を通過したのが、16時14分。左足のマメを少し気にしながら歩きます。
大橋には歩道が3本あることはグーグルストリートビューでわかっていました。車道は西行き東行きとも2車線ですが、西行き車線には車道の両側に歩道があり、東行き車線には片側(片側)にし歩道がありません。きっと琵琶湖大橋は現在の西行きだけ、つまり片側1車線で開通したのでしょう。その後もう一本橋を架けて現在の形になった。現場で確認すると、3本の歩道のうち真ん中の1本は歩けなくなっていました。車道を横切らなければその歩道には入れませんから。それで、一番南側、大津方面が見える歩道を歩いてみました。
少し歩いてはあちこちをキョロキョロ、カメラを取り出しては…ということを繰り返していると、いきなり、「通ります」という声がかかります。自転車の人たちです。すみませんと、身体を欄干側に寄せて自転車に歩道を譲ります。そう、歩道は自転車と人がすれ違うには狭いのです。歩行者同士でもすれ違いに身体をねじる恰好になります。それに車道と違い、歩道は向こうへ行く人もこちらへ渡る人も通ります。自転車同士のすれ違いはとても危険だと思います(そもそも自転車が歩道を通ってよいものか?)。歩道を眺めると、結構な行き来があります。私のような徒歩の人もいます。守山側には大きなショッピングセンター、堅田側には大きな家電量販店がありますから、橋を渡ってお買い物でしょうか。でも歩くことが目的の人は見つかりませんでした。自転車の人も生活の手段としてのいわゆるママチャリの人と、ヘルメットを被ったスポーツサイクルの人と二種類見えます。この琵琶湖大橋を境に北側を北湖、南側を南湖というそうです。北湖に比べると南湖は圧倒的に小さいのですが、それでも橋を使わずに大津方面を経由したらクルマで50分くらいかかるそうです。橋を渡れば1.4kmほどですから、橋の功績は大きい。
天気がよくないので、大津方面を見ても大津プリンスホテルが薄ぼんやり見えるくらいです。休日だったせいでもありましょう。船の行き来はほとんどありません。釣り人のボートがポイントを移動する静かな波。対照的にかっとびパワーボートが水面をはじけるように駆け抜ける大波。
橋は堅田側で一気に高度を稼ぐ形になっています。大型船が潜れるように26mの高さを確保してあるのだそうで、高低の曲線が美しいと思います。その登りのピークの手前の歩道を広く作ってある部分で、ちょっと休憩。この辺りが守山市と大津市(堅田側)の境目だと案内板が取り付けられています。これもクルマで走っていたら気づかないでしょうね。
堅田側の袂から南側へ1kmくらいでしょうか。満月寺浮御堂が見えました。正直な話、琵琶湖に浮御堂があるのは知っていましたが、それがここにあるとは知らなかったのです。次の機会に満月寺に行ってみよう。ひとつ賢くなりました。歩きならではですね。
ピークを越えて、一気に坂を下ったら堅田側にランディング。結構長い橋だと思っているのに到着は早い。13km(草津から歩いた距離)と1350m(琵琶湖大橋の西行きの長さ。東行きは1400m)ですから、短く感じても不思議ではありません。カメラで時間を確認してみると、料金所から30分かけて歩いています。ずいぶんのんびりと歩いたことです。
渡りきったところに、昭和39年9月竣工と銘板が取れつけられていました。東京オリンピックの年。日本がどんどん成長している時期に橋は作られたのですね。
このまま堅田から湖西線に乗って帰るつもりだったのですが、北側の歩道も歩いてみたいと思いました。同じ道を行って帰るのは色気がないと思うタチなのですが、4車線の車道の南北では見える景色が違うはず。それでまた守山側へ徒歩で戻ることにしました。
驚いたのは歩道の広さ。往路の歩道の倍くらいあります。これなら自転車同士でもよゆったりすれ違えそう。こちらはウォーキングの人たちも歩いています。歩道の広さを知っていたら、誰でもこちらを選びますよね。橋の一番高いところには幅を広くとった部分が作ってあるのは往路と同じですが、こちらはベンチがしつらえてあります。私より先輩と思われるご夫婦が腰掛けてパンを食べていました。歩道からは琵琶湖の北側の風景が見えます。けれども南側と比べると単調で地味です。都会的な南側と対照的。両岸のほかには沖島くらいしか見えません。
その代わり、こちらには「琵琶湖周航の歌」があります。東行き2車線のうち、追い越し車線のアスファルトには進行方向に垂直に溝が切ってあって、一定の速度でクルマが走るとロードノイズがメロディをもち、「われぇーはうーぅみのぉーこ…」(「われは海の子」と間違わないでね)と流れるのです。歩道を歩いていてもそのメロディは聞き取れます。ここもクルマで走ったことがあるはずなのです。メロディが流れることに気づかなかったのは私の運転が追い越し車線を滅多に走ることがないからでしょう。では、なぜ追い越し車線だけメロディつきなのか。こういう疑問にはいつでも明快に答えてくれる友人がいて、彼に聞くと、追い越し車線の速度を抑えるため、つまりは安全運転のためにメロディがつけられているのだそうです。なるほど、ガッテン。
帰りは16分で渡りました。東行き車線の守山側には、東行きが竣工したのは平成6年7月だと書かれています。西行きと東行きは30歳の年の差があることになります。その割には年の差に気づかないようにうまく作られているのも感心したことです。
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