大阪、上本町の駅構内の立ち食いうどん屋さんで、中華麺に和風だしの「黄いそば」なるものを食べたという話でした。
「黄いそば」で検索をかけてみると結構ヒットします。多くの記事を読んでみると、もとより大阪や京都では中華麺を黄いそば(きぃそば)と呼んでいたようです。そう、日本そばと区別するためですね。日本そばは黒そばと呼ぶのだそうです。うどん屋でもうどん玉を中華麺に代えることができるという意味で「黄いそばできます」なんて書かれている店もあるんだとか。この中華麺に和風だしの組み合わせを京都ではキーシマというらしい。関西に生まれ、関西で何十年も過ごしてきたのに初耳です。少々恥ずかしい気分です。
さらに、ウィキペディアには「黄そば」の項があります。まだ「独自研究」の疑いもありますが、背景として、次のように記されています。
「黄いそば」で検索をかけてみると結構ヒットします。多くの記事を読んでみると、もとより大阪や京都では中華麺を黄いそば(きぃそば)と呼んでいたようです。そう、日本そばと区別するためですね。日本そばは黒そばと呼ぶのだそうです。うどん屋でもうどん玉を中華麺に代えることができるという意味で「黄いそばできます」なんて書かれている店もあるんだとか。この中華麺に和風だしの組み合わせを京都ではキーシマというらしい。関西に生まれ、関西で何十年も過ごしてきたのに初耳です。少々恥ずかしい気分です。
さらに、ウィキペディアには「黄そば」の項があります。まだ「独自研究」の疑いもありますが、背景として、次のように記されています。
かつて少なからぬ関西の大衆食堂では、うどんだしを流用して麺と具材のみを変えたものを「中華そば」として供していた経緯もあり、中華麺に和風だしの組み合わせは、少なくとも関西では決して不自然に感じられるものではない。また、高校の学食などにおいては、コスト的な理由から麺の仕入れをうどんと中華麺の二種に絞り、中華麺にうどんのつゆをかけたものを「そば」として販売することが一般的であった。
となると、黄いそばなり黄そばと呼ばれるものは関西ではかなり一般的であり、かつてこのブログでも記した姫路駅の「えきそば」もそんなに珍しいものではないということになってしまいます。「えきそば」には起源について次のように書かれていました。
えきそばの起こり
太平洋戦争の終戦後 姫路駅で麺類を販売しようと計画し うどんを試作、 うどん鉢は 出雲今市にあるものを仕入れ、 うどんの販売を始めました。 しかし 当時 うどんはいたみが早く 長持ちさせるには と考えた末 うどんをあきらめ 度々の試作の結果 黄色いそば を考案 当社独自で その製造に のりだし だしは評判が良かった為 そのままで 黄色いそば に 和風だし という 一見 ミスマッチの商品が生まれました。 その後 昭和24年10月19日 姫路駅ホームにおいて それをえきそばと名付け えきそば の立ち売りを始めました。 その当時の 販売価格は せともの容器付 50円 でした。
とすると、ふたつの情報の折り合いがわるいということになります。どう考えたらいいんでしょうね。
太平洋戦争の終戦後 姫路駅で麺類を販売しようと計画し うどんを試作、 うどん鉢は 出雲今市にあるものを仕入れ、 うどんの販売を始めました。 しかし 当時 うどんはいたみが早く 長持ちさせるには と考えた末 うどんをあきらめ 度々の試作の結果 黄色いそば を考案 当社独自で その製造に のりだし だしは評判が良かった為 そのままで 黄色いそば に 和風だし という 一見 ミスマッチの商品が生まれました。 その後 昭和24年10月19日 姫路駅ホームにおいて それをえきそばと名付け えきそば の立ち売りを始めました。 その当時の 販売価格は せともの容器付 50円 でした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます