
文芸春秋、2010年7月号の表紙には、こう書かれていました。
井上ひさし「絶筆ノート」全文掲載
実は、その文字列の上にはこの文字より大きなサイズで「日本国民に告ぐ」という藤原正彦さん(『国家の品格』 の著者)のことが書かれていました。
当該のページを開くと、こんなタイトルがつけられています。
夫の肺がん173日闘病記 独占手記 「ひさしさんが遺したことば」井上ユリ
となっていて、井上ひさし氏の妻であるユリさんが、夫の手記を交えながら綴った闘病記ということになります。つまり、「絶筆ノート」は確かに全文掲載されているんでしょうが、表紙のお題目はやや、捻じ曲げた気もしないではあ りません。
井上ひさしという人は、何でもメモにして残す人だなと思います。そのメモによると、最初に体調の変化を感じたのが昨年の10月19日。がんの宣告を受けるのが10日後の29日。「しっかりした筆跡で残っている最後の書面」が3月12日。息を引き取るのが4月9日ですから、5ヶ月弱を病について記したことになるのでしょう。
小説やエッセイから見えてくる井上ひさしは、当然読者にどう読まれるか、どんな印象で伝わるかを計算しているはずですが、この文からは生活者 としてのダイレクトな彼が見えるような気がします。ことばで仕事をしてきた真摯な彼が見える部分があります。
「苦しいけれど、自分は作品の中で『たとえ人生が残り一日でも、どんなに苦しくても、人間は生きなきゃいけない』と書いてきた。そう書いた以上は、自分のことばに責任を取るために頑張らなきゃいけない」
と言ったそうです。それが「しっかりした筆跡で残っている最後の書面」以降のこと。書けなくなったあとの言葉なんです。
がんの苦痛の中でこんなことも言っています。
「戦争や災害だと、たくさんの人が同じ死に方をしなきゃならないんだ。ひとりひとり違う死に方ができるというのはしあわせなんだよ」
これはすごいことばだと思います。土壇場までコマを進めた人だけが感じえるこ とではないでしょうか。作家として自分の最期にしっかりと向き合って冷静に見つめた、井上ひさしさん。
たったの12ページでしたが、私には、「日本国民に告ぐ」よりずっと心に響いてきましたよ(他意はありません)。ご冥福を祈ります。
井上ひさし「絶筆ノート」全文掲載
実は、その文字列の上にはこの文字より大きなサイズで「日本国民に告ぐ」という藤原正彦さん(『国家の品格』 の著者)のことが書かれていました。
当該のページを開くと、こんなタイトルがつけられています。
夫の肺がん173日闘病記 独占手記 「ひさしさんが遺したことば」井上ユリ
となっていて、井上ひさし氏の妻であるユリさんが、夫の手記を交えながら綴った闘病記ということになります。つまり、「絶筆ノート」は確かに全文掲載されているんでしょうが、表紙のお題目はやや、捻じ曲げた気もしないではあ りません。
井上ひさしという人は、何でもメモにして残す人だなと思います。そのメモによると、最初に体調の変化を感じたのが昨年の10月19日。がんの宣告を受けるのが10日後の29日。「しっかりした筆跡で残っている最後の書面」が3月12日。息を引き取るのが4月9日ですから、5ヶ月弱を病について記したことになるのでしょう。
小説やエッセイから見えてくる井上ひさしは、当然読者にどう読まれるか、どんな印象で伝わるかを計算しているはずですが、この文からは生活者 としてのダイレクトな彼が見えるような気がします。ことばで仕事をしてきた真摯な彼が見える部分があります。
「苦しいけれど、自分は作品の中で『たとえ人生が残り一日でも、どんなに苦しくても、人間は生きなきゃいけない』と書いてきた。そう書いた以上は、自分のことばに責任を取るために頑張らなきゃいけない」
と言ったそうです。それが「しっかりした筆跡で残っている最後の書面」以降のこと。書けなくなったあとの言葉なんです。
がんの苦痛の中でこんなことも言っています。
「戦争や災害だと、たくさんの人が同じ死に方をしなきゃならないんだ。ひとりひとり違う死に方ができるというのはしあわせなんだよ」
これはすごいことばだと思います。土壇場までコマを進めた人だけが感じえるこ とではないでしょうか。作家として自分の最期にしっかりと向き合って冷静に見つめた、井上ひさしさん。
たったの12ページでしたが、私には、「日本国民に告ぐ」よりずっと心に響いてきましたよ(他意はありません)。ご冥福を祈ります。
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