4姫路城
周辺は塩町、魚町といった歓楽街。昼間よりも夜がにぎやかな街です(実は夜のこの街を知りません)。その街を通って姫路城に向かいます。いったん大手前通りまで戻ると、こちらは昼間から観光客でとても賑やかです。国内からのみならず、近隣の国々からのお客様と思われる言葉も行き交います。この日の姫路市の最高気温34.4度。暑い中でもこのたびの改修を終えた世界文化遺産姫路城の人気を伺わせます。また、大河ドラマ「黒田官兵衛」の人気もまだ残っているのかもしれません。
大天守までぞろぞろと人の後に続いて昇ります。階を上がるにつれ入り込む風が少しずつ変わってくるのが実感できます。最上階である六階では渋滞。長壁神社が祭ってあるのですが、スタッフによって、「お参りをする人はこちら、そうでない人は下り口はこちら」と案内されます。折角汗をかきかき登ってきたのに、さぁ下りよと言われるのが残念なところ。これでも平日だったので、まだマシなのだと思いました。
5お菊井戸
さて、次はお菊井戸です。大天守を見上げる上山里曲輪(かみやまざとくるわ)にあります。しかし、いつも不思議に思うのは、どんなに憎くても人間一人を井戸に投げ込むとすれば、その井戸は使えなくなるのではないかということ。この井戸は場所からして、普段から使っていたわけではなく、緊急用だったと考えられるそうです。すると、安易に人々が近づいたり、いたずらしたりしないように、井戸にストーリーをくっつけたと考えることもできるという説明には納得します。このお菊井戸。もとからそう呼ばれていたのではなかったようです。もともとの名前は釣瓶取井戸(つるべとりいど)だそうです。お菊井戸と呼ばれるようになったのは、お城が一般に公開されるようになった大正時代とのこと。歌舞伎や講談で「皿屋敷」の知識があった人たちが勝手に「お菊井戸」に昇華?させたわけですね。
前述のように暑い暑い姫路の一日でした。西の丸も見学しておくべきでしたが、人の多さと暑さで断念しました。また、姫路藩主の下屋敷跡に作られた好古園という庭園も入園したものの、日向を歩く気がせず、早々と引き上げてしまいました。
6平塚のお菊さん
話は神奈川県平塚市まで飛びますが、平塚には番町皿屋敷の「お菊塚」があります。静岡県に住む友人が写真を送ってくれました。その写真によると、塚の横にある平塚市教育委員会が作成した案内には、
お菊は平塚宿役人真壁源右衛門の娘であった。
お菊が手討ちにされたのは、元文5(1740)年2月のことであった。
と書かれています。この年月が正しいとすれば、史実よりも「播州錦皿九枚館」の上演の方が早いことになります。
あちらこちらにお菊さんがいたり、皿屋敷伝説があるそうですね。
姫路を訪ねて、少しだけお利口になりました。
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