
50年ぶりの住吉さんを後にして、南へ行きましょう。次に降りるのは我孫子道。子どものころから「あびこ」というひらかな3文字はよく知っているつもり。地下鉄御堂筋線の終点でした(1987年に中百舌鳥まで延伸)から。でも「あびこ」が何なのか考えたことがありませんでした。「我孫子道」という駅名に出くわすと、「あびこ」って何なのか気になります。この年になって初めて持った疑問。あびこ観音だったのですね。その観音様へお参りする道で、我孫子道。
この駅には阪堺電車の車庫があります。大和川車両区というらしい。この車庫を左手に見ながら歩く。住宅地の中を通って昔の街道らしき風景の道路を南に歩くとすぐに大和川の土手。大阪市はここまで。この川を渡ると堺市に入ります。この堤防なんとなく見覚えがあるような…。思い出しました。学生時分にこの大和川車両区に来ています。1981年だったか。あの頃はさまざまにゆるやかな時代。鉄道の車庫は国鉄でも私鉄でも、「見せてください」とお願いすれば、「どうぞ」と入れてもらえました。
大和川に掛かる橋の名は大和橋。橋のたもとの案内によれば、紀州街道が通る橋で大和川にかかる橋の中で一番歴史ある橋だということです。もっとも現在の橋は大阪市のサイトによれば、1974年生まれだそうです。対岸の堺市の様子を眺める。阪神高速の隣にあったダイセル堺工場がない。そのあたりがイオンモールに変わっている気がする。ダイセルのサイトを見ると、爆発事故があったのが1982年。そんな昔のことだったのかと驚きます。工場の閉鎖は2008年のことらしい。しかも工場の閉鎖は、阪神高速大和川線の建設のためだそうです。
大和橋を渡りながら後ろを振り返るとあべのハルカスが見える。西側には南海本線の鉄橋、東側には阪堺電鉄の鉄橋。そのずっと向こうに南海高野線の鉄橋が見える。贅沢な大和橋です。堺市に上陸!自分の足で市町村境を越えるってワクワクしますね。
渡ったら堤防の上を200mほど東に歩いて、阪堺電車の大和川駅。この駅は乗り降りしたことがありますよ。14年前に、浅香山浄水場のつつじを見に行ったとき、ここで阪堺電車を降りました。大和川の堤防の南側が工事の跡のように見えるのは、阪神高速大和川線の工事を開削工法で行った跡ではないかと素人は想像したのでした。
(つづく)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます