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1年前の記事で、長崎駅前の交通会館の雰囲気を見て、これは昭和40年頃の建築ではないかと、無責任なことを書きました。これが全然デラタメではなかったという話です。
からすみという言葉は、グレープの「朝刊」という楽曲でずっと昔から知っているのに、(自分の記憶が正しければ)食したことはなかったのでした。
昨年6月に長崎市に出張させてもらう機会があって、およそ30年ぶりの長崎市になりました。もちろん、生からすみなんてものがあることすら知らなかったのですが、昨年長崎市内の居酒屋で、生からすみを賞味する機会がありました。「生」でないからすみは、小さなものをお土産に買って帰って家で食べてみました。
長崎市の居酒屋で食べた生からすみと、波佐見町のお酒、六十餘洲
1年たって、また紫陽花が見られる頃になると長崎が恋しくて恋しくて。
からすみって買えるかしらんと検索してみると、ありました。長崎県物産振興協会のサイトでは、コロナ禍による小売店の応援なんでしょう、お安くなっているそうなのです。ならば長崎が恋しい当方も「応援」しなければ。
混みあっているという割に1週間弱で、からすみと生からすみは冷凍便で送られてきました。その送り主の住所が長崎市大国町3番1号。ん?これって長崎駅前の交通会館の住所ではなかったか?
当たりでした。
交通会館の左隣の赤いビルは、現在はアパホテル。私が最初に長崎に行ったときは、西九州第一ホテルというビジネスホテルだった。
さらに長崎商工会議所のサイトに当たりました。「創立130年の歩み」のページによれば、長崎市商工会議所は長崎県と共同で交通会館を建築し、その6階に移転したのだそうです。この交通会館(長崎交通産業ビルというらしい)が完成したのが、昭和39年2月だったということもわかりました。「昭和40年ごろ」という見立ては大きく外れていなかったのです。さらに興味深いのは、長崎商工会議所のページにある開業当時の交通会館の屋上広告が三菱電機で、現在も同じ三菱電機であること。長崎は三菱の企業城下町なんて言われますが、50年以上変わらずミツビシが長崎駅前を見下ろしているのですね。「かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」のこの世において、貴重なものでしょう。
現在、長崎商工会議所は桜町にあるそうです。
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