松江から出雲へは国道9号線を通って、出雲から松江に帰るのは山陰自動車道を通ったのですが、不思議なことに所要時間があまり変わらないような気がしました。それに、宍道湖の側を通る9号線に比べて、山陰道は風景が単調です。
松江からは国道431号、中海の北側を通って美保神社を目指します。「こころ旅」の火野正平が、前述の宍道湖を目指して自転車で走ったコースを逆にたどっていることになります。こんな風景があったぞと思いながら、東へと走らせました。道の駅を見つけたので寄ってみると、ここは弁慶が生まれたところだと書かれていました。それに、道路と中海との間のベンチの置いてある広場。火野正平が宍道湖に向かう途中でお弁当を食べていたベンチです。中海の左手のほうには、「ベタ踏み坂」の江島大橋も小さく見えます。写真右側が江島側。ベタ踏み坂です。
初めて出雲を訪れた18歳のとき、往路は急行「美保」でした。急行色のキハ58。おそらくそれまで、美保関なんて地名を知らなかったことでしょう。美保(美しさを保つ、ですから)という地名への興味から、26歳のときは、このあたりを走っているはずだと思うのですが、それが美保神社へ行ったのか、はたまた島根半島の先端まで行ったのか、そのあたりがまったく思い出せません。それを明らかにしたいと思ったことがひとつ。
もうひとつは、「大社だけでは片参り」という言葉を教わったからです。出雲大社の祭神は大国主。美保神社の祭神は大国主神の子のである事代主と大国主神の后である三穂津姫。いわば御一統さんです。ですから願いを叶えるためには、出雲大社と美保神社の両方を、しかもこの順で参らねばならないのだそうです(両参りというらしい)。島根半島の東西の端っこに、この二社が座しているという位置関係も面白いものですね。
ゑびす神社の総本宮であるという美保神社を訪ねてみました。右手に美保湾を見ながら海辺の道路を東へ走っていくと、道路が左に湾曲して、それまでの景色から突如、旅館のような鉄筋コンクリートの建物がいくつか登場。神社のある美保関です。どこが駐車場なのだろう。多くの参拝者がやってきても、クルマを停めるのに難儀しそうです。そう思っていると、鳥居前の土産物屋のおばさんが手招きしてもここに停めろと誘導してくれます。「帰りに寄って行ってね」というわけですね。
神社周辺の風景は見覚えがあります。26歳のときの記憶ではなく、昨秋の「こころ旅」、373日目の旅をテレビで見ましたから。このときの視聴者の手紙もなかなか味わい深い。神社の様子も、青石畳通りもよく知っている気になってしまいますが、いや、自分で訪れるのは初めてのはず。こんなところへ来た記憶がありません。すると、あのときはどこへ行ったのだろう。
両参りという割には、現在の神社規模はあまりに違いすぎるようにも思われます。もっとも、美保神社は三方が山、残る一方はすぐ海ですから、境内を広げたくてもそんなに土地がないように思えます。訪れたのが15時半くらいだったからかもしれませんが、参拝客もそんなに多くない。盆と正月に、ゴールデンウィークまでいっしょにやってきたような出雲大社とはあまりに印象が違います。「出雲大社へお参りのみなさん、両参りですよ。」
美保神社には「福種銭」というものがあります。一粒万倍の「福の種」。早い話が10円硬貨なのですが、これを大切に持っているのではなく、使用しなければならないそうです。そうすると、廻り廻って大きな実りとして自分へ還ってくる。家庭は円満に、商売は繁盛するそうな。ご利益が出たら、この包みにお礼を包んで美保神社に納めるのだそうです。家族の分と合わせて、4ついただいてきました。お礼をもって、再度美保神社に参れたらいいな。
(つづく)
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