浜寺公園から阪堺電車での帰り、例の堺市のパンフレットとにらめっこをして、下車してみようと思ったのが宿院(しゅくいん)。ここで降り、南海本線の堺駅の下をくぐって西へ2kmほど歩けば旧堺灯台があります。
旧堺灯台は阪神高速湾岸線の大浜出入口の側にありました。この出入口から湾岸線に入ったこともあるのに気づかなかったのは、クルマからは見えにくい位置にあるからだと思います。
現役引退後は綺麗に手入れされて大切に扱われているというふうに見えますが、こうして三方を陸に囲まれているのが少々かわいそうに思えました。この灯台が灯台として稼働したのは1877年から1968年の間だそうです。埋立地(堺泉北臨海工業地帯という名前で社会で勉強したような気が…)に囲まれて灯台としての仕事ができなくなったのですね。
そこの案内板で見つけたのが蘇鉄山という名前。旧堺灯台から東に戻ったところに大浜公園という公園があって、その中に蘇鉄山と呼ばれる小さな山がある。てっぺんに三角点があり、"一等三角点のある日本一低い山"として知られていると書いてあります。その三角点を見るための"登山"したのでした。
山の頂では、家族がバドミントンをしていました。その横に案内板が2枚、蘇鉄山と書かれた白い木の柱と三角点の石。
旧堺灯台は阪神高速湾岸線の大浜出入口の側にありました。この出入口から湾岸線に入ったこともあるのに気づかなかったのは、クルマからは見えにくい位置にあるからだと思います。
現役引退後は綺麗に手入れされて大切に扱われているというふうに見えますが、こうして三方を陸に囲まれているのが少々かわいそうに思えました。この灯台が灯台として稼働したのは1877年から1968年の間だそうです。埋立地(堺泉北臨海工業地帯という名前で社会で勉強したような気が…)に囲まれて灯台としての仕事ができなくなったのですね。
そこの案内板で見つけたのが蘇鉄山という名前。旧堺灯台から東に戻ったところに大浜公園という公園があって、その中に蘇鉄山と呼ばれる小さな山がある。てっぺんに三角点があり、"一等三角点のある日本一低い山"として知られていると書いてあります。その三角点を見るための"登山"したのでした。
山の頂では、家族がバドミントンをしていました。その横に案内板が2枚、蘇鉄山と書かれた白い木の柱と三角点の石。
この蘇鉄山の約300m東南にあった御蔭山(おかげやま)の頂に近代地図作成のための基準点となる一等三角点が明治18年(1885年)に設定されました。その後、御蔭山が削られ、昭和14年(1939年)にこの蘇鉄山の標高6.84mの所に移設されたものです。現在、一等三角点の設置されている山としては日本一低い位置になります。
(中略)
一等三角点が元あった御蔭山は天保年間に港と水路浚渫により造られた山で、同時期に川浚えの土砂を積み上げてできた大阪の天保山とは兄弟にあたります。
こんなふうに書かれていました。この前偶然に見つけた天保山の三角点と深い間柄の三角点に偶然会えたのでした。
(中略)
一等三角点が元あった御蔭山は天保年間に港と水路浚渫により造られた山で、同時期に川浚えの土砂を積み上げてできた大阪の天保山とは兄弟にあたります。
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