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現時点の新型コロナウイルス感染症に関する動きが刻一刻と変わり、
1月22日から愛知県でもまん延防止等重点措置が適用となり、延期されました。
このブログの旅行記は、2022年1月4日~5日に実施されたものです。
1日も早く、誰しもが気軽に旅行を楽しめる日が来ることを心から願っています。
… … … … …
「ねねの道」 から 「円山公園」 まで地図を頼りに
歩いてきました。
最後の方は、結構上り坂が続き、しんどかったですが
見たことのある光景に出会いました。
たぶん、ここは 「円山公園」 です。
今まで何度もお邪魔したことはありますが、
こんなに寒い時期に来たのは初めだったので、
少し寂しい景色が広がっています。
ここから更に坂道を上がり、裏側からお邪魔したのが
『知恩院』 です。
こちらは、浄土宗の総本山です。
正式名称は 華頂山知恩教院大谷寺 と言うそうですよ。
写真は、国宝の 「御影堂」 になります。
こちらに来たのには訳がありました。
私が若かりし頃、京都にある通信制の大学にお世話になったことがあります。
それまで学んだ単位を持って編入したので、
仕事をしながら残りの分の単位を2年間で取り
その後の卒業式が、ここ 「知恩院」 で行われました。
一般の人では通常入れない場所に特別に入れていただいた記憶がありますが、
そこがどこだったのか記憶が定かではありません。
そんな時代を懐かしんで…
「御影堂」 に上がらせていただき、お参りをしました。
「御影堂」 の正面には、長い廊下があります。
その軒裏には、骨ばかりとなった傘が見えます。
(画像には写してありません… すみません)
案内板にも説明がありますが、
当時の名工、左甚五郎が魔除けのために置いていったという説と、
知恩院第32世の雄誉霊巌上人が御影堂を建立するとき、
このあたりに住んでいた白狐が、自分の棲居がなくなるので
霊巌上人に新しい棲居をつくってほしいと依頼し、
それが出来たお礼にこの傘を置いて知恩院を守ることを約束したという説もあるそうです。
こちらは、「御影堂」 の向かいにある 「経蔵」 になります。
非公開ですが、ホームページに飛ぶと素晴らしい内部の様子が見られます。
その反対側には 「阿弥陀堂」 です。
境内は、とても広く立ち入り禁止の場所もあります。
私たちは三門から入らずに、円山公園沿いの裏側からお邪魔したので、
先に 「御影堂」 でお参りをし、
緩やかな階段の女坂を通って、三門にたどり着きました。
この三門は、国宝で日本最大級の木造の門だそうです。
知恩院の門は、「山門」 と書かず 「三門」と書きます。
これは、「空門」「無相門」「無願門」 という、
悟りに通ずる三つの解脱の境地を表わす門 (三解脱門) を意味しているそうです。
そして、道を下ってきたこちらは 「新門」 と表札がありました。
本来は、こちらから新門をくぐり、三門をくぐり、
男坂、女坂を上って御影堂の前の広場に出ることになります。
今回、私たちがたどったコースは、真逆でした。
【知恩院】
ポチっと押して頂くと皆さんには何もありませんが、しゃかしゃか母がHappyになります 人気ブログランキングへ
現時点の新型コロナウイルス感染症に関する動きが刻一刻と変わり、
1月22日から愛知県でもまん延防止等重点措置が適用となり、延期されました。
このブログの旅行記は、2022年1月4日~5日に実施されたものです。
1日も早く、誰しもが気軽に旅行を楽しめる日が来ることを心から願っています。
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「ねねの道」 から 「円山公園」 まで地図を頼りに
歩いてきました。
最後の方は、結構上り坂が続き、しんどかったですが
見たことのある光景に出会いました。
たぶん、ここは 「円山公園」 です。
今まで何度もお邪魔したことはありますが、
こんなに寒い時期に来たのは初めだったので、
少し寂しい景色が広がっています。
ここから更に坂道を上がり、裏側からお邪魔したのが
『知恩院』 です。
こちらは、浄土宗の総本山です。
正式名称は 華頂山知恩教院大谷寺 と言うそうですよ。
写真は、国宝の 「御影堂」 になります。
こちらに来たのには訳がありました。
私が若かりし頃、京都にある通信制の大学にお世話になったことがあります。
それまで学んだ単位を持って編入したので、
仕事をしながら残りの分の単位を2年間で取り
その後の卒業式が、ここ 「知恩院」 で行われました。
一般の人では通常入れない場所に特別に入れていただいた記憶がありますが、
そこがどこだったのか記憶が定かではありません。
そんな時代を懐かしんで…
「御影堂」 に上がらせていただき、お参りをしました。
「御影堂」 の正面には、長い廊下があります。
その軒裏には、骨ばかりとなった傘が見えます。
(画像には写してありません… すみません)
案内板にも説明がありますが、
当時の名工、左甚五郎が魔除けのために置いていったという説と、
知恩院第32世の雄誉霊巌上人が御影堂を建立するとき、
このあたりに住んでいた白狐が、自分の棲居がなくなるので
霊巌上人に新しい棲居をつくってほしいと依頼し、
それが出来たお礼にこの傘を置いて知恩院を守ることを約束したという説もあるそうです。
こちらは、「御影堂」 の向かいにある 「経蔵」 になります。
非公開ですが、ホームページに飛ぶと素晴らしい内部の様子が見られます。
その反対側には 「阿弥陀堂」 です。
境内は、とても広く立ち入り禁止の場所もあります。
私たちは三門から入らずに、円山公園沿いの裏側からお邪魔したので、
先に 「御影堂」 でお参りをし、
緩やかな階段の女坂を通って、三門にたどり着きました。
この三門は、国宝で日本最大級の木造の門だそうです。
知恩院の門は、「山門」 と書かず 「三門」と書きます。
これは、「空門」「無相門」「無願門」 という、
悟りに通ずる三つの解脱の境地を表わす門 (三解脱門) を意味しているそうです。
そして、道を下ってきたこちらは 「新門」 と表札がありました。
本来は、こちらから新門をくぐり、三門をくぐり、
男坂、女坂を上って御影堂の前の広場に出ることになります。
今回、私たちがたどったコースは、真逆でした。
【知恩院】
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