私の日記を読んでいる方は、大体ご存じだと思いますが再度、今現在の現状を整理します。色々情報が錯綜しているからです。
ワグネルがバフムト市街の戦闘について勝利宣言を出しました。これは、あくまでバフムト市街限定の話です。実際には、4月の段階でウクライナ軍はバフムト市街から西の郊外に拠点を移して防衛線を築き戦闘が続いていました。
その時点でウクライナ軍が支配していたのはバフムト市街の西のはずれの一部です。なぜ、そんなきれっぱしの土地を防衛していたかと言うと、5月9日のロシアの戦勝記念日に勝利宣言を出させないためです。
要は、バフムト市街についてはどっちでもいいことであったのです。ワグネルが勝利宣言を出したのは、独裁者に報告して功績を認めてもらうためです。さっさとそうしておかないと危ない状況があるからです。お手柄があるうちに実績を作りに行きました。ロシア政府としても負け戦続きの中で唯一の戦勝報告ですから、国内向けに必要でした。バフムト市街の勝利宣言の意味は、これだけです。
実際には、激戦が続いていたのはバフムト市街の西の郊外です。これは、地図で確認してください。Googleマップで「ウクライナのバフムト」と入力して検索するとバフムト市街が表示されます。その市街の西の郊外が戦場です。
地図上に幹線道路T0504が東西に通っています。
バフムトからコンスタンチノフカ方面に西に行くと中間に「Chasiv Yar」があります。
バフムト西の郊外から「Chasiv Yar」にかけてロシア軍は、幹線道路T0504の南側から北側に攻めていました。目的は、その更に北にあるルート00506を遮断するためです。このルートがウクライナ軍の補給路だからです。
4月半ばから5月初めにかけてのバフムトの激戦は、ここで戦われていました。ここをロシア軍が制圧すればウクライナ軍はバフムトから撤退するしかありません。つまりバフムト市街は、ほぼ実際の戦闘とは無関係になっておりここが3週間~4週間の激戦の中心でした。
ロシア軍はバフムト方面で投入できる戦力を全部投入して攻撃を続けました。しかし、5月10日ごろにその攻撃は失敗に終わり逆にロシア軍は、T0504の南側の更に南側まで押し返されました。
これでバフムトに市郊外の戦闘は、完全に流れが変わりました。ウクライナ軍は補給路の防衛に成功し、そこを全力で攻めていたロシア軍は力を失いました。そして南に後退せざるを得ませんでした。その戦闘は、今も続いています。
これがバフムト西郊外の戦闘状況です。
ところが、ウクライナ軍は新たにバフムト市街北の郊外のソレダル方面に新たに攻撃を開始しました。これがウクライナ郊外北側の戦線です。これも今も戦闘が続いています。
つまりバフムトの戦場全体を見ると、西ではロシア軍は南にやや駆逐され、北にウクライナ軍が新たに戦線を構築して北の郊外でロシア軍を攻撃し始めました。
これがバフムトの戦域全体の現状です。
ウクライナの反撃作戦が順調に進行するならバフムト市街は、やがて包囲されます。ロシア軍やワグネルは目下劣勢であると言うことです。
それが分かっているから、ワグネルのオーナーは勝利宣言してお手柄を確定させました。
その次にワグネルのオーナーのやるべき事は?
『ワグネル、ウクライナ前線から「25日に撤退へ」と創設者』
2023.05.22 Mon posted at 09:42 JST
https://www.cnn.co.jp/world/35204111.html
『プリゴジン氏はSNS「テレグラム」を通し、ロシア国防省に拠点を引き渡して25日に撤退すると予告。』
「ワグネル、6月1日までにバフムート撤退 ロシア軍に引き渡しへ」
2023年5月22日 20:33 発信地:モスクワ/ロシア [ ロシア ウクライナ ロシア・CIS ]
https://www.afpbb.com/articles/-/3464955?cx_part=top_category&cx_position=3
お手柄をロシアの正規軍に引き渡してバフムトから撤退することです。やたら「勝利宣言」の後、バフムトから逃げたがっていますね?
つまりそれは?
バフムト全体の戦域ではロシア軍が不利になりつつあり、バフムト市街はやがて包囲されることが予想されるからです。包囲されるお役目は、ロシアの正規軍に譲りたいのが本音です。(しかも、出来るだけ早くそうしないとワグネルが包囲されます。包囲されると全滅です。逃げたい理由は、それを回避するためです。)
大体、バフムト全体の戦況が分かったでしょうか?
ウクライナ人道危機救援金 - 日本赤十字社
https://www.jrc.or.jp/contribute/help/ukraine/