「北の山・じろう」日記

内容は主に時事問題。時々株式投資関係の記事も交じります。

ロシアとウクライナの歴史とウクライナ紛争と「嘘日記」のお詫び<2023年10月

2023-11-15 00:04:34 | 中立の視点で見るウクライナ紛争

ウクライナとロシアの歴史は、古くはキエフ大公国の時代に遡ります。キエフ大公国は最初のスラブ民族の国家として繁栄します。その後、モンゴル帝国との戦争に敗れ消滅します。これが12世紀ごろの話です。
その後、モンゴル帝国とヨーロッパ諸民族の戦いでモンゴル帝国が敗北したのち、4つの政治グループが形成されます。ポーランド・リトアニア共和国、オーストリア゠ハンガリー帝国、オスマン帝国、モスクワ大公国などです。現在のウクライナに当たる部分は、14世紀以降小ロシア(=ルーシ)と呼ばれるようになります。

その後モスクワ大公国が勃興し、のちのロシア帝国になります。

1649年にウクライナの付近にヘーチマン国家が成立します。1654年以後はモスクワ大公国(ロシア帝国)の保護を受けるようになります。
多少省略
1667年、戦争の結果ドニプロ川の西側はポーランド領になります。
ドニプロ川東岸は、ロシアの防衛に貢献するコサック国家として繁栄します。
つまりたった20年もしないうちにウクライナは、東半分になりました。1765年にロシア領に編入され小ロシア県になります。
その後、激動の時代を経て第2次世界大戦後、現在の国境が決められます。旧ポーランド東部はソ連へ併合され、ウクライナ人が多く住むガリツィア地方はウクライナ西部になりました。

つまりウクライナの西半分は、随分長い期間ポーランド領でした。いわば第二次世界大戦の勝者である旧ソ連がポーランドから、ウクライナの西半分を奪い返してやっと現在のウクライナの領域が完成されます。

その後、旧ソ連崩壊のどさくさに紛れて現在のウクライナが一方的に独立します。当時のロシアは、混乱の極みにありそれを黙って見過ごすしかありませんでした。

ウクライナも相当、虫のいいことを言っているでしょう。元々の小ロシアは、現在のウクライナの東半分しかありませんでした。西ウクライナはロシアが戦争で勝利してポーランドから勝ち取った領土です。これ1945年の話でそんなに昔ではありません。

ポーランドが、ウクライナの西半分返せ!と言っても全然おかしくない話です。(ポーランドがこの事を言えない理由は、ウクライナの西半分をソ連に割譲する代償としてドイツ領の東の部分をソ連から与えられたからです。)

歴史を振り返るとウクライナに相当する国家は、12世紀ごろのキエフ大公国まで遡らないと見当たりません。

これを全部、ウクライナ領にして一方的に独立を宣言した現在のウクライナは、相当厚かましいと言えると思います。

しかも更に大問題があります。ウクライナに限らず、ベラルーシにもカザフスタンにも旧ソ連の核兵器と膨大な武器が残されました。本来ならこれらの武器は、全部旧ソ連の国有財産です。それも全部、ウクライナは簒奪しました。ここまで来ると厚かましいというより、強盗でしょう。

強盗から危険な核兵器は取り上げなければなりません。
そこでアメリカとロシアが関与して・・・
ブダペスト覚書
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%80%E3%83%9A%E3%82%B9%E3%83%88%E8%A6%9A%E6%9B%B8
この覚書を作成して、3か国から核兵器を取り上げました。この覚書は条約ではありません。
要は、3か国の核兵器をロシアに戻すために作られたものです。それ以外の部分は、米ソとも最初から、守る気などなかったと思います。核兵器さえ取り上げれば、あとは野となれ山となれ・の話です。

こうやって見てくるとウクライナも相当、強欲でしょう?
歴史的経緯を見るなら、ウクライナ領は精々半分程度だと思います。
西半分ポーランドに返還するか、東半分ロシアに返還するかどちらかでしょう?
つまり、ロシア側からするとウクライナの独立はロシア領の簒奪に当たるわけです。ロシアが今の国内の安定と軍事力が当時あれば、即戦争が始まったと思います。その当時のロシアは、混乱に極みにありどうにもできませんでした。

そしてウクライナは、独立に際して中立国を宣言しています。要は、ロシアを裏切らない(西側に付かない)と宣言しているわけです。

2014年のクーデターで親ロシア派のヤヌコビッチを追放した時点で、ロシアに対する裏切りを働きました。

だからプーチン氏は、即座にクリミアを奪取し東ドンバスに事実上の軍事介入をしました。現在のウクライナ紛争は、ここから始まっています。2022年は単にロシア軍がウクライナ本土に侵入を開始したに過ぎません。2014年から続く、一連の戦争です。国境線の戦争が本格的な戦争になっただけです。

こうやって長々と簡単ですが一式説明を聞くと、どちらかと言うとロシアに言い分のある話であり、本来ロシア領であるウクライナ領を全部簒奪したウクライナは、アコギすぎるでしょう。

ウクライナが言えるのは、せいぜい?
「お願いですから、西半分だけでも恵んでください!ロシア様ア!」
こんな程度だと思いますよ。
「西の端っこ、3分の1だけお情けでくれてやる!持ってけ!ドロボー!裏切者!二度と帰ってくるな!」
と、ロシアが言っても全然不思議でない話です。

こんなろくでなしのウクライナを、美しい物語で飾り立ててロシアと代理戦争をさせているアメリカは、極悪の限りと言えます。元のロシア領を全部ウクライナ領にしようというウクライナは、強欲の限りであると言えます。

アメリカもウクライナも❓
世間の常識を弁えろよな!!!

こんな事で戦争しているんですよ!
極悪は、どう見てもアメリカとウクライナでしょう!
欲張りすぎだわ!

※こうして歴史を見てみるとウクライナ東部と南部に親ロ派住民が多い理由が分るでしょう?ロシア帝国の時代からロシア領だったからです。今でもロシアへの帰属意識が強いのは当然と言えると思います。

クリミアに至っては、ロシア帝国がオスマントルコ帝国と何度も戦争をして奪い取ったロシア帝国の誇りを象徴するような土地です。

そんな土地をゼレンスキーは・・・
「この戦争はクリミアで終わる・・・」
ロシアにしてみれば?
寝言は寝て言え!

※こうして考えるとロシア人の感覚が分かると思います。ドニプロ川の東側はロシアの領土だと考えているわけです。
自分たちの領土を取り返して何が悪い!
こう考えていると思います。
ネオナチを排除する意味は?
第2次大戦当時、ウクライナ独立派はナチスドイツと組んでソ連と戦いました。だから現在のウクライナのネオナチは究極の裏切り者であるわけです。

子供たちをロシアに連れ帰る訳も理解できると思います。ドニプロ川の東側で生まれた子供は、ロシアの子供です。ろくでなしで反逆者のウクライナ人に育てさせることは出来ないわけです。ロシアでちゃんとロシア人として養育して教育するという意味です。

このように考えるとロシア人が現在のウクライナとの戦争を、どう考えているか分かると思います。
東ウクライナを取り戻すための戦争は、「祖国防衛戦争」になる訳です。(祖国奪還戦争)ロシアでこれが出てくると理屈は通りません。おそらく多くのロシア人は、「母なるロシア」のために戦うと思います。

それが正しいかどうかは、なんとも言えませんが少なくともロシア人がどう考えているかは、分かると思います。

※こうやって調べるほどに、ウクライナとゼレンスキー氏を応援する気持ちは、段々失せてきて❓
今では、ほぼゼロです・・・

※更に言うなら?
アメリカとウクライナのキレイで盛大なプロパガンダに!
コロッと騙された私は、本当に愚かだったと反省しています。
気が付かなかったとはいえ、1年以上ウクライナ応援日記を書いてきました。

ウクライナを応援している部分は、プロパガンダに騙された「嘘日記」です。反省してお詫び申し上げます。今後は、中立と公平の立場に立ち日記を書こうと思います。



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