旧日本海軍、乱数表を使い回し 山本巡視電は指示に反する運用 米が暗号解読、長官機撃墜・機密解除史料
2023年08月04日08時00分
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023080300722&g=soc
この記事は、アメリカの公文書を細かく読んでこの事実を解明しました。
しかし、戦時中から疑われていたことで敢えて旧日本海軍が無視していた経緯があります。外務省暗号も同じです。外務省暗号については、ドイツ側から情報漏洩のリスクが指摘されていたにも関わらず無視しました。
そしてそれを関係者への取材から丹念に調査してそれを本に書いた人がいます。アメリカ側の関係者に取材して具体的にどのようにして暗号を解読したのかを調査していました。
その本が・・
情報戦の敗北―なぜ日本は太平洋戦争に敗れたのか
(PHP文庫) 文庫 – 1997/3/1
暗号に敗れた日本 太平洋戦争の明暗を分けた米軍の暗号解読
原 勝洋 (著), 北村 新三 (著)
どちらかだと思います。
山本五十六海軍大将は1943年4月18日ラバウル基地を発進後、アメリカ海軍戦闘機の待ち伏せ攻撃を受けて戦死しました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%BA%94%E5%8D%81%E5%85%AD
その経緯は、上記に詳しく書かれています。もうその時は海軍暗号はアメリカ側に完全に解読されており、アメリカ軍は事前に衝撃計画を立てて最終的にアメリカ海軍情報局は4月17日に正確な日次・コースを把握し太平洋艦隊情報参謀エドウィン・レイトンが即断して南太平洋方面軍司令官ウィリアム・ハルゼーに対する命令書を作成したとあります。
前日に情報を探知して、当日急には出来ませんから重要人物がラバウル基地に来て移動する情報は早いうちにアメリカ側が探知して事前に襲撃計画を立てていたと思います。
※山本五十六元帥海軍大将については、日本海軍の名将の評価があるのではないでしょうか?
しかし、おそらく一番評価の高いハワイ真珠湾攻撃は、ほぼ奇跡を頼りにした丁半博打戦術です。あまりにもアメリカ海軍が怠慢であったために日本海軍の連合艦隊のハワイ接近を探知できなかったためです。もし、探知されたら壊滅に近い損害を被ったと思います。
開戦直後、取るべき戦術ではありません。外れたら、即負けですから、絶対に採用してはならない作戦計画です。
その後、日本海軍は勝ち続けます。それはアメリカ海軍の準備不足と日本海軍と海軍戦闘機部隊に対する研究不足によるものです。日本海軍は勝ち続けた理由は、開戦前に徹底的な訓練をして戦争に備えていた点にあります。戦闘艦であれ海軍機であれ訓練は十分、アメリカ側の兵士とは比較にならない戦闘力を発揮した結果です。
大本営や海軍参謀本部が優れていたからでは、ありません。
そして奇跡のようなフィリピンのアメリカ軍航空基地におけるアメリカ軍戦闘機部隊の壊滅がありました。
ハワイ奇襲されるの連絡は、当然フィリピンのアメリカ軍航空基地に伝えられました。当然、各基地から全機飛び立ち、今や遅しと日本海軍機の襲撃を待ち受けていました。
日本海軍側の出撃基地である台南基地では?
夜中から出撃準備が始まり早朝には、フィリピン上空に到達する予定でした。
ところが?
燃料と爆弾を一杯に積載した一式陸攻が離陸に失敗して大破炎上しました。滑走路が使用できるようになったのは昼頃だそうです。
基地の司令部は「どうしよう?」と相談したそうです。
「どっちにしても行くんだから今日行こう」
と言うことで話がまとまり、出撃してフィリピン上空に到着したのが昼過ぎでした。
そうなると、アメリカ軍の戦闘機は燃料が足りなくなります。全機、一斉に飛び立ったものだから全機一斉に燃料が不足し、地上で燃料補給している時に、たまたま日本海軍の襲撃部隊が到着しました。
こうしてアメリカ軍フィリピン基地の戦闘機や爆撃機は、1日にして壊滅しました。
これが日本海軍が、開戦後圧倒的に勝ち続けた本当の理由です。特にフィリピン基地の件は、実際に襲撃に参加した日本海軍のエースパイロットの阪井三郎氏が手記の中で詳しく述べています。
超半博打と2回はない大まぐれが、初戦大勝利の理由です。
※途中省略し、ミッドウェー海戦を考えます。
1942年(昭和17年)6月5日から7日、ミッドウェー島周辺で行われたミッドウェー海戦は、日本海軍のボロ負けすぎる完敗でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6
おそらく世界の大きな海戦を見ても、まれにも見ない愚かすぎる作戦でした。
◎作戦自体が机上の空論です。
◎作戦目的が2つあり最後まで、どちらなのか徹底されませんでした。
◎作戦の海域が遠すぎて、そもそも日本海軍の行動可能範囲を遥かに超えています。
◎アメリカ海軍の戦力を過小評価しすぎています。だから、こんな無理な作戦を実行しました。
アメリカ海軍との遭遇戦になり激戦でしたが、地上の航空戦力がある分アメリカに分があったようです。結果、日本海軍は空母全部とそれに搭載していた戦闘機や攻撃機の全機、そして何より大切な多くのベテランパイロットを失いました。日本海軍の機動部隊のほとんどが、人員を含めて壊滅したと言えます。
このような日本の基地から遠く離れた補給もまともに出来ないようなアメリカ軍の支配下にある海域で全力投球した博打作戦は、ボロ負けの目が出ました。
簡単に言うと、真珠湾では博打の目が日本の勝ちに出て、ミッドウエーでは負けの目に出たことになります。
だから、そのようなリスクのある作戦に機動艦隊の全戦力と言えるような戦力を投入する作戦は、してはならないのは当然です。
もし、必要があるならば日本の勢力圏の中、または近くで行うべきであるのは、普通にわかることです。
そのような作戦計画を主導した山本五十六元帥海軍大将は果たして名将であるのかどうか?
私は、大きな疑問を持っています。もし他に海軍の作戦計画を主導する大将がいたら、違う作戦を考えたかもしれません。
ミッドウェー海戦の敗北が、その後の日本海軍の敗北を決定したと言えます。それを主導した大将は批判があって当然だと思います。海軍参謀本部にも大本営にも同じ批判は、あるにしても不要な大海戦であるミッドウェー海戦を主導した落ち度は、大きいと思います。
乃木希典大将の事を思い出します。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」に詳しく、当時の事情が書かれています。
そこには陸軍の乃木希典大将と海軍の東郷平八郎元帥が出てきます。
山本五十六元帥海軍大将は、東郷平八郎元帥には全く似ておらず、乃木希典大将に共通する部分が見えるように思います。
そもそも負け戦の原因を作った将軍が評価されること自体がおかしいと思いますし、作戦計画も誤ったものであるなら評価はありません。
※あり得ないだろう!と思える事。
『日本へ帰還後の作戦研究会でも「屍に鞭打つ必要なし」として、大敗北の責任の追及や敗因研究が行われることはなかった。7月12日、山本以下連合艦隊司令部参謀達(宇垣は参加せず)は料亭で宴会を行い、着任したばかりの土肥一夫少佐によれば一同何事もなかったかのように陽気であったという。』
つまり?大敗北について誰にも責任は、なかった事になります。落ち度もありませんでした。