正教会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E6%95%99%E4%BC%9A
「正教会は使徒継承を自認し、自身の歴史を1世紀の初代教会にさかのぼるとしている。」
ローマ帝国の東西分裂が395年です。
だから、それまではキリスト教であり、現在のような形ではありません。分裂後は、正教会が東ローマ帝国の国教となります。西ローマ帝国のキリスト教は、西ローマ帝国の国教となり、時間とともに正教会との関係が薄れ現在のローマ・カトリックを形成し行ったという流れがあります。
現在では、ローマ・カトリックの方が西ヨーロッパ社会の発展とともに世界に広がりました。信者数の多さからローマ・カトリック教が、キリスト教として認識されています。
しかし、元々のキリスト教は、正教会の呼称を名乗ります。要は、キリスト教の本流は正教会にあるという意味ですね。
その後、東ローマ帝国の国教となった正教は、その帝国の中で広がっていきます。そして地理的な位置関係から主に東ヨーロッパに普及していきます。その後、東ローマ帝国は滅亡し、東ヨーロッパの正教会の信者が活動の主流となります。
そして正教会独特の組織構造も形成されていきます。
正教会の教会機構一覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%95%99%E4%BC%9A%E6%A9%9F%E6%A7%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7
その歴史的生い立ちからして、発祥時代の古い正教会が宗教的権威を持ちます。
コンスタンディヌーポリ総主教庁下のコンスタンディヌーポリ教会
アレクサンドリア総主教庁下のアレクサンドリア教会
アンティオキア総主教庁下のアンティオキア教会
エルサレム総主教庁下のエルサレム教会
言ってみれば、これが4大権威と言えます。
順位は、上から順番です。
これが、「独立正教会」と呼ばれる最も上位の正教会です。
その後、徐々に「独立正教会」として認められるメンバーが増えていきます。「独立正教会」のメンバーは、基本的に平等です。上下の関係ではなく、横の関係です。
しかし、4大権威は今も残りその最上位がコンスタンディヌーポリ総主教です。
その「独立正教会」の下に下部組織として「自治正教会」と「自主管理教会」「非自治教会」「他教会から承認を得ていない教会」などがあります。
その下に地域の正教会があります。
通常は、正教会はその上部の正教会に属しておりその上部の教会は、「独立正教会」のどこかに所属しています。
「独立正教会」に昇格すると言うことは、「独立正教会」評議会とでもいうべき世界の正教会の最高機関の一員になると言うことなのです。
つまり、コンスタンチノープル正教会総教主の承認を得てウクライナ正教会は、「独立正教会」のメンバーに昇格しました。「独立正教会」はウクライナ正教会が16番目の承認です。
正教会の組織図は、このようになっています。
ロシア正教会の傘下から離脱して「独立正教会」として認められる事には、このような重要な意義があるのです。
ロシア正教会は、それを妨害しようとしましたがウクライナ正教会の独立を妨げることは、出来ませんでした。簡単に言うとロシア正教会の行動が、よろしくないと言うことを他の「独立正教会」が認めたからだと思います。
ウクライナ正教会が「独立正教会」となった以上、自分たちのことは自分たちで決められます。だから戦争遂行に協力する邪悪なロシア正教会系正教会を追放することには、何ら問題はありません。「独立正教会」として認められたから、このようなことが可能です。
つまり、ロシア正教会はウクライナ正教会とは対等の立場にあり、ロシア正教会は侵略戦争に全面加担した以上は、他の「独立正教会」のメンバーから批判されます。正教会の名を貶めたからです。通常であれば、除名・格下げがあってしかるべきです。
正教会がピラミッド型の組織構造でありロシア正教会が、そのトップであれば、無理難題を押し通せるかもしれません。
しかし、正教会が「独立正教会」のメンバーによる合議制である以上、ロシア正教会の決定的な誤りは、他のメンバーから批判を受け、それを改めなければ何らかの処分が下ると思います。
最も重い処分は、「破門」です。
ロシア正教会以外のメンバーは、ロシアのウクライナ軍事侵略を「非」としています。
ロシア正教会は、世界中の宗教団体から非難されています。それは、そんなに軽いものではありません。