「北の山・じろう」日記

内容は主に時事問題。時々株式投資関係の記事も交じります。

21世紀の「宥和政策」(1930年代のイギリスの東方政策)<2024/07/23

2024-07-23 20:13:58 | 中立の視点で見るウクライナ紛争

☆「宥和政策」の簡単な概略
宥和政策(イギリスの東方政策、1930年代)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A5%E5%92%8C%E6%94%BF%E7%AD%96
イギリスの保守・右翼勢力はナチスを防共のための必要悪と見なしていた
ナチスを政権の座から引きずりおろせば、共産党がドイツの政権を掌握し赤化すると主張していた
イギリス保守党内にも、ナチズムに共鳴・心酔する者や、ヒトラーを強い愛国的指導者として賞賛する者が多かった

反独の代表格とされるチャーチルの当時の発言
「ナチス政体を嫌う人でも、ヒトラーの愛国的偉業には嘆賞を惜しまないであろう」
「我が国にもそうした強い指導者が現れて、我々を列強の地位に連れ戻してほしいものだ」
英首相のスタンリー・ボールドウィン
「ドイツが東方へ進出することを希望している。私はボリシェヴィキとナチスが戦争を行うのを見てみたいものである」
「独ソが軍事衝突することを望んでいる」
(次の首相のネヴィル・チェンバレンも同様の考え)
隣国フランスの保守・右翼勢力も、イギリス国内のそれとほぼ同様であった

※これが「宥和政策」と呼ばれる1930年代のイギリスの東方政策です。
「敵の敵は味方」の見事なまでの冷酷な論理です。
共産主義(ソ連)の西側への浸透を防ぐために、ナチスドイツを利用しました。
その結果、ナチスドイツの政策の東方進出に暗黙の了解を与えました。東に進めば、やがてナチスドイツはソ連と国境を接することになります。
ナチスドイツがソ連と戦争して、共倒れになることを期待しました。

※「ミュンヘン会談(1938年)」の愚を犯してはならない・とロシアとの和平について西側がよく言います。
『ミュンヘン会談(1938年)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%B3%E4%BC%9A%E8%AB%87

しかし、実際には当時のイギリスのナチスドイツ宥和政策の一部であり、ナチスの暴挙を黙認する代わりの外部に対する言い訳が、「ミュンヘン会談(1938年)」の否定です。
「ミュンヘン会談(1938年)」であろうとイギリスが期待していたのは、ナチスとソ連の戦争です。

「独ソ不可侵条約1939年」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E3%82%BD%E4%B8%8D%E5%8F%AF%E4%BE%B5%E6%9D%A1%E7%B4%84

しかし、ドイツは対ソ連戦争の前に西ヨーロッパに後背地を占領することを先に行いました。後ろを安全にして、その後ソ連との戦争に踏み切ろうという考えです。

イギリスの「宥和政策」を逆利用されてしまいました。

☆「ミュンヘン会談(1938年)」の愚を犯してはならない
この意味は、「騙すつもりで騙されてはいけない」程度の意味です。

☆当時騙されたイギリスが、ムキになって「ミュンヘン会談(1938年)」を否定するのは、このためです。
イギリス外交の世紀の赤っ恥だからです。

☆そこで『21世紀の「宥和政策」』です。
ナチスドイツ⇒ウクライナ
ソ連⇒ロシア
こう置き換えてみると、ほぼ同じ構図です。
しかも現在のキエフ政府には、ナチスドイツの思想が色濃く反映されています。西ウクライナの(過激)民族主義には、歴史の錯綜によりナチスドイツの思想が今も残っています。
だから、ほぼ同じと言うことです。
今の西ウクライナの(過激)民族主義国家のウクライナは、昔のナチスドイツよりははるかに虚弱であり利用しても安全だと考えているのでしょう。

こう見てくると2022年4月、当時のイギリス首相のボリス・ジョンソンが急遽キエフに乗り込みロシアとの和平協議をブチ壊した理由も見えてきます。
ロシアと戦争させようと考えているのですから、勝手に停戦されては困るわけです。

以上は、イギリス的立場から見たウクライナ紛争に関与する理由です。
ウクライナを利用してロシアと戦争させてロシアを叩くという意味では❓
1930年代のイギリスの「宥和政策」と、ほぼ同じ構図が見えてきます。
「ミュンヘン会談(1938年)」を持ち出してくるのは、正反対の意味に使っています。
「ミュンヘン会談(1938年)」はイギリスの「宥和政策」とほぼ同じ意味です。

「ミュンヘン会談(1938年)」を否定するなら「イギリスの宥和政策」も否定されなければ、なりません。
今の流れは、「ミュンヘン会談(1938年)」は否定し「イギリスの宥和政策」(=ウクライナとロシアの戦争)は肯定するという実にご都合主義の矛盾したことを言っていることになります。

そしてイギリスのやることは、時代が変わっても同じです。ナチスドイツの代わりにウクライナを嗾けてロシアと戦争をさせています。
イギリスがロシアを潰したいのは、イギリスと言う国家に刷り込まれた遺伝子なのでしょうね❓
ロシアの南下政策と同じように、ロシアの南下政策をことごとく妨げようとするのが、永遠に変わらないイギリス外交です。

形や状況は違えど、「歴史は繰り返す」ものなのだなアと思った次第です。
※今回は、ロシアの西方進出を妨げています。


※関連記事目次
「中立の視点で見るウクライナ紛争」の目次⑤
https://blog.goo.ne.jp/kitanoyamajirou/e/e2c67e9b59ec09731a1b86a632f91b27



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。