「北の山・じろう」日記

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ウクライナ紛争は、アメリカのNATO東方拡大政策の最後のピース<2024/09/19

2024-09-19 18:50:19 | 中立の視点で見るウクライナ紛争

ウクライナ紛争だけを切り取って、西側のマスコミは報道しています。その内容については詳しくは省略。簡単に言うとアメリカのNATO東方拡大政策を胡麻化しています。全体を見せずにウクライナ紛争だけを切り取って強調して、ロシアを侵略国家に仕立て上げて極悪の烙印を押しました。
もっとも、この誤魔化しが通用するのは西側世界だけです。

本質は何かと言うとアメリカのヨーロッパでのNATO東方拡大政策の最後のピースが、ウクライナ紛争です。ウクライナ紛争が単独であるのでは、ありません。

アメリカが明確にNATOの東方拡大政策を打ち出したのが2008年4月ブカレストで開催されたNATO首脳会議です。この時はフランスのサルコジ大統領やドイツのメルケル首相がロシアとの摩擦を懸念して、相当反対しました。だから、やや言葉が弱められています。
主導したのは、当時のアメリカ大統領のブッシュJrです。
大体、分かりますね❓
当時、アメリカで全盛のネオコン勢力が計画したものです。
東方拡大した後、どうするのか❓
これは文章では示されていません。普通に考えるならロシア封じ込めかロシア潰しでしょうね。
つまりアメリカからロシアに出された「縁切り状」です。

<その当時の記事>
NATO首脳会談、グルジアとウクライナの加盟は先送り
2008年4月4日 8:43 発信地:ブカレスト/ルーマニア [ ヨーロッパ ルーマニア ]
https://www.afpbb.com/articles/-/2373606
ロシア大統領、NATO首脳と会談 「冷戦回帰」否定でも成果なし
2008年4月5日 4:38 発信地:ブカレスト/ルーマニア [ ヨーロッパ ルーマニア ]
https://www.afpbb.com/articles/-/2374030

<それをプロパガンダとフェイクニュースで胡麻化した記事>
③ブカレストNATO外相会議が浮き彫りにしたウクライナの苦悩
2022.12.8
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00023/120700360/

事情を知らずに③の記事を読むと本当だと思います。
しかし、これは大嘘の内容を含んでいます。
ウクライナはNATO加盟は2013年までは外交方針ではありません。やはりロシアの介入を恐れて中立が外交方針でした。
ウクライナをアメリカに取り込むために行われたのが2014年の暴力クーデターです。アメリカの傀儡の西ウクライナの過激民族主義者がアメリカの支援を受けてクーデターを決行して、政府を乗っ取りました。
このアメリカの意を受けた西ウクライナの過激民族主義者を中心とする勢力が、ウクライナの外交方針をNATO加盟路線に強引に変えてしまいました。

現在に至るウクライナ紛争の引き金を引いたのが、この2014年暴力クーデターです。
これについては、既に何回も書きましたので省略します。

実は2008年の前からアメリカは、謀略を行っています。

アメリカの東方拡大政策には、3つのピースがあります。
ベラルーシとジョージアとウクライナです。
ベラルーシとジョージアにも傀儡化工作を行っています。

ベラルーシの民主化勢力と呼ばれるグループが、アメリカのベラルーシ傀儡化の手先です。ベラルーシは、大統領のルカシェンコが独裁体制を確立しており、NATOの勢力の排除の成功しました。ベラルーシはロシアの内政干渉を回避し、同じようにNATOの内政干渉を排除するのに相当苦労しています。その度にベラルーシ国内は揺れ動きましたが、ルカシェンコは今のところベラルーシの独立を守り抜いています。
こんな視点でベラルーシを見たことは、ないでしょう❓
欧州の最後の独裁者ルカシェンコのイメージしかないと思います。ルカシェンコは強権を持ってロシアからの介入もNATOからの介入も退けてベラルーシの政治的独立を守りました。
アメリカの謀略は、ベラルーシでは失敗したと言えます。

ジョージアでは、そうではありません。
ミヘイル・サアカシュヴィリ
2004年1月25日 から2013年11月17日まで大統領の座に君臨しました。
ほぼアメリカがバックにいると思います。

強硬な反ロシア政策を取り・・・・・
『2008年8月7日、グルジアが南オセチア自治州へ軍事侵攻し、同日の記者会見で同地域の大半の制圧と州都ツヒンヴァリの包囲を宣言した・・・』

まるで2008年4月のNATO首脳会議でのNATO東方拡大決定に合わせるかのように国内で戦争を始めます。
即座にロシアの軍事介入を招きロシアとの戦争になりました。
南オセチア紛争 (2008年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E3%82%AA%E3%82%BB%E3%83%81%E3%82%A2%E7%B4%9B%E4%BA%89_(2008%E5%B9%B4)
<引用>
『 2008年8月28日 プーチン首相が米CNNに対し「武力衝突は大統領選で(ロシアへの強硬姿勢で知られる)共和党マケイン候補を有利にする為に、ブッシュ政権がグルジアを煽ったものだ」と厳しく米国を批判した。』

プーチン氏の主張の通りかどうかは不明です。
しかし前後の流れを考えるとアメリカの影響が何もなかったとは考えにくいと思います。

そして、その後ジョージアでは独裁者のミヘイル・サアカシュヴィリに反対する政治運動が激化して選挙で敗北したサアカシュヴィリは大統領の座と政治権力を失いました。これが2013年です。その後、事実上ウクライナに亡命しました。
これがピースの2番目です。
どちらでもアメリカの謀略は失敗しました。


ピースの3番目がウクライナです。
サアカシュヴィリがジョージアで失脚した年(2013年)、ポーランドのCIA基地ではウクライナから西ウクライナの過激民族主義者、暴力極右、ネオナチなどが集められて組織され訓練されていました。相当な人数だと思いますよ。
これが暴力クーデターの実行部隊です。
そして2014年暴力クーデターが決行されました。
その結果、政権簒奪に成功しました。
これが今のキエフ政府です。

こうして流れを見てくるとウクライナがアメリカの東方拡大政策の最後に残った最大のピースであることが分かると思います。
アメリカがその後、やったことはウクライナの軍事力を強化してロシアと対抗させることです。
ゼレンスキーは、2021年10月に東部独立派への攻撃を激化することでミンスク2合意を破棄し、ロシアの軍事介入を(ロシアに)決断させました。

ウクライナ紛争は、アメリカの東方拡大政策の帰結にすぎません。それを胡麻化すために「ロシア極悪論」を盛大にプロパガンダしてフェイクニュースで補強しているだけです。
これにコロリ!と騙されている「おバカ!」な某国の国民!本当にバカだと思います。財布代わりにされているだけです。

こうやって見てくるとウクライナ紛争の本当の姿が分かると思います。
アメリカのNATOを巻き込んだロシア潰しが成功するかどうか❓
何だか旗色が悪そうに見えます。
アメリカの代理人のゼレン某は、最近ジタバタしていますね❓
(ほぼ成算のないクルスク侵攻作戦をやってみたり❓)
負けそうだからです。


※関連記事目次
「中立の視点で見るウクライナ紛争」の目次⑥
https://blog.goo.ne.jp/kitanoyamajirou/e/e2c67e9b59ec09731a1b86a632f91b27



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