7月6日に希望していたリハビリテーション病院に無事転院を済ませ、“ワイフ君”と一緒に主治医からどこまでの回復を望んでいるかと質問され、支障なく歩けるようになることに加え、自動車の運転は絶対にしたいと答えました。右足の麻痺はなかなか手ごわそうでしたが、最悪の場合には改造車に頼ってでも運転はしたいとずっと考えていたのです。
震災後に新築された病院のとても綺麗な4人部屋には先の入院者がお二方おられました。翌日からは先輩入院者に混じって本格的なリハビリが開始されました。まず最初は、言語聴覚士さんからIQテストのような問題なども含め、注意力と思考回路を試されていると思われるような様々なテストを受けました。これはわたしが運転をしたいと希望していることにもかかわっているということでした。
さて、いよいよわたしの麻痺した右半身への一日3回のリハビリの開始です。作業療法士さんからの右手の動きを中心にしたリハビリが1回と、理学療法士さんによる右足の動きと歩行に関するリハビリが2回、それぞれ時間は1時間。一日3時間のリハビリなんてとてもユルイと思いましたが、後々これはなかなか手ごわいぞと思えてくることになるのです。当初わたしは、麻痺した右半身がリハビリによって治ってくるというようなイメージを持っていたのですが、失われた脳細胞が生き返るはずはないのですから治るはずはないのです。この間衰弱してしまった手足の筋力を復活させながら、失われた右半身への命令系統の部分を新しく構築して日常生活にできるかぎり支障の無いようにしていくということのようです。
病室にはわたしと同年代の方がいて、その方もわたしと同じ病状で右半身に麻痺を抱えていました。以後、この“Mさん”とはリハビリの同志としてとても仲良くしていただくことになりました。わたしは、今回の転院に際してタブレットを2台持ってきたのですが、病院内にはwi-hi設備がなくネットが使えない状態でしたが、“Mさん”がご自分のスマホのためのwi-hiをご好意で使わせてくださったのです。
そのおかげで、こうしてノートPCまで持ち込んでブログの更新ができているというわけです。“Mさん”とはリハビリの担当者なども違っているので、互いにリハビリの情報交換などをしながら有意義にとても楽しく入院生活を送っています。これは本当にありがたいことです。
★【脳梗塞とリハビリの日々①】はこちらから/【脳梗塞とリハビリの日々⑦】へ
転職しました。今度は郡山市内で勤めています。ウチから15分。給料はグッと下がりましたが,早く帰宅して夕飯作りをしているので,家族には喜ばれているようです。
この様な状況になったのも、元はといえば自身の不摂生が一因ではあると思うのです。
心配している家族や身近な方々には申し訳なく思うのですが、リハビリで日々進化している今の状況を楽しんでいるようなところもあるのです。これは、同じ境遇にある方々が大勢いるリハビリテーション病院だからだと思います。
“Mさん”には本当にお世話になっているのです。パソコンで一緒にyoutubeなどを見ながら大笑いしています。
“ケンヂさん” 新しい仕事につかれたこと良かったですね。まずは人生お金より楽しいことが一番です。
そのルールで私は完治しないまま、リハビリ仲間と一緒に、150日目にリハビリを強制終了させられたあの苦い記憶がよみがえります。
あの頃から治療師の先生が「まず、何をできるようにしたいですか?どこを回復したいですか?」と聞くようになった気がします。
おっしゃる通り、患者さんの希望による回復の目安によって150日以内に退院時期を決めようということなのでしょうね。ただ、病状によっては健康保険適用期間の150日では不十分な方々も当然いらっしゃるでしょうね。
このルール制定も小泉総理のときだったとは知りませんでした。根本にあるのはやはりお金、病院側の診療報酬の問題なのですね。
病室でブログを更新できるのはいいですね。
まぁ無理はなさらずに、楽しくリハビリに励んで下さいね。何事も楽しく取り組めるのがいいと思います。
早く自動車と自転車に乗れるように頑張って下さいね。
PCは指のリハビリだと思って使用しています。本当は映画や音楽がメインだったりしますけど。
きょうは日曜日ですがリハビリが3時限あります。リハビリに休みはありません。あたりまえですね。
自動車の運転がしたいです。できるようにがんばります。おそらく自転車には乗れるはずです。距離は未知数ですが・・・。
いつも応援ありがとうございます。
どんなかたちであっても自動車の運転だけはしたいと思っているのです。
たしかに、いまは自動運転などの技術革新が急激に進んでいますから、そういう手段を利用することも大いに考慮に入れたいと思います。
いつも貴重な情報をありがとうございます。