(2019.11.18 草加松原遊歩道の「矢立橋」を渡る:埼玉県草加市)
11月18日、きょうは胃がん手術後3ヶ月おき3回目の定期検診なんです。
午前6時半に家を出て、いつものように常磐自動車道を利用して草加市へと向かいます。助手席には“ワイフ君”がいます。往復で500キロほどになりますから1人だと退屈してしまうんです。
ここは草加市にある某ショッピングセンターの屋上駐車場です。病院のほうは「血液検査」と「レントゲン」と「胸部のCT」をスムーズに済ませて来ました。あとは午後3時半からの院長先生の診察なので、早めのお昼を食べてここに来たという訳なんです。
ショッピングの前に、モールから少し歩いてやってきたのは綾瀬川沿いにある「旧日光街道」。前方に見える和風の太鼓橋が草加のシンボル「矢立橋」。そしてもう一つ対をなす「百代(ひゃくたい)橋」というのがあるのだそうです。退屈な病院につき合ってくれた“ワイフ君”に、それをぜひ見せてやりたかったのです。
綾瀬川沿いの旧日光街道が国指定名勝「奥の細道風景地 草加松原」。その遊歩道にかかる歩道橋が「矢立橋」というわけです。
ほら、いいでしょう!『長さ96.3m、幅員4.14m』の和風太鼓橋。橋の名前「矢立橋」の由来は芭蕉の奥の細道『行く春や 鳥啼き魚の 目は泪 これを矢立の初めとして・・・』から来ているのだそうです。
橋の上からは旧日光街道の松並木が見渡せます。「日本の道100選」にも選定されているそうで、当時からの松の木に加えて植樹し、東京スカイツリーの高さに因み634本の松並木としたそうです。
対岸は「まつばら綾瀬川公園」になっています。
途中にあった「ハープ橋」を渡って対岸に出ます。
これが対岸から見た約1.5キロの「草加松原」、江戸時代には「千本松原」と呼ばれていたそうです。
「漸草庵 百代の過客(ぜんそうあん はくたいのかかく)」という日本文化芸術関連施設には和風のお休み処があったりしました。奥の細道を世界に広めた日本文学者ドナルド・キーン氏に命名いただいたのだそうです。因みに“ワイフ君”はドナルド・キーン氏を存じておりました。わたしは「うーん・・・」。
見えてきました。あの橋が「矢立橋」と対を成す「百代橋(ひゃくたいばし)」です。
「百代橋」から先にも松並木は続いていますが、わたしたちはここから「矢立橋」の方へ戻ることにしました。
昭和40年代になり、自動車通行量の増加による排気ガスの影響で松の成木は60数本にまで減少してしまったそうですが、その後の捕植や移設などで現在は先述の634本まで回復しているとのこと。
たしかに、往時から生き抜いたと思われるひときは太い松の木は、高さもあってとても立派なんです。
渡り終えた「百代橋」をパチリ。
反対側からもパチリ。左側の道路が現在の日光街道(県道49号線)です。
晩秋の風物詩「こも巻き」がとても綺麗に施されていて風情があります。
運動嫌いの“ワイフ君”ですが、よほどここがお気に召したようで今日はとても良く歩きます!
さあ、出だしの「矢立橋」まで戻って来ました。橋を渡り終えてその先まで行ってみます。
矢立橋から先は「札場河岸公園(ふだばかしこうえん)」になっていて、芭蕉の銅像や望楼(ぼうろう)と呼ばれる見晴らし櫓(やぐら)がありました。
中に入ってみました。靴を抜いて上に上がってもみました。
木目調の鉄骨造りの橋とはいえ、和風太鼓橋のとてもいい雰囲気が伝わってきますよね。やっぱり草加のシンボルというだけのことはあります。
「さあ、次へ行くぞ“ワイフ君”!」
草加市観光はまだ続きます・・・。
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