(2024.12.2 7:56am ずっと山頂が隠れたままでしたが、今朝は頂上まで・・・大きな画像)
12月2日、今朝の安達太良連峰は雪を纏った山頂もよく見えています。ふと頭をよぎったのは『白きたおやかな峰』なんていう題の本があったなということでした。
『白きたおやかな峰』は北杜夫の書いた小説。しかし、この題名をめぐって三島由紀夫と論戦があったとは知りませんでした。三島由紀夫は「白き」としたならば、「たおやかなる」でなければならないと論じたそうです。
対して『三島由紀夫も母親のことを「お母さま」と呼んでいたと北杜夫がばらしている。ともに上流の家で育ったお坊ちゃまだったのだ・・・』(計量計測データバンクニュース 2018.8.31より)
「売り言葉に買い言葉」的な焦点のずれた論戦に少し笑ってしまいました。
文法上どうなのかということについては、わたしは全く分かりません。
三島由紀夫がどのような根拠からそう言い切ったのかは分かりませんが、北杜夫が全く違う切り口で反発したところをみると、どうも三島由紀夫に分があるようにも思えます。
多分に物書きとしてのニュアンスの問題かなとも思うのですが・・・。
“tadaoxさん”ならどちらに軍配を上げますか・・・
三島由紀夫と北杜夫の論争、どっちが正解というよりどっちもアリなんでしょう?
北杜夫も三島が母親のことを「お母さま」と呼んでいたと筋違いの暴露をするところが面白いですね。
安達太良のたおやかな〈る〉峰を眺めながら愉快な気持ちになりました。
北杜夫「どくとるマンボー」シリーズは定番ですが、わたしは高校生の時読んだ「さびしい王様」が面白かったのを覚えています。
肩肘を張らない優しい簡潔な文章が大好きでした。
それは星新一などと共通するところで、わたしは彼の小説(ショートショート)も大好きです。
"それにしても、人はその反芻をまったく無意識につづけながら、なぜかふっと目ざめることがある。わけもなく桑の葉に穴をあけている蚕が、自分の咀嚼するかすかな音に気づいて、不安げに首をもたげてみるようなものだ。そんなとき、蚕はどんな気持ちがするのだろうか。 "
「ふるさとの山」というのでしょうか、みなさんそれぞれにもきっとこ自分の“山”があることでしょう。
しかし、安達太良山は別格です。ハハハ
雪景色も素晴らしいです!(^^)!