それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

文科省文書の怪-情報リテラシー

2017-06-16 14:22:44 | 教育

 前文部科学次官が提示した文書について、それが文科省に存在するのか否かが問題になっているという.何という低次元な問題処理であろう。情報リテラシーの育成は、文科省が推進すべき課題の一つではないか。
 ハードディスク内に、「○○」という名称の文書があるかどうかは、検索すれば瞬時に明らかになることである。検索語は、「総理」「意向」である。「意向」は、は変換ミスで「威光」となるかもしれないが、意味としては間違っていない。
 存在しては困る文書の場合は、①文書の存在を確認する作業をしないか、あるいは、②存在しそうにない部署のPCや職員を対象に調査する、あるいは、③あったけれども箝口令をしいて、なかったように振る舞うなどの対応策が考えられる。今回は、これらが複合的に使用された可能性がある。
 副大臣は、公務員の守秘義務まで持ち出して、不都合な文書が外部に漏れることを法的に防衛する趣旨の発言をして批判されている。一般論として逃げているが、彼の経歴から見ると、いかにも官僚的に堕落していて男らしくない。(男らしくないは、セクハラだろうかと思いつつ、最近は、生きのいい女性を称して「男前」と言い、特に問題になってもいないようである。)守秘義務を楯に、一切の情報を閉じ込めれば、官僚、政治家はしたい放題であろう。守秘と、一見矛盾する、情報公開、公益性などをどう考えるのか。
 官房長官に至っては、当初、前次官の提示した文書は、「出所の分からない怪文書」と言っていたのに、文書の存在が確認されて以降は、「事実を真摯に受け止める」、「『怪文書』という言葉が一人歩きした。」などと、さすがは政治家というほどに意味不明で不敵な責任逃れをして、取り巻く記者を圧倒していた。
  19文書のうち、14文書の所在が明らかになったというが、残る5つの文書は何だったのか。また、調査対象以外の文書も出てきたというが、それは何だったのか。そもそも19文書というのは、誰が確定した数字であるのか。
 分からないことだらけであるが、問題は、文書があるかないかではない。出てきた文書の内容が、特定人間や団体等への利益供与という、公平性を欠く行為になっていないのか、総理の権力の不当行使になっていないかどうかであろう。似たような問題としての森友学園問題も、解可決済みのこととは言えない.野党も追及の姿勢、方法が不徹底で能がない。(ある評論家は、「死なばモリトモ」などと揶揄しているが、庶民はこの程度の反抗しかできないのである。選ばれて助成金や給与をもらっている政治家は、もっとがんばってもらいたい。もっともこういう政治状況を招いたのは、選挙権を持つ国民、つまり我々であってみれは天に唾する行為でもあるが……。