それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

女性脳と男性脳

2017-08-21 22:20:04 | 教育

 

 作文にしろ、スピーチにしろ、その構成(スピーチの原稿も含めて文章構成と呼んでおこう。)は、重要である。欧米では、作文のことをcomposition と呼ぶが、その意味は、「構成」「組み立て」である。美術では構図、音楽では作曲であるが、いずれも、単位・要素を特定の目的のために構成、構造化する行為である。作文の場合は、単位となる段落の組み立て方を言う。
 作文を例に取れば、その内容の組み立てが、時間軸に沿ってはいるが、だらだらと進行し、主題や主張がはっきりしないものがある。
 小論文の作成指導に際しては、学生たちに、最初の段落(つまり)「はじめ」に、主張、結論を書けというが、なかなかそれができない。その理由を探ってみると、いくつかの原因に行き着く。
 その一つは、わが国の児童、生徒は、幼い頃から、「日記」や「生活文」を書いている。生活文においては、この種の文章は、作文のジャンルとしては世界的に希有なものであるが、エッセイ(随想やおはなし)の類だとみれば、世界第一級のできばえである。しかし、それが災いすることもある。
 日記や生活文は、時間軸に沿って書くのが普通である。極端な場合には、「ぼくはけさ6時に起きました。」などと書き始めることが可能あである。書く前に、主題がはっきりしていなくても、書いていくうちに明瞭になってくることもある。もっとも、書くという行為には、書いていく過程で初めて分かることがあるのが特徴であるが、そういうレベルの話は、今は措いておこう。
 日本の子どもが、小論文をはじめとする論理的文章に苦手意識を持つのは、この小学校、中学校時代の作文の特徴と関係があろう。
 今、読んでいる雑誌、『新潮45』9月号に、おもしろい記事がある。「なぜ妻は夫にムカつくか」(黒川伊保子・人工知能開発に従事している。)
 彼女は、以下のように言う。
「この世には、何語であろうと二つの会話スタイルがあり、女性は主にプロセス指向共感型で、男性は主にゴール指向問題解決型で対話を進めたがる。」(p.42)
 そう言えば、いつも感じていたことであるが、家内と話をしていて、いつもそのノロノロした進行具合にイライラして、「結論から話せ。」と小論文みたいな要求だと思いつつ、批判をしていた。女性脳は、丹念にプロセスを追っていかないと認識方法としても表現方法としてもしっくりこないもののようなのである。このことを知って、私も、やや冷静で寛容になった(ような気がする)。とはいえ、プロセス重視でない女性も、プロセス型の男性もいるので、一概には言えない。それで、黒川女史は、「主に」と、上手に逃げているのである。これは見方によればセクハラか?と思うが、主張している人が女性であるから、単に、事実に関する科学的な見解に過ぎないのかもしれない。
 彼女は、次のようにも言っている。
「こんな重要なことを、なぜ、義務教育の国語か家庭かで教えないのであろうか。」とも言っている。これは危うい主張のようであるが、少なくとも、こういうタイプが女性には多いよ。」「男性には、こういう考え方する人が多いよ。」という指摘は必要かもしれない。その上で、性差を超えて、両タイプの思考方法の良さと問題、使いこなす技量の修練をさせるのがいいかもしれない。わが国の場合、単なる性差と言えないのは、上記のごとく、小、中学校時代の作文のジャンルの特徴の影響もあるからである。かくして男女ともに、主題明示、問題解決型の文章は得意とは言えない状態であるが、男女の脳の特性を理解しておくことは悪いことではなかろう。 


待遇表現にかかわる疑問

2017-08-21 15:13:41 | 教育

  下に掲げるのは、秋篠宮とご長女のハンガリー訪問を報じた朝日新聞のネットニュースの一部である。
  日本語は、微細な待遇表現を上手にこなす仕組みになっていると思っていたが、どうも皇室関係の新聞報道の表現には違和感がある。全国紙の中では思想的に左の極にあると思われている朝日新聞に特有のことかと思っていたが、読売新聞の場合も、ほぼ同様であるところを見ると、日本のジャーナリズム一般の問題のようだ。
 私なりに、違和感のある部分を、(太字)という形で代案を提示してみた。最低限の修正である。「お二人」「……様」は、当然、文末までを支配する語句である。途中で、敬意を失っているかに見える表現のゆがみが、違和感を生じる元である。
 私の立場は、特別に皇室の思い入れがあるとは言えないが、日本語の使用者として、同意できないものがあるという意味で取り上げてみた。
 ジャーナリズムの場合、中途半端な敬意しか表現できないのであれば、はじめからニュースとして取り上げないのがよい.ニュースは、すでにあるのではなく、作り出すものであるから、作らなければよいし、ニュースにするのなら、それなりの覚悟と用意をして、言語表現の規則を守り、報道者の責任を全うすべきである。

*******************************************************************************************************************

 ハンガリーを訪問中の秋篠宮さまと長女眞子さま(25)は20日、首都ブダペストから南へ約100キロのキシュクンシャーグ国立公園内にあるブガツ・プスタ(大草原)農場を訪れた(訪問された)。家畜の研究者でもある秋篠宮さまが8年前に公務で訪れて関心を持ち(持たれ)、今回は私的旅行として、婚約内定を目前にした眞子さまを伴って再訪した(された)。

 お二人は馬車で農場に到着し、馬術ショーでハンガリー伝統の騎馬技術を見学。さらに雨が降る中、ハンガリー固有種で「食べる国宝」とも言われるマンガリッツァ豚の畜舎を訪れ、「脂身が良質です」などと話すマジャール・ガボル国立公園副園長の説明に耳を傾け(られ)た。

 マンガリッツァ豚はハンガリーでも一時は飼育農家が減り、国を挙げての保護策で絶滅の危機を逃れた。眞子さまは秋篠宮さまの傍らで身をかがめ、毛が多く、羊のようにも見える豚を興味深そうにのぞき込んでい(おられ)た。マジャール副園長によると、秋篠宮さまは専門的な質問をくり返し(され)、いったんその場を離れたあとも写真を撮るため再び豚舎に戻っ(られ)たという。

 秋篠宮さまは日本とハンガリーの外交関係開設140周年などで中東欧4カ国をご夫妻で歴訪した2009年にも同じ農場を視察し(され)た。しかし、関係者によるとそのときには十分な時間がとれず、再訪を心待ちにして(されて)いたという。

 お二人は、眞子さまの専門である博物館資料など、それぞれの調査研究を目的に22日までの予定でハンガリーを訪問中。前日の19日はブダペストで民族博物館や農業博物館を訪ね(訪問され)た。21日には国内のマンガリッツァ豚の生産農家も訪(問さ)れる。(ブガツ=喜田尚)