(バオバブの木・オーストラリア原産)
NHKの朝ドラマ「わろてんか」では、戦時下の場面が続いている.朝、出勤、登校前に、こんな暗い世相を見せつけられるのは遠慮したいと思いつつ観ている。前回は、ついに「非国民」なることばが、町内会の役員の口から飛び出した。それで、思い出したのが、自民党議員経由、文科省から名古屋市の中学校で行われた前川・前文部事務次官の講演についての「詰問メール」である。
権力(国家)が、学校の教育内容に干渉、介入することの是非は、わが国の教育の歴史における一大問題であり、国と教組とは、長い間対立してきた。今回の問題に関わった自民党議員は、文教部会の会長と副会長であったが、この問題の重大性を認識した上でのことであろうか。いわば、軽率に「非国民的行為」と考えて、正義の味方を気取ったのであろうが、与党からも批判される結果となった。おそらく選挙民、自民党からは賞賛されると考えた上のことであったろうに……。(市教委、中学校校長の対応は、なかなかのものであったことも付記しておこう。)
教組優勢の時代の出来事だったらおそらく国会はデモ隊に取り巻かれるような自体になっていたであろう。こういう力関係にも問題があったが、こんにちは、国家、行政優位の時代で、これも問題を抱え込んでいる.先日は、四国の学校だったと記憶しているが、校内分掌(学校内での役割分担)を、教員相互の話し合い、投票で決めたというのが問題となり教委から注意を受けたという.校長の権限を奪った、制限したというのである。何の問題もないことだろうが、大きな問題のように扱われた。この頃は、教員の会議は、校長による伝達の場(上意下達の場)になり、意見の交換、意思決定の場でなくなっているという。そういえば、大学の教授会も同様であった.よほど、国家、行政機構、管理職に自信がないのであろう。権威・権限でもって押し切るという非民主的な手法は、近隣の不自由な国に見られるものと同じである。
世の中の、こうした力関係は、それを許容する国民、大衆の考えと無関係ではないところに、また重大な問題がある。
戦時中に、非国民を糾弾する人々の背後には、それを是認する多くの人々の意思があったはずである。無謀な戦争に踏み切った原動力にも、国民の意思があった。恐ろしいのは、戦後になって、一転して民主主義、自由主義を賛美するようになったのも、国民・大衆の意思であったということである。国民の意思を忖度する政治家が出てくることは、十分に想定できる。それを警戒すると同時に、自分自身の立ち位置についての反省的思考ができるようでありたい。