それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

ものづくりの良心

2018-05-01 22:17:07 | 教育

 (庭で実った、今年のリンゴの一部)

 先日、購入して4年目の全自動洗濯機の一部が故障した。洗濯に重大な影響があるかどうか不明であったが、購入先の量販店に出かけ、翌日修理担当の人間が訪れて、故障の状態をチェックして帰った。連休中という間の悪い時期であるが、どうやら洗濯はできるらしい。
 故障の状態をやや詳しく説明するなら、うち蓋の蝶番を固定するための小さなプラスティック部品が損傷したようだ。私が壊したのではないので詳細は不明であるが、たぶん原価10円以下の部品のようである。修理担当の言葉では、故障した部品のみの交換は不可で、部品を固定している金属の大きなリング状枠ごと交換しなくてはならないという。

                                                 

  なぜ着脱可能な部品の構造にしないのか、そもそも堅牢な金属製にしなかった理由は何か。長期保障期間であったので私は構わないが、もしも、これが、近くに修理をしてくれる店舗や向上のない土地での出来事であったなら、ずいぶん困ったことになるだろうと想像する。メーカーは、日本の大企業であり、海外にも同じものを輸出しているだろう。この度の部品故障のような事故が海外で発生した場合の対応の仕方を考えると、もはやお手上げであろう.わずかな価格の部品、それを壊れやすく、修理しにくく製造している姿勢に、良心は感じられない。電化製品は、半永久的に丈夫に製作したのでは経営上困るのであろう。それにしても、メーカーの良心、時に日本の良心を問われかねない行為である。
 低価格の、小さな部品の損傷によって、機器全体が動かなくなるということは少なくない。高価な製品を、つまらない故障で廃棄したことも少なくない。特に安価なプラスティック部品の劣化が原因であることが多い。(芝刈り機のアームのプラスティック部の破損、掃除機の車の故障、長いカーテンレールの溝カバー部分の破損などはその例である。一眼レフのSDカード挿入部の不具合にも悩まされた。もっと丈夫な造りにしてくれていればと思うものは少なくない。)古い時代の製品は、もっと長持ちするように製造されていたようだ。私の子ども時代には、いつのものか分からないほど古いものがあり、しかもどうにか機能していたような記憶がある。プラスティックなどという安価で加工しやすい材料がなかったせいだろうか。
  壊れやすいものの氾濫する背景には、ものづくりの知恵、技術だけでなく、ものづくりを支える思想に問題があるのであろう。少なくともユーザー優先の視点を失わないように配慮すべきである。


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