私は小川を挾んだ高い場所で待つことにした。下からこの土手に上がれそうな場所
で、しかもそこは雪も少なかった。それまで雪の行軍をしていたのでカッパの中は汗
とムレでビショビショに濡れている。これが待ちをしている時に冷えてくると寒さでガ
タガタと震えがくる。その内、足が冷たくなり炬燵が天国に思える。
一方、出曽根に向けて出た部隊は孟宗竹の藪の中で苦戦している。雪で竹が倒れ、
その上に雪が溜っているから、歩くと竹を踏み外し前に進むのがやっとだという。
『出た、下に向かった』とトランシーバーががなりたてた。
私は雪の少ない南側の斜面を注意深く見ていた。すると大きな猪がノッシ、ノッシと走
る姿が見える。斜面に猪を隠すものは何もなく全身がよく見える、腹をだぶつかせなが
らブッブッと息をしながら走る身体からは湯気が出ているようにも見える。小川に降りた
途端、枯竹や枯木を踏む音がし出し、すぐに私の前に出てくると思った。しかし音は通
過しそうで、あわてて身を屈め土手を奥に向けて移動した。5メータほど進み最初に見
ておいた雪の少ない所で銃を構え猪を待った。川からこちらに方向を変えて最初の一
歩の所で引き金を引いた。自分はもっと慌ててどうなるのか判らなくなるかも知れないと
思っていたが、以外と冷静にこの光景を見ていた。猪はドタッと仰け反るよう杉の横に
落ち微動だにしない。
『猪を撃ったら尻尾が動いていないかよく見ること。もし動いていたら、未だ絶命してい
ないから注意すること』と聞かされていたことを思い出し、忠実に守った。私の初めての
猪で報告する声も弹んだ。
『捕れたよー』
『おめでとう』と皆の祝福を受ける。
リーダーは未だ猪を撃ったことのない私に早くチャンスを、といつも言っていたが遂に実
現できた。15貫を切る大きさのものだった。竹薮の中で格闘していた面々が降りて来る。
誇らしげに場所を案内する。猪を里の方に運び出していると近所の人に獲れたことが伝
わったらしく、家の前で待ち受けていた。その中、一人の老婆が『こいつらだ、うちの田ん
ぼを荒らした奴は。憎たらしいから叩かせて』と棒切れを持ち出して、叩くというより猪の
体をコンコンとつついていた。
事実、この谷の田は稲が実り、これから刈り取るという時に猪が現れ、全滅同然の被害に
遭っていた。その晩は一度逃がした猪を獲ったこと、そして射手はビギナーの私というこ
とで、祝杯を挙げ話に花が咲いた。