以前だと梅雨末期に集中豪雨による河川反乱、土砂崩れなどの被害が恒例のこ
とだった。いつ頃か『ゲリラ豪雨』なる新語が出てきた。発生メカニズムについての
説明はある程度可能なようだが、予防できる情報提供はまだ道半ばにある。
島根・山口豪雨は昭和58年7月の島根県西部豪雨を凌ぐ雨量で川の氾濫、土石
流により公共物、建屋などに甚大な被害を引き起こし、3人の死者行方不明を出し
た。前線が弱まった昨日、恒例行事のように政府関係者が視察、自治体関係者が
早期復興と激甚災害指定へのお願いの場となった。
地域の再生をどのように目指すか、最初の入口である復興は元の場所にするのか、
より安全な別の場所にするのか、これだけでも決めるのは容易ではない。いずれに
しても自分たちの地域内、若しくはごく近隣であるのに、それすら困難を極める。
だが、先が全く見えない状況ではなく、妥協という便利な道具の使い様もある。
先日のNHK番組、福島の双葉町から避難した人が双葉町への帰還は困難として、
新天地に家を建てるかどうか悩み、結論を出すまでをドキュメンタリーとして放送し
ていた。帰還困難だろうが帰還準備だろうが2.5年も過ぎると当初は『故郷に帰る』
ことを希望として避難生活をしてきたが、待つことにより希望の灯は細くなる一方で
双葉町はアンケートによると帰還希望者は当初の60%から40%を切るまで低下した。
この番組で紹介された人たちの実家は、代々の農家だから大きく立派な家ばかり
から、鉄製扉のアパート暮らしではストレスの溜まり方も尋常ではなかろう。
悩み悩んだ結果、新天地に家を建てようと決心したが、次は需要と供給バランスの
壁が大きく立ちはだかった。避難先は帰還を諦めた人たちの需要が高まり、土地
代金は震災前の倍に跳ね上がってしまったのだ。TVでは土地代が1300万円から
2600万円といっていたから、これだけでも普通の人には困難なことだ。
実家には有り余る広さの土地を持ちながら、追われて・来たくもなかっただろう新天
地で、こんなお金を使って土地を買わざるを得ないのだから、情けなくなってくるだ
ろう。自宅は残されているのに災害復旧という馬鹿げたことも、今回の災害も一言で
括ってしまうと同じ『災害復旧』になってしまう。