竜山石製石棺:高槻市インターネット博物館(http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi/takumi-kansei.htmlより) 今城塚古墳(継体天皇陵の可能性大)で見つかった、竜山石・二上山白石・阿蘇ピンク石の家型石棺を市民の手によって同じ石材で3年ががかりで復元した。素晴らしい。
「そもそも、播磨と讃岐というのは、関係があったの?」
子どもの時から質問魔で教師を困らせていたヒメの質問は止まらない。
「現在はたつの市に合併されたが、たつの市御津町の綾部山古墳は、『日本最古級の古墳』とされる三世紀中頃の円墳がある。この古墳は『石囲い三重構造』の石槨で、同じ形式の古墳が香川県丸亀市綾歌町と讃岐の鳴門市から見つかっている。弥生末期から古墳時代への移行期に、播磨灘の海上交通を支配した阿讃播(あさんばん)連合があった可能性があるんだ」
さすがに長老は詳しい。
「讃岐の羽若石の産地と、『石囲い三重構造』の古墳は同じ地域なの?」
「讃岐の羽若の比定地は、香川県の綾歌郡の国分寺町、綾南町などで、『石囲い三重構造』の石槨が見つかった綾歌町も昔は同じ綾歌郡なんだ。3世紀中頃から播磨と讃岐、讃岐の王が婚姻関係にあったとしたら、5世紀初頭に息長帯日女が仲哀天皇の石棺の石材を求めて、羽若石をこの竜山に運んで加工した、という繋がりがあったとしても不思議ではないね」
慎重な長老も今日は思いきった発言をしている。
「阿讃播連合って面白いわね。学者はなかなか、思い切れないだろうけど、大国主一族が阿讃播を支配し、その子孫達が婚姻関係を維持した、という古代史推理小説なら書けるわね」
ヒメはまたまた、新しい小説のストーリーを考えついたようだ。
「最近、畿内説の人達は、3世紀の中頃、卑弥呼の時代に纒向を中心に九州から東海地方まで支配した古代国家があった、と言い始めていますよね。こそうすると、阿讃播連合は畿内にあった邪馬台国の下で、豪族達が連携を取り合っていたことを示している、ということになりません?」
畿内説派の高木としては、そう簡単には認めるわけにはいかなかった。
「ついに邪馬台国論争に発展してきたか。俄然、面白くなってきたな、今晩は寝られなくなるかな」
カントクの目は、好奇心に満ちた子どもの目になってしまっていた。
「それは次の機会にしたいな。今日は、3世紀中頃に阿讃播連合があった、息長帯日女の時代にも、この播磨と讃岐は密接な関係があった、ということにしておいたらどうかな」
邪馬台国論争大好きな長老が、なぜだろう。どうやら、今日は別のところに関心があるようだ。
「それより、ヒナちゃんの問題提起だけど、大和の二上山に同じような凝灰岩があるのに、なぜ、本家本元の聖なる山の墓石を使わないで、わざわざ遠い竜山石や羽若石を天皇の石棺に使ったのか、気になるのよね。邪馬台国畿内説だと、説明できるの?」
ヒメのこのような逆襲を高木は予想もしていなかった。考えるのに時間がかかる高木としては、大ピンチであった。
「その前に疑問があるんだけど、卑弥呼が纒向にいたとしたら、卑弥呼の鬼道は、いったい誰を鬼=祖先霊として祀ったことになるのかしら?」
マルちゃんが追い打ちをかけてきた。
「そりゃあ、三輪山に祀られた大物主、我々が明らかにしてきたように、スサノオの子の大歳になるね」
九州説のカントクの意見にうかうかと乗るわけにはいかないが、高木には考える時間ができたのでありがたかった。
「そうすると、卑弥呼は大物主の直系の子孫、ということになるわよね。しかし、纒向の箸墓に葬られているヤマトトトヒモモソ姫が、記紀では大物主の妻ということになっているのは、どう考えればいいのかなあ」
マルちゃんは、畿内説・九州説では中立だと言っていたのに、畿内説の痛いところを突いてくる。
「それより、三輪山のちょうど真西にある二上山も神那霊山だよなあ。大和の王にとって、祖先霊が降り立ってくる大事な神那霊山の二上山の石で棺(ひつぎ)を作ることこそ、霊継(ひつ)ぎには欠かせないんじゃないかな?」
九州説のカントクは容赦ない。
「初歩的な質問だけど、天皇家の神那霊山はどこになるのかしら? 畿内説だと、卑弥呼の神那霊山は三輪山にならざるをえないけど、天皇家の神那霊山も三輪山になるのかしら?」
ヒメがまたまた、爆弾質問を投げてきた。高木の脳内処理スピードを遥かに越えており、考えをまとめるどころではなかった。
「それは考えてもみなかったなあ。天皇家の祖先霊が降り立ってくる神那霊山が奈良盆地にないということは、天皇家は奈良盆地をルーツとする一族ではない、ということになる」
九州説のカントクががぜん優位である。
「天皇家に神那霊山がないということは、鬼道で30の国をまとめた卑弥呼の後継者ではない、ということにもなりますね」
ヒナちゃんは、畿内説で有名な石山研究室の大学院生なので、高木はヒナちゃんが畿内説派だとばかり思いこんでいたのに、これはやばい。
「次々と問題を出さずに、1つずつ検討しましょうよ。なぜ二上山の凝灰岩を使わずに、羽若石や竜山石を仲哀天皇や仁徳天皇の石棺に使ったのかですが、それは、息長帯日女の時に、三輪王朝=崇神王朝から河内王朝=応神王朝への政権交代があった、という水野祐氏の3王朝交代説で説明できると思います」
とりあえず、高木は最初の反論を行った。
「息長帯日女の河内王朝は三輪王朝を打倒した王朝だから、三輪山や二上山を神那霊山としていない、ということは、よくわかる」
高木はマルちゃんは九州説に移行したのか、と心配したが、そうではなさそうだ。
「邪馬台国=三輪王朝で、卑弥呼や三輪王朝の天皇は三輪山を神那霊山としていた、ということになります」
高木はとりあえずピンチを脱出した、とほっとした。
「そうすると、卑弥呼や崇神天皇などは、三輪山の大物主の子孫ということになるが、記紀で、大物主=大国主のような書き方をしているのはなぜかな?」
カントクは次の手を考えていたようだ。
「崇神天皇が宮中に大物主とアマテラスの霊を祀り、民の半数が死ぬという恐ろしい祟りを受け、大物主とアマテラスの霊を宮中から出しています。ということは、崇神天皇は大物主やアマテラスの子孫ではないのに、祖先の祀りを行ったので祟られた、ということにはなりません?」
ヒナちゃんが畿内説派ではない可能性が高まってきたので、高木はがっかりした。
「崇神天皇の三輪王朝は、三輪山を神那霊山としていた邪馬台国を打倒した狗奴国の王朝で、崇神天皇=卑弥弓呼ということは考えられませんか?」
高木は苦し紛れに新たな仮説を考え出した。
資料:日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)
姉妹編:「邪馬台国探偵団」(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
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「そもそも、播磨と讃岐というのは、関係があったの?」
子どもの時から質問魔で教師を困らせていたヒメの質問は止まらない。
「現在はたつの市に合併されたが、たつの市御津町の綾部山古墳は、『日本最古級の古墳』とされる三世紀中頃の円墳がある。この古墳は『石囲い三重構造』の石槨で、同じ形式の古墳が香川県丸亀市綾歌町と讃岐の鳴門市から見つかっている。弥生末期から古墳時代への移行期に、播磨灘の海上交通を支配した阿讃播(あさんばん)連合があった可能性があるんだ」
さすがに長老は詳しい。
「讃岐の羽若石の産地と、『石囲い三重構造』の古墳は同じ地域なの?」
「讃岐の羽若の比定地は、香川県の綾歌郡の国分寺町、綾南町などで、『石囲い三重構造』の石槨が見つかった綾歌町も昔は同じ綾歌郡なんだ。3世紀中頃から播磨と讃岐、讃岐の王が婚姻関係にあったとしたら、5世紀初頭に息長帯日女が仲哀天皇の石棺の石材を求めて、羽若石をこの竜山に運んで加工した、という繋がりがあったとしても不思議ではないね」
慎重な長老も今日は思いきった発言をしている。
「阿讃播連合って面白いわね。学者はなかなか、思い切れないだろうけど、大国主一族が阿讃播を支配し、その子孫達が婚姻関係を維持した、という古代史推理小説なら書けるわね」
ヒメはまたまた、新しい小説のストーリーを考えついたようだ。
「最近、畿内説の人達は、3世紀の中頃、卑弥呼の時代に纒向を中心に九州から東海地方まで支配した古代国家があった、と言い始めていますよね。こそうすると、阿讃播連合は畿内にあった邪馬台国の下で、豪族達が連携を取り合っていたことを示している、ということになりません?」
畿内説派の高木としては、そう簡単には認めるわけにはいかなかった。
「ついに邪馬台国論争に発展してきたか。俄然、面白くなってきたな、今晩は寝られなくなるかな」
カントクの目は、好奇心に満ちた子どもの目になってしまっていた。
「それは次の機会にしたいな。今日は、3世紀中頃に阿讃播連合があった、息長帯日女の時代にも、この播磨と讃岐は密接な関係があった、ということにしておいたらどうかな」
邪馬台国論争大好きな長老が、なぜだろう。どうやら、今日は別のところに関心があるようだ。
「それより、ヒナちゃんの問題提起だけど、大和の二上山に同じような凝灰岩があるのに、なぜ、本家本元の聖なる山の墓石を使わないで、わざわざ遠い竜山石や羽若石を天皇の石棺に使ったのか、気になるのよね。邪馬台国畿内説だと、説明できるの?」
ヒメのこのような逆襲を高木は予想もしていなかった。考えるのに時間がかかる高木としては、大ピンチであった。
「その前に疑問があるんだけど、卑弥呼が纒向にいたとしたら、卑弥呼の鬼道は、いったい誰を鬼=祖先霊として祀ったことになるのかしら?」
マルちゃんが追い打ちをかけてきた。
「そりゃあ、三輪山に祀られた大物主、我々が明らかにしてきたように、スサノオの子の大歳になるね」
九州説のカントクの意見にうかうかと乗るわけにはいかないが、高木には考える時間ができたのでありがたかった。
「そうすると、卑弥呼は大物主の直系の子孫、ということになるわよね。しかし、纒向の箸墓に葬られているヤマトトトヒモモソ姫が、記紀では大物主の妻ということになっているのは、どう考えればいいのかなあ」
マルちゃんは、畿内説・九州説では中立だと言っていたのに、畿内説の痛いところを突いてくる。
「それより、三輪山のちょうど真西にある二上山も神那霊山だよなあ。大和の王にとって、祖先霊が降り立ってくる大事な神那霊山の二上山の石で棺(ひつぎ)を作ることこそ、霊継(ひつ)ぎには欠かせないんじゃないかな?」
九州説のカントクは容赦ない。
「初歩的な質問だけど、天皇家の神那霊山はどこになるのかしら? 畿内説だと、卑弥呼の神那霊山は三輪山にならざるをえないけど、天皇家の神那霊山も三輪山になるのかしら?」
ヒメがまたまた、爆弾質問を投げてきた。高木の脳内処理スピードを遥かに越えており、考えをまとめるどころではなかった。
「それは考えてもみなかったなあ。天皇家の祖先霊が降り立ってくる神那霊山が奈良盆地にないということは、天皇家は奈良盆地をルーツとする一族ではない、ということになる」
九州説のカントクががぜん優位である。
「天皇家に神那霊山がないということは、鬼道で30の国をまとめた卑弥呼の後継者ではない、ということにもなりますね」
ヒナちゃんは、畿内説で有名な石山研究室の大学院生なので、高木はヒナちゃんが畿内説派だとばかり思いこんでいたのに、これはやばい。
「次々と問題を出さずに、1つずつ検討しましょうよ。なぜ二上山の凝灰岩を使わずに、羽若石や竜山石を仲哀天皇や仁徳天皇の石棺に使ったのかですが、それは、息長帯日女の時に、三輪王朝=崇神王朝から河内王朝=応神王朝への政権交代があった、という水野祐氏の3王朝交代説で説明できると思います」
とりあえず、高木は最初の反論を行った。
「息長帯日女の河内王朝は三輪王朝を打倒した王朝だから、三輪山や二上山を神那霊山としていない、ということは、よくわかる」
高木はマルちゃんは九州説に移行したのか、と心配したが、そうではなさそうだ。
「邪馬台国=三輪王朝で、卑弥呼や三輪王朝の天皇は三輪山を神那霊山としていた、ということになります」
高木はとりあえずピンチを脱出した、とほっとした。
「そうすると、卑弥呼や崇神天皇などは、三輪山の大物主の子孫ということになるが、記紀で、大物主=大国主のような書き方をしているのはなぜかな?」
カントクは次の手を考えていたようだ。
「崇神天皇が宮中に大物主とアマテラスの霊を祀り、民の半数が死ぬという恐ろしい祟りを受け、大物主とアマテラスの霊を宮中から出しています。ということは、崇神天皇は大物主やアマテラスの子孫ではないのに、祖先の祀りを行ったので祟られた、ということにはなりません?」
ヒナちゃんが畿内説派ではない可能性が高まってきたので、高木はがっかりした。
「崇神天皇の三輪王朝は、三輪山を神那霊山としていた邪馬台国を打倒した狗奴国の王朝で、崇神天皇=卑弥弓呼ということは考えられませんか?」
高木は苦し紛れに新たな仮説を考え出した。
資料:日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)
姉妹編:「邪馬台国探偵団」(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
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